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【呼びかけ】「明治150年」 記念式典 反対 10.22デモ

■10 月23 日(火)に政府主催による「明治150 年記念式典」が永田町の憲政会館で開催されます。

■政府は今年、「『明治150 年』をきっかけとして、明治以降の歩みを次世代に遺すことや、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは、大変重要なことです」との認識のもとで、地方自治体や民間もまきこみ全国各地での記念行事を呼びかけました。

■日本(近代天皇制国家)の「明治以降の歩み」とは、琉球(沖縄)やアイヌ(北海道)に対する力による併合の歴史であり、朝鮮半島や台湾への植民地支配と侵略戦争の歴史にほかなりません。

■「明治の精神に学(ぶ)」とか「日本の強みを再認識する」ことではなく、近代天皇制国家の侵略と植民地支配の歴史を反省し、被害者への補償と謝罪をするこそが求められていることです。

■私たちはこの式典に反対の声を、開催前日の夜に、あげたいと思います。ぜひ参加下さい!

[日時]10月22日(月)/18:30 集合 (19:00 デモ出発)
[集合場所]日比谷公園 霞門
*日比谷公園の環境省・厚労省などがある側(西側)の門

主催 ●「明治150年」記念式典反対デモ実行委員会
【呼びかけ団体】
アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/連帯社/労働運動活動評議会

【呼びかけ】「明治150年記念式典」反対10.22デモ実行委員会へ参加を

8月10日の産経新聞は、「10月23日に政府主催『明治150年記念式典』開催へ」と題して以下のように報じています。

「政府は10日の閣議で、今年が明治改元から150年に当たることを踏まえ、政府主催の記念式典を10月23日に東京・永田町の憲政記念館で開くと決定した。菅義偉官房長官は記者会見で「明治以降のわが国の歩みを振り返り、未来を切り開く契機としたい」と述べた。内閣府に10日付で準備室を設置したことも発表した。/明治への改元は、明治天皇の即位に伴い1868年10月23日に行われた。「明治100年」だった昭和43年10月23日には、東京・北の丸公園の日本武道館で昭和天皇・皇后両陛下ご臨席の下、当時の佐藤栄作首相ら三権の長らが出席して政府主催の記念式典を開催した」。

政府は今年、「平成30年(2018年)は、明治元年(1868年)から起算して満150年の年に当たります。この『明治150年』をきっかけとして、明治以降の歩みを次世代に遺すことや、明治の精神に学び、日本の強みを再認識することは、大変重要なことです」との認識のもとで、地方自治体や民間もまきこみつつ「明治150年」に関連する様々な取り組みを行ってきた。どれほど話題になっているかはともかく、全国各地で相当な数の「明治150年」を冠に付けた企画が行われてきているようで、また今後も行われつつあるようです。

その集大成としての「明治150年記念式典」の開催が(予想されていたとはいえ)冒頭の記事のようにようやく発表されました。

式典への天皇の参加は、いまのところ明らかにされていませんが、今年3月の「琉球処分」の日を選んだ沖縄訪問と国境島・与那国島への初訪問、8月の「北海道150年記念式典」へ出席といった天皇の動きを見るに、この「明治150年記念式典」への参加は、おそらく間違いないと思われます(そもそも天皇が参加しない「明治150年記念式典」などありうるでしょうか?)

政府の「明治150年記念事業」の企てに対して、私たちは、例年取り組んでいる、2.11反「紀元節行動」、4.28-29沖縄デー・反「昭和の日」連続行動、8.15「反靖国」行動のいずれにおいても、今年は「明治150年」批判を掲げた行動を行ってきました。

