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【学習会報告】村上重良『天皇制国家と宗教』 (日本評論社、一九八六年、講談社学術文庫)

本書は国家神道をめぐる手堅い通史だ。この本を「日本型政教分離」とそれを支える「皇室祭祀」について絞って報告した。

「日本型政教分離」というのは、村上ではなく、別の論者の言い方なのだが、明治維新直後の神祇官復活に見られる神道国教化政策から、キリスト教容認への転換を経て、島地黙雷らの「信教の自由」論を繰り込んで成立したもの。それは、「全国民への神社崇敬の強制と信教の自由の矛盾」という状況を、「神社神道は宗教ではなく、一般の宗教とは次元を異にする超宗教の国家祭祀である」という論理で越えようとするものだった。その結果、「神道界は……宗教化の路線を完封し、祭祀と宗教の分離による国家神道への確立へと大きく歩み」出すことになった。

皇室祭祀の方は、近代以前の天皇家自身が神仏習合であったから、「宮中の神仏分離」が必要とされるとともに、前例のない天皇の伊勢神宮参拝や、宮中三殿の整備、さまざまな皇室祭祀が集中的に新定・整備され、全国の神社の祭りも皇室祭祀を基準にして再編成され、学校行事を通じた祭日の儀礼などによって、「国民生活」をも律していったことなどについて確認した。

この二点に報告を絞ったのは、それが今なお持続している問題だと思うからだ。本書は、戦後に関する論述は少ないが、神道指令と日本国憲法の公布によって、「宗教は、基本的に国民ひとりひとりの内面にかかわる私事として位置付けられ」たと整理する。しかし、国家神道と神社神道を切り離して後者を宗教法人にスライドしてしまったことと、皇室祭祀が天皇の「私事」として生き延びてしまったことはパラレルの関係にあるのではないか。それが、制度としての「政教分離」を侵食してしまう余地を残したとは言えないか。「日本型政教分離」は曖昧に延命しているのではないか。天皇主義右派勢力としての神社本庁の政治性、習俗論、象徴的行為としての皇室祭祀などは、今の私たちにとっても重要な問題であり続けている。

初めての学習会参加者も含めて、議論は活発に行われた。村上の宗教学における宗教進化論的傾き。政教分離違反という切り口で天皇制の儀礼を撃つことは有効か。日本型政教分離という以前の問題として、日本型「宗教」の特異性についても議論が必要ではないか。明治維新のイデオロギーとしての国体論の位置をどう考えるか、などなど。

次回(九月二五日)は、安丸良夫『近代天皇像の形成』(岩波書店)を読む。

(北野誉)

【集会報告】「憲法と天皇制」練馬の会学習会

八月二四日、「アキヒト退位・ナルヒト即位問題を考える練馬の会」の学習会が開催された。六月二五日の第一回(既報)に続いて二回目である。今回は、憲法学の清水雅彦さん(日本体育大学教員)に「憲法と天皇制」と題して話していただいた。

清水さんの話は、まず最初に憲法の成立史から憲法論の基本概念について説明。統治が主権を持つ天皇に総攬され、実質的に権力の分立がなされていない外見的立憲主義に対し、国民主権から人権を保障し、国家権力を縛ることを目的とする近代立憲主義の理念を強調した。さらに、現代の立憲主義は、ナチズムへの反省からポピュリズム的な「多数派の暴走」を制約し、積極的に違憲審査制度を運用するべきと述べられた。

これらを前提に、議論は「憲法と天皇制」という中心テーマに。清水さんは「将来的には第一章を廃止」「天皇制は廃止するべき」という立場を鮮明にしながら、天皇条項さらに日本国憲法の制定過程と、上諭、前文の構造を説明し、現憲法が民主主義的観点からは不完全で封建的遺物を残すものと断じた。学校の体育教員をめざす学生たちに向けて批判的に講義されている「君が代」「日の丸」や「元号」「祝日」などの検証・歴史教育の一端が、ユーモアを交えた明快な口調と表現で語られていった。

話はさらに展開し、天皇明仁によるビデオメッセージの問題点について。この内容が「天皇制を永続させる」ための強い意思に基づく明らかな政治的発言であり、公的行為を拡大解釈するものであると批判。この発言を後追いで固定化させていった「退位等に関する皇室典範特例法」は、天皇発言を合憲化し、批判的立場を無視して強制するものであるということや、戦没者追悼式での明仁の発言は、裕仁の戦争責任も、戦後のアメリカへの戦争加担とともにあった「平和」の問題点をもないまぜにするものであることが指摘され、最後に自民党の改憲案に対する批判が展開されるなど、網羅的で親切な講演だった。

