「ニュース」カテゴリーアーカイブ

【学習会報告】 加納実紀代編『女性と天皇制』(思想の科学社、一九七九年)

本書は、一九七七年一月から翌年六月までかけて雑誌『思想の科学』に連載された一八本の論文を、連載の編者でもあった加納実紀代が単行本としてまとめたものだ。もちろん、加納さん論文もある。

各論文には執筆者の生年月日が付されていて、一番の年配者は一九〇七年生まれで、次が一九一一年生まれ。ほか二〇年代八人、三〇年代五人、四〇年代二人、五三年一人。地域、世代、経験と、それぞれに異なる女性たちだ。敗戦を大人になって、あるいはそれに近い年齢で迎えた人が半分を占め、子ども時代の人を含めると大半が戦中を知る世代だ。戦中を「アカ」として過ごした人もいる。彼女たちは七七年当時、年配のお二人を除く全員が、今の私の年齢よりも若い。七七年当時、私は二〇歳で、執筆者たちと同時代を生きていたわけで、なんだか微妙な古さと近さを覚えるのだった。

敗戦から三二年後の天皇制批判は、まだ生々しい戦中の記憶から紡ぎ出されたものが多い。三二年といえば反天連の年齢よりも若く、その生々しさも理解できる。彼女たちが語り批判し否定する天皇制の内実は、家父長制であり、排除の論理であり、無責任とエゴイズムであり、貧困であり、飢えであり、教育による全体主義であり、国家であり、etc.である。そしてそれらは、自らの経験から絞り出すようにして言葉にされたものが大半だ。

学習会で初めて本書を読んだという参加者も数人。私もその一人だ。加納さん編集の本書を読んでいなかったことを少し恥じながらレポートした。その形式は、論者の言葉(文章ではない)を抜粋しながら紹介する形をとった。なぜなら、まとめることは困難であったし、むしろ、ナマの言葉を確認していくことの方が本書を理解しやすいように思えたからでもある。多くの言葉が印象に残る本なのだ。学習会でもそのような感想が多かったように思う。

ではここで問題。

「アーレタッサンカヲ イクセンリ」とは? これがわかれば年齢もバレルよ。

次回は五月二九日。テキストは君塚直隆『立憲君主制の現在─日本人は「象徴天皇」を維持できるか』(新潮選書)。ぜひご参加を!

(大子)

【集会報告】天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4・28─29連続行動

今年も4・28─29連続行動として、天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える連続行動実行委を起ち上げ(もちろん反天連も参加)、4・28集会、4・29デモを無事終了させることができた。この実行委では、三月の天皇の沖縄・与那国訪問を問う集会を開催し、大きな連続行動ともなった。協力・参加されたみなさま、お疲れさまでした!

今年の反天皇制運動の実行委員会は、明治一五〇年キャンペーンに抗していくことを一つの大きな課題として立てている。2・11行動に引きつづき、4・28集会もこの課題視点で準備を進めた。

文京区民センターで行われた講演集会の講師は湖南通さん(日本近代法史)。湖南さんは沖縄・辺野古の座り込み闘争から戻って来られたばかりで、お話はそのホットな報告から始まった。湖南さんを始め多くの座り込む人たちがごぼう抜きにされ、背中は米軍基地のフェンス、目の前に機動隊の壁が立ちはだかる空間に押し込まれ、そこはいかにも象徴的な空間で、米軍と日本警察によって作られた牢獄に入れられたようだったと、語られた。「明治一五〇年」と沖縄の歴史、現在のヤマトと沖縄の関係を象徴するシーンでもある。

講演では、琉球国が天皇制国家に併合されていく過程とその差別的な政策、その目的が沖縄を「国防の人柱」として利用することであったことなど、文献を紹介しながら詳細に語られた。そして、日本の敗戦、天皇メッセージ、沖縄の米軍統治時代、沖縄返還から現在へと続く。現在の沖縄と日本の関係、沖縄の基地問題を理解するために必要な歴史を、ポイントを絞って話していただいたのだと思う。とてもわかりやすく、批判とユーモアに富んだお話だった。
講演後、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック、基地・軍隊はいらない!4・29集会、安倍靖国参拝違憲訴訟、機動隊沖縄派遣住民訴訟、優生保護法の問題、元号いらない署名等、短いが内容の濃いスピーチをもらって終了。集会参加者一〇六名。

