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【学習会報告】黒田久太『天皇家の財産』(三一書房、一九六六年)

 近代天皇制の経済的面については、研究文献の少なさもあって、私たちは知っているようで知らないことも多い。本書は古い本だが、当時調べられるだけの資料に当たり、事実追跡を主眼にしたと著者が言うだけに、今日でもずいぶん役に立つ本だ。明治国家指導層が憲法制定に当たって、国家の根幹への議会の関与を極力せばめる意図から国家財産のある部分に皇室財産の形をとらせて不可侵化させ、元来私的資産をほとんど持たない皇室を巨大な「財産家」たらしめたこと、この皇室財産が株式・国債の運用益と広大な山林経営の収益によって一九四五年まで抜け目なく蓄積され続けたこと、が本書からよくわかる。

 報告は戦前に関する記述の紹介を主とし、戦後憲法下の皇室経済については私たちも従来比較的よく知っているから簡略になされた。しかし戦前と戦後では状況は一変しているが、いくつかの本質的な面で継承性があることは討論でも問題になった。皇室財産はほとんど固有財産に移されたが、国から皇室への供与・貸与(と言っておく。皇居など)に対して、厖大な公的行為にかかわる経費をも含めて、国会(人民)の関与は微弱であること、戦前の皇室財産は国家が自分の目的から設定したもので、その収支に皇室自身の恣意性が働く余地が狭かったが、それは戦後も続いていて、与えられた経済生活の埒をあまり自身で越えようとしない(他国王室に比べて「自由度」が小さい)らしいことなど。

 本書は戦後天皇制が権力と自立的経済力を失ったことで形骸化の方向に進むと見ているようだが、この点は私たちは賛成できない。戦後天皇は支配集団の一体性の柱、国民意識安定の支えとして、こんにちも重要な政治的存在でありつづけているのだ。

 次回は小菅信子『日本赤十字社と皇室』(吉川弘文館)を読む。

(伊藤晃)

【集会報告】「紀元節」と「天皇誕生日奉祝」に反対する連続行動報告

 二月一一日(木)、反「紀元節」デモ。九〇名を超える参加者とともに早稲田のキリスト教会館で簡単なデモ前集会を行った。3・1東京集会(2・27)・新宿キャンドルアクション(3・1)、おことわリンク、即位大嘗祭違憲訴訟、アクティブ・ミュージアム(wam)の四団体からアピールをもらい、「なくせ!建国記念の日・許すな!靖国国営化 2・11東京集会」からの連帯アピールと集会宣言を読み上げてデモ出発。アピールではいずれも深刻な課題が提起された。

 デモは高田馬場駅付近の戸山公園の手前で解散。警察による規制線が張られていたため、右翼の騒音は集会会場には響かなかったものの、コース要所の交差点には街宣車が待ち構え、機動隊に取り押さえられたり、日の丸を振りながら執拗についてくる右翼も少なくなかった。やや肌寒く感じたが、われわれの熱気はそれを上回った。

 二月二三日(火)、文京区民センターで「天皇誕生日」奉祝に反対する集会。八七名の参加があった。「『天皇代替わり』とは何であったのか――再定義された象徴天皇制」と題して、天野恵一、桜井大子、北野誉の三人の発題のあと、集会参加者との討論を行なった。

 近代以降初めての「譲位」により上皇、天皇、そして昨年11・8の「立皇嗣の礼」で、次期天皇の座についた秋篠宮による、権力の三つ巴状況を指摘し、宮内庁発表の新年の天皇家写真の変遷から、傍系に流れる皇位と、女系・女性天皇の可能性を批判。活発で有意義な意見討論が行なわれた。最後に「3・11を反天皇制・反原発の日に!」集会、「やめろ敵基地攻撃大軍拡」3・27集会、おことわリンクからのアピール。