会場周辺には早い時間から二名の右翼団体の構成員が登場し、トラメを使用して街宣を実施。今回の会場は住宅地の真ん中で、この騒音に住民からの苦情もなされていたが、一〇名ほどの公安警察官は遠巻きにするだけだった。小規模な学習会すら圧殺されかねないこうした状況に、なんとか反撃していきたい。

次回は一〇月二五日、立川自衛隊監視テント村の井上森さんを講師として開催する。今回の参加者は四四名だった。

(蝙蝠)

【集会報告】「元号いらない」の声、新宿アルタ前に響き渡る

八月一九日、〈元号はいらない署名運動〉に集まる首都圏の友人たちと、新宿アルタ前で情宣と署名行動をおこなった。灼熱コンクリート地獄を覚悟しながらも少しは涼しさを求めて夕方からの行動。珍しく当日は三〇度を切り、夕方からの行動は思いのほか快適(?)だった。

天皇の代替わり状況に対して反天皇制の立場から声を上げていこうと、昨年春くらいから、首都圏枠の緩やかなネットワークがつくられてきた。このネットワークはこれまでにも、集会実行委をつくっては集会やデモを呼びかけたりしてきた。〈元号いらない署名運動〉もそのネットワークが呼びかけて始まった運動だ。いまでは全国で多くの人たちが署名集めに参加している。集約先に届けられる署名は、個人、小さなグループ、労働組合、宗教者と、掲げられている課題も実に多彩な人たちからで、地域的にも北海道から沖縄まで拡がっている。現在集まった署名は五〇〇〇筆を越したところ。よく集まっていると思うが、でも目標は一万筆。先はなかなかに遠いのだ。

というわけで、新宿情宣とあいなった。署名を集めることもさることながら、なぜ元号に反対するのかを道行く人たちに伝えることが大きな目的の一つ。参加者はみな熱のこもったスピーチをそれぞれに展開し、らっぱさんの歌「元号やめよう」も新宿アルタ前に響き渡った。しばらくすると、通りの反対側からビルに隠れてこちらの様子を伺う公安警察の姿も……。すかさず”Police on my back”(The Clash)のカバーソングも。みんな大喜び。

署名は一一月一五日が最終集約日だ。それまでに何とか一万筆を集め、署名提出行動自体もメッセージ性の強い行動にしていこうと相談中。集約最終日まであと二ヶ月だ。さらなる署名への協力、署名運動への参加を呼びかけたい。ちなみに新宿で集まった署名は二〇弱……。まだ署名していないなあ、と思っているみなさま、一筆分だけでもかまいません、署名をして送り返してください。

(大子)

【集会報告】「明治150年」天皇制と近代植民地主義を考える8・15行動

八月一五日、在日韓国YMCA・9階国際ホールでタイトルの集会を行った。会場は一八五人の参加者で埋め尽くされ熱気に溢れるなか、今回、四つの課題をたて、それぞれに発言してもらった。

最初に安倍・靖国違憲訴訟の弁護団である酒田弁護士は「即位・大嘗祭訴訟に関する問題提起」。三〇年前の訴訟の確認。そしてヒロヒトとアキヒトをめぐる社会情勢の違いに触れ、最後に今回準備されている訴訟の理論構成について報告された。

次に「北方領土の日」反対!「アイヌ新法」実現!全国実行委員会(ピリカ全国実)の黒岩さんは、アキヒト・ミチコの利尻島訪問・北海道一五〇年式典出席への反対行動の報告。アイヌモシリ侵略は天皇制国家による他民族侵略・支配の「原型」と話され、戦後のヒロヒトの「人間宣言」内の「五箇条の誓文」が戦後民主主義の「原点」かと問う。

続いて「元号はいらない署名運動」の井上森さんからは、アキヒトの「社会の停滞を懸念」発言で始まった平成代替わりから、中央官庁、JR、警察からの元号「撤退」の実情の報告があり、最後にオウム大量処刑に触れ、日本において最高度の国家暴力を正当化する論理は天皇制しかないとしめくくった。

最後に反天連の新さんは「『平成の三〇年』=明仁天皇との『対決』の三〇年」について。アキヒトの言動の微妙な変化から、「時代とともに変わっていく」天皇の政治の役割を分析した。今回の天皇主導の「退位」で見せつけられた、天皇による天皇制の再定義は、明仁天皇制が三〇年かけてそこに収斂していった、天皇像の到達点だと集約した。

