【案内】日米安保を軸に沖縄・天皇制を考える 4.28-29 連続行動

【4.28】講演集会

[日 時] 4 月28 日(水)18:15 開場/18:30 開始
[会 場] 文京シビックセンター・4F シルバーホール
*地下鉄後楽園駅・春日駅

 米軍優位の日米地位協定と日米合同委員会の密約

吉田敏浩 さん(ジャーナリスト)
*著書に『「日米合同委員会」の研究』『密約 日米地位協定と米軍犯罪』など

【4.29】反「昭和の日」デモ

[日 時] 4 月29 日(木・休)14:30 集合/ 15:00 デモ出発
[会 場] 千駄ヶ谷区民会館
*JR 原宿駅徒歩7分

 

■今年の4月 28 日は、1952 年にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が占領状態から脱し、戦後をスタートさせた日から69年目になる。そしてそれは同時に、(旧)日米安保条約の発効からも69年目ということでもある。

■サンフランシスコ講和条約は、最大の被害国である中国やソ連を排除した西側諸国とのみ結ばれた。そして、日本の侵略戦争・植民地支配に対する賠償を経済援助方式によって切り縮めるものであり、天皇制国家による侵略戦争責任・植民地支配責任を糊塗してしまうものであった。さらに沖縄(南西諸島)を米軍支配のもとに切り捨てた。

■講和条約と同時に発行した日米安保条約の締結と沖縄の切り捨ては天皇裕仁が、日本政府の頭越しに米国へ強く求めたものであった。

■「戦後の国体」とも言われる日米安保体制+象徴天皇制。4.28-29 の連続行動では、その「国体」の総体を改めて見つめ直し、特に、日米安保体制が、どのように私たちの現在を支配しているのか、その仕組みを再確認する。

【呼びかけ】4/28-29連続行動への呼びかけ

私たちは、60年安保闘争から50年目となる2010年から、4月28日・29日の連続行動に取り組んできた。

今年の4月28日は、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が占領状態から脱し、独立国としての戦後をスタートさせた日から、69年目になる。そしてそれは同時に、(旧)日米安保条約の発効からも69年目ということでもある。

■誤った戦後日本のスタート

サンフランシスコ講和条約は、朝鮮戦争下で講和を急ぐ米国主導のもと、最大の被害国である中国やソ連を排除した西側諸国とのみ結ばれた。そして、日本の侵略戦争・植民地支配に対する賠償を経済援助方式によって切り縮めるものであ り、天皇制国家による侵略戦争責任・植民地支配責任の追求とそれがもたらした被害に対する賠償を糊塗してしまうものであった。さらには沖縄を含む南西諸島を米軍支配のもとに切り捨てるものでもあったのだ。

講和条約と同時に発行した日米安保条約は、占領軍であった米軍の、日本領土内自由行動を含むさまざまな特権的地位を有した状態のままでの、駐留継続を認めるものであった。

片面講和と米軍の駐留継続。こうした米国による戦後の対日本政策は、占領政策を有効に進めようとする意図の下で戦犯としての追及をせず延命させた裕仁天皇との米国主導の下での共同作業でもあった。共産主義勢力による戦争責任追及や革命を恐れる裕仁は、米軍の駐留継続を強く望み、そのために沖縄の切り離し(占領の継続)の提案を、日本政府の頭越しに行ったのである。

■今こそ問う「戦後の国体」=日米安保と象徴天皇制

今日の「従軍慰安婦(日本軍性奴隷制度)」問題や「徴用工」問題、辺野古新基地建設に象徴される米軍基地の沖縄への押し付け問題などは、こうした「誤った戦後日本のスタート」に起因するものである。

侵略戦争・植民地支配による負の遺産は、私たちの手によって清算されなければならない。そのためにも、4月28日と29日の両日を連続行動として問いなおす必要が求められる。天皇は、裕仁から子(明仁)、孫(徳仁)へと引き継がれたが、それぞれ意匠を異にしながらも、侵略戦争・植民地支配責任を忘却の彼方におしやり、日米軍事一体化の下で新たな戦争 国家へ向けて国家統合体制を整えるという役割は継続・強化されている。

今年の4・28─29の連続行動は、戦後の「国体」=象徴天皇制・日米安保体制の総体を改めて見つめ直し、特に、日米安保体制が、どのように私たちの現在を支配しているのか、その仕組みを再確認することで、「国体」を撃つ力としたい。
実行委員会への参加・賛同を呼びかけます。共に闘いましょう!