翌日二九日の反「昭和の日」のデモは、一貫して「天皇いらない」を主張するデモとして準備。大きな「天皇はいらない」の横断幕(実際は縦断幕)もつくった。デモ出発前には常磐公園で、実行委から前日の集会の報告を簡単にし、元号いらない署名、辺野古への基地建設を許さない実行委員会から、デモ終了後も、多摩地域メーデー、労働運動活動者評議会、明治公園オリンピック追い出し国賠訴訟からアピールをもらった。

デモ中は、警察が右翼街宣車がデモに接触しないように周辺で止めていたようで、もっぱら歩道で騒ぐ右翼とそれを取り囲む警察があちこちで団子になっていた。右翼の弊害が少ない時は決まって警察の規制のひどさが目立つ。「私たちは軍隊ではない、そのような口調の命令をしないでくれ」と、何度声を荒げたことか。背中を押す、参加者の肩や背中を平気で触って「前へ、前へ!」「詰めて!詰めて!」とくり返す警察に、参加者も腕を振り払ったり、抗議をくり返していた。それでもデモは気持ちがいい。デモ参加者一〇〇名くらい。実行委員会の行動はまだ続く。数は力なり。継続は力なり。これからもご参加お願いします!

(大)

【今月のAlert】Jアラートが停止した今こそ 私たちの主張(アラート)と問題意識を突きだそう!

これまでも意識的に情報を得ようとしていたのだが、四月二七日の南北首脳会談は、しかし閉ざされた列島に住まう者にとっては、やはり驚かされるものだった。メディアに流された映像、その演出の一つひとつの周到さはもちろん、断片的に伝えられてきた事実に、みるみるうちに繋がりを与える構想力は圧倒的なものだった。「板門店宣言」はまだ弱い内容にあるし、両国が戦争状態にあることが利益になる勢力は、内外になお数多く困難は大きい。とはいえ、引き続く米朝首脳会談や、南北米中の交渉による平和協定の枠組みの設定などがあり、そうした要因を織り込みながら今後の日程が組み立てられていることも、期待されうるものを示すと感じる。

「最大限の圧力」「断交」をがなり立て、直前には「新たな核実験の兆候」などとデマを流して否定され、関連諸国間で長足に進捗する外交の状況すらも何一つ把握していないトンマな姿をさらけ出した安倍政権担当者と官僚たち、またバラエティ番組の「有識者」などは、砂の上でひっくり返った虫のように、いまなお手足をバタバタさせ醜態をさらしているのだろう。しかし、私たちはこれを「蚊帳の外」と嘲笑っているわけにはいかない。いまこそ歴史的な責任を明らかにさせて、私たちのなすべきことをしていかなければならないのだ。

私たちはかつて、二〇〇二年一〇月十一日付けで「『日朝会談』以後の状況への『緊急声明』」を発表した(反天皇制運動PUNCH24号)。訪朝した小泉首相に対し、金正日委員長(いずれも当時)が「日本人拉致」の事実を認め、同時に「日朝ピョンヤン宣言」が発表されたときのことである。「日朝ピョンヤン宣言」における、「国交正常化交渉の再開」、「国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないこと」の確認、「北東アジア地域の平和と安定」に向けた協力、等々の積極的な意味を評価しながらも、それが前年の「九・一一」後のブッシュらによる報復戦争状況下において無効化されることを危惧し、「拉致問題」をきっかけにした在日朝鮮・韓国人たちへの脅迫・暴行や差別の拡大を批判する立場を明らかにした。同時に、「ピョンヤン宣言」において日本国家が「過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」ことを前提にするなら、なすべきことは、国家賠償「経済協力」はもとより、被害者のそれぞれに対する謝罪と個人補償であり、それこそが求められていることを主張した。