そうした行動の積み重ねの上で、この10月23日の「明治150年記念式典」に対しても、抗議の声を上げる行動に取り組みたいと思います。

具体的には、前日10月22日(月)の夜のデモを考えています。

8.15「反靖国」行動の実行委員会が解散したばかりですが、この取り組みの1日実行委員会にぜひ参加下さい。

【集会報告】「明治150年」天皇制と 近代植民地主義を考える8・ 15 行動

今年の反「靖国」行動は、2・11反「紀元節」行動、4・29反「昭和の日」行動に引き続き、「明治150年」を射程にして取り組まれた。

■パネルディスカッション

集会では、四人のパネラーから問題提起が行われた。

酒田弁護士は、来るべき二〇一九年の即位・大嘗祭を見据えて報告。「三〇年前の即位・大嘗祭訴訟では『一切の儀式・行事に国費を支出してはならない』などを請求した。大阪地裁(一九九二年)・高裁(一九九五年)は、政教分離について疑義は一概に否定できないと認めた。さらに天皇の即位を祝うことについて、個人が祝意を表すことを国家が事実上にしろ強制すれば、私人の思想、表現の自由の侵害になると認めた。しかし、控訴審判決では控訴人らの訴えを全面的に退けた。今回は退位の礼もあり、すでに過去の批判を踏まえた上で実施が検討されている。だから現時点における訴訟の論理構成として①政教分離、②主権在民、③納税者訴訟、④天皇代替わりの手続きの問題を取り上げ、批判していきたい」と述べた。

黒岩さん(「北方領土の日」反対!「アイヌ新法」実現!全国実行委員会〈ピリカ全国実〉)は、八月五日の「天皇出席の『明治・北海道一五〇年式典』反対、アイヌ民族連帯決起集会」とデモの取組みを報告し、「式典はアイヌモシリ(北海道)の侵略・植民地化、アイヌ民族同化・抹殺政策の歴史の隠ぺいだ。天皇制国家による他民族侵略・支配の『原型』としてのアイヌモシリ侵略である。私たちは、この開拓史観、民族排外主義が問われている。『明治一五〇年』式典から天皇退位・即位式典とうち続く天皇制永続化攻撃と対決する統一戦線を構築しよう」と呼びかけた。

井上森さん(元号いらない署名運動)は、「署名は五〇〇〇筆を突破し、一万筆目指してさらなる行動をしていきたい。当初、
二〇一八年夏に『新元号発表』だったが、自民党保守派などの反発もあり代替わり一カ月前に延ばした。すてに大迷惑な状況が発生しているが、中央官庁、JR、警察らは書類、コンピューター、免許証などでは元号を使わず西暦で統一化している。元号をめぐって天皇明仁は沈黙し続けている。その一方で『平成のうちに』ということでオウム大量処刑を強行している。やはり日本において最高度の国家暴力を正当化する論理は天皇制しかないことを現している。この論理を打ち破る闘いが問われているだろう」と発言した。

新孝一さん(反天連)は、「反天連第Ⅱ期」(一九九一・四)のスタートをふり返り、「『国際化』時代の『ソフト』で『クリーン』で環境問題にも理解あるというイメージをふりまくアキヒト(天皇制)との正面からの政治的対決をこそ、主要課題として私たちは結集する」と位置づけ、明仁天皇制を性格、役割、犯罪性などを暴露し、批判してきたことを浮き彫りにした。そして「結論を言えば、時に強い独自性や個性を発揮して明確なメッセージを発信することもあった。明仁天皇の言動は、歴史と政治によって大きく規定され、変化する。同時に、天皇の憲法の規定とは別の役割がある。この間の天皇主導の『退位』と天皇による天皇制の再定義に現れている。三〇年かけてここに収斂し、天皇像の到達点だとも言える」と集約した。

その後の、連帯アピールでは、沖縄一坪反戦地主会・関東ブロック、日韓民衆連帯全国ネットワーク、オリンピック災害おことわり連絡会、米軍・自衛隊参加の防災訓練に反対する実行委員会から発言を受け、集会宣言(別掲)を採択した。

■反「靖国」デモ

最後には、いつものように、靖国神社に向けてデモに移った。

例年のように、規制されて進入できない街宣車から降り立った天皇主義右翼が、デモ隊への挑発と威嚇を繰り返すなかで、権力・機動隊は、右翼の突入こそ阻止はするものの執拗に繰り返し飛びかかってくる右翼を拘束しようとはせず、逆に、デモ隊列に対しては、不当な規制を行ってきた。九段下の交差点では、在特会や右翼も集まってはいたが、むしろスマホで動画や写真を撮影する「見物人」の多さが目を引いた。

私たちは、挑発や威嚇に対しても毅然と対応し、「天皇制はいらない」「戦争責任を忘れない!」「戦争賛美の靖国神社はいらない!」などをシュプレヒコールや横断幕、プラカード、のぼりでアピールした。参加者は、二五〇名だった。

(実行委)*共同行動報告集(2018年9月12日発行)より

【紹介】『季刊ピープルズ・プラン』81号【特集】象徴「天皇陛下」万歳の《反安倍(リベラル)》でいいのか?