質疑応答の時間が取れなく残念であったが、「道徳教育」の問題性に言及されている北村小夜さんから「新しい教科書をつくる会」の流れの教育出版が唯一、アイヌ問題に触れていることを補足され、そこにどのような魂胆があるのかと問われた。

その後、沖縄一坪反戦地主会・関東ブロック日韓民衆連帯全国ネットワークオリンピック災害おことわり連絡会、米軍・自衛隊参加の防災訓練に反対する実行委員会から連帯アピールをもらい、靖国神社に向け元気にデモに出発した。手作りの幟や横断幕、反天龍(?)、そして参加者二五〇人、何も誰も欠けることなく「天皇制はいらない!」のコールを響かせた。交流会では懐かしい仲間、新しい仲間の発言もきけて、ワイワイガヤガヤとにぎやかに。今年も無事に終わって良かった。

(実行委/桃色鰐)

【書評】古川佳子『母の憶い、大待宵草─よき人々との出会い』(発行:白澤社、発売:現代書館)

この本に収められたエッセイは、いずれも「反天皇制市民1700ネットワーク」の通信に連載されたものである。この通信は、昭和天皇裕仁の死による前回の代替わり過程のなかで沸き起こった「天皇制はいやだ」の声とともになされた、「即位の礼・大嘗祭」違憲訴訟をベースにした機関紙である。

「即位の礼・大嘗祭」違憲訴訟は、大分、鹿児島、神奈川、東京など各地で取り組まれたのだが、一七〇〇名の原告を集めた大阪での「『即・大』いけん訴訟団」による裁判においては、高裁において原告の控訴は棄却されたものの、「即位の礼・大嘗祭」が神道儀式によりなされたことと、これに国費が執行されたことは違憲の疑いがある、とされ「実質勝訴」(同訴訟団)として終結した。

古川佳子さんは、この訴訟の原告であった。そしてまた、箕面忠魂碑・慰霊祭違憲訴訟でも、神坂玲子さんらとともに原告に立った方でもある。

訴訟の原告になるということ、しかも、勝訴が期待しにくく論理の抽象性も高い違憲訴訟は、ハードルが高いものとして躊躇されがちだ。だが、こうした訴訟の原告になるということは、天皇制に反対していくこと、平和を考え選び取っていくことであり、そして、意思を同じくする他の原告たちとつながっていく機会でもある。

古川さんは一九二七年生まれで、昨年には卒寿を迎えられている。この自伝的なエッセイ集においては、ご両親をはじめとする家族への想いや、これまでの人生でふれあった方々との関係が、淡々とした調子で綴られる。

しかし、古川さんが生きてきた時代は、まさに戦争のただなかにあった時代でもある。彼女の長兄・啓介さんは南方に出征し、台湾でマラリアに罹患、さらにビルマ戦線に送られて四五年五月に二七歳六カ月で亡くなった。また次兄・博さんは満州牡丹江の国境から一時筑波に戻り、その後、輸送船の空母雲龍に乗船してフィリピンに送られる途中、二四歳四カ月で台湾沖に沈んだという。そして、この次兄の所属部隊は「戦死ヤアハレ/兵隊ノ死ヌルヤアハレ」と歌った竹内浩三と同じ部隊であり、乗船した船の違いはあれ、いずれも「ひょんと死ぬるや」の運命をたどったのだった。

さきに「淡々とした」と書いたが、愚かで不正な戦争により早逝させられた肉親への感情が、静かなものであるはずがない。「母の憶い、大待宵草」と題されているのは、古川さんのお母さま、和子さんのエピソードだ。亡くなられるまで、小さな手帳に大切に短歌を書き続けていた和子さんは、周りに誰もいないとき、夕方に花開くオオマツヨイグサの茂みで、声を限りに亡き二人の息子の名を呼んだという。「その秘密を私に告げる母は、恥ずかしそうに肩をすくめて涙ぐんだ」。

和子さんの詠まれた「是れに増す悲しき事の何かあらん 亡き児二人を返せ此の手に」。天皇の戦争責任を深く問い続けた憤りと悲しみは、古川さんをも貫くものであった。
それから、古川さんは、彼女の母の短歌への想いを胸に、作家の松下竜一さんとの手紙による交流がはじまり、松下氏の裁判への支援を経て、ご自身の地元である箕面忠魂碑違憲訴訟の原告にご夫婦でなっていくことになる。

