反天皇制運動の記事を定期更新するウェブサイトを設置しています。
反天ジャーナル
https://www.jca.apc.org/hanten-journal/
これまでの「反天皇制運動」のコラム記事から、さらに情報をピックアップして掲載していくことを考えて、2022年春に立ち上げました。
この「反天皇制運動連絡会」のサイトとは違ったかたちで、編集を更新していく予定です。定期的に更新しますので、チェックしていてください。
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反天ジャーナル
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これまでの「反天皇制運動」のコラム記事から、さらに情報をピックアップして掲載していくことを考えて、2022年春に立ち上げました。
この「反天皇制運動連絡会」のサイトとは違ったかたちで、編集を更新していく予定です。定期的に更新しますので、チェックしていてください。
*緊急事態宣言で会場が使えなくなり、4.28、4.29の行動は、以下のように予定が変更になりました。ご注意下さい。
【4.28】講演集会
→会場を変更して、講師を囲んだ小規模の学習会に切り替えます。
米軍優位の日米地位協定と日米合同委員会の密約
吉田敏浩 さん(ジャーナリスト)
*著書に『「日米合同委員会」の研究』『密約 日米地位協定と米軍犯罪』など
[日 時] 4月28日(水) 午後7時開始
[場 所] ピープルズプラン研究所(地下鉄江戸川橋駅より5分)
http://www.peoples-plan.org/jp/modules/tinyd1/index.php?id=5
【4.29】反「昭和の日」デモ
→集会を予定していた会場の建物の前から、15時30分出発で、デモのみ行います。
[日 時] 4 月29 日(木・休) 15:30 デモ出発
[場 所] 千駄ヶ谷区民会館前路上(JR 原宿駅徒歩7分)
*デモに参加される方は、必ずマスクを着用して下さい。
緊急事態宣言により、4月28日の文京シビックセンターの使用が出来なくなりました。
したがって、4.28集会は中止になりました。
昨年に続いて2年連続で、吉田敏浩さんのお話しを聞けなくなったのは残念なので、吉田さんにお願いして、同日、ピープルズプラン研究所で準備していただいたお話しをしていただくことになりました。
中止を知らずに文京シビックセンターへ来られた方もぎりぎりで間に合うように、午後7時開始にします。
ご関心のある方は、ぜひ、ご参加下さい。
***************************
日米安保を軸に沖縄・天皇制を考える4.28学習会
[お話し]
吉田敏浩さん
「米軍優位の日米地位協定と日米合同委員会の密約」
日時:4月28日(水) 午後7時開始
場所:ピープルズプラン研究所(地下鉄江戸川橋駅より5分)
http://www.peoples-plan.org/jp/modules/tinyd1/index.php?id=5
米軍優位の日米地位協定と日米合同委員会の密約
吉田敏浩 さん(ジャーナリスト)
*著書に『「日米合同委員会」の研究』『密約 日米地位協定と米軍犯罪』など
[日 時] 4 月28 日(水)18:15 開場/18:30 開始
[会 場] 文京シビックセンター・4F シルバーホール
*文京シビックセンターが、全館利用停止となりました。
【4.29】反「昭和の日」デモ
→会館が使えなくなった場合、デモのみ挙行します
[日 時] 4 月29 日(木・休)14:30 集合/ 15:30 デモ出発
[会 場] 千駄ヶ谷区民会館
*JR 原宿駅徒歩7分
*千駄ヶ谷区民会館は、まだ利用について確定していませんが、使用停止の場合は、15時30分前に会館前を出発するデモのみ行います。
*デモに参加される方は、必ずマスクを着用して下さい。
【4.28】講演集会
[日 時] 4 月28 日(水)18:15 開場/18:30 開始
[会 場] 文京シビックセンター・4F シルバーホール
*地下鉄後楽園駅・春日駅
