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【学習会報告】菱木政晴『市民的自由の危機と宗教―改憲・靖国神社・政教分離』 (二〇〇七年、白澤社)

著者によれば、近代国家による戦争と宗教が交錯するところに「国家神道」は存在する。したがってその「国家神道」には仏教等も内包されている。かかる「国家神道」への対抗的措置として戦後に規定されたのが政教分離と信教の自由にほかならない。そもそも共同体と宗教は不可分であり、近代国家という共同体もまた何らかのかたちで宗教に関わらざるをえないと著者は言う。近代国家とそのかたちをとらない共同体の相違は(総動員)戦争であり、日本では戦争のために「国民」を動員する宗教として「国家神道」が存在し、靖国神社がその装置としての役割をかつて果たした。そしていまもなお忠魂碑などとともにそのような顕彰施設は動員の装置として潜在している。どういうことか。それは戦争による死者を天皇の軍隊として選別し、「英霊」として合祀をすること、つまり戦争に役立った名誉の戦死として暴力的に死者を意味づけることで、その死者には「名誉」を、その死者の周囲には「敬意と感謝」を与え、来たるべき戦争のさいに人の生死という非日常的なものを受け入れやすくさせると同時に、社会統合機能を果たす装置として温存されているということである。政教分離と信教の自由をめぐる訴訟とは、したがって、戦争への抵抗でもあるということだ。

死者というもはや語ることができない、あるいは語れない存在との超越的なコミュニケーションの方法と死者への意味づけを自由に選択できることが信教の自由であると著者は述べている。かかる意味で天皇制軍国主義を賛美する靖国神社や忠魂碑が「戦争に役立った」という物語によって死者を選別して意味付けをし、強制的に合祀をするのは信教の自由に反するのである。

しかし、そのような顕彰施設はそれ自体としては「宗教」としての機能はもち得ない。信仰されることではじめて「国家神道」の装置になる。そのさい、著者が問題にするのは宗教的なものに対する無自覚さ、著者の言葉をつかえば「漠然としたものへの尊重」、つまり宗教への情緒的態度である。それはその情緒にうったえかける意味付けをされれば足をすくわれる態度であり、その情緒を共有しない者たちへの排他的態度にもなる。そのタブー意識による信仰対象の行いは思考停止的に受け入れられ、社会統合機能を果たす。これは天皇崇拝=「天皇教」につながる問題でもあろう。宗教性への無自覚さが、このような宗教を支えているのだ。意識されない所与のものとして自然化された宗教意識を脱自然化させていくこと。つまり、宗教として意識されていない諸々のものを「宗教」として名指し、社会的に自覚させていくこと。政教分離と信教の自由をめぐる闘いとは、そのような過程でもあるだろう。そしてそれは、「漠然としたものへの尊重」の対象である天皇制と靖国を解体するプロセスでもあるのだ。

次回は赤澤史朗『戦没者合祀と靖国神社』(吉川弘文館)を読む。

(羽黒仁史)

【集会報告】「明治150年」記念式典反対銀座デモ

政府の記念式典を翌日に控えた一〇月二二日夕方、日比谷公園霞門において、「明治150年」記念式典反対デモが反天皇制運動の一日実行委の主催で行われた。

二三日の政府主催の記念式典は憲政会館で行われた。しかし一九六八年の「明治100年式典」と比べると、規模もはるかに縮小され、三〇分たらずの式典で、天皇の出席もなかった。共産党、自由党、社民党議員も欠席するような式典。メディアも書いているが「代替わり」を控えて、「政治利用」との批判をかわそうとしたからではないか。

実行委の主催者発言は、「明治一五〇年」とは近代天皇制国家の歴史に他ならず、アイヌ、琉球に対する併合に始まる植民地支配と侵略戦争の歴史である、にもかかわらず「明治の精神」の「健康さ」をうたいあげる一五〇年キャンペーンの欺瞞性を批判した。

