「報告」カテゴリーアーカイブ

【報告】反天連が「第31回多田謡子反権力人権賞」をいただきました

12月14日、関西救援連絡センター、エリザベス・アルオリオ・オブエザさんとともに、反天連が「多田謡子反権力人権賞」を受賞しました。

「賞」のつくものとは無縁な私たちですが、29歳で急死した弁護士の多田謡子さんを記念して1989年に設立された「反権力・人権」のために活動している団体・個人に贈られる賞です。メンバー一同、とてもうれしく頂戴しました。

授賞式では、天野恵一が反天連の創立の頃と、自分が逮捕されたときに接見に来てくれた多田謡子さんの思い出を語りました。

なお、反天連の受賞理由は、以下のようなものでした。

 

 反天皇制運動連絡会は、1984年に発足し、89年1月の昭和天皇死去にあたっては、自粛と哀悼の意の強制を拒否し、1年に及ぶ「天皇代替わり」の国家行為に反対して、果敢に街頭に出て闘いました。30年後の2019年、「天皇の生前退位」と称し、安倍政権が膨大な国家予算を浪費して行う、神道にもとづく天皇家の宗教行為と、「令和」への改元祝賀キャンペーンに対しても、「象徴天皇制」を推進する与党・野党、マスコミ、「国民世論」といった魔物に立ち向かい、反天皇制の旗印を鮮明にして闘っています。
 敗戦と旧連合国・米国の占領をへて成立した現在の日本国と「象徴天皇制」は、1945年8月15日以前に大日本帝国が犯した戦争責任から決して逃れることはできません。そして、これまでよりひとまわり広範な人びと、500人を超える参加者で行われた10・22天皇即位式反対デモで、まったく無防備な参加者3人が不当逮捕される事態が示しているように、天皇制が暴力と弾圧とともにあったのは戦前だけではありません。「象徴天皇制」との闘いを回避する姿勢を拒否し、天皇制反対の鮮明な旗を掲げて闘い続ける反天皇制運動連絡会に、多田謡子反権力人権賞を贈ります。

 

→ 主催者の報告はこちら

→ こちらにも参加者の報告があります。

 

【学習会報告】河西秀哉『皇居の近現代史』 (吉川弘文館 二〇一五年)

 ムツヒトの東京移転により江戸城が「皇居」とされてから、空襲により焼失した宮殿を戦後再建するまでを、皇居を開こうとする力と閉ざそうとする力のせめぎあいとして記述している。二回の宮殿焼失は二回とも天皇による「国民への配慮」を理由に再建が大幅に遅れたこと、皇居の見学者枠は宮殿造営献金者と国家的任務担当者から始まり徐々に拡大していったものの、社会主義の浸透やコレラの流行により縮小、ヨシヒトの死によりほぼ停止したこと、アジア・太平洋戦争期には御府と言う皇居内遊就館のような、機能的には靖国神社と変わらない施設のみが見学を受け入れていたこと、皇居見学を選挙運動に利用した人々がいたこと、敗戦後焼失した宮殿を放置し、新聞に取材させることで天皇制廃止の議論への歯止めを期待したこと、戦後二度にわたって富士山や東京湾へ皇居を移転や開放の議論がなされていたことなどが語られている。

 皇居のイデオロギー装置としての分析は少ない。本書は様々な資料に当たり、議論を追いかけ、かつそれらをコンパクトにまとめている。しかしそこまでだ。皇居を舞台にした「事件」としては開こうとする力につながる例として二重橋事件が挙げられているものの、食糧メーデーも血のメーデーも出てこない。天皇制に対して批判的な「事件」として虎の門事件とパチンコ玉事件が挙げられているが、それらはテロとして、天皇と民衆の距離を引き離す、閉ざす力を強めたと論じられる。そもそも皇居を開こうとすることを「民主化」と呼ぶこと自体が本当は極めてイデオロギッシュな言説のはずだが、著者が自身のそうした政治性に自覚的なのかは意見が分かれた。イデオロギー装置の分析としては全く物足りず、資料を提供しているに留まっている。