私たちは、日本国家と天皇制の植民地責任・戦争責任が、歴史的になし崩しにされて明らかにされず果されていないということを、反天皇制運動の活動の中で、一貫して主張してきた。その立場から、「ピョンヤン宣言」前年になされた日本軍性奴隷制についての「女性国際戦犯法廷」への協力を行ない、右翼暴力団による妨害にも力及ばずながら身を張って抗してきた。こうした活動を、この東アジアの歴史の大きな転換点でも、微力ではあるが断固として追求していきたい。金正恩とトランプによる米朝首脳会談の後に「日朝首脳会談」が実施されるとするならば、そこでは、「日朝ピョンヤン宣言」の内容が俎上にのぼり、日本の戦争責任があらためて問題とされる。実績の貧しい政治家は、それを蔽うためにより派手かつ愚かなふるまいをしがちだ。当選時の公約どころか政権内もガタガタのまま中間選挙が近づき、ロシアンゲートに苦しむトランプや、核開発とミサイルの軍事に極端に傾斜した国家経済の安定と浮揚をめざす金正恩、相次ぐスキャンダルと腐敗にまみれながら、最悪の差別排外主義と歴史修正主義にその勢力を託している安倍らが、どのような動きをするかは予断を許さないものがある。

私たちは今年の四月にも、二八・二九日と連続で「明治一五〇年 日本(ヤマト)による沖縄差別を問う」連続行動を行なった。さきに触れたような現在の国際政治の展開の中では、場合によっては、在韓米軍、さらには在日米軍や自衛隊などの位置づけも大きく変わりうる可能性も、まったくありえないわけではない。だからこそ、私たちは、天皇代替わり過程の中で、こうした問題意識をつねに研ぎ澄ましながら、自分たちと世界との関わりを問い直していかなければならないと考えている。

(蝙蝠)

【表紙コラム】

5月3日、原宿で行われた「明治公園オリンピック追い出しを許さない 明治公園国賠まるわかり集会」に参加した。主催は、同国賠訴訟原告団。2020東京オリンピックのメインスタジアムとされる新国立競技場の建て替えに伴って、都立明治公園が廃止され、そこに長く暮らしてきた野宿者が、2年前の4月に強制執行がかけられて追い出された。これに対して、当事者である元住人や支援団体が原告となって、JSC(日本スポーツ振興センター)、東京都、国を相手どってこの3月に提訴。いわば、その訴訟団のキックオフ集会である。

JSCが明治公園の住人を「債務者」として、「占有地からの退去」を求めた仮処分を裁判所に申請し、いつ強制執行が行われるかわからないという時期に、そのJSCの門前で(!)住人と支援者がおこなった記者会見について、私も本欄に書いたことがある。ひどいことばかりだ。これまでの当事者との話し合いを一方的に破棄し、さまざまな脱法行為やでっち上げ逮捕までして、住人の生存権を踏みにじった行政とJSC、そして都民の公共の財産である都立公園を、オリンピックを奇貨として、大手ゼネコンや政財界の利権のために売り飛ばす東京都や国(詳しくは『反天皇制運動カーニバル』36号の渥美昌純論文など)、そして、そうした問題を隠蔽し、「異論」を封じ込めるナショナル・イベントとしてのオリンピック。こういったことをあらためて今回の集会で聞き、当事者の発言や強制排除の映像を見聞きしながら、頭の中ではずっと「野蛮な資本主義」という言葉が響いていた。

集会で最も印象的だったのは、映像で写しだされた、かつての明治公園の、今は失われてしまった緑豊かな「四季の庭」の姿を見て、そこに暮らしていた元住人が「なつかしい」とつぶやいたこと。奪われた風景、奪われた暮らし。資本のための「開発」が、人にとってかけがえのないものを壊していく。その、国と資本があげる勝利の凱歌こそがオリンピックなのだと。

(北)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 23号(2018年5月 通巻405号)