日米安保を軸に沖縄・天皇制を考える4・28─29連続行動実行委員会

【呼びかけ団体】
アジア連帯講座/研究所テオリア/スペース21/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会 反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会/ピープルズ・プラン研究所/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

【集会報告】2.11−23 連続行動報告

天皇代替わりにより「天皇誕生日」が2月23 日となったことにより、隣接する2月11 日の反「紀元節」行動と連続して、「天皇誕生日奉祝」に反対する行動に取り組むこととなった。2・11 は反「紀元節」デモ、2・23 は屋内での討論集会。

2・11 のデモは、西早稲田の日本キリスト教会館に集合、3・1東京集会(2・27 に屋内=リモート集会、3・1は新宿キャンドルアクション)実行委、オリンピック災害おことわり連絡会、即位大嘗祭違憲訴訟、アクティブ・ミュージアム(wam)の4団体からのアピールを受けた。そして「なくせ!建国記念の日・許すな!靖国国営化2・11 東京集会」からの連帯アピールを紹介し、「集会宣言」を読み上げてデモ出発した。デモは、早稲田から高田馬場駅前を経由して戸山公園の手前での解散。参加は90 名強。

2・23 討論集会は、文京区民センターで「『天皇代替わり』とは何であったのか——再定義された象徴天皇制」と題して行われた。実行委から3名がそれぞれの角度から新・天皇制に迫った。めずらしく十分な時間を討論に充てることができ、さまざまな意見が交わされたが、議論が深まったとはいえなかったことが残念ではあった。参加は90 名。

(K)

【学習会報告】黒田久太『天皇家の財産』(三一書房、一九六六年)

 近代天皇制の経済的面については、研究文献の少なさもあって、私たちは知っているようで知らないことも多い。本書は古い本だが、当時調べられるだけの資料に当たり、事実追跡を主眼にしたと著者が言うだけに、今日でもずいぶん役に立つ本だ。明治国家指導層が憲法制定に当たって、国家の根幹への議会の関与を極力せばめる意図から国家財産のある部分に皇室財産の形をとらせて不可侵化させ、元来私的資産をほとんど持たない皇室を巨大な「財産家」たらしめたこと、この皇室財産が株式・国債の運用益と広大な山林経営の収益によって一九四五年まで抜け目なく蓄積され続けたこと、が本書からよくわかる。

 報告は戦前に関する記述の紹介を主とし、戦後憲法下の皇室経済については私たちも従来比較的よく知っているから簡略になされた。しかし戦前と戦後では状況は一変しているが、いくつかの本質的な面で継承性があることは討論でも問題になった。皇室財産はほとんど固有財産に移されたが、国から皇室への供与・貸与(と言っておく。皇居など)に対して、厖大な公的行為にかかわる経費をも含めて、国会(人民)の関与は微弱であること、戦前の皇室財産は国家が自分の目的から設定したもので、その収支に皇室自身の恣意性が働く余地が狭かったが、それは戦後も続いていて、与えられた経済生活の埒をあまり自身で越えようとしない(他国王室に比べて「自由度」が小さい)らしいことなど。

 本書は戦後天皇制が権力と自立的経済力を失ったことで形骸化の方向に進むと見ているようだが、この点は私たちは賛成できない。戦後天皇は支配集団の一体性の柱、国民意識安定の支えとして、こんにちも重要な政治的存在でありつづけているのだ。

 次回は小菅信子『日本赤十字社と皇室』(吉川弘文館)を読む。

(伊藤晃)

【集会報告】「紀元節」と「天皇誕生日奉祝」に反対する連続行動報告

 二月一一日(木)、反「紀元節」デモ。九〇名を超える参加者とともに早稲田のキリスト教会館で簡単なデモ前集会を行った。3・1東京集会(2・27)・新宿キャンドルアクション(3・1)、おことわリンク、即位大嘗祭違憲訴訟、アクティブ・ミュージアム(wam)の四団体からアピールをもらい、「なくせ!建国記念の日・許すな!靖国国営化 2・11東京集会」からの連帯アピールと集会宣言を読み上げてデモ出発。アピールではいずれも深刻な課題が提起された。