 神武天皇の即位日とされる2・11と、徳仁の誕生日である2・23の近接は、否応なく「万世一系」を想起させ、「国民」に祝賀を強制する。これからも共に声を上げ続けよう。

(黒薔薇アリザ)

【今月のAlert 】反天皇制の闘いは持続します!  4/28─29の連続行動に参加を

 私そして私たちが反天皇制運動連絡会として活動を開始した八〇年代は、経済の好況を背景に、この日本社会の全般が『ジャパン・アズ・ナンバーワン』であるかのような夜郎自大の国家意識が、かなり広く覆っていたはずだ。しかし、その時代にイメージされ志向されていたはずの公平も公正も、ミレニアム以後の「クール・ジャパン」ごっこと同様に、いまさらながらではあるが、崩壊の一途をたどっていった。

 これと同時に、八〇年代にはすでに裕仁の老化と衰弱が誰の目にも明瞭でもあり、しかも天皇の戦争責任の存在を隠蔽できないことによる歴史問題が、これに先立つ七〇年代には訪米や訪欧に対するさまざまな抗議行動や、沖縄「ひめゆりの塔事件」などの形で現れており、国家の戦争責任、戦後責任の問題もはっきりと浮上していたわけだ。
 その時期には、メディアによる天皇や皇族のイメージのウォッシングとして、「ロイヤルファミリー」を「マイホーム」意識に重ねる意識操作がしばしば登場し、天皇による戦争の扱われ方もまた、戦記物より「聖断神話」、「大元帥」より「大帝」を印象づけるものが増えていた。そのなかで、中曽根により「戦後政治の総決算」が標榜され、政治経済の大がかりな再編が進められるとともに、広い意味での裕仁「Xデー」が開始されたのだった。極右政治家によって謳いあげられる戦後「総決算」と、戦後天皇制の再構築の接合は、これを嚆矢としてその後も繰り返されることになる。

 その状況下で、反天皇制運動連絡会は、「この連絡会は、天皇制と闘う各戦線の担い手、その他多くの戦線で天皇制問題に理論的・実践的関心を抱いてきた人々、これまで天皇制批判の活動を理論的・思想的に担ってきた知識人等を幅広く結集し、運動面において、個別の闘いと全体の陣形の結合を媒介する機能を果たすと共に、天皇制を軸とした国家統合・地域統合の攻勢に対する緻密な情勢分析を行い、また理論的・思想的深化をはかることを目的として」いるとして立ち上げられた。

 奇しくも「一九八四年」の三月一日に創刊準備号を発行し、裕仁の死と明仁の「即位」による「代替わり」を経た一九九一年二月一日に第八三号を発行して、第一期は閉じられている。
 それからは、だいたい三年に一度で活動の期を閉じるということとし、以後は、「反天皇制運動SPIRITS」(一九九一年四月〜一九九四年三月)、「反天皇制運動NOISE」(一九九四年五月〜一九九七年五月)、「反天皇制運動じゃーなる」(一九九七年七月〜二〇〇〇年八月)、「反天皇制運動PUNCH!」(二〇〇〇年一〇月〜二〇〇三年一〇月)、「反天皇制運動DANCE!」(二〇〇三年一二月〜二〇〇六年一二月)、「反天皇制運動あにまる」(二〇〇六年一二月〜二〇〇九年一二月)、「反天皇制運動モンスター」(二〇一〇年一月〜二〇一三年二月)、「反天皇制運動カーニバル」(二〇一三年三月〜二〇一六年四月)、「反天皇制運動Alert」(二〇一六年六月〜)と続けて、今号では通巻四三九号となる。機関紙発行だけでなく、これにかつて発行した機関誌『季刊 運動〈経験〉』や、運動の折々に発行したニュース、報告集その他の刊行物なども多く、個人的には時期により活動歴の濃淡があるのだが、全体的にはそこそこに生産的であったはずだ。

