「報告」カテゴリーアーカイブ

【集会報告】反天連討論集会Alert !!!〜「代替わり」状況へ

 一二月二三日。GHQはアキヒト誕生日のこの日にあえてA級戦犯を処刑する。アキヒト即位後三〇年間、反天連は毎年この日に「天皇制の戦争責任・戦後責任」をテーマに集会を開催してきた。

 今回、小倉利丸さんを迎え、討論集会を日本キリスト教会館で行った。小倉さんは、劣化する近代の価値とグローバルな極右の台頭のなかでの天皇制を、憲法自体の問題、排外主義を江戸までさかのぼり、視点は世界規模で分析する。特殊だと思われている天皇制が、世界で台頭する極右の世界観、価値観と共通すると指摘。最後に伝統と文化の問題についての議論が必要で、それをどういうふうに根底から否定するのかが今の時代に必要なのではと締め括った。

 桜井大子は、五つのポイントから、裕仁、明仁と徳仁を比較整理し、徳仁天皇で天皇制がどのように変わるか探る。メデイアをフルに活用し、皇室の自律・自立を当然の権利として主張しはじめた世代。今後、天皇尊重、君民一体思想がさらに強化されていく可能性が高いと予測。

 北野誉は、「即位・大嘗祭」について秋篠宮発言から二つの問題をあぶり出す。天皇制が果たしている役割は天皇教という一つの宗教として考えるべき。象徴天皇制と政教分離は基本的に矛盾する。憲法それ自体がはらむ矛盾についても問い直すことも意識的にやるベきだと発言。

 最後に天野恵一は、三〇年前の「代替わり」と比較。本島長崎市長銃撃事件を取り上げ、大衆から噴出する天皇の戦争責任問題を消去していくことが、支配者たちの最大のテーマであった。現代それが成功しかかっている状況であるという。そして、わだつみ会の声明にも触れ、アキヒトの護憲発言の欺瞞をキチンと批判したものであり、そこからいろいろな闘争が始まったが、今、アキヒト即位の始まりにあった問題を、一から考え直さなければいけないと問題提起した。

 リベラル派といわれる学者たちが、情けないほど次々と天皇になびいていく。そのなかにあって、今回の「代替わり」で私たちが何を問題にし、反対の声をあげていかなければいけないか、確信がもてた集まりだったと思う。参加者九六人。継続は力なり。報告を書きながら私はこの言葉を噛み締めた。      

(桃色鰐)

【集会報告】退位・即位問題を考える練馬の会〜『明治一五〇年』近代天皇制国家を問う

「アキヒト退位・ナルヒト即位問題を考える練馬の会」では、結成一周年にあたって「『明治一五〇年』近代天皇制国家を問う」と題して、太田昌国さんによる講演と討論の集会を開催した。

 太田さんは、まず金静美「東アジアにおける王政の廃絶について」をひきながら、二〇世紀初頭に相次いで倒れた中国(清国)・大韓帝国・帝政ロシアという三つの王政と、生き残った日本の天皇制を対比させ、世界史的な観点から天皇制を把握することへの注意を喚起した。引き続き、英国のインドから中国への植民化の進行、メキシコ戦争を経て大西洋から太平洋に至る領土を得た米国、南下を開始していたロシアなど、膨張する帝国主義の時代の中でアジアへの侵略政策を選択し国家形成をしていった、新興帝国主義国家としての大日本帝国の問題について述べられていった。

 「万国公法」を掲げて、半未開、未開国を支配して収奪する欧米「文明国」に倣い、日本は、そのイデオローグであった吉田松陰らの構想をなぞりつつ、欧米との交渉で失ったものを、蝦夷地、琉球を手はじめとする東アジアの植民地化の進行によって奪回するという戦略を取った。この植民地主義の歴史は、厳しく批判し否定しなければならないが、そのためには、侵略されたアイヌら少数民族の歴史をいわゆる「被抑圧史観」で捉えるだけでなく、それぞれの民族が有していた歴史と可能性を、これらの事実のなかで躍動的に認識することが重要だと強調された。

