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【学習会報告】鶴見良行『日本の写真 天皇論/写真論1957-72』 (鶴見良行著作集第一巻『出発』〈みすず書房〉所収)

鶴見良行の、この貴重な「天皇論」の存在を知ったのは、私がかなり若い時であった。しかし、その批判の切り口の鋭さに気づいたのは、かなり後の時間である。レポーターであった私は、松下圭一の高名な「大衆天皇制」(スター天皇制)論より早く、メディア支配が全面化した政治社会の中の象徴天皇制の戦前から連続する家族主義イデオロギーをベースにした独自な政治的枠割に、キチンと批判の光をあてたこの諸論文の今こそ見過ごすべきではないある点にしぼって報告した。

「国民すべてを戦争においこんだひとつひとつの事態が究極的には天皇というたった一語の権威によって正当化されたのであったにかかわらず、天皇は何一つ戦争の責任を負いはしなかったという事実と、戦後の天皇は『人間』として国民多数の親愛の対象となっているという事実のつながりの問題」。このつながってはいけない問題が安易につながってしまったのは何故か?」

鶴見は、こう問いを自ら立てて、それに以下のごとく回答している。

「『人間天皇』という言葉およびその視覚的再現の写真があらわれた一九四六年正月頃」の状況。「人間宣言」とマスコミにネーミングされた「元旦の詔書」と、メディアにあふれかえる天皇家の家族写真。そして憲法の「象徴」規定。このプロセスでつながってはいけない問題がつなげられることが起きた。「……天皇が人間であるためには当然に戦争に対する公人としての償いが要求されるにもかかわらず、天皇の利用者にのみ追及が向けられ、天皇と国民の結びつきの面における国民の実感の変革をわれわれ国民自らが試みようとしなかったために、『天皇は人間である』という事実命題は容易に『人間的な天皇』という価値命題へとすりかえられていったのである」(強調引用者)。

天皇は人間であるという自明の「事実命題」を素晴らしい「人柄」の天皇という「価値命題」へのスリカエ(操作)があったというのだ。考えてみれば、このスリカエ(操作)は戦後マスコミの天皇報道の日常的作業であり、現在の「生前退位」は人間として当然とのキャンペーンは、その集大成ではないか。

次回のテキストは『アマテラスと天皇─政治シンボルの近代史』(千葉慶・吉川弘文館)。

(天野恵一)

【今月のAlert】「天皇代替わり」騒動はまっぴらだ! 7.21「なぜ元号はいらないか」集会へ!

連日の猛暑レポートが続いていた六月九日、天皇・皇后は南相馬市で開催された天皇三大行事の一つである全国植樹祭出席のために福島入りした。式典会場は津波被害に遭った沿岸部の海岸防災林整備地。天皇の植樹に意味を持たせるにふさわしい場所ということか。県の実行委公式サイトでは以下のように述べている。「福島県で開催する全国植樹祭は、本県の森林再生の取組の目標とするとともに、国内外からの復興支援への感謝の気持ちを広く発信するシンボル事業とすることを観点に検討し、東日本大震災による津波被災地であり、参加者に地域の復旧の状況を見ていただくことができる場所とした」と。「復興」植樹祭……。住民の、あるいはそこに住めなくなった住民のための行政であれば、やるべきことは他に山積しているはずだ。何のために福島県はこんなことに金やエネルギーを使わなくてはならないのか。そして天皇は例年どおり、植樹祭出席のほか、いくつかの視察や慰問もこなし、当地の人々を忙しく動員させている。

九日にはいわき市で避難生活を続ける被災者と面会し、植樹祭当日の一〇日は会場への移動中、雨の帰還困難区域を車で通り抜け、途中の料金所で、動員されたのであろう地元の人々と懇談したりしている。夜は宿泊先近くの公園で「提灯奉迎」。天皇たちもベランダから提灯を揺らして応えたとか。そして最終日の一一日、相馬市で慰霊碑に献花、水産物の地方卸売市場を訪問などしている。

