【パンフレット】Alert!!! 「代替わり」状況へ

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*2016年7月〜2018年4月に反天連ニュースに掲載された主張、声明、天野恵一の連載(マスコミじかけの天皇制)をまとめてパンフレットにしました。

2018年8月15日刊行/頒価300円

 

 

まえがき─このようにして象徴天皇制の強化・再編は準備された

 

反天連としては久しぶりのパンフレット発行だ。毎月のニュース発行にも喘いでいる私たちをパンフづくりに向かわせたのは、二〇一六年七月一三日、明仁の「生前退位」意向表明を伝えたNHKスクープ事件からの二年間が、あまりにもめまぐるしく過ぎ去ったからだ。事態は急ピッチで動き、新たな事態も次々と起こる。天皇課題以外の深刻な課題も多く、それはもう怒濤の日々としか言いようがない。多くの課題がバトンリレー競争のごとく次々と現れては走り去っていくように見える。実は何一つ走り去ってなどいないのだが、一つひとつの深刻な課題は、まるでゆめまぼろしであったかのように、テレビやPCの枠の中の現象として多くの人たちに消費されているようだ。

そのようななかで、私たちは天皇の意向表明以降、「生前退位」のための法制化問題、具体的な「代替わり」問題や、付随して出てくる「退位・即位・大嘗祭」、「改元」、等々の問題について、それらがいかに民主主義に反し、立憲主義を破壊し、主権在民も平等主義も政教分離原則も、投げ捨てることであるかを訴えてきた。

本パンフは、反天連がその時々において、“ニュース“Alert〟紙上で出してきた見解や主張の一年一〇ヶ月分をまとめたものだ。構成としては、二〇一六年七月号〜二〇一八年四月号掲載の、反天連声明【反天連からの呼びかけ】01〜03、主張欄としてある「今月のAlert」、天野恵一の連載「マスコミじかけの天皇制」10〜21を、時系列で並べた。それは、天皇制vs反天皇制の簡単な記録でもある。

わずか一年一〇ヶ月のことであるが、そこに横たわっているのは、戦後象徴天皇制始まって以来の、未曾有の天皇制強化・再編の歴史だ。だが、渦中を走っているときには、いろんなことが後景となって遠ざかっていくことが多い。すでに忘れさっていることもあるのではないか……。いかんせん、この怒濤の二年間に起こった時事は、数倍の年数分に相当する多さと言ってもおかしくないのだから。そして、私たちの「代替わり」に反対する運動は、まだまだ渦中にある。だから、ここで少し二〇一六年七月以降をふり返ってみた方がいいのではと、思うに至ったのだ。というわけで久しぶりのパンフ発行とあいなった。本パンフで、反天視点の約二年間をわずかでも読み解いてもらえれば嬉しい。そして、これからの反天皇制の運動をともにしていただければ、と願う。

二〇一八年八月一五日 反天皇制運動連絡会

【集会宣言】8.15反「靖国」行動集会宣言

8月15日、今年も天皇・皇后が出席して行われる政府主催の「全国戦没者追悼式」が開催され、天皇は例年どおり言葉を述べた。閣僚、国会議員など公人による靖国神社参拝もほぼ例年どおり行われた。これら式典と靖国参拝は、植民地主義・占領政策に基づく過去の侵略戦争への、無反省と無責任をごまかし続けるものでしかない。これらが今年も行われることに抗議の声を上げるため、私たちは今日の8.15反「靖国」行動に集まった。

天皇明仁の、天皇として最後となる今年の8.15は、祈る「平和」天皇として明仁がなしてきた「慰霊・追悼」の集大成として位置づけられる。そしてそれは、天皇制国家が起こした戦争の、その責任追及の声を黙らせてきた象徴天皇制の大きな節目としてもある。

天皇のために戦争で死んだ、あるいは「戦闘協力者」とされた「日本人」への補償および顕彰に比し、そうでない国内外の戦争被害者へは無補償といった無責任な日本政府の差別政策に、多くの「日本人」は口をつぐみ、国際的な責任に向きあうことを避け続けてきた。この明仁天皇最後の8.15式典も例外なく、そういった恥ずべき責任隠蔽の歴史をさらに固定化しようという意図に貫かれている。