続いて、二〇日に、明治一五〇年への批判も含めて、3・1朝鮮独立運動一〇〇周年キャンペーン集会に取り組んだ「日韓民衆連帯全国ネットワーク」、一一月二五日に「終わりにしよう天皇制 2018大集会&デモ」を準備している「終わりにしよう天皇制!『代替わり』反対ネットワーク」、二三日当日に渋谷でのデモを計画している「反戦・反天皇制労働者ネットワーク」の連帯発言を受けて銀座デモに出発。

デモに対する右翼の妨害は、さほど大きなものではなかったが、外堀通りに出る手前で先頭の横断幕を奪おうとする右翼が突入してもみ合いとなった。横断幕が奪われたりけが人が出たりということはなかったが、鉄製のポールが破損させられた。また、デモの人数並みの大量の公安、過剰な警備が目立った。

デモ終了後、新宿区の公園規制をはじめとするデモ規制反対に取り組む「デモ・集会ぐらい自由にやらせろ!」実行委からのアピールを受けた。この日の行動でも、日比谷公園の管理事務所は、デモに対するさまざまな規制を条件付けてきた。こうした問題も、運動圏においてひろく共有されていかなければならない。参加者は六〇名だった。

(実行委/北野誉)

【今月のAlert】歴史認識をめぐる社会のゆらぎの中で いまこそ「終わりにしよう!天皇制」

一〇月二三日、「明治一五〇年」の政府式典が、なんともひっそりと終了した。そのころ明仁美智子は、高松宮の名を冠する賞のレセプションで、カトリーヌ・ドヌーブらと歓談して政府式典には出席せず、宮内庁は「政府から声がけがなかった」とした。昨年の早い段階から、政府や自治体レベルでは「明治一五〇年」を冠し顕彰する催しがいくつも準備されていたが、いずれも広く展開できず立ち枯れている。もはやただ忘れ去られていくだろうが、これはこの種の国家的イベントの展開として興味深い。ほぼ確実なのは、皇室〜宮内庁周辺が安倍らによる天皇利用を忌避したと思われることだ。明仁は、昭和天皇裕仁など天皇制の戦争責任に対して「敏感」に反応しながら、天皇制を中心とする歴史修正主義を推し進めてきた。その政治思想が安倍ら政権担当者たちのそれとかけ離れたものではないことは明らかだが、今回の対応は、天皇らの一種の「危機管理」ということでもあるだろう。安倍政府周辺の利権と横暴、瀆職にまみれた姿への批判が、昨年来、さまざまに噴出していることも理由として想定できる。

このかん、話題になったことのひとつに、靖国神社の宮司による「皇室批判」が露呈したことが挙げられよう。週刊誌へのリークにより、天皇・皇族による「靖国神社参拝」が裕仁の時代の末期から途絶えたことが、靖国派にとって深刻なダメージを与えており、これが恨みに近いものとまで立ち至っていることが明らかとなった。もはや明仁の靖国参拝はなく、次世代の徳仁と雅子においても「今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか? 新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?」とまでぶちまけた小堀邦夫宮司は、余儀なく辞任した。8・15や、つい先だっての「明治一五〇年」などにも私たちにつきまとった極右の暴力的なヘイターたちの、ネットやメディア上での無様な姿も目につく。これもまた、天皇代替わり状況の重要なポイントである。

しかしこれらは、天皇制や日本国家の歴史修正主義が崩壊しているということとは全く異なったことである。一〇月二五日、安倍による靖国公式参拝を弾劾して取り組まれている私たち原告団による訴訟の控訴審は、あっけなく控訴棄却された。三選して傲慢さを強める安倍への批判も、靖国神社の愚かな実態も、これには何一つ影響を与えなかった。そしてまた、一〇月三〇日の韓国におけるいわゆる「徴用工裁判」で、韓国大審院により個人請求権と賠償金支払いが認められた歴史的な判決に対する、日本国内の政府やメディアなどによる「反韓国」主張の膨大な垂れ流しは、日本国家や社会が、「好景気」という虚言の陰でどれほど社会不安と排外主義を膨らませているかを明らかにした。それはまた、中国への侵略の歴史的事実への具体的な対応はもちろん、いまだ国交すらない「北朝鮮」国家や、そこに暮らす人びととの今後の関係性をも照らしだし、私たちの今後を変えなければならないという重要かつ最大の課題を示すものともなる。