大地震・津波と原発事故によって被災した人々を、救うことなく黙らせる天皇たちの力を最大限利用する行政と、人の心までも動員するに見える天皇・皇后のこういった行為に対して、うまく的を射た簡潔でインパクトのある批判の言葉をすぐにでも見つけ出したい。ともに考えて欲しい。

天皇の福島訪問と植樹祭については新聞・ネット上でそれなりに報道されていたが、どれも「天皇にとっては最後」「来年は皇太子」等の文言付きだ。「生前退位」とは、こうやって次の天皇制、すなわち天皇制の持続を連想させるものであることに、いまさらながら気づく。

福島訪問から約二週間後の七月二日、天皇は脳貧血でしばらく安静という記事が流れる。すぐに「症状安定」の報道に変わるが、おそらくしばらくは、「あの年齢と体力でよくやっていらっしゃる」といった同情や「崇敬」の念をないまぜの声がつくられ、一方では、天皇自身がつくり出した、年齢や体調に左右されず、常にりっぱに「公務」を果たす象徴天皇像と、それによって成立した「生前退位」が再度意識される状況がつくられるのだろう。どのような状況でも、いまのところ天皇の思い通りに事態は動き、株は上がるばかりに見える。回り始めると止まらない一つのサイクルが動き出しているかのようだ。

しかし、天皇の不調報道に、ここにきて「生前退位」あいならぬか? と考えたのは私たちばかりではないはずだ。その後の天皇の体調についても、ごく一部の者だけが知りうるだけで、事態はいつも不確定なものとして現象しているのだ。ただ、どうであれ、代替わりまであと長くても一年足らずである。うっとうしい天皇賛美報道とさまざまな服属儀礼のオンパレードが始まることもわかっている。天皇たちの都合でそれに変更があろうとなかろうと、惑わされ振りまわされるのはまったくゴメンである。言うべきこと、やるべきことを、その都度考えていきたい。

私たちはこれまで考え訴えてきた天皇制の問題を、整理し直し、言葉を吟味し、全国の友人たちとともに、少しでも拡がりを持った運動を目指していくしかないのだ。天皇が国家の制度として存在しているかぎり、私たちは天皇制について考えなくてはならない。そして、戦前から戦中、戦後と、天皇を介在させ続けることで、植民地主義、占領政策に基づく侵略戦争の歴史と責任を曖昧にし、現在のこのひどい社会に至っていることへの関心をつくり出したい。

一昨年の天皇の「生前退位」意思表明から、いわば天皇代替わり騒動というものを私たちは経験し始めている。この国が、天皇(制)に対しては誰も、国家権力でさえも、ものが言えない社会であることを、多くの人が見たはずなのだ。しかし、それがいかに非民主的な社会であるのかの実感は共有されていない。課題の大きな一つだ。

本紙でも繰り返し伝えているが、「元号いらない」署名は継続中である。これは一つの切り口でありうるのだ。七月二一日には集会も準備している(チラシ参照)。ぜひ一緒に考えていきたい。

(大子)

【表紙コラム】

「ヨイヤサッ!  ヨイヤサッ!」

春と秋の例大祭の日には、このかけ声が町内に響きわたる。法被姿に粋やいなせなどの形容詞がくっつくが、つい「そうかね〜?」と意地悪な感情が湧く私である。ほんの数年前、路地から突然、法被姿にふんどしから陰毛がはみ出ている数人の男性が表れた時は、心底恐ろしかった。なんで祭りだとこんな猥褻な姿で闊歩することが許されるのか。悲しく腹立たしい思いをしたが、さすがに最近はそれはなくなったようだ。

ところで神輿は、担ぎ手のネットワークがあるらしく、地元住民とは関係ない人々で大いに盛り上がっている。市ヶ谷に近い地区では、自衛隊員が担ぎにくるらしい。気がつくと自衛隊は町内会と仲良し。