今月のAlert ◉ Jアラートが停止した今こそ、私たちの主張と問題意識を突きだそう!(蝙蝠)
反天ジャーナル ◉ 大橋にゃおこ、映女、狸の皮
状況批評 ◉ 朝鮮学校差別から見える植民地主義(佐野通夫)
ネットワーク ◉ 「天皇代替わりに異議あり! 関西連絡会」を発足 (寺田道男)/ ◉ 風通しの良い社会の対極にあるのが天皇制(稲葉みどり)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈96〉 ◉板門店宣言を読み、改めて思うこと(太田昌国)
マスコミじかけの天皇制〈22〉◉ 〈天皇(制)は「構造的沖縄差別」の象徴である:〈壊憲天皇明仁〉その20(天野恵一)
野次馬日誌
集会の真相◉ 天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4・28-29連続行動
学習会報告◉ 加納実紀代編『女性と天皇制』(思想の科学社、一九七九年)
反天日誌
集会情報

→前号の目次はこちら

 

*2018年5月8日発行/B5判16ページ/一部250円
模索舎(東京・新宿)でも購入できます。

http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

【学習会報告】T・フジタニ『天皇のページェント』(NHKブックス、一九九四年)

前回のテキストは不評だったが、今回はとても面白く読んだという感想で一致した。

本書のテーマは、「近代日本のナショナリズムが誕生するうえで公的な国家儀礼が果たした役割を再確認」することにある。この本では、近代日本の国家の儀礼空間を「ページェント(野外劇、見世物)」として位置づけ、その具体的な展開を追っている。

近代の産物としての「伝統の発明」というのは、すでにおなじみの議論といえるが、近代日本の天皇崇拝も、「あまり知られていなかった天皇を中心とする国家の過去を想起させる」ものとして作り出されていった。そのために役立つような「物質的な意味の担い手」= 「記憶の場」が公的儀礼である。

以下、東京という都市も儀礼の中心地として改造されていったこと、近代日本においては「進歩・文明」を体現する都市= 東京と、奥深い「伝統」の担い手ととしての都市= 京都という「二つの首都」が存在し、それが相互補完関係にあったこと(さらにそれは、近代天皇制の二重性とも相即的であったこと)、フーコーの議論をベースとして分析される、儀式を通じてつくりだされた「天皇と群衆」における、視線(まなざし)のポリティクス……など刺激的な論述が続くが、とくに議論になったのは、最後の第5章「『象徴天皇』と電子メディア時代のページェント」だ。

昭和天皇「Xデー」時期の天皇のページェントについてフジタニは「大喪の礼」がテレビ画面にふさわしいかたちで構成されていたこと、連続して映像が流され、「お茶の間というプライバシーの聖域に侵入」してきたこと、その意味では、「政教分離」に関わって政府が強弁した「公私の儀式」の使い分けが意味を持たないこと、覗き見趣味的なテレビ報道によって「皇威/アウラ」は喪失し、「もはや国民は君主のまなざしの従順な対象ではない。むしろ、国民自身が天皇・皇室に向かってその容赦ない視線を向けてゆく主体」となったという議論など、少なくとも当時、私たちにも一部分はそのように見えていた事実を指摘している。メディア環境も大きく変わっているなかで、再びページェントの季節がめぐっている現在の儀礼とメディアによる演出、それが作り出す天皇意識がどのようなものとして考えられるべきかが、私たちの課題である。

次回は四月二四日。テキストは加納実紀代編『女性と天皇制』(思想の科学社)

(北野誉)

【集会報告】3・24 天皇の沖縄・与那国訪問を問う反天実行委の集会

三月二七日、アキヒト・ミチコは沖縄・与那国を訪問した。それを前にした二四日、天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4・28–29 連続行動は、駒込地域文化創造館において、「天皇の沖縄・与那国訪問を問う3・24 集会」をもった。

講師は沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの大仲尊さんと、反天連の天野恵一。

まず、与那国出身である大仲さんは、島の暮らしや、語り継がれる沖縄戦の記憶から話を始めた。そして、伝えられる与那国での天皇のスケジュールについて検討し、牧場やヨナグニサンという蛾を見るというが、どこかで自衛隊と非公然でも接触する場があるはずだ、と注意を喚起した。そして、与那国の「軍神」大舛松市の顕彰や自衛隊誘致など、国境の島として軍事戦略的な意味を与えられ続けて来たこの地を、天皇の訪問を通じて改めて包摂することが今回の政治目的だと述べた。