天皇制の姿は帝国憲法の「神聖・不可侵」な「統治権の総攬者」から、日本国憲法の「象徴」へと変わりながらも、その植民地主義や戦争責任はいずれも問わずに済まされようとしてきた。国家の責任を「国民」個々人に擦りつけることによって、国家や天皇、為政者や軍への憤りを鬱々と内向させてきた現実が、植民地とされた地域の人びとからの告発により、直面させられると同時に、その犯罪と歴史修正主義が根本から問われるに至ったのだ。「明治一五〇年」の内実は、やはりあらためて認識しなおされるべきであり、その先にこそ、私たちは向かわなければならない。
政府は、即位関連の日程やこれに向けた体制を策定した。天皇の代替わりをめぐる私たちの行動は、より具体的なものへと進めなければならない。私たちは、「終わりにしよう!天皇制」を合言葉に、代替わりに反対する運動のネットワークをいま立ち上げようとしている。一一月二五日には、集会を準備している。ぜひともこのネットワークへの参加を呼びかけたい。

(蝙蝠)

【表紙コラム】

10月25日、この4年半反天連メンバーも関わってきた安倍靖国参拝違憲訴訟(東京)控訴審の判決言い渡しがなされた。原告(控訴人)と弁護団の努力で、膨大な書面や意見書が提出され、法廷陳述や本人尋問などが展開されてきた。2017年4月の東京地裁岡崎判決は、安倍晋三が靖国で平和を祈ったと言っているんだから事実はそうなのだ、というまったくもってひどい判決だった。そして今回の東京高裁大段裁判長は、たった2回で審理を打ち切った挙句、岡崎判決をそのままなぞっただけの判決を下した。

裁判所の論理は、明らかに安倍の行為を正当化する政治的意図が先にあって、そこから逆算して理屈をこじつけた作文である。法廷でとばされたヤジに裁判長がマジギレしていたが、実は裁判長もその自覚があって、密かに恥じていたからではないのか。司法修習生時代の裁判長を知るある弁護士は、昔はこんなやつではなかったのに……と慨嘆していたが、まさに権力の味はなんとやら。

 30日には朝鮮高校生「無償化」裁判の高裁判決があった。こちらも大阪高裁に続いて、控訴人敗訴の不当判決。所詮は権力の機関なので、司法に幻想はもっていないつもりだが、それにしても法の法たるゆえんはどこに行ったのかと思わないではいられない。一方、韓国では、同じ30日に、新日鉄住金に対して元徴用工に対して賠償を命じる大法院(最高裁)の判決が出た。冷戦体制の下でつくられた日韓条約・日韓請求権協定の不当な枠組みに風穴をあける判決が確定したわけである。韓国における民衆運動のエネルギーは、確実に政治のありかたを変えている。これに対して日本では、政府のみならず「リベラル」とされるメディアを含めて、日韓関係を危機に陥らせる判決などと批判している。この落差。明治150年の政府式典もあったが、それこそ近代の起点から現在に続く帝国の歴史総体を問わなければならない。(北)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 29号(2018年11月 通巻411号)