政府は今年を「明治150年」として、近代150年をまるごと肯定的に評価するキャンペーンを張っているが、それは私たちにすれば植民地支配・侵略戦争の歴史150年を意味する。靖国神社はその象徴的存在であるが、単なる歴史的シンボルとしてではなく、侵略戦争の歴史を肯定し続ける現役の戦争神社として機能し続けている。その靖国神社に公人が参拝することで示されるこの国の歴史観は、過去150年の植民地主義の歴史を肯定するもの以外にない。そして、「全国戦没者追悼式」と、そこで天皇がのべる言葉は、そういった支配層の歴史観を強固なものとするためだけにある。

安倍政権は戦争のための法整備と「国民」づくりを着実に押し進めてきた。2013年には、安倍首相が靖国を参拝し、現在、それに対する抗議の声は司法によって握りつぶされる寸前だ。過去の戦争政策への肯定・礼賛は、それが現在の戦争準備政策に利するためにこそなされる。そういった課題関係を前提に、私たちはこれからも、現在進められている戦争準備政策への抗議とともに、過去の植民地政策・侵略戦争に対する責任追及を粘りづよく続けていきたい。

そして、そういった現実を不可視な状況に追いこむ装置としてあり続ける天皇制を、これ以上続けさせるわけにはいかない。象徴天皇制のもとでも、天皇は君主的な役割を果たし、神々の一族として明確な宗教儀式をさまざまに続けている。また、政府の政策を円滑に進めるために機能し、世襲制で特権的な地位につく差別的な存在である。そのような天皇制は、「代替わり」で延命させるのではなく、なくしていく方向を模索すべきであり、私たちは、このことを諦めず何度でもくり返し訴えていきたい。

天皇の「代替わり」を許さず、天皇制いらないの声を上げ、安倍政権の、現在の改憲・戦争政策に抗議するとともに過去の戦争責任の追及を忘れない行動を、ともに作り上げていこう!

2018年8月15日
8.15反「靖国」行動参加者一同

 

*当日のデモの様子はこちら

http://www.mkimpo.com/diary/2018/yasukunix2018.html

【呼びかけ】「新元号制定に反対する署名」5000筆突破!引き続き協力を

春から集め始めた「元号いらない署名」、とりあえずの目標数の5000筆を突破しました。

署名は引き続き集めて、年末までに政府に申し入れの予定です。
ご協力お願いします。

詳しくはこちらのブログをどうぞ

http://tennoout.hatenablog.com/

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2019年5月1日の天皇代替わりにむけて、政府は新しい元号を2018年中に発表するとしています。

一昨年来、首都圏各地でさまざまなかたちで反天皇制の運動に取り組んできた私たちは、この新元号制定に反対する署名活動を皆さんによびかけます!

「昭和」の時代と比べれば、市民生活から元号は急速に姿を消しつつあります。インターネットでも元号不要論・不便論が公然と語られだしてきました。「最も生活に身近な天皇制」であるはずの元号と、民衆意識との乖離は着実に進んでいるのです。この天皇制の大きな弱点である元号制度を突くことを通じて、「終わりにしよう天皇制」の声を、共に、さらに広げていきましょう!

「8・8天皇メッセージ」から始まった「平成」代替わり反対闘争の重要な一環として、この署名運動に取り組んでいただけるようお願いします。目標は5000筆です。たくさんの仲間と共同できることを心待ちにしています。

(2018/2/1)

(1)署名を集めて集約先や取り扱い団体までご送付下さい。

(2)運動の広がりを示すために、ご自身や、団体で取り扱い団体・個人になって、署名集約のハブになってください。

(3)街頭署名取りをぜひ計画してください。一緒にやる仲間が見つからない方は、下記いずれかの連絡先までお気軽にご相談ください。

(4)署名提出行動にご参加下さい。集まり具合や政府側の日程を見て、あらためて日程をお知らせしますので、ご参加ください。

★署名第三次集約は11月15日(木)です。

・ネットでの署名ができます
ここをクリックしてください

・用紙は右サイトでもDL可です

→天皇制はいらない
http://han.ten-no.net/

→ブログ「天皇制いらないデモ実行委OUT!」
http://tennoout.hatenablog.com/

【「元号はいらない署名運動」呼びかけ団体】
■ 反天皇制運動連絡会  千代田区神田淡路町1-21-7-2A 淡路町事務所気付 hanten@ten-no.net
■「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会
横浜市神奈川区鶴屋町2-24-2 かながわ県民センター9FレターケースNO.333
■ 靖国・天皇制問題情報センター 新宿区西早稲田2-3-18-31 キリスト教事業所連帯合同労組気付(署名用紙郵送はこちらまで)
■ 天皇制いらないデモ実行委員会 立川市富士見町2-12-10-504 立川テント村気付 tennoout@gmail.com