 年長の学習会参加者は「最近の若い人の本は読む気がしない」とよく言うが、なるほどこういうことかと納得してしまった一冊。著者は歴史学の中堅どころだそうで、大丈夫か歴史学。

*次回は思索者21の『天皇と神道の政治利用』を来年一月二一日に読む。

(加藤匡通)

【集会報告】女天研大放言大会

 一一月三〇日、「天皇が女だったらいいのか」をテーマに、「言いたいこと、言わなくてはならないことを、いまこそ吐き出そう!」という放言しまくりの集会を開催。もしかすると女天研としては初めてのスタイルかもしれない。あらかじめ女天研から首藤九尾子さん、松井きみ子さん、堀江有里さんが放言者として立った。そして女天研外から死さんと空さん。それぞれの視点や経験から語られる天皇観、女性と天皇制の問題は多岐にわたった。

 そして休憩をはさみ、会場全体で大放言開始。出るわ出るわ、の大放言大会となった。

 多くは身近な天皇体験、直接的・間接的天皇体験が語られるのだが、思いのほか天皇・皇族と遭遇する羽目になったという人は多くて驚く。しかし、遭遇した人の「天皇体験」も、「天皇との関係はこうでなくてはならない」という暗黙のほぼ強制的な規範おしつけの体験であることがわかる。間接的経験と同じなのだ。

 全体が起立・拍手といった空気の中で、それに従わない人がまわりから被るなんらかの戒め。あるいは間接的経験といえる、学校での日の丸君が代強制に従わない人、天皇一族がつくり出す「道徳的規範」や価値観を良しとしない人、天皇一族・天皇制を批判する人が受ける社会的制裁。

 前半で発言した死さんの言葉「外れたら制裁」は、すべての発言者の体験に当てはまる。それが威圧的な空気か排他的な言葉か社会的な戒めか、あるいは右翼による暴力か国家レベルの弾圧かだ。しかし、このようにまとめてしまうと会場の空気は伝わらない。世代を超えた放言に笑いと驚きと共鳴があった。

(大子)

【集会報告】ナイトイベント★「大嘗祭反対」 @トーキョー・ステーション

 一一月一四日、「代替わり」儀式のクライマックスともいうべき宗教儀式が行われた当日夕方、おわてんねっと呼びかけのナイトイベント★「大嘗祭反対@トーキョー・ステーション」に二〇〇人の人々が集まった。「大嘗祭」のメインの儀式は一八時半前後から始まるというので、私たちもその時間に集まった。場所は「大嘗祭」が行われる「大嘗宮」から九〇〇メートルという、東京駅丸の内側から皇居に続く、「御幸通り」の東京駅直近の広い歩道上。歩道とはいえ、二〇〇人くらいはゆうに集まれる広さだ。五〇〇人集まっても大丈夫。さすが「御幸通り」。

 時と場所を考えると、本当に行動は開始できるのか、人は集まってくれるのか、場所を確保できるのか、弾圧は大丈夫か、右翼の動向は?……等々、おわてんねっとメンバーは緊張しながら会場となる場所に向かった。しかし、極力トラブルを避けるという警察側の判断なのか、実にたくさんの警察に囲まれてはいたがスムーズに準備は進んだ。そして、開始時間に近づくと参加者は三々五々集まってきた。

 一時間ちょっとの行動は、大成功だった。一三人の参加者がマイクを持ち、語り、シュプレヒコールをあげ、歌をうたい、あっという間に時間は過ぎた。夜の行動に会わせてライトを準備し、横断幕や人々を照らし出した。とても美しかった。

 私たちも集まった人々も、大きな声は皇居まで届くにちがいないと、「大嘗祭やめろ!」「天皇制はいらない!」の声を上げ続けた。緊張して迎えた当日。でもやってよかった。やれた。勝ち取ったものは大きい。

(大子)