今月のAlert ◉ 歴史認識をめぐる社会のゆらぎの中で いまこそ「終わりにしよう!天皇制」(蝙蝠)
反天ジャーナル ◉ ─核女、ななこ、日報でも探してろ!
状況批評 ◉ 明仁と天皇制を考える(清水雅彦)
書評 ◉ 小田原紀雄『磔刑の彼方へ──社会活動全記録(上・下)』(中西昭雄)
ネットワーク ◉ 三〇年ぶりの天皇「代替わり」──攻防線を引きなおせ(井上森)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈102〉 ◉ 東アジアにおける変革の動きと、停滞を続ける歴史認識(太田昌国)
マスコミじかけの天皇制〈28〉◉ 「放射能は安全!?」「天皇制は全ての差別の根源」ではなくなった、だって?─〈壊憲天皇明仁〉その26(天野恵一)
野次馬日誌
集会の真相◉ スポーツ(活動)の主役は誰か/緊急会議連続シンポジウム「福島とチェルノブイリ」/朝鮮半島の大転換と日本の進路/差別・排外主義を許すな!生きる権利に国境はない!/「明治150年」記念式典反対銀座デモ
学習会報告◉ 菱木政晴『市民的自由の危機と宗教―改憲・靖国神社・政教分離』(二〇〇七年、白澤社)
反天日誌
集会情報

前号の目次はこちら

*2018年11月5日発行/B5判16ページ/一部250円
模索舎(東京・新宿)でも購入できます。
http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

【学習会報告】安丸良夫『近代天皇制像の形成』 (一九九二年、岩波書店)

今回(九月二五日)は標記の本を取り上げた。

この本は、近代天皇の絶大な権威がどのように作られたかと問い、それは天皇自体からよりも、天皇の権威を必要とする人びとが作ったのだと答える。本書の論理は次のようだ。幕末・維新期に、支配権力樹立に向かう国家指導集団及び自らの指導する村落に秩序を取り戻したい村落指導勢力は、この時期、内外から迫る体制の危機に面して、おりから社会全体に拡がる民衆の民俗信仰世界が持つ反秩序のエネルギーを鎮圧し、秩序の諸原理に沿って編成替えする必要があった。このとき先頭に立たされるのが、秩序の根源と想定される天皇、国体の権威である。彼らはこれを作られるべき国家の文明化の方向に結びつけ、これをもって「愚民」の反抗のエネルギーを国家にとってのエネルギーとして吸収するのだ。

こうして近代天皇制は国民的に受容される社会的基盤を得、超越的な権威として働く。しかしそれは内に包みこんだ民衆の本来反抗性をもつエネルギーとの矛盾を潜在させることになり、現代にまでわたって反天皇制の契機がここに求められることになる。

著者のこの見方に対して、近代全体を通じて観察されるべき近代天皇制形成過程を明治維新期だけで考えることの無理、幕末期民衆意識の受動性だけでなく、その後それが能動化していく先で国体観念が待ち受けていたのではないか。民衆の生活世界に本来反天皇制の契機が潜在しているという見方の甘さなどが指摘され、一方で宗教界を国家につなぎとめるため、社会文明化の片棒をかつがせ、また憲法秩序に「信教の自由」、裏返せば国家神道が盛り込まれるという考えに興味が示された。また一九七〇年代ころ本書の著者に対し若い知識層の一定部分が関心をもった理由なども語りあわれた。

次回(一〇月三〇日)は、菱木政晴『市民的自由の危機と宗教―改憲・靖国神社・政教分離』(白澤社)

(伊藤晃)

【集会報告】PP研連続講座 東京オリンピックと『生前退位』

九月一五日、ピープルズ・プラン研究所(PP研)主催の〈「平成」代替わりの政治を問う〉連続講座第七回が開催された。この回のタイトルは「東京オリンピックと『生前退位』──ナショナリズム大イベントがねらうもの」。問題提起者は、宮崎俊郎、小倉利丸、天野恵一と、本紙ではお馴染みの顔ぶれだった。

宮崎さんからはオリンピック反対運動の視点に立った問題提起。オリンピックが「平和の祭典」と観念されることによって、監視社会、ナショナリズムなどがオリンピック招致・開催によって醸成・強化されている現実を批判させない社会が作り上げられていることを、具体例をあげながら指摘した。いま話題となっているボランティアについては、ナショナリズム批判の視点から「ボランティアとして国家行事に動員していくことに意味がある」ことへの批判の重要性を語った。この間の反オリンピック運動についてのまとまった報告も。