これ以降、サブタイトルで「よき人々との出会い」とされている通り、ご両親、箕面忠魂碑の神坂夫妻、大杉栄・伊藤野枝を両親とする伊藤ルイ(ルイズ)さんとの出会いなど、天皇制や「軍隊慰安婦」をはじめとした日本の戦争・戦後責任をめぐる想いと、裁判闘争のなかでの人々との交流が描かれる。私たち反天皇制運動連絡会の活動にも大きなご恩をいただいた歌人の三木原ちか(深山あき)さんのことも触れられており、どのような方だったのかを初めて知らせていただいた。

私たちが、これまでに持続してきた天皇制をめぐる運動の中で、地域の違い、年代の違いを超え、どのようなつながりをつくり、維持し深めていくか。古川さんのこの本を通じて、そのことの重要性をあらためて知らせていただいたという思いがする。心から感謝したい。

(蝙蝠)

【今月のAlert】天皇「代替わり」をめぐる活発な動き 「明治150年」反対の行動にも参加を!

今年の8・15闘争も無事に終わった。ここ数年は、デモ隊にひんぱんに突入してくる街宣右翼とデモの参加者が、直接接触したりする場面は少なくなっている。もちろんそれはよいことだが、結局この日、この地域を警察が完全に制圧し、そのコントロールのもとでデモも動かざるをえない事態が現出していることの結果だとすれば、それはまったくよいことではない。右翼を利用して中立を装い介入する警察に対する原則的批判をなしつつ、本来の目的であるわれわれの意思を、どのように表現していくか、引き続き具体的に考えていかなければならない。

今年の「全国戦没者追悼式」は、予想に違わず、アキヒト最後の式典出席として、マスメディアによってその「平和への思い」が強調された。「おことば」の大枠は変わることはなかったが、「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」という一節が新たに加えられたことに注目する報道が目についた。ここではひとことだけ、「戦後の平和」とは日米安保体制と冷戦の一方への積極的加担によってはじめてなされたという意味で、「戦争」に対立するものでは決してなかったとだけ言っておこう。

天皇の戦争責任問題ということでは、共同通信が入手した、昭和天皇の侍従であった小林忍の日記にもふれないわけにはいかない。そこではヒロヒトが、一九八七年四月に「細く長く生きても仕方がない。……戦争責任のことをいわれる」と発言したと記されていた。これは、戦争責任のことをいつまでも言われるのは嫌だ、という心情を吐露したと読むのが普通だろう。しかし半藤一利は「細く長く生きても仕方がない、というのはすごい言葉だ。びっくりした。昭和天皇の心の中に最後まで戦争責任があったのだと分かる」などと、保阪正康との対談で述べている(八月二三日、共同配信記事)。

ただ、ここでふれたいことはそれではなく、自分も参列した天皇「代替わり」儀式について、その費用も含めて「ちぐはぐな舞台装置」などと小林が批判を加えていたことだ。政府は来年の「即位・大嘗祭」を「前例を踏襲」して行うとすでに発表しているが、「今回明らかになった小林氏の見解が一石を投じる可能性もある」などとする報道もある。

さらにその直後、秋篠宮が、「大嘗祭」への公費支出という政府方針に対して、「皇室祭祀に公費を支出することは避けるべきではないか」との懸念を宮内庁幹部に伝えていたと報じられた(八月二五日、毎日新聞)。一連の「代替わり」儀式の中でも「大嘗祭」は純然たる宗教儀式であるので「政教分離違反」という批判が多い。

ここには、「代替わり」儀式に関しては、少しでも批判を回避して「国民全体の慶事」として挙行していくべきだという「合理的」な政治判断が反映しているだろう。もちろん、政府の方針はそうではないし、前回のように、政府や右派勢力などの間で意見が割れているような状況でもない。この「合理性」も、結局は「国民的議論」に基づいた「代替わり」を、という、「リベラル層」をも含めた主張を補強するものでしかないのだ。「即位・大嘗祭」に関しては、それらの儀式に対する税金支出の差し止めを求める訴訟が準備されており、私たちもそれに協力している。その詳細はおそらく次号で明らかにできると思う。