天野は、八七年の、天皇の沖縄訪問反対運動を通して、自分たちの反天皇制運動が「沖縄」と直面した経緯をふりかえり、その過程で「ひめゆりの塔」で皇太子アキヒトに火炎瓶を投げつけた知念功と出会ったこと、その訴訟記録を読み直して感じたこと、などについて話した。

アピールとして、基地・軍隊はいらない4・29 集会、一坪反戦地主会関東ブロックから「辺野古ゲート前連続6日間500人集中行動」へのよびかけ、宮古島ピースアクション実行委員会の清水早子さんからのメッセージも代読された。最後に、実行委によって集会宣言が提起され、4・28–29 連続行動への結集が呼びかけられた。

天皇沖縄訪問を報じるメディアのトーンは、「日々沖縄に思いを寄せ続け『戦争の記憶風化』を懸念する両陛下」というものだ。そして、「本土」と沖縄の間の「歴史的なしこり」を、天皇夫婦の活動が癒していったという話だ。今後の行動を通して、その欺瞞性と政治的意味を、はっきりと批判していかなくてはならない。

(北野誉)

【書評】合本『反天皇制運動』(上・下)

えらいものがあらわれた。 第Ⅰ期・反天連が発行したニュース「反天皇制運動」(全83 号)の完全復刻合本、二分冊。内容もさることながら重量もかなり、重い。それを天野さんから「プレゼント!」といって渡された。プレゼントって? ぼくらには似合わない、あの、「忘れものを、届けにきました」って、あれ?

たしかに病気になる以前から出不精がちで「運動」不足ではあった。ちょうどよい機会かな。初心忘るべからず、というけど、初心そのものが何であったか忘れている記憶喪失の状態ではあるが、スロウ・ストレッチでこの「時代の贈り物」をのぞいてみよう。

正確にいえば、「第Ⅰ期・反天皇制運動連絡会」というのは存在しない。「第Ⅰ期」はあとから付けられた「追号」みたいなもので、当時はそのままの「反天連」。その反天連が毎月出したニュース、つまり今回の合本に収められているのは、一九八四年三月一日の創刊準備号(第0号)から一九九一年二月一日の第83 号までの八四冊、プラス、号外・特別号三冊の合計八七冊ぶん。八四年から九一年の七年間なんだけど、現在からだと二七〜三四年前のことになる。

一昨年に山岡強一さんの虐殺三〇年の集会に参加したぼくとしては、三〇年前のことといってもつい昨日の感覚なのだけど、やっぱり一般的にいって、三〇年前のことなんてずいぶん昔の話にちがいない。その大昔に何が問題となっていたか? 第0号の「反天皇制運動連絡会結成のよびかけ」という文章には、主旨の一番目として「主要に、Xデー及びXデー準備と対決する大衆的反天皇制運動の形成をめざす」と明記されている。

そう、Xデー。裕仁天皇の死ぬ日だ。裕仁は八九年一月七日に死亡するわけだが、もちろん誰も日付までは測定できず、ただ彼は一九〇一年生まれだから「そろそろ」の想定で、死ぬ日をXデー、その前をXデー状況、その後を葬儀(喪)と即位(祝)の入り混じる奇妙な期節と設定して、あれこれの予測を交えながら敵の出かたに具体的に対応していく、という毎日だった、と記憶している。だから、そういう意味で、この合本の一頁一頁はリアルタイムのドキュメントであり、それを綴った合本は、それ自体が運動の流れを体現し、いきいきとそれを伝える〝運動体〞そのものであるといってもよい、と思う。