 デモは高田馬場駅付近の戸山公園の手前で解散。警察による規制線が張られていたため、右翼の騒音は集会会場には響かなかったものの、コース要所の交差点には街宣車が待ち構え、機動隊に取り押さえられたり、日の丸を振りながら執拗についてくる右翼も少なくなかった。やや肌寒く感じたが、われわれの熱気はそれを上回った。

 二月二三日(火)、文京区民センターで「天皇誕生日」奉祝に反対する集会。八七名の参加があった。「『天皇代替わり』とは何であったのか――再定義された象徴天皇制」と題して、天野恵一、桜井大子、北野誉の三人の発題のあと、集会参加者との討論を行なった。

 近代以降初めての「譲位」により上皇、天皇、そして昨年11・8の「立皇嗣の礼」で、次期天皇の座についた秋篠宮による、権力の三つ巴状況を指摘し、宮内庁発表の新年の天皇家写真の変遷から、傍系に流れる皇位と、女系・女性天皇の可能性を批判。活発で有意義な意見討論が行なわれた。最後に「3・11を反天皇制・反原発の日に!」集会、「やめろ敵基地攻撃大軍拡」3・27集会、おことわリンクからのアピール。

 神武天皇の即位日とされる2・11と、徳仁の誕生日である2・23の近接は、否応なく「万世一系」を想起させ、「国民」に祝賀を強制する。これからも共に声を上げ続けよう。

(黒薔薇アリザ)

【今月のAlert 】反天皇制の闘いは持続します!  4/28─29の連続行動に参加を

 私そして私たちが反天皇制運動連絡会として活動を開始した八〇年代は、経済の好況を背景に、この日本社会の全般が『ジャパン・アズ・ナンバーワン』であるかのような夜郎自大の国家意識が、かなり広く覆っていたはずだ。しかし、その時代にイメージされ志向されていたはずの公平も公正も、ミレニアム以後の「クール・ジャパン」ごっこと同様に、いまさらながらではあるが、崩壊の一途をたどっていった。

 これと同時に、八〇年代にはすでに裕仁の老化と衰弱が誰の目にも明瞭でもあり、しかも天皇の戦争責任の存在を隠蔽できないことによる歴史問題が、これに先立つ七〇年代には訪米や訪欧に対するさまざまな抗議行動や、沖縄「ひめゆりの塔事件」などの形で現れており、国家の戦争責任、戦後責任の問題もはっきりと浮上していたわけだ。

 その時期には、メディアによる天皇や皇族のイメージのウォッシングとして、「ロイヤルファミリー」を「マイホーム」意識に重ねる意識操作がしばしば登場し、天皇による戦争の扱われ方もまた、戦記物より「聖断神話」、「大元帥」より「大帝」を印象づけるものが増えていた。そのなかで、中曽根により「戦後政治の総決算」が標榜され、政治経済の大がかりな再編が進められるとともに、広い意味での裕仁「Xデー」が開始されたのだった。極右政治家によって謳いあげられる戦後「総決算」と、戦後天皇制の再構築の接合は、これを嚆矢としてその後も繰り返されることになる。

 その状況下で、反天皇制運動連絡会は、「この連絡会は、天皇制と闘う各戦線の担い手、その他多くの戦線で天皇制問題に理論的・実践的関心を抱いてきた人々、これまで天皇制批判の活動を理論的・思想的に担ってきた知識人等を幅広く結集し、運動面において、個別の闘いと全体の陣形の結合を媒介する機能を果たすと共に、天皇制を軸とした国家統合・地域統合の攻勢に対する緻密な情勢分析を行い、また理論的・思想的深化をはかることを目的として」いるとして立ち上げられた。奇しくも「一九八四年」の三月一日に創刊準備号を発行し、裕仁の死と明仁の「即位」による「代替わり」を経た一九九一年二月一日に第八三号を発行して、第一期は閉じられている。