【集会案内】今年もまた暑い熱い夏がやってくる  8/15反靖国行動に集まろう

「明治150年」天皇制と近代植民地主義を考える8.15行動

【日時】 8月15日(水)
14時開場
【会場】在日韓国YMCAアジア青少年センター
9階国際ホール
※JR水道橋駅、御茶ノ水駅、地下鉄神保町駅
集会後、デモに出発!

■ 今年の八月一五日の全国戦没者追悼式は、明仁にとっては、天皇として最後の式典出席となります。全国戦没者追悼式は、戦争の死者を、戦後日本の発展をもたらした「尊い犠牲者」と賛美することによって、その死を美化し顕彰する儀式にほかなりません。その意味において、軍人・軍属(戦闘協力者)の死者を「英霊」として祀る靖国神社と同質のものです。
■ 8・15反「靖国」行動は、国家による「慰霊・追悼」を撃ち、天皇制の植民地支配、戦争・戦後責任を批判し抜く行動として取り組まれてきました。日本が、戦争法や治安法を整備し、海外における米軍への協力活動など、実際の軍事行動に踏み込んでいる現在、国家にとって「新たな戦争の死者」をどう位置づけ、利用していくかという課題は、ますます現実的なものとなっています。
 国家による「慰霊・追悼」それ自体が、戦争準備の一環をなしているのです。「代替わり」に伴って新たに登場する新天皇が、そこでどのような役割を果し、また果すことが期待されているのかについても問うていかなければなりません。
■ 8・15反「靖国」行動をステップに、「明治一五〇年」から「代替わり」諸儀式に具体的に反対していく運動を強化し、向こう側からの「平成の総括」を批判しぬき、天皇「代替わり」を契機として創り出される天皇制社会の時間と空間に抗していく、私たちの自由を取り戻す闘いを準備していきましょう。

主催 ●「明治150年」天皇制と近代植民地主義を考える8.15行動

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/市民の意見30の会・東京/スペース21/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/ピープルズ・プラン研究所/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

【学習会報告】 千葉慶『アマテラスと天皇─〈政治シンボル〉の近代史』 (吉川弘文館 歴史文化ライブラリー、二〇一一)

日本の近代化の過程でつくり出された「政治シンボル」が、明治維新政府の思惑からどのような変遷をたどり、悲惨な敗戦を迎えるにいたったのか。本書ではその歴史的な考察が試みられる。そして、その政治シンボルを検証しなおすためのケーススタディとして、アマテラスが取り上げられている。

近代国家建設=脱亜入欧・欧米型列強国化が目的であったこの国の近代化は、欧米的なキリスト教的宗教を模索し、行き着いたところが天皇であったという。こういった整理はそれほど珍しくないかもしれない。しかし、その天皇をまつりあげる時、その天皇の権威づけとしての〈政治シンボル〉を必要とし、それがアマテラスであったという。そしてそれを歴史的に解明していくのだが、ここがこの本のユニークなところだ。また、天皇の「伝統」がいかに明治以降のものであるかも、よく読み取れるテキストとなっている。

議論は沸騰した。政治シンボルの近代史に絞り込んだユニークな視点とその論理展開は、私たちを面白がらせた。同時に、アマテラスが政治シンボルとして使われていく経緯等について、本当にそうであったのか?との疑問を付す意見も。私も同様に感じることはあった。

それにしても、一九三〇年代〜敗戦あたり、思わず現在と比較しながら読んでしまうのだが、「象徴天皇もアマテラスと同じ政治シンボルの一種であり、政治シンボルとは有効かつ強力であればあるほど、統治者・被治者双方にとってリスキー」という著者の結論は、暗示的である。
絶大な権威をもって民衆に受け入れられ、解釈に曖昧さを残さず……、かつ専制政治に陥らない工夫をこらした政治シンボル。象徴天皇制、いい線いってるってこと……?

というわけで、もう少し関連領域を読むことに。

今回はトメ吉さん推薦のテキストで、ついでに参加も。また来て下さいまし。

◎次回は、村上重良『天皇制国家と宗教』(講談社学術文庫、日本評論社)

(桜井大子)

【集会報告】なぜ元号はいらないのか?