【集会報告】天皇の〈代替わり儀式〉と象徴天皇制を考える・練馬集会

 「アキヒト退位・ナルヒト即位問題を考える練馬の会」は、一七年の一二月に開催した第一回の集会から、この日の集会まで、一一回の集会・公開学習会を重ねてきた。一〇月二九日の今回は、締めくくりとして中島三千男さん(神奈川大学名誉教授、日本近現代思想史)に「天皇の〈代替わり儀式〉と象徴天皇制を考える」としてお話を聞いた。

 中島さんは、今回の儀式の決定の過程を詳しく整理し、天皇の代替わりの儀式が「確立」されたものではない、明らかに「創られた伝統」であることを、葬送儀礼や中国的な即位儀礼、大嘗祭の不執行・廃絶や即位灌頂などの具体的指摘とともに説明した。近代日本に至って、明治中期に整備され成立した国家神道の「教義」をイデオロギー的な核心に押し上げると同時に、儀式法制である「登極令」が明治末期に成立、今回の大がかりな代替わり儀式は、捏造された「伝統」を国家の強制により再現させ、新たな「伝統」として塗り固めていく政治過程なのだ。中島さんは、明仁や徳仁の即位儀式についても詳しく分析、前回に比べて批判が封じ込められていることや、世論を「良い天皇」意識に誘導されることにより、これらがなしくずしとなり、今後は、改憲や軍隊との結びつきが進められると思われることを、厳しく指摘した。

 参加は五〇名。練馬の会としては、一二月一八日に総括集会を練馬産業プラザで開催して解散、来年の五輪や自衛隊の問題をあらためて活動として提起していく。ご参加を!        

(蝙蝠)

【学習会報告】尾高朝雄『国民主権と天皇制』 (講談社学術文庫 二〇一九年)

 宮澤俊義との論争の発端となったこの書において、尾高は「国民の総意」(一般意志)と「個々の国民」の意志の総計は異なったものである、とルソーを援用して言う。「国家そのものの存立の根拠となつている国民全体の意志」であるところの「国民の総意」とは、「すべての権力意志の上にあつて、すべての現実の政治を規正するところの、『常に正しい立法意志の理念』に他ならない」。

 したがって、日本国憲法における国民主権の原理とは、「法の客観的な理念」という近似値的にしか実現し得ないそれを不断に志向し続ける責任概念であると言う(むしろ個々の具体的な国民は「権力に服従する臣民」だ)。これが「ノモスの主権」である。

 では、「法の正しさを決定する法の理念」とも言い換えられる、その理念の基準とはなんなのか? 尾高は言う、平等の福祉である、と。かかる権力の上位に存するものこそ、ノモスである。

 いっぽう、ノモスとは時代によって形を変えつつも、しかし連続性が確認されなければならない。そこで導入されるのが「全体性」という鍵概念である(これは和辻の尊皇論からだ)。ここにおいて国家史、あるいは国民史を担保するための「あらゆる変化にかかわらざる国家の自己同一性」、つまり「全体性」を具現化して国民の一体性を象徴する君主制が要請されるのだ。象徴天皇制とは、責任概念としての国民主権主義を成り立たせる「上層建築」としての君主制なのである。特殊利害の産物としての法律等を「全体性」の象徴である君主が国事行為として公布することで国民という一体性へと収斂させ、一般利害として偽装させる。かくして、かかる「象徴的地位」に基づいて─解説によれば─尾高の畏友・清宮四郎は「象徴としての行為」を定位し、それが現在の象徴天皇制解釈へとつながってゆく。そう、社会に対する象徴天皇の主体性が発動され、それが期待される情勢は、尾高の勝利を示しているということだ(尾高によれば天皇に象徴される理念は国民自らのものだと自覚しなければならない)。

 学習会では尾高の思想は上杉慎吉とかなり連続性があるといった指摘や、宮澤の反駁は結局のところ法学における形式論理を徹底的に突いたものであって核心的な論争はお互いに回避してしまったのではないか、といった意見が出た。

 次回は河西秀哉の『皇居の近現代史』を一一月一九日に読む。   
(羽黒仁史)