 天皇制国家のレンズを通すと、「戦争は平和である/自由は隷属である/無知は力である」という、呪われたオーウェルの「ニュースピーク」が伝わってくる。神道は宗教ではなく、天皇制は「権力」ではなく「権威」そして「国民の総意」である、天皇は「慈愛」で「国民を統合」する、「生まれによる差別」はなく、経済格差は「多様性」であり、ヘイトや暴力は「民族の癒し」である……。
 これらに抵抗し、私たちは、このかんの活動を通じて、「反天皇制」という課題と、さまざまな闘いや理論的実践的課題とを突き合わせ、新たな視野を拓く努力を持続してきた。そして多くの人びととつながる理路を模索してきた。
 予告してきたように、反天皇制運動連絡会は、裕仁の代替わり、明仁の代替わりを闘ってきて、この一〇期をもって閉じ、解散する。
 とはいえ、私たちのそれぞれが分け持つものは、これからもつながりつつ革まっていくことになる。反天皇制運動連絡会の活動の、その期ごとの課題に向けた「結束」としてではなく、内外から「ハンテンレン」と呼ばれてきた何ものかも含め、積極的な価値が、よりはっきりと現れるよう力を尽くしたい。

(蝙蝠)

【巻頭コラム】

 本紙最終号を迎え、天皇制というやつは一体全体この社会にとって何なのだろうと、あらためて思うのだった。それは支配者の側の、ではなく、多くの人々にとって。

 反天皇制の運動の、そこはかなめなのだとも思うが、運動の立論の多くは、支配の側にある天皇(制)分析であったように思う。反天連はそれらを明らかにし、伝えていくことで、社会悪としての天皇制を暴き出してもきた。そのことによって、多くの人々にとっての天皇・天皇制も見えてくるはずでもあった。だけど、天皇制反対の声は30年前よりも大きくなっているかといえば逆だ。心穏やかではないままに最終号だ。

 天皇も天皇制も、微妙に、あるいはドラスティックに進化しながら、この社会を下から上から押さえ込んでいる。この社会体制を「支えている」のだ。しかし、この社会の生き難さや理不尽さへの反発は、天皇や天皇制へとは向かわない。まったくうまくできたシステムだ。

 手足を縛られる者に見えるのは、目の前の小さな権力者だ。苦境を強いられれば強いられるほど、その小さな権力者だけが見えてくる。その上にいる少し大きな権力者、ましてやそのトップにある者との繋がりを手繰り寄せるのは難しい。小さな権力者が君臨する、家や学校、職場や組織、地域。人がそれぞれに生きる現場と、その小さな社会を動かすシステム、そしてそのシステムを操る力をもつ者たち。そこにはたくさんの天皇制との接点があるのだが、なんとも見えづらい。

 それでも私たちは、書物から小さなリーフレットから、あるいは文京区民センター等の公共施設や公園、街頭や飲み屋、はたまた芝居小屋や音楽シーン等々で、そういった接点を共有してもきた。そのなかに本紙も加わっていたなら嬉しい。「伝える」にはさまざまな形がある。運動にも。諦めず生きていきたい。みなさまもお元気で。そしてこれからも、ともに。

(桜井大子)

【月刊ニュース】反天皇制運動ALERT 57号(2021年3月 通巻439号)

 

反天ジャーナル ◉ (たけもりまき、忘れられし猫・でした、北)

状況批評 ◉ 「代替わり」による象徴天皇制の再定義(天野恵一)

ネットワーク ◉ 馬毛島基地建設のための環境アセス即刻中止、南西諸島の軍拡をここから止めよう!(和田香穂里)

太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈129〉◉ 「お召列車」列車爆破計画から、ほぼ半世紀の歳月が流れ……(太田昌国)

野次馬日誌

集会の真相◉「紀元節」と「天皇誕生日奉祝」に反対する連続行動報告/wamセミナー 天皇制を考える(第二回・第三回)/「日の丸・君が代」の強制を跳ね返す!神奈川集会とデモ/孫基禎(ソン・キジョン)さんは《日本の》金メダリストか!?/「私たちに王はいらない!」タイの場合、日本の場合報告