七月二一日、文京区民センターにおいて、「なぜ元号はいらないのか? 7・21集会」が九七人の参加を得てもたれた。主催は、このかん、天皇「代替わり」に反対する行動を共同でつくっている首都圏枠のグループによって作られた「元号はいらない署名運動」。もちろん反天連も呼びかけ団体のひとつだ。

天皇の「二重権威」などというくだらない議論もからんだ「新元号」への移行をめぐるドタバタは、元号というものの不便・不合理さをあぶりだしている。同時に、にも関わらず、それをやめようという声を表面化させることのない、天皇制社会のありようをも。そうしたなかで取り組まれた署名は、すでに目標数の五〇〇〇筆を超えている。その報告も含めて、元号いらないという声をはっきりと上げていこうという趣旨の集会だった。

主催者あいさつに続いて、中国近代思想史を専門とする坂元ひろ子さん(一橋大学名誉教授)から、「中国の革命経験から考えるアジアの共和国」と題して講演を受けた。坂元さんは、「心身に絡みつくように私たちを縛っている」(安丸良夫)天皇制を問題にすべきであると話を始めた。「元号制度」は、それが中国古典に典拠を持つ言葉で作られることに明らかなように、古代以来の対中国コンプレックスが骨がらみになった制度である。中国においては「天」の観念と易姓革命の思想があったのに対して、日本においてはそのコンプレックスを解消するために、「万世一系」が強調されたことを指摘した。そして、清末民初の改良・革命思想における「共和」論議について詳しく紹介された。

続いて、靖国・天皇制問題情報センターの中川信明さんから、これまでの反元号の取り組みについての報告、前立川市議の大沢豊さんから、二三区二六市の文書における元号および西暦使用の現状、新元号のためのシステム改修の費用などについての調査報告がなされた。

茨城・戦時下の現在を考える講座、「オリンピック災害」おことわり連絡会アジア女性資料センター、あいち代替わり・植樹祭を考える会(仮)のアピール、今後の行動提起で集会は閉じられた。

この集会については、後日朝日新聞でも記事になった。反対する声の存在が取り上げられたのはよいとしても、署名運動について言及されず、なんのための集会なのか不明。しかも「平成流」によって、右も左も苦労し、反対運動も退潮しているという論調。そうではない。集会で中川さんも強調したように、「代替わり」=改元を目前にして、「元号反対運動の三つ目のピーク」に向けた、具体的な取り組みが始まっているのだ。秋にかけてさらに署名を集め、反元号の声をさらに広げていこう。

(北野誉)

【今月のAlert】「生産性」が国家によって簒奪された状況をはねかえすために

安倍晋三じきじきの抜擢により稲田朋美に続くかたちで衆議院議員の席を得た杉田水脈は、「(LGBTの)彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がない」「そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか」などと、優生思想を露骨に表現している文章を「新潮45」八月号に掲載した。

杉田はこれまでも、日本軍性奴隷制=「慰安婦」問題をはじめとして、なでしこアクションや在特会などの極右排外主義グループと行動を一つにして、差別発言を繰り返してきている。杉田は「日本維新の会」や「次世代の党」「日本のこころ」など政党を転々とさせながら、こうした思想を国会やテレビ、インターネット上で繰り広げてきたことを安倍に評価され、いわば安倍ら極右勢力の思想の宣伝担当としての役割を担ってきたのだ。杉田は、女性差別はないとし、「日本文化と伝統」なるものを強調しつつ、ジェンダーフリーへの悪罵を通じて男女平等という基本的人権の根幹までも否定する発言を重ねてきており、今回のLGBTに向けられた否定もまたこれらの発言と同様で、それは日本会議系の連中とも共通する一貫したものだ。これに対し、いままで安倍自身やその周辺、自民党議員らがどれほど悪質な行動や発言を重ねても「閣議決定」などで問題なしとしてきた自民党が、驚いたことにウェブサイトで「本人には今後、十分に注意するよう指導した」としている。もちろんこれは安倍の総裁三選が確定するまで、他にも多数存在し愚かで攻撃的な言動を重ねる「安倍チルドレン」、すなわち安倍の思想的子どもたちの口を一時的に封じるための弥縫策にすぎないのは明らかだが。