 それからは、だいたい三年に一度で活動の期を閉じるということとし、以後は、「反天皇制運動SPIRITS」(一九九一年四月〜一九九四年三月)、「反天皇制運動NOISE」(一九九四年五月〜一九九七年五月)、「反天皇制運動じゃーなる」(一九九七年七月〜二〇〇〇年八月)、「反天皇制運動PUNCH!」(二〇〇〇年一〇月〜二〇〇三年一〇月)、「反天皇制運動DANCE!」(二〇〇三年一二月〜二〇〇六年一二月)、「反天皇制運動あにまる」(二〇〇六年一二月〜二〇〇九年一二月)、「反天皇制運動モンスター」(二〇一〇年一月〜二〇一三年二月)、「反天皇制運動カーニバル」(二〇一三年三月〜二〇一六年四月)、「反天皇制運動Alert」(二〇一六年六月〜)と続けて、今号では通巻四三九号となる。機関紙発行だけでなく、これにかつて発行した機関誌『季刊 運動〈経験〉』や、運動の折々に発行したニュース、報告集その他の刊行物なども多く、個人的には時期により活動歴の濃淡があるのだが、全体的にはそこそこに生産的であったはずだ。

 天皇制国家のレンズを通すと、「戦争は平和である/自由は隷属である/無知は力である」という、呪われたオーウェルの「ニュースピーク」が伝わってくる。神道は宗教ではなく、天皇制は「権力」ではなく「権威」そして「国民の総意」である、天皇は「慈愛」で「国民を統合」する、「生まれによる差別」はなく、経済格差は「多様性」であり、ヘイトや暴力は「民族の癒し」である……。これらに抵抗し、私たちは、このかんの活動を通じて、「反天皇制」という課題と、さまざまな闘いや理論的実践的課題とを突き合わせ、新たな視野を拓く努力を持続してきた。そして多くの人びととつながる理路を模索してきた。予告してきたように、反天皇制運動連絡会は、裕仁の代替わり、明仁の代替わりを闘ってきて、この一〇期をもって閉じ、解散する。とはいえ、私たちのそれぞれが分け持つものは、これからもつながりつつ革まっていくことになる。反天皇制運動連絡会の活動の、その期ごとの課題に向けた「結束」としてではなく、内外から「ハンテンレン」と呼ばれてきた何ものかも含め、積極的な価値が、よりはっきりと現れるよう力を尽くしたい。

(蝙蝠)

【巻頭コラム】

 本紙最終号を迎え、天皇制というやつは一体全体この社会にとって何なのだろうと、あらためて思うのだった。それは支配者の側の、ではなく、多くの人々にとって。

 反天皇制の運動の、そこはかなめなのだとも思うが、運動の立論の多くは、支配の側にある天皇(制)分析であったように思う。反天連はそれらを明らかにし、伝えていくことで、社会悪としての天皇制を暴き出してもきた。そのことによって、多くの人々にとっての天皇・天皇制も見えてくるはずでもあった。だけど、天皇制反対の声は30年前よりも大きくなっているかといえば逆だ。心穏やかではないままに最終号だ。

 天皇も天皇制も、微妙に、あるいはドラスティックに進化しながら、この社会を下から上から押さえ込んでいる。この社会体制を「支えている」のだ。しかし、この社会の生き難さや理不尽さへの反発は、天皇や天皇制へとは向かわない。まったくうまくできたシステムだ。

 手足を縛られる者に見えるのは、目の前の小さな権力者だ。苦境を強いられれば強いられるほど、その小さな権力者だけが見えてくる。その上にいる少し大きな権力者、ましてやそのトップにある者との繋がりを手繰り寄せるのは難しい。小さな権力者が君臨する、家や学校、職場や組織、地域。人がそれぞれに生きる現場と、その小さな社会を動かすシステム、そしてそのシステムを操る力をもつ者たち。そこにはたくさんの天皇制との接点があるのだが、なんとも見えづらい。

 それでも私たちは、書物から小さなリーフレットから、あるいは文京区民センター等の公共施設や公園、街頭や飲み屋、はたまた芝居小屋や音楽シーン等々で、そういった接点を共有してもきた。そのなかに本紙も加わっていたなら嬉しい。「伝える」にはさまざまな形がある。運動にも。諦めず生きていきたい。みなさまもお元気で。そしてこれからも、ともに。

(桜井大子)

【月刊ニュース】反天皇制運動ALERT 57号(2021年3月 通巻439号)

 

反天ジャーナル ◉ (たけもりまき、忘れられし猫・でした、北)

状況批評 ◉ 「代替わり」による象徴天皇制の再定義(天野恵一)