学習会報告◉ 黒田久太『天皇家の財産』(三一書房、一九六六年)

反天日誌

集会情報

 

前号の目次はこちら

*2021年3月2日発行/B5判14ページ/一部250円
*模索舎(東京・新宿)でも購入できます。
http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

【学習会報告】遠藤興一『天皇制慈恵主義の成立』(学文社、二〇一〇年)

 皇室はいつから福祉に関わるようになったのか。赤子である国民に、国父として恵みを垂れる家族的天皇像は、いつから国家に利用されるようになったのか。本書はそうした疑問に答える数少ない研究の一つだ。

 近代国家成立にともない、西欧の立憲君主制に範をとり、王政復古の名で儒教的倫理観を国民に強いた日本帝国にとって、慈恵主義は、上は下に慈恵をもたらし、下は上に忠誠を尽くすという重要な相互的演出の一つだった。貧窮者に慈愛(charity)を施すことは、王室の高貴な義務(noblesse oblige)であり、国家がそれを制度化することは、国民の支持や恭順(pietët)を得るうえで重要なことだった。

 内廷費と、国庫を通さず、天皇家に直接納められた日清・日露戦役の莫大な賠償金は、国家や社会ではなく、篤志家天皇による地震、噴火、風水害、火災時の恩賜、下賜金となり、福祉財団や罹災救助基金として制度化された。

 光明皇后の施薬院、悲田院の前例にあやかり、日本赤十字社設立に尽力した美子(昭憲)、病気の夫を支え、救癩事業に心を寄せた節子(貞明)、福祉施設を巡啓した良子(香淳)らは、彼らの大葬時の下賜金によって、死後も模範的な「国母陛下」像を演じてきた。東京慈恵会病院の総裁は代々女性皇族が就任している。

 その仕組みは、GHQにより皇族財産が整理された戦後も続く。ヒロヒトの全国巡幸にはじまり、皇族は福祉施設利用者に温かい言葉をかけ、その庭にはお手植えの樹が並び、「仁愛」を可視化した。明治四四年に設立された恩賜財団済生会の現総裁は文仁だ。

 皇室による福祉や罹災民への寄付、慰問、ねぎらいは中々批判しづらい。しかし、その金がどこから出たもので、近代以降どのように国家とマスコミにより演出されてきたかを理解すれば、その偽善性は浮き彫りになる。そして何より、ともすれば社会的弱者に憐憫や同情の眼差しを向けてしまう、われわれ自身の内なる慈恵主義、パターナリズムに気づかせてくれる良書。

 次回は、本書にもたびたび引用された黒田久太『天皇家の財産』(三一書房、一九六六)を読む。

(黒薔薇アリザ)

【今月のAlert 】新型コロナ下の天皇制の変容 2.11─28行動への参加を!

 「GoTo」やオリンピックにこだわったあげく、新型コロナの感染拡大を招いた菅政権は、人びとの生命と暮らしを守るための医療や生活への具体的な支援や補償を拡大するのではなく、一般的な感染防止の呼びかけや飲食店などへの休業要請に終始し、さらなる感染拡大を招いてきた。そればかりではない。「新型インフルエンザ等特別措置法」などの「改正」にあたって政府は「違反者」への刑事罰や公表など、「人災」ともいうべき政治の破綻を、強権的に個人に責任転嫁するかたちで取り繕おうとしている。懲役や罰金などの刑事罰は、自民党と立憲民主党の合意によって、行政罰である「過料」に変更されたが、その本質は変わることはない。罰則によって感染症に対応しようとする政策は、人権侵害を伴い、そもそも感染症の拡大防止にも逆行すると、医学界や大手マスコミをはじめ、批判の声が強まっていたが、当然だ。