小倉さんは、「明治一五〇年」の断絶と継続という問題提起から始まり、この国のありよう──ナショナリズム、戦争、「日本人」、天皇制等々について言及。そして、国や「国民」の虚構性と、そこによって立つ「日本人」というアイデンティティ、その虚構をベースにしたナショナリズムへと話は進む。オリンピックの問題は国別という枠組自体にあること、敵・味方意識の再生産をとおして「国民」「国家」に収斂していくイデオロギー装置があり、国際スポーツは「平和」を装いながら戦争の感情を正当化すると批判。

最後に反天連の天野から。先のお二人の話の共通点としてあった、オリンピックと天皇制のもつタブー性(批判を許さない)という共通性の指摘を受けて、一九九七年の長野冬季五輪反対運動の経験から問題提起。オリンピック批判の記事に入れた、天皇を揶揄する形で描かれた挿し絵(貝原浩の漫画)が掲載不可となり争った経験など紹介した。

その後の議論も大いに盛り上がった。

(反天連/大子)

【紹介】反天連パンフ『Alert!!! 「代替わり」状況へ』

今年の七月末に行われた、PP研の連続講座「平成代替わり」で、私も報告者の一人だった。私が担当したのは「昭和Xデー」に対する反対運動の体験・経験について。最後の方で、これらと比べても、現在進行形の「平成代替わり」に対するたたかいは、様々な点で困難である(周知のことではある)ことを述べた。とてもあの時のような人々の結集はできないだろうということなのだが、では、どうするのか、どう考えるのか、ということになる。私が最後に述べたのは、「(極)少数派たらざるを得ないのは以前から分かっていたこと、反天の闘いは、どんなに小規模になろうが必要なデモをやり続けること、何が問題なのか、たえず、また、ポイントごとに、声明やアピールを発し続けること、それが長い目でみても意義・意味を持つであろうこと……」というようなことで、結局、「現在の反天連がやっていることがまったく正しい」と結論づけた。まあ、「内輪ぼめ」かも……。

今年八月一五日に発行された本パンフは、反天連の久しぶりのパンフ=最新のパンフで、機関紙”ALert”の二〇一六年七月号から一八年四月号まで掲載された「主張や見解」、天野恵一の連載「マスコミじかけの天皇制」が収められたものである。初めの数か月は、「アキヒト退位表明」から始まった「代替わり過程」への衝撃が、色濃く反映されている。にもかかわらず、このことの意味するもの=問題点を的確に指摘しているのは、「さすが」である。

アキヒト(+ミチコ)の目指した「再定義されるべき象徴天皇制」と安倍右翼政権の思惑の違いがリアルにわかる。退位=禅譲・譲位の自由権を確保しようとする(皇室典範改正?)アキヒトらと、憲法上の「建前」等をもって「一代限りの特例法」で対処しようとする政府。そのいわば「せめぎあい」の中で、実際の「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が制定(挙国一致!?)されていく。一つの肝は、特例法でありながらアキヒト以降の「退位・禅譲」も可能としている点であろう。「象徴天皇制は私たち(皇室)のもの」という「意向」に、安倍らが「妥協」せざるを得なかった、と推測される。背景にあるのは「退位意向」に対する「多数の国民の同情・共感」がある、としていることだ。このことはある意味、アキヒトの目指したもので、まるでどこかの商店か同族会社の高齢の社長が引退して「ご隠居」となり、息子にその地位を譲る、という話であるかのようにして、庶民的な「共感」を得ていくことに成功した、といえる。政治的権能は有していないとしても象徴天皇は現憲法に規定された「国家機関」である。従って、退位・禅譲は表明したアキヒトの政治意志である。そのことにより新たな法律が創られるということは明確な「政治権限の行使」で、「憲法違反」。その問題をクリアする手段として使われているのが「国民多数の共感(総意ではないぞ)」で、これは象徴天皇制を永続させようとする、最強の武器、である。本パンフでは、ここらの違憲性や問題点を暴き出しているが、ほとんど「黙殺」される極少数派。さらに「国民の共感」は、安倍政治を批判する人々に、それに対抗しているアキヒト・ミチコへの期待・賛美という倒錯を、広範に生み出している。