「国家にとって利用価値があるかどうか」というおぞましい「基準」で優生保護法に基づく「断種」までもがなされてきた、日本国家の伏せられてきた暗部が、このかん明るみに出されている。営々とした努力で積み重ねられてきたはずの基本的人権の確立が、実際には大きく損なわれ揺らいでいるということが、このような右派勢力の動きからくっきりと見える。

そしてそれを肯定する底流は、典型的な極右にのみ限られたことではない。東京医大の入学試験において、女性の受験者の得点が一律に削られ、男女の入学者の比率が操作されてきたという事実が明らかになったが、ネット上の情報を見ていくと、それは以前から他の学校でもあったこと、というものが多数あり、そのことは「意外なこと」とは感じられていない。そして、自身のこれまでの記憶をふりかえっても、これらは、もちろん否定しながらも「ありそうなこと」として、無意識のうちに脱色されているように感じる。

じつは、子どもを作ったり育てたりすることは、医大、医者ばかりではなく産業界、さらに社会の広い範囲において否定され続けているわけだ。そして、多くの女性にとっては職業や未来も収奪されてきているわけだ。子どもを作らないことが否定され、子育てによる休暇すらもマイナスとして否定され、老齢や障がいなどで「利用価値」がないと見なされれば、石原慎太郎や植松聖に類する連中らによって、まさに、生や存在そのものも否定されるというのがこの社会の行き着くところとなっている。さらに、ひとの生を「生産性」などという概念を通じ認識することから、わたし(たち)自身すら遠くないところにいる。そのことこそが、この問題から剔抉されねばならない。

そしてもちろん天皇制は、危ういながら「男子相続」の血統主義に基づいており、来年には大がかりな代替わりの儀式がなされる予定で、その「皇位継承式典事務局」も発足している。明仁と美智子は、その最後の「巡幸」を、明治政府が最初にその「領土」とした北海道とした。そして、今年の「全国戦没者追悼式」も、明仁の天皇として最後のものとなる。しかし、こうした差別の構造、いま眼前にある冷え冷えとした現実に向き合うとき、天皇および天皇制による「慰撫」「慰霊」「追悼」など、なんの意味も持たないことはあまりにも明らかだ。

今年も私たちは8・15行動を「『明治一五〇年』天皇制と近代植民地主義を考える8・15行動」として取り組むが、その行動は、より積極的に、奪われ続けている存在を、世界と自由を取り戻していくものとしていきたい。

(蝙蝠)

【表紙コラム】

101歳の日高六郎さんが亡くなったと連絡を受けた時、98歳で亡くなった、まだそれから1年もたっていないはずの福富節男さんのことも想い出した。私は日高さんと日常的に親しく交流したことはまったくなかった。1987年、沖縄読谷村の国体ソフトボール会場で「日の丸」を燃やして抗議した知花昌一さんの救援会づくりのための最初の大きな集まり(私はこの救援会活動には結果的に長くコミットし続けることになったのだが)、この東京での集まりに、突然参加した彼が、右翼の「世代を結ぶ平和の像」破壊抗議の内容も織り込んだ活動を、と強く提案していた。この時がナマの日高さんにはじめて会った時であったはずだ。

親しく個人的に話を持ったのは2回だけ。1回は、社会党が九条平和主義から大きく後退し政権に近づいていく時代に、岩波書店の『世界』にうまれた、その流れに乗った「平和基本法」構想なるものに批判の講演会に来て話していただいた時(1993年)であり、もう一度は、私が長く参加している「戦後研究会」のメンバーとつくった日高さんの話を聞く集まりの時である。フランスに住んでいた日高さんとの仲介役は、2度とも福富さんだったのである。その時の福富さんは仲介役を超えて、すこぶる積極的に動きまわった。シャシャリ出ることの少ない福富さんの普段にはおめにかかれないハシャギぶりは、おそらく大知識人日高さんが福富さんが最も敬愛する人物であろうことをよく示していた。当時、それが私には少し意外であった。

今年(2018年)は、学生叛乱のピーク(1968年)から50年である。日高さんの発言で、一番強く私の心に残っているのは、1969年1月の東大への機動隊導入の時辞職を決意した彼と、「わが解体」のプロセスを公表しつつ京大を辞職した高橋和巳との1970年(『群像』10月号)の対談(「解体と創造」)であり、その中でも言及されている『朝日ジャーナル』(1970年8月9日・16日合併号)に書かれた「断章・私と大学」である。今、それを読みなおしてみて、他者攻撃性を削ぎ落とした、見事なまでに論理的かつ具体的、明快な自己断罪の主張の力にまた圧倒された。考えてみれば、不当解雇された教員として日大全共闘への加担を持続した福富さんの日高さんへの敬愛の深さは、まったくあたりまえの話であったのだ。             