そして最後に。八月一〇日、政府は永田町の憲政記念館で、明治一五〇年記念式典を行うことを閣議決定した。この一年、全国各地で、多くの「明治一五〇年」企画が実施され、私たちもまた、2・11以降、「明治一五〇年」が天皇「代替わり」の前哨戦をなす攻撃であると位置づけて行動を積み重ねてきたが、「明治一五〇年」を祝賀する社会的な盛り上がりは正直言って実現していないと感じる。一九六八年の「明治一〇〇年」と比較してみれば一目瞭然だ。このときは日本武道館で政府式典が開かれているが、ハコとしての武道館が一万四〇〇〇人収容できるのに比べると、憲政記念館の講堂は五〇〇人に過ぎない。けれども、あの「主権回復の日」の政府式典が行われたのもこの場所であり、天皇を迎えて式典を行うことになんの不都合もないということだろう(ただし、いまのところ天皇が出席するという発表はなされていない)。

私たちは、式典前日の一〇月二二日の夜に、一日実行委員会を結成して反対デモを行いたいと考えている。詳細は確定次第お知らせします。ぜひ予定に入れておいて下さい。

(北野誉)

【表紙コラム】

「あなた、国民ですか?」と二十歳前後と思える若い女性は私に問うた。本紙「集会の真相」にも報告している「元号はいらない署名」の、新宿アルタ前街頭情宣を友人たちと楽しくやっていた時のことだ。この一言を言いたくて声をかけてきた人だろう。どのようにしても通じ合えないように思える時間だった。それとも、どこかに回路はあるのだろうか……。

誰もが感じているだろう元号の「不便、不自由、不合理」と、天皇の年号を使うことの問題を伝えようとするも、むなしく終わる。平行線のままで対話とはいえない。歴史認識の大きなズレ。苛立つほどの天皇信奉者。反天の行動で私たちを攻撃する人たちと主張は変わらない。ねじ曲げられた「歴史の真実」なるものが厖大に発信されている、妄想の世界を知識の源とする人たちだろう。

しかし、その同じ場所でまた違う人たちとも出逢う。「なぜ反対するのか」と問われ、同様に応えていると、私も天皇制に反対だから、といって署名してくれる人。通りの脇にずっと座っていた男性は、友人たちのスピーチに耳を傾けていたらしい。おもむろに起ち上り近寄ってきて、サラサラと署名してまた同じ場所に座った。たった二時間のアルタ前。この狭い空間で、いろんな人に遭遇できる、ということも実感できた。まあ、そんなに世の中大きくは変わっていないのかも……。

私がとても若かったころ、集会やデモのあと、会場を離れて一人歩いているときによく不思議な気分に襲われた。さっきまでいた小さな社会と、いま歩いているリアル社会が異次元であるかのような錯覚だ。しかし実際はそうではなくて、リアル社会に私たちもあの人たちも、いろんな人たちがいる。だから、きっと回路はどこかに見つかるのだろうと、今はそう思ったりする。

(桜井大子)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 27号(2018年9月 通巻409号)

今月のAlert ◉ 天皇「代替わり」をめぐる活発な動き 「明治150年」反対の行動にも参加を!(北野誉)
反天ジャーナル ◉ ─宗像充、よこやまみちふみ、なかもりけいこ
状況批評 ◉ 天皇の人権(中山千夏)
書評 ◉ 『明治日本の産業革命遺産・強制労働Q&A』(梶川凉子)
書評 ◉ 『母の憶い、大待宵草─よき人々との出会い』 (蝙蝠)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈100〉 ◉ 百年後のロシア革命─極秘文書の公開から見えてくるもの(太田昌国)
マスコミじかけの天皇制〈26〉◉ 「平成」最後の「全国戦没者追悼式」の〈オコトバ〉─〈壊憲天皇明仁〉その24(天野恵一)
野次馬日誌
集会の真相◉ 2018 ヤスクニキャンドル行動/日本帝国主義一五〇年を沖縄から問う(つくば)/「明治150年」天皇制と近代植民地主義を考える8・15行動/幻の問題作・映画『叛軍№4』の上映とトーク/「元号いらない」の声、新宿アルタ前に響き渡る「憲法と天皇制」練馬の会学習会
学習会報告◉ 村上重良『天皇制国家と宗教』
反天日誌
集会情報

前号の目次はこちら

*2018年9月4日発行/B5判18ページ/一部250円
模索舎(東京・新宿)でも購入できます。
http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

【学習会報告】 千葉慶『アマテラスと天皇─〈政治シンボル〉の近代史』 (吉川弘文館 歴史文化ライブラリー、二〇一一)