本パンフ全体を通しての、もう一つの大きなテーマは、反天皇制運動が直面している「民主と人権諸運動」における「代替わり問題」の無視・軽視、反天課題「持ち込み」への警戒感、アキヒト賛美傾向等々をめぐってである。昭和Xデー闘争のような広がりをもちえない(だろう)という、予測の根拠でもあるが、ここは要するに「原点に立ち返って」構想と展望を考えていく、ということしか、ないと思う。まあ「少数派根性」といわれてしまえばそれまでだが、反天皇制運動は、戦後日本社会において大きな大衆運動として展開されてきたわけではない。あの昭和天皇に対してさえ、それなりの大衆運動らしくなったのは、「Xデー」が近づいた八〇年代で、反天連の活動を基盤としたものであった。象徴天皇制というこの扱いにくい「政治制度」に切り込んでいった反天連、天野の努力は、今日も生き続けている。

私たちは「民主主義に天皇制はいらない」という主張を獲得し、その根拠の一つに「貴族あれば、賎民あり」という古くからの反差別思想があることをアピールしてきた。これが心ある人々に受け入れられる機会は、きっと広がる。このパンフで示し続けてきたような、主張・アピールを、今後も続けていくこと。以前にもまして役に立っていない(生産性のない!)私ですが、できる限りのことはやり続けます。 *九月三〇日、沖縄で玉城デニーが勝ってくれた。奮闘を続ける沖縄民衆に敬意を表します。

(高橋寿臣)

【今月のAlert】本当に終わりにしたい天皇制

ひたすらに嫌な話が続く中での、沖縄県知事選、辺野古新基地反対の玉城デニー圧勝。沖縄の人々による粘り強い運動が、安倍を追い詰めている。しかしヤマトはどうしてこうなのか、忙しく動きながらも、やはりじっくり考えていくべきだ。

今月も取り上げるべき課題は多いのだが、古くなりつつある杉田水脈衆議院議員の「LGBT生産性なし」発言をめぐり少し触れておきたい。『新潮45』二〇一八年八月号で、杉田議員は「LGBTのカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり『生産性』がないのです」等々を書き連ねた。杉田発言への批判は噴出・炎上し、その後援護射撃的拍車をかけた特集を組んだ『新潮45』は更に炎上。九月二一日、新潮社社長は「謝罪ではない」のコメント付きで「認識不足」等の声明を出した。そして、二五日、「このような事態を招いたことについてお詫び致します」という、誰への謝罪かまったくわからない声明とともに、『新潮45』の事実上の廃刊を発表した。

発言内容もこの幕引きも問題だが、そもそもこの手の発言がこれまで何度もくり返されていること自体が問題である。

石原慎太郎元都知事の「女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪です」、いわゆる「ババア」発言(二〇〇一年)。森喜朗元首相の「子供を1人もつくらない女性の面倒を、税金でみなさいというのはおかしい」(二〇〇三年)、柳沢伯夫元厚労相の「女性は生む機械」発言(二〇〇七年)。麻生太郎元首相の「(自分には)子どもが二人いるので、最低限の義務は果たした」(二〇〇九年)、山東昭子元参院副議長の「子供を四人以上産んだ女性を厚生労働省で表彰することを検討してはどうか」(二〇一七年)。これらは、国や都の上層部にいる者たちの発言である。そのたびに、大きな批判の声が上がり、辞任を迫られたり裁判を起こされたりしているが、発言の主は誠意のない撤回と謝罪、あるいは間違った解釈・報道であると非難し、今回は掲載紙を廃刊させて居直り続けている。提訴された石原を裁判所は、発言は「不用意」と指摘するのみで原告敗訴。司法も同じ穴の住人だ。