(天野恵一)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 26号(2018年8月 通巻408号)

今月のAlert ◉ 「生産性」が国家によって簒奪された状況をはねかえすために(蝙蝠)
反天ジャーナル ◉ 核女、怒鰐、必勝法は勝つまでやめない
状況批評 ◉ 朝鮮半島情勢をどのように見るか─東アジアの平和と非核化への好機(湯浅一郎)
ネットワーク ◉ 連続講座「安倍改憲と憲法9条」で共に議論を!(白川真澄)
ネットワーク ◉ 米軍・自衛隊参加の総合防災訓練に反対しよう! (藤田五郎)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈99〉 ◉ オウム真理教幹部一三人の一斉処刑について(太田昌国)
マスコミじかけの天皇制〈25〉◉ 「元号」・オリンピック・オウム大量死刑執行と「平成代替わり」の政治 ─〈壊憲天皇明仁〉その23 (天野恵一)
野次馬日誌
集会の真相 ◉ 女性と天皇制研究会学習会 天皇制から続く家制度/なぜ元号はいらないのか?/2020東京オリンピックいらない!原宿アピール&渋谷デモ/死刑執行に抗議する集会/「天皇制では、国民を作るが市民は育たない!」/反「昭和」Xデー闘争の「経験」を通して、「平成」代替わりを考えるPart2
学習会報告 ◉ 千葉慶『アマテラスと天皇─〈政治シンボル〉の近代史』
反天日誌
集会情報

→前号の目次はこちら

*2018年8月7日発行/B5判18ページ/一部250円
模索舎(東京・新宿)でも購入できます。
http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

【学習会報告】鶴見良行『日本の写真 天皇論/写真論1957-72』 (鶴見良行著作集第一巻『出発』〈みすず書房〉所収)

鶴見良行の、この貴重な「天皇論」の存在を知ったのは、私がかなり若い時であった。しかし、その批判の切り口の鋭さに気づいたのは、かなり後の時間である。レポーターであった私は、松下圭一の高名な「大衆天皇制」(スター天皇制)論より早く、メディア支配が全面化した政治社会の中の象徴天皇制の戦前から連続する家族主義イデオロギーをベースにした独自な政治的枠割に、キチンと批判の光をあてたこの諸論文の今こそ見過ごすべきではないある点にしぼって報告した。

「国民すべてを戦争においこんだひとつひとつの事態が究極的には天皇というたった一語の権威によって正当化されたのであったにかかわらず、天皇は何一つ戦争の責任を負いはしなかったという事実と、戦後の天皇は『人間』として国民多数の親愛の対象となっているという事実のつながりの問題」。このつながってはいけない問題が安易につながってしまったのは何故か?」

鶴見は、こう問いを自ら立てて、それに以下のごとく回答している。

「『人間天皇』という言葉およびその視覚的再現の写真があらわれた一九四六年正月頃」の状況。「人間宣言」とマスコミにネーミングされた「元旦の詔書」と、メディアにあふれかえる天皇家の家族写真。そして憲法の「象徴」規定。このプロセスでつながってはいけない問題がつなげられることが起きた。「……天皇が人間であるためには当然に戦争に対する公人としての償いが要求されるにもかかわらず、天皇の利用者にのみ追及が向けられ、天皇と国民の結びつきの面における国民の実感の変革をわれわれ国民自らが試みようとしなかったために、『天皇は人間である』という事実命題は容易に『人間的な天皇』という価値命題へとすりかえられていったのである」(強調引用者)。

天皇は人間であるという自明の「事実命題」を素晴らしい「人柄」の天皇という「価値命題」へのスリカエ(操作)があったというのだ。考えてみれば、このスリカエ(操作)は戦後マスコミの天皇報道の日常的作業であり、現在の「生前退位」は人間として当然とのキャンペーンは、その集大成ではないか。

次回のテキストは『アマテラスと天皇─政治シンボルの近代史』(千葉慶・吉川弘文館)

(天野恵一)