ネットワーク ◉ 馬毛島基地建設のための環境アセス即刻中止、南西諸島の軍拡をここから止めよう!(和田香穂里)

太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈129〉◉ 「お召列車」列車爆破計画から、ほぼ半世紀の歳月が流れ……(太田昌国)

野次馬日誌

集会の真相◉「紀元節」と「天皇誕生日奉祝」に反対する連続行動報告/wamセミナー 天皇制を考える(第二回・第三回)/「日の丸・君が代」の強制を跳ね返す!神奈川集会とデモ/孫基禎(ソン・キジョン)さんは《日本の》金メダリストか!?/「私たちに王はいらない!」タイの場合、日本の場合報告

学習会報告◉ 黒田久太『天皇家の財産』(三一書房、一九六六年)

反天日誌

集会情報

 

前号の目次はこちら

*2021年3月2日発行/B5判14ページ/一部250円
*模索舎(東京・新宿)でも購入できます。
http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

【発行物】 『終わりにしよう天皇制──2016→2020「代替わり」反対行動の記録』

 

このかんの「おわてんねっと」の行動の記録が、ようやく報告集となりました。 おわてんネットは解散しましたが、ウェブとメールアドレスは、まだ持続しています。

「終わりにしよう天皇制!」の声も、活動に携わってきた人びとの営為も、もちろんたった今もなおさまざまなかたちで継続中です。 私たちの今後の活動に、引き続きご注目ください。

そのための一助として、この記録集が活用していただけることを、心からお願いいたします。出版事情が厳しい折ですので、かんたんに手に取っていただけないのが残念ですが、身近な方からのご入手が困難でしたら、800円プラス送料180円(1冊の場合。A5判208ページ、本体243g/冊)で、頒布いたします。ご連絡くださいませ。

編集・発行*おわてんねっと     
(終わりにしよう天皇制! 「代替わり」に反対するネットワーク)
http://han.ten-no.net  mail:owaten@han.ten-no.net

【学習会報告】遠藤興一『天皇制慈恵主義の成立』(学文社、二〇一〇年)

 皇室はいつから福祉に関わるようになったのか。赤子である国民に、国父として恵みを垂れる家族的天皇像は、いつから国家に利用されるようになったのか。本書はそうした疑問に答える数少ない研究の一つだ。

 近代国家成立にともない、西欧の立憲君主制に範をとり、王政復古の名で儒教的倫理観を国民に強いた日本帝国にとって、慈恵主義は、上は下に慈恵をもたらし、下は上に忠誠を尽くすという重要な相互的演出の一つだった。貧窮者に慈愛(charity)を施すことは、王室の高貴な義務(noblesse oblige)であり、国家がそれを制度化することは、国民の支持や恭順(pietët)を得るうえで重要なことだった。

 内廷費と、国庫を通さず、天皇家に直接納められた日清・日露戦役の莫大な賠償金は、国家や社会ではなく、篤志家天皇による地震、噴火、風水害、火災時の恩賜、下賜金となり、福祉財団や罹災救助基金として制度化された。

 光明皇后の施薬院、悲田院の前例にあやかり、日本赤十字社設立に尽力した美子(昭憲)、病気の夫を支え、救癩事業に心を寄せた節子(貞明)、福祉施設を巡啓した良子(香淳)らは、彼らの大葬時の下賜金によって、死後も模範的な「国母陛下」像を演じてきた。東京慈恵会病院の総裁は代々女性皇族が就任している。

 その仕組みは、GHQにより皇族財産が整理された戦後も続く。ヒロヒトの全国巡幸にはじまり、皇族は福祉施設利用者に温かい言葉をかけ、その庭にはお手植えの樹が並び、「仁愛」を可視化した。明治四四年に設立された恩賜財団済生会の現総裁は文仁だ。

 皇室による福祉や罹災民への寄付、慰問、ねぎらいは中々批判しづらい。しかし、その金がどこから出たもので、近代以降どのように国家とマスコミにより演出されてきたかを理解すれば、その偽善性は浮き彫りになる。そして何より、ともすれば社会的弱者に憐憫や同情の眼差しを向けてしまう、われわれ自身の内なる慈恵主義、パターナリズムに気づかせてくれる良書。

 次回は、本書にもたびたび引用された黒田久太『天皇家の財産』(三一書房、一九六六)を読む。

(黒薔薇アリザ)