【集会報告】東京戒厳令を打ち破れ!天皇即位式反対

 即位礼正殿の儀が行なわれた一〇月二二日は、朝から警察の厳戒と翼賛メディア総動員の態勢であり、これに憤りを感じた人たちが、続々と詰めかけ会場はいっぱいになった。今回の集会に向け、「おわてんねっと」は、天皇制に対するごく普通の疑問や怒りを参加者で共有していこうという方針で準備し、「肩書」など必要とせず自分の主張を貫いてきた人たちに集会への発言を依頼した。

 発言者は六人。ツイッターで私的なスタンスを維持しながら天皇制への怒りをつぶやき続けてきた女性は「日本こそ私から出ていけ」として「憤りと絶望と呪いをもってここに連なり、NOをしめしていきたい」と結んだ。基地と闘う運動を続けてきた女性は、かつての代替わりにおける自粛への憤りや学校教育の問題とともに、沖縄での慰安所の存在を知ったときの衝撃を語った。朝鮮半島の歴史、侵略の歴史と向き合う活動を続けてきた女性は、このような認識を避けさせようとする戦後社会の問題を自らのものとしてこの場に来たと語った。天皇制の女性差別システムの意味を問い続ける女性は、女性たちが社会でさまざまな強要を受け自分自身への違和感を強要されること、これに対抗するなかから自分たち自身の言葉で天皇に頼らない力を示そうと結んだ。また、死刑廃止の活動を続けてきた女性からは、天皇制と死刑の問題として、明治期からは大逆罪とともにあった死刑と弾圧の問題を話し、恩赦を破り捨てた金子文子や「天皇制がある限り民主主義国家はない」と語った免田栄さんについて話した。さらに、「表現の不自由展」への弾圧を批判して名古屋でスタンディングを続けた男性も、天皇制と表現の問題を提起していった。

 発言はいずれも重く、熱く、参加者の心を揺さぶった。短い時間しか確保できなかった集会だが、これらの発言を受け、私たちのこの日の行動への気持ちはより強く、決意も固められていった。この日のデモへの弾圧は酷かったが、逮捕者三名全員について不起訴釈放をかちとった。

(蝙蝠)

【集会報告】香港人靖国抗議弾圧・有罪判決弾劾!

 靖国神社外苑で「南京大虐殺」に抗議した香港人の郭紹傑(グオ・シウギ)さんと、その行動をビデオで記録していた嚴敏華(イン・マンワ)さんに対する「見せしめ弾圧」。二人に対する裁判の判決が、一〇月一〇日に東京地裁で言い渡された。

 判決内容は、郭さんが懲役八月、嚴さんが同六月(ともに執行猶予三年)、それぞれ未決勾留一五〇日算入というもの。求刑(郭さんに対して懲役一年、嚴さんに対して同一〇月)よりは短縮されたが、かれらの非暴力の行為、表現の自由に属する行為を犯罪と決めつける不当判決だ。郭さんは退廷する際、「日本軍国主義は謝罪と賠償をせよ」と拳を振り上げた。そして無罪を訴える二人は、即日控訴した。

 二人に対する救援活動を続けてきた「12・12靖国抗議見せしめ弾圧を許さない会」では、判決に先立ち、九月三〇日に「南京大虐殺・靖国に抗議した香港人弾圧を許すな!集会」をもった。会ではこれまで同様の集会を二回もってきたが、その内容は南京大虐殺と日本の戦争犯罪に焦点を当てたもの。今回は靖国神社がテーマだった。講師は安倍靖国訴訟原告の辻子実さんとノーハプサ!訴訟弁護団の浅野史生さんで、それぞれ「靖国神社はどういう神社か」「アジア民衆にとっての靖国(合祀)」について話した。

 さて、判決後の二人だが、在留資格が剥奪されている二人はその場で入管に引き渡されてしまった。結局二人が香港に送還されたのは一週間ほどたった一〇月一八日。空港で家族や、多くの運動仲間に迎えられた。控訴審も間もなく開始される予定だ。まだ闘いは終わっていない。引き続き注目していこう。

(北野誉)

【学習会報告】美濃部達吉『憲法講話』(岩波文庫 二〇一八年)