まあそんなこんなで祭りは二日間に渡り、一日中路地から路地を練り歩くのだ。通りのあちこちで神輿の担ぎ手をねぎらうビールだの、お酒だのがずらりと並んだテーブルが用意されている。随所で水分(アルコール)補給をし、かけ声とともに高揚していくのだ。

夜の十時頃まで、これでもかと「ヨイヤサッ! ヨイヤサッ!」の大合唱。マンションが立ち並ぶ路地ではかけ声はビルに反響し大音量。声がかき消されないよう指示者はトラメ使用。しつこいけど、時間は夜の十時です。

と前振りが長くなったが、本題は新宿区が「騒音」を理由にデモ出発の公園使用の規制強化をしたことについて怒っている!ということ。

周辺住民からデモ制限の要望書が提出されたという。それを議会にかけることなく関係部署で協議し、部長決裁で使用基準を見直し、使用できる出発公園を四つから一つにしてしまった。区みどり土木部田中孝光部長は「私自身、住んでいる家の近くの公園に警察がしょっちゅう来て、デモがあるのは嫌だ」と答弁。部長、仲間うちのおしゃべりであんたの気持ちを聞いているんじゃないんだよ!

「神輿」も「民主主義が根づかない」のも、日本の伝統ですか?!

(桃色鰐)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 25号(2018年7月 通巻407号)

今月のAlert ◉ 「天皇代替わり」騒動はまっぴらだ! 7・21「なぜ元号はいらないか」集会へ!(桜井大子)
反天ジャーナル ◉ ラディカル・文平、トメ吉、橙
状況批評 ◉ 象徴天皇制こそ倫理的頽廃の根源(彦坂諦)
ネットワーク◉明治公園のオリンピックによる追い出しを許さない!〜国賠訴訟提起〜(首藤久美子)
紹介 ◉ 2020オリンピックに抵抗するためのパンフレット集 (宮田仁)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈98〉 ◉「貧しい」現実を「豊かに」解き放つ想像力(太田昌国)
マスコミじかけの天皇制〈24〉 ◉ 首都圏原発「東海第2」再稼働・オリンピック・「生前退位」─〈壊憲天皇明仁〉その22(天野恵一)
野次馬日誌
集会の真相 ◉ 三〇年前の天皇代替わり時の社会をふりかえる(つくば)/天皇・皇后は、なぜ「人気」があるのか?(練馬)/3・1朝鮮独立運動100周年キャンペーン 日本と朝鮮半島の関係を問い直す/おしつけないで! リバティ・デモ
学習会報告 ◉ 鶴見良行『日本の写真 天皇論/写真論1957-72』(鶴見良行著作集第一巻『出発』〈みすず書房〉所収)
反天日誌
集会情報

→前号の目次はこちら

*2018年7月10日発行/B5判16ページ/一部250円
模索舎(東京・新宿)でも購入できます。
http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

【追悼文】追悼・新崎盛暉さん

天皇の「生前退位」希望のメッセージに突き動かされるかたちで開始された天皇「代替り」の政治プロセス。今年(二〇一八年)も、私たちは四月二八〜二九日の連続行動の実行委員会をつくりだした。まず三月二七日から二九日にかけての天皇・皇后の「最後の」沖縄訪問に抗議する運動からスタートしていた。その渦中に、新崎盛暉さん死去の悲報は届いた。

『琉球新報』(四月一日)はこう報じている。

「沖縄戦後史や沖縄民衆運動研究の第一人者で、市民運動をけん引してきた沖縄大学学長で同大学名誉教授の新崎盛暉(あらさきもりてる)さんが三一日午後五時五八分、肺炎のため南風原町病院で死去した。八二歳。東京都出身」。