どうして、女はこうも「子どもを産むこと」でその価値を計られるのか。

日本国憲法第二条には「皇位は、世襲のものであつて、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」とある。その「皇室典範」第一条には「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」とある。世襲制と男系男子。そうやって継承される天皇を、この国と「国民統合」の象徴と憲法は定めているのだ。女が産むことで維持される国の制度。石原、杉田らの発言はむしろ天皇制に依拠しているとさえいえる。

しかし、杉田らが暴言・妄言を発する時、天皇制を意識していたかといえばそうでもないかもしれない。天皇制であろうとなかろうと、支配層は私たちを「民力」「国力」「人口」としてカウントし、人権なんて無視だ。「産めよ増やせよ」政策なのだ。天皇制の日本だけでなく、国家とはそういうものだろう。日本は「産む」ことに至上価値を与える天皇制という、うまい装置を持っているという話である。天皇制とは、そういう国家の思惑にそったイデオロギー装置であることを、多くの人がそろそろ気づいてもよさそうなものだと思う。しかし、杉田発言を批判し、天皇一家を愛する人々がそこに矛盾を感じていないのも事実だろう。少なくない人々は政治家・役人たちに反発するが、天皇制はいいらしい。そこに矛盾を感じないことの問題がこの社会の大きな課題なのだ。

来年五月から皇后となる雅子は、子どもを産まないことで苦汁をなめてきた。同情し応援するのは勝手だが、それでも応援して天皇制を残したければ、石原や杉田たちと同じ穴の住人とならざるを得まい。

安倍は再選し、就任早々の柴山昌彦文科相が「(教育勅語は)今の道徳などに使える」を発言。また繰り返しが始まった……。今月二三日、政府は「明治一五〇年」記念式典を開催。政府はどうあっても我が道を行くだけだ。だけど、私たちもやる。二二日は政府式典反対デモだ。二五日には安倍靖国参拝違憲訴訟控訴審判決もある。「即位・大嘗祭違憲訴訟」も準備が進んでいる。反戦・反基地・反差別の行動も呼びかけられている。一一月は「終わりにしよう天皇制」の集会。チラシ等お見逃しなく! そしてみんなで出かけよう。本当に終わりにしたい。

(桜井大子)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 28号(2018年10月 通巻410号)

今月のAlert ◉ 本当に終わりにしたい天皇制(桜井大子)
反天ジャーナル ◉ ─捨てられし猫、宮下守、橙
状況批評 ◉ あらためて裕仁の戦争責任を考える ─オウム真理教元幹部らの死刑執行で(中嶋啓明)
書評 ◉ 『ブラックボランティア』──八月の太陽のもとで(暗黒聖闘士)
紹介 ◉ 反天連パンフ『Alert!!! 「代替わり」状況へ』(高橋寿臣)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈101〉 ◉ 日米首脳会談共同声明から見抜くべきこと(太田昌国)
マスコミじかけの天皇制〈27〉◉ 天皇が「神格」をえる〈カミとなる〉儀式をめぐって─〈壊憲天皇明仁〉その25(天野恵一)
野次馬日誌
集会の真相◉ おことわリンク・映像講座/大軍拡と基地強化にNO!アクション2018集会/PP研連続講座 東京オリンピックと『生前退位』/生前退位、何が問題か 第4回 学習会 「道徳」教育に潜むもの!/天皇代替わりと民主主義の危機─関西連絡会が集会/集会・デモくらい自由にやらせろ!
学習会報告◉ 安丸良夫『近代天皇制像の形成』
反天日誌
集会情報

前号の目次はこちら

*2018年10月16日発行/B5判16ページ/一部250円
模索舎(東京・新宿)でも購入できます。
http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/