米軍優位の日米地位協定と日米合同委員会の密約
吉田敏浩 さん(ジャーナリスト)
*著書に『「日米合同委員会」の研究』『密約 日米地位協定と米軍犯罪』など
【4.29】反「昭和の日」デモ
[日 時] 4 月29 日(木・休)14:30 集合/ 15:00 デモ出発
[会 場] 千駄ヶ谷区民会館
*JR 原宿駅徒歩7分
■今年の4月 28 日は、1952 年にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が占領状態から脱し、戦後をスタートさせた日から69年目になる。そしてそれは同時に、(旧)日米安保条約の発効からも69年目ということでもある。
■サンフランシスコ講和条約は、最大の被害国である中国やソ連を排除した西側諸国とのみ結ばれた。そして、日本の侵略戦争・植民地支配に対する賠償を経済援助方式によって切り縮めるものであり、天皇制国家による侵略戦争責任・植民地支配責任を糊塗してしまうものであった。さらに沖縄(南西諸島)を米軍支配のもとに切り捨てた。
■講和条約と同時に発行した日米安保条約の締結と沖縄の切り捨ては天皇裕仁が、日本政府の頭越しに米国へ強く求めたものであった。
■「戦後の国体」とも言われる日米安保体制+象徴天皇制。4.28-29 の連続行動では、その「国体」の総体を改めて見つめ直し、特に、日米安保体制が、どのように私たちの現在を支配しているのか、その仕組みを再確認する。
私たちは、60年安保闘争から50年目となる2010年から、4月28日・29日の連続行動に取り組んできた。
今年の4月28日は、1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が占領状態から脱し、独立国としての戦後をスタートさせた日から、69年目になる。そしてそれは同時に、(旧)日米安保条約の発効からも69年目ということでもある。
■誤った戦後日本のスタート
サンフランシスコ講和条約は、朝鮮戦争下で講和を急ぐ米国主導のもと、最大の被害国である中国やソ連を排除した西側諸国とのみ結ばれた。そして、日本の侵略戦争・植民地支配に対する賠償を経済援助方式によって切り縮めるものであ り、天皇制国家による侵略戦争責任・植民地支配責任の追求とそれがもたらした被害に対する賠償を糊塗してしまうものであった。さらには沖縄を含む南西諸島を米軍支配のもとに切り捨てるものでもあったのだ。
講和条約と同時に発行した日米安保条約は、占領軍であった米軍の、日本領土内自由行動を含むさまざまな特権的地位を有した状態のままでの、駐留継続を認めるものであった。
片面講和と米軍の駐留継続。こうした米国による戦後の対日本政策は、占領政策を有効に進めようとする意図の下で戦犯としての追及をせず延命させた裕仁天皇との米国主導の下での共同作業でもあった。共産主義勢力による戦争責任追及や革命を恐れる裕仁は、米軍の駐留継続を強く望み、そのために沖縄の切り離し(占領の継続)の提案を、日本政府の頭越しに行ったのである。
■今こそ問う「戦後の国体」=日米安保と象徴天皇制
今日の「従軍慰安婦(日本軍性奴隷制度)」問題や「徴用工」問題、辺野古新基地建設に象徴される米軍基地の沖縄への押し付け問題などは、こうした「誤った戦後日本のスタート」に起因するものである。
侵略戦争・植民地支配による負の遺産は、私たちの手によって清算されなければならない。そのためにも、4月28日と29日の両日を連続行動として問いなおす必要が求められる。天皇は、裕仁から子(明仁)、孫(徳仁)へと引き継がれたが、それぞれ意匠を異にしながらも、侵略戦争・植民地支配責任を忘却の彼方におしやり、日米軍事一体化の下で新たな戦争 国家へ向けて国家統合体制を整えるという役割は継続・強化されている。
今年の4・28─29の連続行動は、戦後の「国体」=象徴天皇制・日米安保体制の総体を改めて見つめ直し、特に、日米安保体制が、どのように私たちの現在を支配しているのか、その仕組みを再確認することで、「国体」を撃つ力としたい。
実行委員会への参加・賛同を呼びかけます。共に闘いましょう!