研究の「第一人者」であることはまちがいないが、彼の研究スタイルは、いわゆる研究者のそれとはまったく違っていた。常に反基地や反安保運動の中に身を置き、運動を方向づける実践的意思をもって状況を緻密に分析する。歴史的過去に向き合っている文章でも、その基本的姿勢は崩さない。ようするに運動の中から、運動に向かって、さらにその外部に向かって発信する。その作業の累積が、そのまま「研究」なのである。いいかえれば運動の「同時代史」の記述が、そのまま「運動史研究」なのである。彼は、最後までその姿勢で完走した。こんな人間を、もう一人さがせといっても、ほぼ不可能であろう。

学生時代は「反復帰」論に理論的共感を持って沖縄について考えることからスタートした私が、復帰運動の代表的イデオローグであった彼に強いシンパシーを抱くようになったのは、八〇年代末からの運動の中での交流を媒介に、その点に気付かされたことが決定的であった。この交流の中で、私たちの運動のパンフレットなどに収めるための彼のインタビューや論文の原稿依頼に、また講演依頼に、「学長」である彼は気楽に応じ続けてくれた。

私と対談で小さな本をつくったこともある。『本当に戦争がしたいの!? 新ガイドラインの向こうに見えるもの』(凱風社・一九九九年)がそれである。そのとき聞けた話で、忘れられない、というより忘れてはいけない話(エピソード)が二つある。

「両親は沖縄出身だけれど僕は東京で生まれた」と語る彼は、一九五二年の〈四・二八〉体験について、こう語っている。

「……校長が全校教職員を集めて、今日で日本は独立しましたということで、万歳三唱をしたんです。それが僕と沖縄の出会いだった。僕は沖縄出身だと思っていても紛れもない日本人でもあった。しかし沖縄が日本から切り離されて米国の支配下に置き続けられるというのに、ここで万歳しているやつがいるわけね。校長が音頭とって、九九%くらいがこれに唱和するわけ」。

〈沖縄人という異質性を自覚した日本人〉これが新崎のアイデンティティであり続けた。すべての仕事が、この軸を中心につくりだされているはずだ。

もう一つは、沖縄の女学生「ひめゆり部隊」の悲劇を知ることを通して「非戦闘員の戦争」という視点をふまえることで、自己の「右翼」的心情と論理が「根底から突き崩され」、〈絶対平和主義〉への思想的通路がついた、という話である。

より具体的なエピソードとしては、一九五六年ごろ全学連のデモの中で、何故沖縄は武装蜂起しないのだろうとの話が出たとき、沖縄戦があった沖縄で武装蜂起などあるわけないと、自分は思ったという回想だ。

この二本の思想軸がうみだした大量の「同時代史」=運動史の再読を媒介に、自分たちの運動史を検証してみる作業、これが私たちに残された課題である。私と彼の個人的な対話のスタートは、広島の松江澄さんからの依頼で、一九八七年の〈八・六〉集会の発言者として、彼に声をかけるという任務から始まった。東京からの依頼の電話に、彼は、あの不機嫌そうな声(こういうブッキラボーな対応は、その後も不変であった)で、快諾してくれた。その時、予定されていた天皇ヒロヒトの訪沖がもたらす、沖縄(死者共同体)社会での政治力に危惧の念を語った私に、彼は皮肉っぽく「沖縄では、天皇といえばあの沖縄売り渡しのメッセージしかイメージされないよ」と答えた。アキヒト天皇歓迎一色に見える沖縄。その中に、もう一度この新崎の言葉を置いてみたい。ひたすら無愛想、そのくせ出会った時の突然フレンドリーな笑顔。そういう人であった。

(天野恵一)

*共同行動報告集(2018年6月14日発行)より

【学習会報告】 君塚直隆『立憲君主制の現在─日本人は『象徴天皇』を維持できるか』 (新潮選書、二〇一八年)

著者は関東学院大学でイギリスの政治外交史を講じており、イギリス王室が専門で「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」では昨年三月の第十回でヒアリング。イギリスや欧州各国の君主制の事例をもとに、天皇退位後の地位や活動、呼称などについて陳述している。ちなみに、明仁には退位後も「国際親善」の役割を担ってほしい、というのが君塚の「提言」だった。