ぼくも、その第Ⅰ期の事務局に出入りしていて、毎週火曜日の会議はともかく、そのあとの「二次会」にはわりとちゃんと出ていた(という記憶は鮮明にある)が、いっぽうで、ぼくは芝居をやっていて、その当時は「風の旅団」という集団を組んでいた。風の旅団は一九八二年に結成して八三年から九一年まで芝居を続けていたから、第一期の反天連の活動期間と丸ごと重なる。いま合本をめくってみると、八五年一月の第10 号に「風の旅団法大公演弾圧と〈この時代〉」という記事がある。ぼくがこのニュースに書いた最初の(署名)文章で、前年一一月の法政大学・市ケ谷キャンパスでのロックアウトによる公演弾圧の報告だ。そうそう、市ケ谷付近といえば、八五年は中曽根首相の靖国公式参拝があり、九月の第18 号には「8・15 戦士」の筆による「8・15 靖国神社公式参拝阻止境内抗議闘争顛末記」の実況中継ふう戦闘記が載っている。ちなみにぼくはこれをネタに、同年九月の法大=リベンジ公演では、テントの中に巨大な鳥居を立てて、8・15 戦闘の「再現」をささやかにやってみた。が、このシーンは意気込みのわりには「やや受け」で、闘争史にも演劇史にも何の役にもたたなかった、けど。

それはともかく、ぼくらはもう一方で山谷に支援に行っていて、その山谷では八三年一一月三日にヤクザが「大日本皇誠会」の名で登場、八四年一一月二二日に佐藤満夫さんが刺殺され、八六年一月一三日には山岡強一さんが射殺された。ニュースの最初の「号外」は八六年一月一六日付の「山岡強一氏追悼」の号である。

以上は、ぼくの関心領域でちょっと振り返ってみたものだけど、みんなはどうなんだろう? 死ぬだけ、襲名するだけで、万人に迷惑をかけまくる天皇制のことだから、合本の各ページに登場する一つひとつの記事は、みんながそれぞれ相互につながっていく「経験」になっているにちがいない。

と、(ついでに)大切なことを書きそえておけば、なんといっても「手書き」。ワープロではなく手で書いた誌面の数々だ。さっきこの合本はドキュメントであり運動体であるといったけど、読みながら感じる図抜けたライブ感は、書かれた内容もさることながら、書かれかた、つまり「手書き」にあるとぼくには思える。もちろんこれはメソッド嫌いで、つねに現在性に重きをおくテント芝居育ちのぼくだけの好みかもしれない。

とまれ、この文章が載るのは、合本よりも二七年あとの第Ⅹ期・反天連のニュース、通巻404号だ。「残り」はこの合本の約四倍はある。過去は、長い。それだけくみ取れる「時代の贈り物」は豊富だ、ということにしておこう。

残部僅少!上下セットで時価1万円
お申し込みは反天連まで
(mail: hanten@ten-no.net)

(池内文平)

【今月のAlert】政教分離・民主主義・主権在民・平和主義!! 今こそ私たちの反天論議を!!

三月二七日から二九日、天皇は皇后とともに沖縄訪問をした。今回で一一回目、即位して六回目の訪問だ。天皇の強い希望であったというこの退位前の天皇訪沖に関する報道は、一部を除き、一貫して沖縄に思いを寄せる天皇像をつくり出した。「天皇の名のもとで行われた沖縄戦」、沖縄を売り渡した「天皇メッセージ」に触れた記事もあるにはあったが、それも明仁の沖縄に寄せる思いの強さを補強する演出となり果てた。指摘すべきことは多々あるなかで、すでに少なくない人が指摘しているこの訪沖の日付の「意味」について触れておきたい。

三月二七日は、一八七九年のちょうどこの日、いわゆる「琉球処分」と呼ばれる琉球王国が軍隊を引き連れた日本国家に強制的に併合された日である。また、与那国島を訪問した二八日は、与那国への自衛隊配備二周年目にあたる。この自衛隊配備は与那国の人々を分断し、平和裏に生きる人々の権利を奪い取った。これらの日々を選ぶとは、何とも露骨に政治的な話でしかない。瀬畑源は「明仁天皇論」(『平成の天皇制とは何か』岩波書店)で、明仁が皇太子時代から沖縄や北海道を始め被災地や激戦地等への訪問を続けたその行為について、「国民統合の周縁にいる人たちを再統合する役割を担う意志を感じる」と述べている。
そして、「沖縄の人たちを『日本国民』として国家の中に統合する役割を、結果的に果たしてきた」と。