ピープルズ・プラン研究所機関誌で、天皇制に関する特集号が出ました。

反天連メンバーや常連執筆者もたくさん登場しています。

2018年9月発行

定価:本体1300円+税

PP表紙のサムネイル

目次より:
特集 象徴「天皇陛下」万歳の《反安倍(リベラル)》でいいのか? 代替わり状況下の〈安倍政治〉と〈天皇制〉
特集にあたって | 天野恵一
http://www.peoples-plan.org/jp/modules/article/index.php?content_id=207

[座談会]「平成天皇制」の独自の政治的統合力-安倍政権との対立と共存をめぐって
太田昌国×鵜飼哲×天野恵一(司会)

象徴天皇制と戦後憲法-歴史学の視座から──伊藤晃

《片山杜秀批判》「象徴天皇制の虚妄に賭ける!?」──田中利幸
《島薗進批判》「神聖」か、「象徴」か、いかなる「国家神道」か──北野誉
《白井聡批判》「天皇による天皇批判」という妄想──松井隆志
《内田樹批判》「日本的情況」に足すくわれた“知の巨人”──中嶋啓明

憎悪の美学-天皇=平和言説の根源にあるもの ──小倉利丸
天皇制に無批判な「生前退位」大報道 ──山口正紀
皇室におけるジェンダー 「眞子さま」婚約騒動──千田有紀
戦後憲法と象徴天皇制 憲法学の立場から ──中北龍太郎
只今闘病中-読書ノート(33) 平成代替わり〈「生前退位」騒ぎ〉の中で(7)──天野恵一

北村小夜さんインタビュー──聞き手:天野恵一・鶴田雅英
かつての愛国少女から見た象徴天皇制の「生前退位」

安倍改憲をつぶす、その先に何を展望し、実現するか──武藤一羊

ほか

購入申し込みはこちら

http://www.peoples-plan.org/jp/modules/tinyd0/index.php?id=47

 

【学習会報告】村上重良『天皇制国家と宗教』 (日本評論社、一九八六年、講談社学術文庫)

本書は国家神道をめぐる手堅い通史だ。この本を「日本型政教分離」とそれを支える「皇室祭祀」について絞って報告した。

「日本型政教分離」というのは、村上ではなく、別の論者の言い方なのだが、明治維新直後の神祇官復活に見られる神道国教化政策から、キリスト教容認への転換を経て、島地黙雷らの「信教の自由」論を繰り込んで成立したもの。それは、「全国民への神社崇敬の強制と信教の自由の矛盾」という状況を、「神社神道は宗教ではなく、一般の宗教とは次元を異にする超宗教の国家祭祀である」という論理で越えようとするものだった。その結果、「神道界は……宗教化の路線を完封し、祭祀と宗教の分離による国家神道への確立へと大きく歩み」出すことになった。

皇室祭祀の方は、近代以前の天皇家自身が神仏習合であったから、「宮中の神仏分離」が必要とされるとともに、前例のない天皇の伊勢神宮参拝や、宮中三殿の整備、さまざまな皇室祭祀が集中的に新定・整備され、全国の神社の祭りも皇室祭祀を基準にして再編成され、学校行事を通じた祭日の儀礼などによって、「国民生活」をも律していったことなどについて確認した。

この二点に報告を絞ったのは、それが今なお持続している問題だと思うからだ。本書は、戦後に関する論述は少ないが、神道指令と日本国憲法の公布によって、「宗教は、基本的に国民ひとりひとりの内面にかかわる私事として位置付けられ」たと整理する。しかし、国家神道と神社神道を切り離して後者を宗教法人にスライドしてしまったことと、皇室祭祀が天皇の「私事」として生き延びてしまったことはパラレルの関係にあるのではないか。それが、制度としての「政教分離」を侵食してしまう余地を残したとは言えないか。「日本型政教分離」は曖昧に延命しているのではないか。天皇主義右派勢力としての神社本庁の政治性、習俗論、象徴的行為としての皇室祭祀などは、今の私たちにとっても重要な問題であり続けている。