この本は冒頭で「第一次大戦後にドイツ皇帝の体制を崩壊させたからヒトラーがのさばる心理的門戸をひらいた」とした当時のベヴィン英外相の発言をひく。歴史を読み解けば、戦後の「民主化」にもさまざまな可能性がありえた。それにもかかわらず、天皇制の戦争責任も侵略責任もあらかじめなし崩しに、天皇制の存置を、「連合国」首脳の言に基づき所与の前提とするのが著者の立場だ。

すくなくとも、「君主制」とされる国家体制を政治史から論じるなら、各国憲法の内実、王の権限の制約、民主制と君主制の相互の影響や侵犯の具体的な形相をこそ語るべきで、そのためには、憲法をめぐる学説や比較史にも相応の論点の提示があっていいはずだ。この本も、イギリスの「立憲君主制」についてはそこそこに叙述の分量を割いてはいるのだが、それについても通史的な解説のみであり、端的に言えば「現在ある君主制」をそのまま擁護するために、歴史からエピソードを拾い集めてきたにすぎないと言いたくなる。

この本の中では、英国以外では、北欧三国の王室の「君主制」、ベネルクス三国の王室の「君主制」については、それぞれを比較可能な「体裁」で扱ってはおり、この部分はそれなりに便利だ。しかし、その基調として流れるのは、欧州の「先進国」だって「君主制」だからそれでいいのだ、という傲慢なメッセージであり、民主制のありかたには踏み込もうともしない。第一次大戦、第二次大戦を経て、いくつもの国家は君主制を否定し民主制を選択した。その多くは専制君主制の独裁に対する批判により、悲惨な歴史を生みだして崩壊するべくして崩壊した。著者は、そうした選択や歴史をこの本の中でいっさい捨象している。大日本帝国=明治の天皇制についても同様だ。

「日本人は『象徴天皇』を維持できるか」、もちろん結論はあらかじめ「維持せよ」と設定されている。裕仁の「昭和」と明仁の「平成流」は「国民生活に安定」をもたらした、皇位継承問題は残るが、より「開かれた皇室」をめざそう。天皇の高い「道徳的規範」と、臣民の「寛容さと賢慮」で「国民の理解を得られることを切に願っています」というのが、この本の結びである。

ところで、ぶっちゃけ、いまこの日本国家は民主制なのか? 腐敗・頽廃した国家について政治体制の教科書的形態を論じるのは虚しい。実質的な面でいうなら、縁故主義やハラスメント支配が官僚体制にまで蔓延したフツーの独裁国家だろ?……と胸に問いながら、次回は、天皇論を「ご真影」などメディアに現われた姿から論じている、鶴見良行の「日本の写真」(鶴見良行著作集1所収)です。入手困難な方はご相談を。

(蝙蝠)

【集会報告】女性と天皇制研究会・学習会「眞子〝結婚〟延期と憲法24条─なぜスキャンダルになるのか」 

天皇代替わりのさまざまな動きが本格化していくなか、秋篠宮の長女眞子の結婚が事実上ストップした。このことは単なる週刊誌スキャンダルではすまない何かが潜んでいるの? 私たちの生活や社会との関わりと関係ないの? そういったことをきっかけに女天研目線でのXデー状況を読み解く勉強会をしようということになり、まずは五月一七日に学習会を開いた。

はじめに斎藤塩子が「家父長制が観念から義務規定に? 24条改悪」とした問題提起で口火を切った。自民党による改憲論議のなかで、制定当時の社会状況では一定の効果があったと認めたうえで、現在の結婚制度への考え方、ジェンダーへの考え方の変化や多様性に、現行の憲法二四条〈家族生活における個人の尊厳と両性の平等〉では限界があるのではないかと指摘した。

そして、「眞子婚約問題からみる天皇制」として桜井大子が、天皇家での結婚や出産といった私的に思えることも実は公的な問題である。そして彼らの生活はその〝品格〟というものをお金によって保っているので、それらがことさら報道されるのである。私たちにとって結婚・出産はその行為は私的なものだが、制度は社会的公的問題だ、スキャンダルはイデオロギーなのだ、と語った。