 人びとの怒りは、菅政権の支持率急落につながっている。こうした状況は、社会の流動化をもたらさざるを得ない。こういう時こそ、「国民統合の象徴」たる天皇の出番となるはずだが、新型コロナウイルスは、天皇一族にとっても危険な存在だ。もちろん、ウイルス感染は、天皇も「国民」も、平等にふりかかる災厄ではない。彼らが享受している手厚い医療体制や、まったくもって密ではない居住環境などからしてもそれは明らかだろう。それでも万一のことがあっては大変なのだ。ただでさえ、天皇のスペアは少ない。

 新年の一般参賀に続き、天皇誕生日の一般参賀も中止になった。新春の「天皇一族の写真」も、核家族単位で別々に撮影されたものが発表されるほどである。明仁・美智子のような「平成流」を展開する余地はなく、新年のビデオメッセージやら、オンラインでの「行幸」を模索してはいるものの、いまひとつしょぼく、盛り上がりに欠ける。

 これらのことは、「新しい時代」の天皇制にとってのジレンマだろう。明仁自身が定義して見せたように、天皇という存在が「国民」の前に現前(プレゼンス)し続けることは、象徴天皇制存続のための肝なのだ。だから「コロナ後」、あるいは「コロナ状況下」の天皇制の再定義をめぐって、さまざまな「試み」は続けられるはずだ。

 私たちは、いま、2・11「紀元節」と、23「天皇誕生日」に対して反対する行動を準備している。神社本庁や日本会議などの右派グループは、例年二月一一日に「奉祝式典」を開き、青山通りで「奉祝パレード」をおこなってきた。ところが今年は、パレードは中止となり、式典も主催者と賛助団体の代表者のみの小規模なものにとどめるという。

 だが、もちろん私たちは、例年通り2・11には街頭に出てデモを行い、23には討論集会をもつ。新型コロナは心配だが、無理のない範囲で、自律・自衛しつつ行動に参加して下さい。

     *

 ここで、大事なお知らせをしなければならない。反天連は、第一一期を呼びかけることなく、この四月に正式解散する。毎月発行していたこのニュースも、通常号としては次の三月号をもって終刊となる(その後、特別号の発行を予定している)。

 反天連は、「昭和Xデー」との対決をめざして一九八四年に結成され、「Xデー」過程が一段落した一九九一年からは、三年を目処として解散・再結成を繰り返してきた。第一〇期は二〇一六年六月から始まったが、この段階で、とりあえず期間は三年とするが、次期の「Xデー」が近いことを考慮し、その際には「Xデー」過程終了まで活動を持続して区切ることを内部的に申し合わせていた。実際、あのような形で「天皇代替わり」が始まり、首都圏の仲間たちとともに、私たちも反対運動を走り抜けることになったが、昨年一一月の「立皇嗣の礼」をもって、それも一区切りついた。

 短いとはいえない関わりの中で、事務局メンバーのそれぞれが置かれている状況も変わり、これまでの活動のスタイルとは異なる運動の可能性も模索されていかなければならない。もちろん、反天連は解散しても、個々のメンバーは今後も反天皇制運動をはじめ、さまざまな運動に関わり続けていくだろう。なにより、天皇制のあり方自体、変容を続けているのだ。自分たちのできうる範囲で、新たな課題と結び直しをめざす試みを、私たちもまた続けていく。

(北野誉)

【月刊ニュース】反天皇制運動ALERT 56号(2021年2月 通巻438号)

 

反天ジャーナル ◉ (はじき豆、映女、蝙蝠)

状況批評 ◉ 新型コロナウイルス感染症に乗じてIT企業が学校を支配(北村小夜)

ネットワーク ◉ 超マイナーな「反天皇制市民1700ネットワーク」誌ご紹介(徐翠珍)

太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈128〉◉ 遠く、四世紀前のシェイクスピアの声を聴く(太田昌国)