 いま、こうした植民地主義を臆面もなく正当化し、これを批判する立場を「自虐史観」とする勢力が圧倒的になっている。一九四五年の敗戦処理から学ぶべきことは、日米安保条約と天皇制の問題とともに、「戦後の平和主義」がアジアへの植民地支配の結果を総括しておらず、「戦後」のアジアにおける戦争状況をも無視しているということであり、それをこそ考えねばならない。朝鮮半島の問題においても、日本帝国主義の歴史への責任の認識を、いまなお欠いた発言が支配している。それは、左派やリベラルの敗北の結果でもあった。だからこそ今後も、安易な結論を求めず、この現実に主体的に真剣に向き合っていかねばならない、と結ばれた。参加者は三七名。

 「練馬の会」としては、これまで六回の集会・学習集会を行なってきたが、二月からもほぼ二カ月ごとに練馬で集会を重ねていく予定だ。多くの参加を呼びかけたい。    

(蝙蝠)

【集会報告】『ブラックボランティア』著者 本間龍さんを迎えて

 一二月七日、文京シビックセンター・シルバーホールで、「オリンピック災害」おことわり連絡会(おことわリンク)主催の学習講演会「『ブラックボランティア』著者 本間龍さんを迎えて」が行われた。本間さんのネームバリューの割には、宣伝期間が短かったためか、参加者は五〇名ほど。

 本間さんは話題になった『ブラックボランティア』(角川新書、本紙昨年一〇月号に、おことわリンクの「暗黒聖闘士」さんの書評あり)の著者で、今回の2020東京オリンピックにおけるボランティア問題について「果敢に切り込んでいる」方。同書では「国、JOC、電通、メディアがスクラムを組んで国民をブラックボランティに扇動し、反対しにくい空気を作るのは、先の大戦時のような、悪しき全体主義というべきである」と書かれている。

 東京で開催されるオリンピックでは、一一万人ものボランティア(大会ボランティア八万、都市ボランティア三万)が募集されている。年末には一八万人の応募があったと報じられた。だが、予算三兆円がつぎ込まれる一大商業イベントであるにもかかわらず、アルバイトではなく労働の対価なしの無償ボランティア(日当一〇〇〇円、交通費、宿泊費は自腹)をあてこんでいるのは「アマチュアリズムを装った労働詐欺」だと本間さんは言う。

 多くの大学では、ボランティア動員の片棒を担いで、この時期にある前期試験を繰り上げたり、特別に単位を与えるとか、就活にも有利だとか……。おことわリンクでは、これはまさに国策イベントに対する「学徒動員」の構造ではないかと捉え、国大協や私大協などに対する申し入れなども行なってきた。

 当日の本間さんの講演は、同書で展開されていたような内容を軸として、金を落とすシステムとしてのオリンピックの構造、企業の協賛と電通の仕切り、オリンピックボランティアの業務内容、オリンピック組織委員会の「ボランティア戦略」についてなど、多岐にわたった。とくに、ロンドン五輪などとも比較して、ボランティアの健康(命)の責任を持つべき部署が実質的に不在であること、ボランティアへの報酬どころか、オリンピックを主催する側は「ボランティアは育成するのに金がかかる」とさえ考えていることなどが指摘された。

 酷暑のオリンピックは「インパール作戦」になぞらえて語られるが、それは人間を無償の資源として使い捨て、そのために全社会的に国策への動員を果たしていこうという指向性においても、大日本帝国と同じだなあ、と改めて感じた。

(北野誉)

【ネットワーク】集会・デモくらい自由にやらせろ!実行委員会

「新宿区におけるデモの公園使用規制問題」はその後も申し入れ・交渉が継続中である。一連の経緯を報告するとともに、民主主義の根幹ともいえる「デモの自由」に関わるこの問題への注目をあらためて訴えたい。

 発端は昨年六月に報じられたニュース(『東京新聞』は一面トップで報道)であった。新宿区が区立公園の使用基準を見直し、デモ出発に使用できる公園の規制に乗り出した(八月一日より実施)というものだ。これまで使用されていた柏木公園、花園西公園、西戸山公園が使えなくなり、区内では新宿中央公園だけになった。主な理由というのが、デモの騒音や交通規制で地域住民や商店、学校、ホテルなどが迷惑を被っているためだという。

 新宿区の「(二〇一七年度)公園別デモ出発実績」によれば、総回数は七七件、そのうち駅に近い柏木公園は五〇回。過去五年間の件数の推移でも倍増というほどでもない。そもそもデモに交通規制は当然のこと、「騒音」といってもマイクを使ったコールで訴えることは権利として認められていることだ。当初は「ヘイトデモ規制」と受け取った向きも多い。しかし対象はすべてのデモ。実際にヘイトデモは七七件中一三件に過ぎずヘイトを理由にデモ全体を規制するのはあり得ない。