その後、参加者も混じって討論会。婚姻、家制度、戸籍制度などの問題は天皇制の問題と密接に関連がある。二四条からの批判ができればいいが、それにはまだ二四条改憲反対の側においても議論不足を感じる。私たちは、関係「ない」ではすまない制度のなかで生きている。現実の社会のさまざまな差別問題とともに考えていきたい、と締めくくった。

斎藤のレジュメの最後に「必要なのは〝家〟への〝参画〟よりも〝家〟からの〝撤退〟」という佐藤文明さんの言葉が引かれていた。この言葉をずっと反芻している。「家」「家族」という枠にとらわれない、個人としての生き方が尊重される世の中になってほしい。次回は七月一二日。

(中村ななこ)

【紹介】『私たちの街の朝鮮学校のこと知っていますか?─福岡朝鮮初級学校校長 趙星来氏のお話』

このパンフレットは、排外主義NO!福岡の学習会、「福岡朝鮮初級学校校長・趙星来さんのお話を聞く」を、講演記録としてまとめたものだ。「お話」の内容は話し手・趙さんの個人史であり、同時に朝鮮学校の歴史と現在である。語り口調の記録は、読む者をジワジワと引き込んでいく。

講演は自己紹介、家族と自分自身の話から始まる。たとえば、お父さん。一九四四年に日本に渡った在日一世で、趙さんと同じ朝鮮学校の教員と校長を務め、すでに他界されている。小中高と日本の学校に通い、朝鮮語はあまり話さないというお母さんは、そのお父さん(趙さんのお祖父さん)が強制連行で炭鉱に連れてこられ、福岡で生まれ育った二世。星来さんが生まれ、朝鮮学校教員のお父さんと家族を支えるために焼き肉屋を経営されていたという。そしていま朝鮮大学で教鞭をとる弟。あるいは総連の活動家の叔父さんや、帰国したもう一人の叔父さんのこと……。

家族の紹介部分だけで、聞き手・読者はまず、趙さんの家族一人ひとりの人生が、在日朝鮮人の歴史の具体的な一つであること知る。趙さんの個人史を語る穏やかな口調は、その趙さんの家族と「日本人」の家族のありようの違いが、日本の植民地主義、侵略戦争の歴史に起因していることを知らせ、そしてそれすらを忘れ去ろうとしているこの日本社会の住人たちを、その記憶へと引き戻す。なるほど、一人の朝鮮初級学校校長の個人史は福岡の朝鮮学校の歴史として、あるいは日本の戦争責任の問題として読み解いていくこととなるのだ。

もちろん、「朝鮮学校のあゆみ」として、福岡に限らない、敗戦後全国で展開された朝鮮学校の設立と閉鎖、そしてまた設立と閉鎖、といった歴史についても語られる。そして、なぜそうやって朝鮮学校を守っていくのかを。

趙さんは語る。敗戦直後の4・26教育闘争について、朝鮮学校創立への闘いや日本の差別政策と学校法人認可取得運動について、朝鮮学校の教育内容について。そして、財政問題。とりわけ保護者、卒業生や同胞、団体からの寄付、行事や施設貸出等による収入を主な財源とする運営は、最終的に保護者負担を大きくしていることを訴えられる。福岡県からのわずかな補助金(一校あたり三十数万?)もこの先どうなることかわからないという。すべてが、日本政府が朝鮮学校を各種学校という位置づけ以上にしない差別政策の結果である。この差別政策は補助金廃止だけの問題ではすまない。朝鮮学校を卒業しても、小中学校を卒業したとは認められないという現実がある。趙さんは「朝鮮学校をきちんと認めてください」と訴える。教育内容を詳細に語られるのも、この「認められていない」現実を超えるための正攻法の一つなのだと思いながら読んだ。すごくまっとうな授業がなされていることを、多くの日本人は知らなさすぎるのだ。私もその一人だった。