今回の天皇の沖縄訪問で思い出したのはこの瀬畑の指摘であった。八月には北海道の利尻島訪問も検討中であるというが、同様のことがいえる。近代天皇は歴代、さまざまな政治目的で各地を回っているのだ。明仁は「平成天皇」としての最後の務めとして、八月の利尻島を訪問する。その明仁がどのような美辞麗句で形容されようと、そこには君主としての傲慢な役割を果たす天皇像しか見えない。天皇の沖縄訪問については、東京では練馬集会と4・28 -29 実行委の緊急集会が開催された。

そして三月三〇日、政府は式典準備委員会の最終回を開き、皇位継承の儀式に関する方針を発表した。国事行為として、二〇一九年四月三〇日「退位礼正殿の儀」、五月一日「剣璽等継承の儀」、「即位後朝見の儀」、一〇月二二日「即位礼正殿の儀」、「祝賀御列の儀」、一〇月二二日以降「饗宴の儀」、二〇二〇年「立皇嗣の礼」。「大嘗祭」は一一月一四日〜一五日とし、「国事行為としないが公費を支出する」という前回の政府見解を踏襲するとした。

「昭和・平成」の代替わりでは、これら一連の儀式が国民主権や政教分離原則に反するとして各地で訴訟が起こされた。現時点では、マスメディアレベルでもまだこういった記憶を喚起させる記事をつくっている。また、大嘗祭への「公費支出」に対して最高裁が憲法判断を下していないことにも言及し、憲法学者・横田耕一による政教分離違反の指摘も紹介する。憲法との整合性について、いまはまだ言及する余地があり、安倍政権が押し切れない事態、政府内部で憲法との整合性を問題にする声が少なくないということでもある。非公開で「議論しない」ことを前提とする非民主的な準備委員会の問題も大きい。ここは私たちにとっても広く議論を起こしていけるタイミングでもある。

憲法との整合性ということでは、そもそも皇室にまつわる神々を祀り、宮中祭祀を日常的に行う天皇が、一神社の神主ではなく、国家の制度に組みこまれた存在としてあること自体が、政教分離原則から大きく逸脱している。その国家的存在である天皇は、誰に選ばれるでもなく、世襲で代替わりする。それ自体も民主主義、主権在民の原則に反する。それに伴う儀式は宗教的要素にまみれている。だから当然政教分離原則違反。もちろん、特権的な身分にある天皇は平等主義にも反する。国家が関わるなど論外。
とてもわかりやすくて単純な話ではないか。
そして、このような天皇代替わり、天皇制維持の儀式に莫大な税金を投入される。退位・即位・大嘗祭全体にいったいどれだけの費用がかかるのか、計算してみる必要もあろう。そして女人禁制問題……と、考えるべきことは多い。

「代替わり」をともに闘うために集まった首都圏の実行委は、いま「元号いらない運動」を展開している。たくさんの声を集めていきたい。そして今月は、4・28 -29、沖縄デーと反「昭和の日」行動だ。協力・参加を!

(桜井大子)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 22号(2018年4月 通巻404号)

今月のAlert ◉政教分離・民主主義・主権在民・平和主義!!  今こそ私たちの反天論議を!! (桜井大子)
反天ジャーナル◉なかもりけいこ、捨てられし猫、ななこ
状況批評◉明治維新で人々は幸せになったのか(千本秀樹)
書評◉合本『反天皇制運動』(池内文平)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈95〉◉現首相の価値観が出来させた内政・外交の行詰り(太田昌国)
マスコミじかけの天皇制〈21〉◉〈3・11 〉国家儀礼と11 回目の天皇沖縄訪問:〈壊憲天皇明仁〉その19(天野恵一)
野次馬日誌
集会の真相◉3・11皇族出席の追悼式典一斉黙祷反対闘争/3・16天皇の沖縄への「慰霊の旅」と与那国島訪問について考える練馬集会/3・24天皇の沖縄・与那国訪問を問う反天実行委の集会/3・25講座 明治150年式典・キャンペーンと「生前退位」
学習会報告◉T・フジタニ『天皇のページェント』(NHKブックス、一九九四年)
反天日誌
集会情報

→前号の目次はこちら

*2018年4月10日発行/B5判16ページ/一部250円
模索舎(東京・新宿)でも購入できます。

http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/