初めての学習会参加者も含めて、議論は活発に行われた。村上の宗教学における宗教進化論的傾き。政教分離違反という切り口で天皇制の儀礼を撃つことは有効か。日本型政教分離という以前の問題として、日本型「宗教」の特異性についても議論が必要ではないか。明治維新のイデオロギーとしての国体論の位置をどう考えるか、などなど。

次回(九月二五日)は、安丸良夫『近代天皇像の形成』(岩波書店)を読む。

(北野誉)

【集会報告】「憲法と天皇制」練馬の会学習会

八月二四日、「アキヒト退位・ナルヒト即位問題を考える練馬の会」の学習会が開催された。六月二五日の第一回(既報)に続いて二回目である。今回は、憲法学の清水雅彦さん(日本体育大学教員)に「憲法と天皇制」と題して話していただいた。

清水さんの話は、まず最初に憲法の成立史から憲法論の基本概念について説明。統治が主権を持つ天皇に総攬され、実質的に権力の分立がなされていない外見的立憲主義に対し、国民主権から人権を保障し、国家権力を縛ることを目的とする近代立憲主義の理念を強調した。さらに、現代の立憲主義は、ナチズムへの反省からポピュリズム的な「多数派の暴走」を制約し、積極的に違憲審査制度を運用するべきと述べられた。

これらを前提に、議論は「憲法と天皇制」という中心テーマに。清水さんは「将来的には第一章を廃止」「天皇制は廃止するべき」という立場を鮮明にしながら、天皇条項さらに日本国憲法の制定過程と、上諭、前文の構造を説明し、現憲法が民主主義的観点からは不完全で封建的遺物を残すものと断じた。学校の体育教員をめざす学生たちに向けて批判的に講義されている「君が代」「日の丸」や「元号」「祝日」などの検証・歴史教育の一端が、ユーモアを交えた明快な口調と表現で語られていった。

話はさらに展開し、天皇明仁によるビデオメッセージの問題点について。この内容が「天皇制を永続させる」ための強い意思に基づく明らかな政治的発言であり、公的行為を拡大解釈するものであると批判。この発言を後追いで固定化させていった「退位等に関する皇室典範特例法」は、天皇発言を合憲化し、批判的立場を無視して強制するものであるということや、戦没者追悼式での明仁の発言は、裕仁の戦争責任も、戦後のアメリカへの戦争加担とともにあった「平和」の問題点をもないまぜにするものであることが指摘され、最後に自民党の改憲案に対する批判が展開されるなど、網羅的で親切な講演だった。

会場周辺には早い時間から二名の右翼団体の構成員が登場し、トラメを使用して街宣を実施。今回の会場は住宅地の真ん中で、この騒音に住民からの苦情もなされていたが、一〇名ほどの公安警察官は遠巻きにするだけだった。小規模な学習会すら圧殺されかねないこうした状況に、なんとか反撃していきたい。

次回は一〇月二五日、立川自衛隊監視テント村の井上森さんを講師として開催する。今回の参加者は四四名だった。

(蝙蝠)

【集会報告】「元号いらない」の声、新宿アルタ前に響き渡る

八月一九日、〈元号はいらない署名運動〉に集まる首都圏の友人たちと、新宿アルタ前で情宣と署名行動をおこなった。灼熱コンクリート地獄を覚悟しながらも少しは涼しさを求めて夕方からの行動。珍しく当日は三〇度を切り、夕方からの行動は思いのほか快適(?)だった。

天皇の代替わり状況に対して反天皇制の立場から声を上げていこうと、昨年春くらいから、首都圏枠の緩やかなネットワークがつくられてきた。このネットワークはこれまでにも、集会実行委をつくっては集会やデモを呼びかけたりしてきた。〈元号いらない署名運動〉もそのネットワークが呼びかけて始まった運動だ。いまでは全国で多くの人たちが署名集めに参加している。集約先に届けられる署名は、個人、小さなグループ、労働組合、宗教者と、掲げられている課題も実に多彩な人たちからで、地域的にも北海道から沖縄まで拡がっている。現在集まった署名は五〇〇〇筆を越したところ。よく集まっていると思うが、でも目標は一万筆。先はなかなかに遠いのだ。