マスコミじかけの天皇制〈55〉〈壊憲天皇制・象徴天皇教国家〉批判 その20◉ 東京オリンピック(天皇の開会宣言)まだやるの?(天野恵一)

野次馬日誌

集会の真相◉福島原発事故から10年、天皇制と原爆・原発集会/「その支出に異議あ~り!」集会 主基田抜穂の儀違憲訴訟

学習会報告◉ 遠藤興一『天皇制慈恵主義の成立』(学文社、二〇一〇年)

反天日誌

集会情報

 

前号の目次はこちら

*2021年2月4日発行/B5判12ページ/一部250円
*模索舎(東京・新宿)でも購入できます。
http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

【学習会報告】坂野潤治『明治憲法史』(ちくま新書・二〇二〇年)

 憲法を軸にして近現代日本の(政党)政治史を捉えるときに、明治憲法の時代─総力戦の時代─日本国憲法の時代として、つまり「戦前」・「戦中」・「戦後」として分けて捉えるべきだ、と言う著者は、「平和と民主主義の時代」は戦後だけでなく戦前にも存在していたのだ、「戦前」は「戦後」へと引き継がれたのだ、とも言う。ここで言われる民主主義とは、藩閥勢力が天皇大権を強くして議会権限を弱めるようにつくられた明治憲法体制の構造上の制約のなかで、選挙で当選した代議士が集まる議会の勢力配置を反映させた政党内閣の地位をいかにして確保するかをめぐる憲法解釈と諸政党の模索のことであり、平和とは軍部を縛る憲法解釈に基づいた立憲的な政治による軍部の抑制のことである。このような視点から整理された本書は、たとえばかつて天皇機関説と政党内閣の正当化、そして軍部に一定の立憲主義的な縛りを加えた美濃部達吉が、軍部・官僚・専門家を集めて政策立案をする内閣調査局と内閣審議会という「上からのファシズム」の機関の原型(円卓巨頭会議)を提唱し、議会に代わるべきだ、と主張したことを国家社会主義への転向だと指摘するなど面白い論点が散りばめられている。

 とはいえ、坂野の言う自由と民主主義の「戦前」なるものは治安警察法や治安維持法などを不問に付して議会外の自由と民主主義への実践を無視することで成り立っていると言わねばならないし、帝国主義本国が破局的な結末をむかえる日中戦争以前を「平和」だと捉えるのは、植民地主義の下で抑圧されていた人びとが常に非常事態=戦争状態であったことを忘却することでしかないだろう(まさしくこれは「戦後」に継承されるものだ)。それに立憲主義が軍部を抑制していたとしても、その立憲主義が徹底された先に果たして日本帝国主義の解体はあったといえるだろうか、と問うべきである。著者の視点はあまりに内向きすぎる。だから「戦後レジームからの脱却」を息巻く自民党に対して「誤って総力戦時代に戻らないかぎり、戦後デモクラシーから脱却すれば戦前デモクラシーに戻る」なんて言葉が出てくるのである。

 次回(一月一九日)は遠藤興一『天皇制慈恵主義の成立』(学文社)を読む。

(羽黒仁史)

【今月のAlert 】「女系」でも「男系」でも天皇制廃止だ! そして「皇女」制度を許すな!

 二〇二一年『朝日新聞』の第一報の一面は、コロナと元農水相の賄賂で埋め尽くされた。第二報(三日)も同様だ。新年早々、紙面全体のコロナ関連記事が占める割合は実に多い。昨年、運動現場へのコロナ感染拡大の影響は決して小さくなかったが、天皇たちが受けた影響の大きさを、改めてこの紙面から思う。まずは一般参賀中止で始まる二〇二一年に、天皇たちは継続する不運を感じたことだろう。