日米安保を軸に沖縄・天皇制を考える4・28─29連続行動実行委員会
【呼びかけ団体】
アジア連帯講座/研究所テオリア/スペース21/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会 反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会/ピープルズ・プラン研究所/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会
天皇代替わりにより「天皇誕生日」が2月23 日となったことにより、隣接する2月11 日の反「紀元節」行動と連続して、「天皇誕生日奉祝」に反対する行動に取り組むこととなった。2・11 は反「紀元節」デモ、2・23 は屋内での討論集会。
2・11 のデモは、西早稲田の日本キリスト教会館に集合、3・1東京集会(2・27 に屋内=リモート集会、3・1は新宿キャンドルアクション)実行委、オリンピック災害おことわり連絡会、即位大嘗祭違憲訴訟、アクティブ・ミュージアム(wam)の4団体からのアピールを受けた。そして「なくせ!建国記念の日・許すな!靖国国営化2・11 東京集会」からの連帯アピールを紹介し、「集会宣言」を読み上げてデモ出発した。デモは、早稲田から高田馬場駅前を経由して戸山公園の手前での解散。参加は90 名強。
2・23 討論集会は、文京区民センターで「『天皇代替わり』とは何であったのか——再定義された象徴天皇制」と題して行われた。実行委から3名がそれぞれの角度から新・天皇制に迫った。めずらしく十分な時間を討論に充てることができ、さまざまな意見が交わされたが、議論が深まったとはいえなかったことが残念ではあった。参加は90 名。
(K)
近代天皇制の経済的面については、研究文献の少なさもあって、私たちは知っているようで知らないことも多い。本書は古い本だが、当時調べられるだけの資料に当たり、事実追跡を主眼にしたと著者が言うだけに、今日でもずいぶん役に立つ本だ。明治国家指導層が憲法制定に当たって、国家の根幹への議会の関与を極力せばめる意図から国家財産のある部分に皇室財産の形をとらせて不可侵化させ、元来私的資産をほとんど持たない皇室を巨大な「財産家」たらしめたこと、この皇室財産が株式・国債の運用益と広大な山林経営の収益によって一九四五年まで抜け目なく蓄積され続けたこと、が本書からよくわかる。
報告は戦前に関する記述の紹介を主とし、戦後憲法下の皇室経済については私たちも従来比較的よく知っているから簡略になされた。しかし戦前と戦後では状況は一変しているが、いくつかの本質的な面で継承性があることは討論でも問題になった。皇室財産はほとんど固有財産に移されたが、国から皇室への供与・貸与(と言っておく。皇居など)に対して、厖大な公的行為にかかわる経費をも含めて、国会(人民)の関与は微弱であること、戦前の皇室財産は国家が自分の目的から設定したもので、その収支に皇室自身の恣意性が働く余地が狭かったが、それは戦後も続いていて、与えられた経済生活の埒をあまり自身で越えようとしない(他国王室に比べて「自由度」が小さい)らしいことなど。
本書は戦後天皇制が権力と自立的経済力を失ったことで形骸化の方向に進むと見ているようだが、この点は私たちは賛成できない。戦後天皇は支配集団の一体性の柱、国民意識安定の支えとして、こんにちも重要な政治的存在でありつづけているのだ。
次回は小菅信子『日本赤十字社と皇室』(吉川弘文館)を読む。
(伊藤晃)
二月一一日(木)、反「紀元節」デモ。九〇名を超える参加者とともに早稲田のキリスト教会館で簡単なデモ前集会を行った。3・1東京集会(2・27)・新宿キャンドルアクション(3・1)、おことわリンク、即位大嘗祭違憲訴訟、アクティブ・ミュージアム(wam)の四団体からアピールをもらい、「なくせ!建国記念の日・許すな!靖国国営化 2・11東京集会」からの連帯アピールと集会宣言を読み上げてデモ出発。アピールではいずれも深刻な課題が提起された。
デモは高田馬場駅付近の戸山公園の手前で解散。警察による規制線が張られていたため、右翼の騒音は集会会場には響かなかったものの、コース要所の交差点には街宣車が待ち構え、機動隊に取り押さえられたり、日の丸を振りながら執拗についてくる右翼も少なくなかった。やや肌寒く感じたが、われわれの熱気はそれを上回った。
二月二三日(火)、文京区民センターで「天皇誕生日」奉祝に反対する集会。八七名の参加があった。「『天皇代替わり』とは何であったのか――再定義された象徴天皇制」と題して、天野恵一、桜井大子、北野誉の三人の発題のあと、集会参加者との討論を行なった。