というわけで、新宿情宣とあいなった。署名を集めることもさることながら、なぜ元号に反対するのかを道行く人たちに伝えることが大きな目的の一つ。参加者はみな熱のこもったスピーチをそれぞれに展開し、らっぱさんの歌「元号やめよう」も新宿アルタ前に響き渡った。しばらくすると、通りの反対側からビルに隠れてこちらの様子を伺う公安警察の姿も……。すかさず”Police on my back”(The Clash)のカバーソングも。みんな大喜び。

署名は一一月一五日が最終集約日だ。それまでに何とか一万筆を集め、署名提出行動自体もメッセージ性の強い行動にしていこうと相談中。集約最終日まであと二ヶ月だ。さらなる署名への協力、署名運動への参加を呼びかけたい。ちなみに新宿で集まった署名は二〇弱……。まだ署名していないなあ、と思っているみなさま、一筆分だけでもかまいません、署名をして送り返してください。

(大子)

【集会報告】「明治150年」天皇制と近代植民地主義を考える8・15行動

八月一五日、在日韓国YMCA・9階国際ホールでタイトルの集会を行った。会場は一八五人の参加者で埋め尽くされ熱気に溢れるなか、今回、四つの課題をたて、それぞれに発言してもらった。

最初に安倍・靖国違憲訴訟の弁護団である酒田弁護士は「即位・大嘗祭訴訟に関する問題提起」。三〇年前の訴訟の確認。そしてヒロヒトとアキヒトをめぐる社会情勢の違いに触れ、最後に今回準備されている訴訟の理論構成について報告された。

次に「北方領土の日」反対!「アイヌ新法」実現!全国実行委員会(ピリカ全国実)の黒岩さんは、アキヒト・ミチコの利尻島訪問・北海道一五〇年式典出席への反対行動の報告。アイヌモシリ侵略は天皇制国家による他民族侵略・支配の「原型」と話され、戦後のヒロヒトの「人間宣言」内の「五箇条の誓文」が戦後民主主義の「原点」かと問う。

続いて「元号はいらない署名運動」の井上森さんからは、アキヒトの「社会の停滞を懸念」発言で始まった平成代替わりから、中央官庁、JR、警察からの元号「撤退」の実情の報告があり、最後にオウム大量処刑に触れ、日本において最高度の国家暴力を正当化する論理は天皇制しかないとしめくくった。

最後に反天連の新さんは「『平成の三〇年』=明仁天皇との『対決』の三〇年」について。アキヒトの言動の微妙な変化から、「時代とともに変わっていく」天皇の政治の役割を分析した。今回の天皇主導の「退位」で見せつけられた、天皇による天皇制の再定義は、明仁天皇制が三〇年かけてそこに収斂していった、天皇像の到達点だと集約した。

質疑応答の時間が取れなく残念であったが、「道徳教育」の問題性に言及されている北村小夜さんから「新しい教科書をつくる会」の流れの教育出版が唯一、アイヌ問題に触れていることを補足され、そこにどのような魂胆があるのかと問われた。

その後、沖縄一坪反戦地主会・関東ブロック日韓民衆連帯全国ネットワークオリンピック災害おことわり連絡会、米軍・自衛隊参加の防災訓練に反対する実行委員会から連帯アピールをもらい、靖国神社に向け元気にデモに出発した。手作りの幟や横断幕、反天龍(?)、そして参加者二五〇人、何も誰も欠けることなく「天皇制はいらない!」のコールを響かせた。交流会では懐かしい仲間、新しい仲間の発言もきけて、ワイワイガヤガヤとにぎやかに。今年も無事に終わって良かった。

(実行委/桃色鰐)

【書評】古川佳子『母の憶い、大待宵草─よき人々との出会い』(発行:白澤社、発売:現代書館)

この本に収められたエッセイは、いずれも「反天皇制市民1700ネットワーク」の通信に連載されたものである。この通信は、昭和天皇裕仁の死による前回の代替わり過程のなかで沸き起こった「天皇制はいやだ」の声とともになされた、「即位の礼・大嘗祭」違憲訴訟をベースにした機関紙である。