 この決定に対しては、これまで柏木公園を利用してきた多くの団体、区議、弁護士、ジャーナリスト、憲法学者からも抗議の声が多く寄せられた。急きょ結成された「集会・デモくらい自由にやらせろ!実行委員会」は、新宿区に対して責任部局のみどり土木部・公園課に対して申し入れ、交渉の場を要求した。

 第一回は九月一八日、区側で出席したのは公園課の課長と係長。今回の決定に際して、具体的にどんな被害がどこから寄せられたのかを問い質すと、あいまいで漠然とした言い方で、各方面から騒音、交通規制で迷惑との苦情が多く寄せられていると繰り返すばかり。新宿中央公園を唯一残した理由も繁華街から離れているから良いと。デモは人里離れたところでやってほしいということらしい。

 議事録(六月二七日)によれば、公園課を統括するみどり土木部長が「(デモ参加者が公園に集まることについて)知らない方がかなり集まってくる状況というのは、近隣の方にとっては嫌な状況ではないか」「区民にとってはストレス」「私自身、自分が住んでいる家の近くの公園で、子供もおります」と自治体の責任者として考えられない発言をしている。こうした理不尽な判断基準がまかり通るのであれば、デモの権利などなきに等しい。

 九月二九日には、新宿デモと屋内集会(日本キリスト教会館)が行われ、実行委として新宿区に対して撤回を求める闘いを継続することを確認した。二回目の交渉(一一月二〇日)では、規制の根拠とされた町会・商店会の要望書が提出されるより以前(五月一四日)に、総務課長と弁護士が「区立公園におけるデモ出発地としての占用許可について」協議、さらにそれ以前に、総務課、危機管理課、公園課の間でシナリオがつくられていたことが判明した。続く第三回交渉(一二月二八日)には総務課長が出席。総務課長も公園課と同様に、デモ規制について何の疑問も感じず、当然だと思っている。騒音と交通規制で迷惑だと繰り返すので「では祭りや店の宣伝はどうなのか」と問い質しても、「それは問題ない」と居直る。日弁連の会長が懸念を表明している声明についても、「弁護士皆が読んでいるわけでもない」ととんでも発言。「総務課長の発言として社会的に問題になるぞ」と追及すると、あわててその場で謝罪・撤回した。ともかくお話にならないレベルなのである。

 次回は危機管理課長の出席も求めて日程を調整中(一月一二日現在)だが、ここまでで明らかになったのは、新宿区長や自民党区議の一部、商店会・町内会の顔役らの暗躍を背景に、区の各部署が、まともな検討・論議抜きに、表現の自由を踏みにじる決定を下したことだ。現在、新宿では、東口広場の歩道が「アルタ前」と呼ばれてデモの集合地点として定着しているが、この状況でいつまで続くかは分からない。というのも、豊島、渋谷、千代田、中央などデモではおなじみの各区における規制、さらには屋内施設での政治的テーマの規制も強まってきているからだ。天皇代替わり、サミット、オリンピックという情勢のなかで、進行する表現規制の現状に抗い、共同で反撃する闘いが求められている。

(藤田五郎)

【学習会報告】赤澤史朗『戦没者合祀と靖国神社』 (二〇一五年、吉川弘文館)

本書は靖国神社の合祀基準の変遷を豊富な資料でたどったものだが、極めて詳細である反面、分析や論理化が弱いとの感は否めない。

遺族への金銭支給と靖国合祀はゆるやかに連動し、「慰霊・追悼・顕彰」を通じて戦死者再生産装置は機能し続けた。しかしよく見れば、戊辰戦争までは「雑多な軍隊」と言える程に様々な職種・階級・身分が入り混じっているものが、軍人中心となり、警察官や軍役夫、民間人を合祀するか、戦病死や銃後の伝染病感染死などをどう扱うかをめぐって合祀基準は揺れ続ける。本書を通読すると、実は確固とした合祀基準などなく前例は忘れられ毎回場当たり的に事例を検討している実態が明らかになる。戦後は民間人の合祀が拡大し、戦争災害被災者も限度はあるものの合祀されるようになっていく。

著者はそれを望ましい変化ととらえている。著者が望むのは、戦後の価値観に合わせて軍人だけでなく空襲被災者を含む多くの民間人をも「戦没者」として合祀する民主的で平和的な靖国である。国立追悼施設ですらない。もちろん国家による追悼の問題性や天皇制の問題などは視野にない。前著『靖国神社』を読んでもそれに気づかず、靖国解体企画で講演依頼をして断られたことがあったが、今ならそれも理解できる。ああ、僕たちのなんと間抜けなことよ!