近代以降初めての「譲位」により上皇、天皇、そして昨年11・8の「立皇嗣の礼」で、次期天皇の座についた秋篠宮による、権力の三つ巴状況を指摘し、宮内庁発表の新年の天皇家写真の変遷から、傍系に流れる皇位と、女系・女性天皇の可能性を批判。活発で有意義な意見討論が行なわれた。最後に「3・11を反天皇制・反原発の日に!」集会、「やめろ敵基地攻撃大軍拡」3・27集会、おことわリンクからのアピール。
神武天皇の即位日とされる2・11と、徳仁の誕生日である2・23の近接は、否応なく「万世一系」を想起させ、「国民」に祝賀を強制する。これからも共に声を上げ続けよう。
(黒薔薇アリザ)
私そして私たちが反天皇制運動連絡会として活動を開始した八〇年代は、経済の好況を背景に、この日本社会の全般が『ジャパン・アズ・ナンバーワン』であるかのような夜郎自大の国家意識が、かなり広く覆っていたはずだ。しかし、その時代にイメージされ志向されていたはずの公平も公正も、ミレニアム以後の「クール・ジャパン」ごっこと同様に、いまさらながらではあるが、崩壊の一途をたどっていった。
これと同時に、八〇年代にはすでに裕仁の老化と衰弱が誰の目にも明瞭でもあり、しかも天皇の戦争責任の存在を隠蔽できないことによる歴史問題が、これに先立つ七〇年代には訪米や訪欧に対するさまざまな抗議行動や、沖縄「ひめゆりの塔事件」などの形で現れており、国家の戦争責任、戦後責任の問題もはっきりと浮上していたわけだ。
その時期には、メディアによる天皇や皇族のイメージのウォッシングとして、「ロイヤルファミリー」を「マイホーム」意識に重ねる意識操作がしばしば登場し、天皇による戦争の扱われ方もまた、戦記物より「聖断神話」、「大元帥」より「大帝」を印象づけるものが増えていた。そのなかで、中曽根により「戦後政治の総決算」が標榜され、政治経済の大がかりな再編が進められるとともに、広い意味での裕仁「Xデー」が開始されたのだった。極右政治家によって謳いあげられる戦後「総決算」と、戦後天皇制の再構築の接合は、これを嚆矢としてその後も繰り返されることになる。
その状況下で、反天皇制運動連絡会は、「この連絡会は、天皇制と闘う各戦線の担い手、その他多くの戦線で天皇制問題に理論的・実践的関心を抱いてきた人々、これまで天皇制批判の活動を理論的・思想的に担ってきた知識人等を幅広く結集し、運動面において、個別の闘いと全体の陣形の結合を媒介する機能を果たすと共に、天皇制を軸とした国家統合・地域統合の攻勢に対する緻密な情勢分析を行い、また理論的・思想的深化をはかることを目的として」いるとして立ち上げられた。
奇しくも「一九八四年」の三月一日に創刊準備号を発行し、裕仁の死と明仁の「即位」による「代替わり」を経た一九九一年二月一日に第八三号を発行して、第一期は閉じられている。
それからは、だいたい三年に一度で活動の期を閉じるということとし、以後は、「反天皇制運動SPIRITS」(一九九一年四月〜一九九四年三月)、「反天皇制運動NOISE」(一九九四年五月〜一九九七年五月)、「反天皇制運動じゃーなる」(一九九七年七月〜二〇〇〇年八月)、「反天皇制運動PUNCH!」(二〇〇〇年一〇月〜二〇〇三年一〇月)、「反天皇制運動DANCE!」(二〇〇三年一二月〜二〇〇六年一二月)、「反天皇制運動あにまる」(二〇〇六年一二月〜二〇〇九年一二月)、「反天皇制運動モンスター」(二〇一〇年一月〜二〇一三年二月)、「反天皇制運動カーニバル」(二〇一三年三月〜二〇一六年四月)、「反天皇制運動Alert」(二〇一六年六月〜)と続けて、今号では通巻四三九号となる。機関紙発行だけでなく、これにかつて発行した機関誌『季刊 運動〈経験〉』や、運動の折々に発行したニュース、報告集その他の刊行物なども多く、個人的には時期により活動歴の濃淡があるのだが、全体的にはそこそこに生産的であったはずだ。
天皇制国家のレンズを通すと、「戦争は平和である/自由は隷属である/無知は力である」という、呪われたオーウェルの「ニュースピーク」が伝わってくる。神道は宗教ではなく、天皇制は「権力」ではなく「権威」そして「国民の総意」である、天皇は「慈愛」で「国民を統合」する、「生まれによる差別」はなく、経済格差は「多様性」であり、ヘイトや暴力は「民族の癒し」である……。
これらに抵抗し、私たちは、このかんの活動を通じて、「反天皇制」という課題と、さまざまな闘いや理論的実践的課題とを突き合わせ、新たな視野を拓く努力を持続してきた。そして多くの人びととつながる理路を模索してきた。
予告してきたように、反天皇制運動連絡会は、裕仁の代替わり、明仁の代替わりを闘ってきて、この一〇期をもって閉じ、解散する。
とはいえ、私たちのそれぞれが分け持つものは、これからもつながりつつ革まっていくことになる。反天皇制運動連絡会の活動の、その期ごとの課題に向けた「結束」としてではなく、内外から「ハンテンレン」と呼ばれてきた何ものかも含め、積極的な価値が、よりはっきりと現れるよう力を尽くしたい。
(蝙蝠)