「即位の礼・大嘗祭」違憲訴訟は、大分、鹿児島、神奈川、東京など各地で取り組まれたのだが、一七〇〇名の原告を集めた大阪での「『即・大』いけん訴訟団」による裁判においては、高裁において原告の控訴は棄却されたものの、「即位の礼・大嘗祭」が神道儀式によりなされたことと、これに国費が執行されたことは違憲の疑いがある、とされ「実質勝訴」(同訴訟団)として終結した。

古川佳子さんは、この訴訟の原告であった。そしてまた、箕面忠魂碑・慰霊祭違憲訴訟でも、神坂玲子さんらとともに原告に立った方でもある。

訴訟の原告になるということ、しかも、勝訴が期待しにくく論理の抽象性も高い違憲訴訟は、ハードルが高いものとして躊躇されがちだ。だが、こうした訴訟の原告になるということは、天皇制に反対していくこと、平和を考え選び取っていくことであり、そして、意思を同じくする他の原告たちとつながっていく機会でもある。

古川さんは一九二七年生まれで、昨年には卒寿を迎えられている。この自伝的なエッセイ集においては、ご両親をはじめとする家族への想いや、これまでの人生でふれあった方々との関係が、淡々とした調子で綴られる。

しかし、古川さんが生きてきた時代は、まさに戦争のただなかにあった時代でもある。彼女の長兄・啓介さんは南方に出征し、台湾でマラリアに罹患、さらにビルマ戦線に送られて四五年五月に二七歳六カ月で亡くなった。また次兄・博さんは満州牡丹江の国境から一時筑波に戻り、その後、輸送船の空母雲龍に乗船してフィリピンに送られる途中、二四歳四カ月で台湾沖に沈んだという。そして、この次兄の所属部隊は「戦死ヤアハレ/兵隊ノ死ヌルヤアハレ」と歌った竹内浩三と同じ部隊であり、乗船した船の違いはあれ、いずれも「ひょんと死ぬるや」の運命をたどったのだった。

さきに「淡々とした」と書いたが、愚かで不正な戦争により早逝させられた肉親への感情が、静かなものであるはずがない。「母の憶い、大待宵草」と題されているのは、古川さんのお母さま、和子さんのエピソードだ。亡くなられるまで、小さな手帳に大切に短歌を書き続けていた和子さんは、周りに誰もいないとき、夕方に花開くオオマツヨイグサの茂みで、声を限りに亡き二人の息子の名を呼んだという。「その秘密を私に告げる母は、恥ずかしそうに肩をすくめて涙ぐんだ」。

和子さんの詠まれた「是れに増す悲しき事の何かあらん 亡き児二人を返せ此の手に」。天皇の戦争責任を深く問い続けた憤りと悲しみは、古川さんをも貫くものであった。
それから、古川さんは、彼女の母の短歌への想いを胸に、作家の松下竜一さんとの手紙による交流がはじまり、松下氏の裁判への支援を経て、ご自身の地元である箕面忠魂碑違憲訴訟の原告にご夫婦でなっていくことになる。

これ以降、サブタイトルで「よき人々との出会い」とされている通り、ご両親、箕面忠魂碑の神坂夫妻、大杉栄・伊藤野枝を両親とする伊藤ルイ(ルイズ)さんとの出会いなど、天皇制や「軍隊慰安婦」をはじめとした日本の戦争・戦後責任をめぐる想いと、裁判闘争のなかでの人々との交流が描かれる。私たち反天皇制運動連絡会の活動にも大きなご恩をいただいた歌人の三木原ちか(深山あき)さんのことも触れられており、どのような方だったのかを初めて知らせていただいた。

私たちが、これまでに持続してきた天皇制をめぐる運動の中で、地域の違い、年代の違いを超え、どのようなつながりをつくり、維持し深めていくか。古川さんのこの本を通じて、そのことの重要性をあらためて知らせていただいたという思いがする。心から感謝したい。

(蝙蝠)

【今月のAlert】天皇「代替わり」をめぐる活発な動き 「明治150年」反対の行動にも参加を!