僕が一番気になったのは軍役夫たちの存在である。戦争は軍人だけで行うものでないことは、イラク戦争時にもクローズアップされた。軍夫、夫卒、傭人夫、雇員、傭人、馬丁、従卒、工夫等々と様々な呼び方をされた人々は、アンダークラスである僕の隣人、同僚たちだ。徴兵されずとも貧困層は戦争動員からは逃げられず、挙句「手段を選ばず利益を得ようとして参加」と死後も蔑まれる。それは僕たちの未来の姿でもあるのだろう。彼らのことをもっと知りたいのだが、研究書などあるんだろうか? これから調べてみようか。

次回は橋川文三『ナショナリズム』(ちくま学芸文庫)を読む。

(加藤匡通)

【集会報告】終わりにしよう天皇制 2018 大集会&デモ

一一月二五日、千駄ヶ谷区民会館で「終わりにしよう天皇制 2018  11・25大集会&デモ」が開催された。主催は〈終わりにしよう天皇制! 「代替わり」反対ネットワーク〉(おわてんねっと)。首都圏の、それぞれに課題を持ちながらも天皇制の問題を継続的に考えて来たグループが、これから一年、天皇の「代替わり」について議論し、行動をつくり出そうと集まってできた。構成メンバーは昨年以来、緩やかに共闘し続けてきた仲間たちで、反天連も参加している。これはその結成お披露目集会だ。

集会は、第一部、コント「忘れられないあの娘」と、栗原康さん講演。コントは昨年も登場した気鋭の「芸人」。今回は声の新人も。栗原さんの講演「みんな天皇制がきらい」は、「大正時代」の天皇制批判として、金子文子や朴烈、大杉栄、幸徳秋水などの言葉を紹介しながら、当時の天皇制・反天皇制の思想について語られ、象徴天皇制論にいきつく。当時の思想が、現代社会にも通じる部分も少なくなく、この変わらなさは恐い。

二部は「野戦之月」有志の会による芝居で幕開け。野戦之月が屋根・壁・床に囲まれて公演。そこは暗い皇居の「お堀」端か。河童に連れてこられた車いすの男と、そこに現れる怪しき者たちとの会話。会場はすっかりテントと化した。「野戦之月」とはおそらく一〇年ぶりのコラボで、嬉しい。

そして「3分で反対!天皇制」。東京琉球館の島袋マカト陽子さん、反五輪の会のいちむらみさこさん、女たちの戦争と平和資料館から池田弓子さん、即位・大嘗祭違憲訴訟の会から桜井大子が次々に発言。まるで数本のコラムを一気に読まさられた感。それぞれのテーマは切実で、凝縮された時間であった。最後に、おっちんズによる「元号やめよう」と「天皇制はいらないよ」の歌。元気倍増でデモ出発。

朱に金色の龍踊る縦断幕と旗やプラカード。原宿・渋谷の街に「終わりにしよう!天皇制」の声を響かせた。

(大子)

【集会報告】東京育樹祭反対行動

一一月一七・一八日、皇太子出席のもと、東京育樹祭が江東区の海の森公園予定地(一七日)と、調布市の武蔵の森総合スポーツプラザ(一八日)で開催された。 

いわゆる天皇「三大行事」として植樹祭が毎年行われているが、天皇が植樹した地域を皇太子が訪れ、「お手入れ」をする儀式が育樹祭(全国国土緑化機構主催、林野庁後援)。今回のそれは、一九九六年の東京植樹祭に対応するものだ。今回「お手入れ」は海の森でおこなわれたが、五〇〇〇人規模の記念式典は、なぜか植樹祭とは関係のなかった武蔵の森総合スポーツプラザで行われた。

首都圏で反天皇制の共同行動をとりくむ「終わりにしよう天皇制!『代替わり』反対ネットワーク」(おわてんねっと)のメンバーは、朝七時に式典会場に続く京王線飛田給駅前に集合し、ビラまき情宣を行なった。