 一般参賀は一九四八年から続く皇室行事だが、新年一般参賀が中止されたのは今年を入れて三回のみだ。過去の二回は一九八九年昭和天皇Xデーの年とその翌年で、裕仁の重篤と死後の服喪が理由だった。天皇自身の都合を除き、何があっても続けてきた一般参賀は、五万から一〇万以上を超える天皇信奉者を前に天皇がスピーチする貴重な機会であり、その様子をテレビや新聞で我々に見せつける大きな天皇イベントなのだ。それを断念しなければならなかった天皇一族は、昨年からつづく「公務」の自粛の継続を予感させられたに違いない。

 初詣の記事とならび、一般参賀の様子や天皇の「言葉」、家族写真やベランダにずらりと並ぶ天皇夫婦と成年皇族たち、打ち振られる「日の丸」の小旗の波。今年はそういった映像や記事がない。天皇たちにとっては、一般参賀中止にとどまらず、コロナ禍に「配慮した」お祝いムードや高価で派手な装い(ティアラ)の自粛など、見せどころ激減の状況は続く。そして、「次善の策」としてのビデオメッセージ。一日のビデオメッセージは社会面に小さめの家族(天皇・皇后・愛子)写真付き記事。三日の「新年祝賀の儀」の記事はさらに小さめで写真なし。天皇報道が比較的多い『朝日』でさえ、記事はこれだけであった。それでも十分すぎるとは思うが。

 メッセージでは、「皆が互いに思いやりを持って助け合い、支え合いながら、進んで行くことを心から願っています。(中略)我が国と世界の人々の安寧と幸せ、そして平和を祈ります」と述べる。「民主的痛覚」(伊藤晃)というのをマジで感じさせる天皇のセリフで、同様の言葉は何度も聞くが、その度に呆れかえり怒りがわく。天皇の「願い」や「祈り」とは無関係に社会は動いているのだ。たとえば、寒風吹きすさぶ路上で年越しを余儀なくされている人たちを支援する人々は、天皇に示唆されて動いているわけではまったくない。しかも天皇一族は、年末年始であぶれ路上で過ごす人たちの、寒さや悲しさや無念さとは無縁のところで生きている。あるいは、医療・保健・福祉の現場だけでなく、危険と隣り合わせだったり、理不尽な条件下で働く人たち、独居老人、一人親、失職した人たち等々の過酷な現実を知る必要もない。天皇・皇族がその「血統」を根拠に、国によって丁重に保護されているからにほかならない。そんな不条理があっていいはずがないし、ましてや政府や行政の無策の代償としての「お言葉」や「公務」を担当する国家機関は百害あって一利なし、なのだ。

 一方、新聞は大きく紙面を割いて「おひとりさま」記事や養子縁組の家族物語など、婚姻や「血の論理」とは別の選択肢を肯定的に扱う記事を組んでいた。明らかに天皇制の論理とは別方向の紙面づくりで、興味深い。読者の多くはそのような記事を望んでいるということだ。

 ほんの少し遡り、昨年末に向けては眞子の結婚話と秋篠宮の親父発言、そして皇位継承問題として政府が指し示した「皇女」制度問題でメディアはそれなりに沸騰していた。眞子の「お気持ち」、眞子の結婚に対する批判、二四条を引っ張り出して結婚を認めて見せた秋篠宮への複雑な気分がにじむ肯定・否定論と多々あるが、まずは、そのさなかにでてきた「皇女」制度問題。

 この案は八年ほど前から出ていた。ただ、これが「皇位継承問題」の解決策にはなり得ず、あまり前面には出てこなかった。しかし今回、これが政府案として動き出しそうな気配だ。「男系男子」原則なのだそうだ。女系でも男系でも天皇制廃止、を当然の前提に、政府が構想する「皇女」制度に反対していこう。「血統」だけで特別優遇される「皇女」たち。天皇制という身分社会に、さらに特別な身分を作ろうというのだ。私たちは「『紀元節』と『天皇誕生日』に反対する2・11ー2・23連続行動」実行委でも新天皇制論議を始めている。ともに深めていこう。

(大子)