今年の8・15闘争も無事に終わった。ここ数年は、デモ隊にひんぱんに突入してくる街宣右翼とデモの参加者が、直接接触したりする場面は少なくなっている。もちろんそれはよいことだが、結局この日、この地域を警察が完全に制圧し、そのコントロールのもとでデモも動かざるをえない事態が現出していることの結果だとすれば、それはまったくよいことではない。右翼を利用して中立を装い介入する警察に対する原則的批判をなしつつ、本来の目的であるわれわれの意思を、どのように表現していくか、引き続き具体的に考えていかなければならない。

今年の「全国戦没者追悼式」は、予想に違わず、アキヒト最後の式典出席として、マスメディアによってその「平和への思い」が強調された。「おことば」の大枠は変わることはなかったが、「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」という一節が新たに加えられたことに注目する報道が目についた。ここではひとことだけ、「戦後の平和」とは日米安保体制と冷戦の一方への積極的加担によってはじめてなされたという意味で、「戦争」に対立するものでは決してなかったとだけ言っておこう。

天皇の戦争責任問題ということでは、共同通信が入手した、昭和天皇の侍従であった小林忍の日記にもふれないわけにはいかない。そこではヒロヒトが、一九八七年四月に「細く長く生きても仕方がない。……戦争責任のことをいわれる」と発言したと記されていた。これは、戦争責任のことをいつまでも言われるのは嫌だ、という心情を吐露したと読むのが普通だろう。しかし半藤一利は「細く長く生きても仕方がない、というのはすごい言葉だ。びっくりした。昭和天皇の心の中に最後まで戦争責任があったのだと分かる」などと、保阪正康との対談で述べている(八月二三日、共同配信記事)。

ただ、ここでふれたいことはそれではなく、自分も参列した天皇「代替わり」儀式について、その費用も含めて「ちぐはぐな舞台装置」などと小林が批判を加えていたことだ。政府は来年の「即位・大嘗祭」を「前例を踏襲」して行うとすでに発表しているが、「今回明らかになった小林氏の見解が一石を投じる可能性もある」などとする報道もある。

さらにその直後、秋篠宮が、「大嘗祭」への公費支出という政府方針に対して、「皇室祭祀に公費を支出することは避けるべきではないか」との懸念を宮内庁幹部に伝えていたと報じられた(八月二五日、毎日新聞)。一連の「代替わり」儀式の中でも「大嘗祭」は純然たる宗教儀式であるので「政教分離違反」という批判が多い。

ここには、「代替わり」儀式に関しては、少しでも批判を回避して「国民全体の慶事」として挙行していくべきだという「合理的」な政治判断が反映しているだろう。もちろん、政府の方針はそうではないし、前回のように、政府や右派勢力などの間で意見が割れているような状況でもない。この「合理性」も、結局は「国民的議論」に基づいた「代替わり」を、という、「リベラル層」をも含めた主張を補強するものでしかないのだ。「即位・大嘗祭」に関しては、それらの儀式に対する税金支出の差し止めを求める訴訟が準備されており、私たちもそれに協力している。その詳細はおそらく次号で明らかにできると思う。

そして最後に。八月一〇日、政府は永田町の憲政記念館で、明治一五〇年記念式典を行うことを閣議決定した。この一年、全国各地で、多くの「明治一五〇年」企画が実施され、私たちもまた、2・11以降、「明治一五〇年」が天皇「代替わり」の前哨戦をなす攻撃であると位置づけて行動を積み重ねてきたが、「明治一五〇年」を祝賀する社会的な盛り上がりは正直言って実現していないと感じる。一九六八年の「明治一〇〇年」と比較してみれば一目瞭然だ。このときは日本武道館で政府式典が開かれているが、ハコとしての武道館が一万四〇〇〇人収容できるのに比べると、憲政記念館の講堂は五〇〇人に過ぎない。けれども、あの「主権回復の日」の政府式典が行われたのもこの場所であり、天皇を迎えて式典を行うことになんの不都合もないということだろう(ただし、いまのところ天皇が出席するという発表はなされていない)。

私たちは、式典前日の一〇月二二日の夜に、一日実行委員会を結成して反対デモを行いたいと考えている。詳細は確定次第お知らせします。ぜひ予定に入れておいて下さい。

(北野誉)