式典開始は一〇時。にもかかわらずこんなに朝が早いのは、一般参加者は厳重なボディチェックを受けるために朝八時に集まることになっているからだ。つまりは、天皇警備のあおりでもある。

一一人が集まり、横断幕を広げてハンドマイクでアピール。最初はほとんど人が通らなかったが、しばらくして明らかに市民の一般参加者がぞろぞろと通っていく。ビラの受け取りは悪くなく、一時間ほどで三〇〇枚近くがはけたが、反対運動の存在を想定していないためか、ビラを見てぎょっとした顔をした人もちらほら。

事前に想定していなかったのは権力の側も同じだったようだ。情宣を始めてしばらくすると、七、八人の私服がわらわらやって来て、写真を撮ったりしていたが、とくに介入はなかった。こいつらは、行動の終了後駅を移動して休憩のために入った店の近くまでついてきて、解散するまで監視していた。

なお、その日の午後、朝のビラまきに参加していたAさんが所用で近所に出ると、たまさか皇太子が通るという。立ち止まって眺めていたところ、二、三〇人の私服に二重三重にとり囲まれて封じ込められてしまった。ちなみに、式典会場から東宮御所に帰るためには遠回りになるコース。どこで寄り道をしてたのか。皇太子の車が通り過ぎてようやくAさんは「解放」された。

天皇・皇族が行くところ、常に人権侵害が繰り広げられるのだ。

(北野誉)

【学習会報告】菱木政晴『市民的自由の危機と宗教―改憲・靖国神社・政教分離』 (二〇〇七年、白澤社)

著者によれば、近代国家による戦争と宗教が交錯するところに「国家神道」は存在する。したがってその「国家神道」には仏教等も内包されている。かかる「国家神道」への対抗的措置として戦後に規定されたのが政教分離と信教の自由にほかならない。そもそも共同体と宗教は不可分であり、近代国家という共同体もまた何らかのかたちで宗教に関わらざるをえないと著者は言う。近代国家とそのかたちをとらない共同体の相違は(総動員)戦争であり、日本では戦争のために「国民」を動員する宗教として「国家神道」が存在し、靖国神社がその装置としての役割をかつて果たした。そしていまもなお忠魂碑などとともにそのような顕彰施設は動員の装置として潜在している。どういうことか。それは戦争による死者を天皇の軍隊として選別し、「英霊」として合祀をすること、つまり戦争に役立った名誉の戦死として暴力的に死者を意味づけることで、その死者には「名誉」を、その死者の周囲には「敬意と感謝」を与え、来たるべき戦争のさいに人の生死という非日常的なものを受け入れやすくさせると同時に、社会統合機能を果たす装置として温存されているということである。政教分離と信教の自由をめぐる訴訟とは、したがって、戦争への抵抗でもあるということだ。

死者というもはや語ることができない、あるいは語れない存在との超越的なコミュニケーションの方法と死者への意味づけを自由に選択できることが信教の自由であると著者は述べている。かかる意味で天皇制軍国主義を賛美する靖国神社や忠魂碑が「戦争に役立った」という物語によって死者を選別して意味付けをし、強制的に合祀をするのは信教の自由に反するのである。

しかし、そのような顕彰施設はそれ自体としては「宗教」としての機能はもち得ない。信仰されることではじめて「国家神道」の装置になる。そのさい、著者が問題にするのは宗教的なものに対する無自覚さ、著者の言葉をつかえば「漠然としたものへの尊重」、つまり宗教への情緒的態度である。それはその情緒にうったえかける意味付けをされれば足をすくわれる態度であり、その情緒を共有しない者たちへの排他的態度にもなる。そのタブー意識による信仰対象の行いは思考停止的に受け入れられ、社会統合機能を果たす。これは天皇崇拝=「天皇教」につながる問題でもあろう。宗教性への無自覚さが、このような宗教を支えているのだ。意識されない所与のものとして自然化された宗教意識を脱自然化させていくこと。つまり、宗教として意識されていない諸々のものを「宗教」として名指し、社会的に自覚させていくこと。政教分離と信教の自由をめぐる闘いとは、そのような過程でもあるだろう。そしてそれは、「漠然としたものへの尊重」の対象である天皇制と靖国を解体するプロセスでもあるのだ。