日本の近代化の過程でつくり出された「政治シンボル」が、明治維新政府の思惑からどのような変遷をたどり、悲惨な敗戦を迎えるにいたったのか。本書ではその歴史的な考察が試みられる。そして、その政治シンボルを検証しなおすためのケーススタディとして、アマテラスが取り上げられている。

近代国家建設=脱亜入欧・欧米型列強国化が目的であったこの国の近代化は、欧米的なキリスト教的宗教を模索し、行き着いたところが天皇であったという。こういった整理はそれほど珍しくないかもしれない。しかし、その天皇をまつりあげる時、その天皇の権威づけとしての〈政治シンボル〉を必要とし、それがアマテラスであったという。そしてそれを歴史的に解明していくのだが、ここがこの本のユニークなところだ。また、天皇の「伝統」がいかに明治以降のものであるかも、よく読み取れるテキストとなっている。

議論は沸騰した。政治シンボルの近代史に絞り込んだユニークな視点とその論理展開は、私たちを面白がらせた。同時に、アマテラスが政治シンボルとして使われていく経緯等について、本当にそうであったのか?との疑問を付す意見も。私も同様に感じることはあった。

それにしても、一九三〇年代〜敗戦あたり、思わず現在と比較しながら読んでしまうのだが、「象徴天皇もアマテラスと同じ政治シンボルの一種であり、政治シンボルとは有効かつ強力であればあるほど、統治者・被治者双方にとってリスキー」という著者の結論は、暗示的である。
絶大な権威をもって民衆に受け入れられ、解釈に曖昧さを残さず……、かつ専制政治に陥らない工夫をこらした政治シンボル。象徴天皇制、いい線いってるってこと……?

というわけで、もう少し関連領域を読むことに。

今回はトメ吉さん推薦のテキストで、ついでに参加も。また来て下さいまし。

◎次回は、村上重良『天皇制国家と宗教』(講談社学術文庫、日本評論社)

(桜井大子)

【集会報告】なぜ元号はいらないのか?

七月二一日、文京区民センターにおいて、「なぜ元号はいらないのか? 7・21集会」が九七人の参加を得てもたれた。主催は、このかん、天皇「代替わり」に反対する行動を共同でつくっている首都圏枠のグループによって作られた「元号はいらない署名運動」。もちろん反天連も呼びかけ団体のひとつだ。

天皇の「二重権威」などというくだらない議論もからんだ「新元号」への移行をめぐるドタバタは、元号というものの不便・不合理さをあぶりだしている。同時に、にも関わらず、それをやめようという声を表面化させることのない、天皇制社会のありようをも。そうしたなかで取り組まれた署名は、すでに目標数の五〇〇〇筆を超えている。その報告も含めて、元号いらないという声をはっきりと上げていこうという趣旨の集会だった。

主催者あいさつに続いて、中国近代思想史を専門とする坂元ひろ子さん(一橋大学名誉教授)から、「中国の革命経験から考えるアジアの共和国」と題して講演を受けた。坂元さんは、「心身に絡みつくように私たちを縛っている」(安丸良夫)天皇制を問題にすべきであると話を始めた。「元号制度」は、それが中国古典に典拠を持つ言葉で作られることに明らかなように、古代以来の対中国コンプレックスが骨がらみになった制度である。中国においては「天」の観念と易姓革命の思想があったのに対して、日本においてはそのコンプレックスを解消するために、「万世一系」が強調されたことを指摘した。そして、清末民初の改良・革命思想における「共和」論議について詳しく紹介された。

続いて、靖国・天皇制問題情報センターの中川信明さんから、これまでの反元号の取り組みについての報告、前立川市議の大沢豊さんから、二三区二六市の文書における元号および西暦使用の現状、新元号のためのシステム改修の費用などについての調査報告がなされた。

茨城・戦時下の現在を考える講座、「オリンピック災害」おことわり連絡会アジア女性資料センター、あいち代替わり・植樹祭を考える会(仮)のアピール、今後の行動提起で集会は閉じられた。

この集会については、後日朝日新聞でも記事になった。反対する声の存在が取り上げられたのはよいとしても、署名運動について言及されず、なんのための集会なのか不明。しかも「平成流」によって、右も左も苦労し、反対運動も退潮しているという論調。そうではない。集会で中川さんも強調したように、「代替わり」=改元を目前にして、「元号反対運動の三つ目のピーク」に向けた、具体的な取り組みが始まっているのだ。秋にかけてさらに署名を集め、反元号の声をさらに広げていこう。

(北野誉)