 初版は一九一二(明治四五)年三月一日に発行され、改訂版は一九一八(大正七)年一〇月一日に発行された。それの一九二四(大正一三)年四月一〇日に増刷発行された版が底本。新仮名遣いへの改め、振り仮名送り仮名の補い、漢字表記の平仮名への改めなど、読みやすくするためのあれこれがほどこされている。

 文部省が開催した中等教員夏期講習会(一〇回)の記録であり、「健全なる立憲思想を普及」することをめざし、天皇制官僚たちの通説をつくりだした美濃部の、この時代、おそらく、もっとも広く読まれた彼の著作の一冊である。それがやっとすこぶる読みやすい文庫として、私たちの手にとどいた。

 欧米の立憲主義の精神に、できるだけ引き寄せて解釈するため、国家の内側に君主(天皇)を位置づける憲法体系の構築がなされている。「国家は最高の権力を有する領土国体なり」とし、天皇は統治権の主体でなく「国家の最高機関」であり「権力の最高の源泉」であるとする「天皇機関説」は、実は論理的整合性がない、実にムチャな、アクロバティックな〈解釈改憲〉の体系として成立している事が、よく読める。こうした問題が実は「誰からも委任されたものではない」「国法上当然にも天皇に属する大権」である〈天皇大権〉(「国家の直接機関」)という説明自体が、美濃部のかかげる「公民国家〈立憲制度〉主義」・「民政主義」(参政権)・「法治主義」という憲法原則が、まるで貫徹されていないという事実を自白してしまっている。

 レポーターであった私の第一の関心は、天皇の〈植民地大権〉の位置づけであった。「植民地は本国とは原則としてその行われている法律制度とは異にしている」。植民地は「本国」の法律は適用されない〈天皇大権〉によるストレートな支配地(総督の発する「律令」による支配)。明文規定のない植民地大権を、美濃部も憲法上の権利として平然と論じている。美濃部〈デモクラシー〉の神話を打ち壊す作業の必要をあらためて痛感。

 次回は尾高朝雄の『国民主権と天皇制』(講談社学術文庫)です。ぜひご参加を!  

 
(天野恵一)

【学習会報告】伊藤智永『「平成の天皇」論』 (講談社現代新書 二〇一九年)

 本書は「代替わり」直前の二〇一九年四月二〇日発行。コンテンツを眺める限り興味をそそられる。はじめに 「旅する天皇」、第一章「平成の象徴再定義 なぜ天皇は退位するのか」、第二章「退位政局は続く 保守政治vs.天皇の深層」、第三章「靖国神社参拝せず 政治化した神職らの焦り」、第四章「女性が動かす皇室 象徴を作り受け継ぐのは」、第五章「改元政治と尊皇長州 天皇制をめぐる愛憎の系譜」、おわりに 「再び天皇制と政治とは」。

 著者は、二〇一六年八月八日の明仁天皇(当時)メッセージを「深く」読み解きながら、皇太子時代から天皇即位、退位までの、明仁と美智子による「象徴」再定義の言動につなげていく。もちろん「深く」読み解くことと公正な評価が同一であるわけでない。残念ながら本書もそうであった。著者の思い入れと思い込みが多分に加味され、象徴天皇制民主主義の枠を強化する言論の一つとしてカウントされるべきものだった。

 著者は各章において、政府や宮内庁、神社本庁等々関係者への取材などを通して時系列に整理し、結論に導く。神社界と皇室の関係など、初めて知る事実など面白くもある。しかし説得力を持つかのような論理展開の前提には明仁・美智子による「象徴の再定義」賛美があり、最終的にこの「象徴天皇制」を続けるためにはどうしたらいいのか、と読者に迫る。安倍政権・右派を批判する度に明仁・美智子の株が上がるお決まりの流れも辛い。現在の象徴天皇制を理解し押し進めるための論理展開に、学習会ではつい声が大きくなるのだった。

 次回は、美濃部達吉『憲法講話』(岩波文庫)。ぜひご参加を!   

(大子)