次回は赤澤史朗『戦没者合祀と靖国神社』(吉川弘文館)を読む。

(羽黒仁史)

【集会報告】「明治150年」記念式典反対銀座デモ

政府の記念式典を翌日に控えた一〇月二二日夕方、日比谷公園霞門において、「明治150年」記念式典反対デモが反天皇制運動の一日実行委の主催で行われた。

二三日の政府主催の記念式典は憲政会館で行われた。しかし一九六八年の「明治100年式典」と比べると、規模もはるかに縮小され、三〇分たらずの式典で、天皇の出席もなかった。共産党、自由党、社民党議員も欠席するような式典。メディアも書いているが「代替わり」を控えて、「政治利用」との批判をかわそうとしたからではないか。

実行委の主催者発言は、「明治一五〇年」とは近代天皇制国家の歴史に他ならず、アイヌ、琉球に対する併合に始まる植民地支配と侵略戦争の歴史である、にもかかわらず「明治の精神」の「健康さ」をうたいあげる一五〇年キャンペーンの欺瞞性を批判した。

続いて、二〇日に、明治一五〇年への批判も含めて、3・1朝鮮独立運動一〇〇周年キャンペーン集会に取り組んだ「日韓民衆連帯全国ネットワーク」、一一月二五日に「終わりにしよう天皇制 2018大集会&デモ」を準備している「終わりにしよう天皇制!『代替わり』反対ネットワーク」、二三日当日に渋谷でのデモを計画している「反戦・反天皇制労働者ネットワーク」の連帯発言を受けて銀座デモに出発。

デモに対する右翼の妨害は、さほど大きなものではなかったが、外堀通りに出る手前で先頭の横断幕を奪おうとする右翼が突入してもみ合いとなった。横断幕が奪われたりけが人が出たりということはなかったが、鉄製のポールが破損させられた。また、デモの人数並みの大量の公安、過剰な警備が目立った。

デモ終了後、新宿区の公園規制をはじめとするデモ規制反対に取り組む「デモ・集会ぐらい自由にやらせろ!」実行委からのアピールを受けた。この日の行動でも、日比谷公園の管理事務所は、デモに対するさまざまな規制を条件付けてきた。こうした問題も、運動圏においてひろく共有されていかなければならない。参加者は六〇名だった。

(実行委/北野誉)

【学習会報告】安丸良夫『近代天皇制像の形成』 (一九九二年、岩波書店)

今回(九月二五日)は標記の本を取り上げた。

この本は、近代天皇の絶大な権威がどのように作られたかと問い、それは天皇自体からよりも、天皇の権威を必要とする人びとが作ったのだと答える。本書の論理は次のようだ。幕末・維新期に、支配権力樹立に向かう国家指導集団及び自らの指導する村落に秩序を取り戻したい村落指導勢力は、この時期、内外から迫る体制の危機に面して、おりから社会全体に拡がる民衆の民俗信仰世界が持つ反秩序のエネルギーを鎮圧し、秩序の諸原理に沿って編成替えする必要があった。このとき先頭に立たされるのが、秩序の根源と想定される天皇、国体の権威である。彼らはこれを作られるべき国家の文明化の方向に結びつけ、これをもって「愚民」の反抗のエネルギーを国家にとってのエネルギーとして吸収するのだ。

こうして近代天皇制は国民的に受容される社会的基盤を得、超越的な権威として働く。しかしそれは内に包みこんだ民衆の本来反抗性をもつエネルギーとの矛盾を潜在させることになり、現代にまでわたって反天皇制の契機がここに求められることになる。

著者のこの見方に対して、近代全体を通じて観察されるべき近代天皇制形成過程を明治維新期だけで考えることの無理、幕末期民衆意識の受動性だけでなく、その後それが能動化していく先で国体観念が待ち受けていたのではないか。民衆の生活世界に本来反天皇制の契機が潜在しているという見方の甘さなどが指摘され、一方で宗教界を国家につなぎとめるため、社会文明化の片棒をかつがせ、また憲法秩序に「信教の自由」、裏返せば国家神道が盛り込まれるという考えに興味が示された。また一九七〇年代ころ本書の著者に対し若い知識層の一定部分が関心をもった理由なども語りあわれた。

次回(一〇月三〇日)は、菱木政晴『市民的自由の危機と宗教―改憲・靖国神社・政教分離』(白澤社)

(伊藤晃)