また、「今も朝鮮学校が受けている差別」として、法的地位の低さや朝鮮渡航の困難さを例に出し、「一言で言えば朝鮮学校に戦後はまだ訪れていないといえます。戦中戦前のような扱いなのかもしれません」と結ばれる。過去に眼を閉じるというより、過去の価値観(偏見)そのままとしか言いようのない日本社会であることは、言われなくともわかっているつもりだった。だけど、具体的な趙さんの言葉は胸に突き刺さる。

趙さんは、「在日一世はもう本当に残りわずかです。彼らにいい思いをさせてあげたい、このまま日本の地で亡くなるというのは本当に悔しいし辛い」と、語られる。「朝鮮学校が日本に存在してはいけないという風潮を、私は大変つらく悲しく思っております。朝鮮学校が存在すると言うことは、日本にとって日本を豊かにする事だと思っております」とも。趙さんはこの学習会タイトル「私たちの街の朝鮮学校のこと知っていますか?」の「私たちの街の」が、ちゃんとつけられているところを「気に入った」と言われる。そういうことなのだ。この国がつくり出し押しつけた他者の歴史と、この社会が葬り去ろうとする歴史への無関心から、まずは抜け出さなくてはならない。ぜひ一読を!

●一部三〇〇円以上のカンパ
連絡先092-651-4816(福岡地区合同労組気付)

(桜井大子)

【映画を観た!!】東京オリンピック (総監修・市川崑、一九六五年) /民族の祭典・美の祭典 (レニ・リーフェンシュタール、一九三八年)

二〇二〇東京オリンピックが、このままでは再来年に開催されるということになる。各方面で衰退の速度があがり、閉塞の状態を深めているこの「日本」社会において、「国家の威信」を表現する数少ない「チャンス」と目されているのが、天皇の代替わりから東京オリンピックへと続くイベントだ。単なる二週間のスポーツイベントに、どれほどの国家の体重がかけられようとするのか。

しかしそれでもなお、開催させられさえすれば、無償労働や「教育」現場からの動員をかけ、外形的な「華やかさ」を煽るショー政治は展開されるだろう。だから、かつて「大成功」を収めたとされている、ナチスの一九三六年ベルリンオリンピックと、一九六四年の東京オリンピックの映画を見て、開催撤回運動の準備をしてみようとおもった。

レニ・リーフェンシュタールは、戦後、「美のため」「ありのままを撮影しただけ」と一貫してナチスへの積極的な加担を否認し続けた。もちろんこれは虚偽だ。それまでになかった彼女の映像表現や演出効果をのみ取り出し、「芸術」ゆえにその責任を弁護し捨象しようとする評価は「芸術」「批評」に携わる階層にはずっとあり、彼女はこれを狡猾に利用したのだ。

しかし、その映像がかつてないほど「優れた」ものとなった背景には、どれほどの特権と、投入され続けた大量の資源があったかは、少し映像を見ていくだけでも唖然とするほどだ。映画が最大の大衆的メディアとしてあった時代、映画産業は最高の投資効果をもたらすものだった。そしてリーフェンシュタールの映画は、多数の人間はもちろん、カメラやフィルム、移動撮影セットや自動車、大規模な照明、ひいては航空機まで、あらゆる資源を惜しみなくその映像表現に投入している。ナチスの第六回全国大会を素材とした『意志の勝利』を含めて、これほどまでに膨大な国家の特権を投入して制作された「作品」を、その「芸術性」だけで評価したいとはかけらも思えない。撮影されたもの、表現された映像以外に、どれほどの「事実」があったかについて、映画をめでる以外にほんの少しの想像力を働かせるだけでよい。

『民族の祭典』では、冒頭に、端正なギリシャ彫刻が全裸の男性と化し、円盤投げ、やり投げを演じ、さらに裸体の女性の舞踊が演じられ、これが炎に包まれて「聖火」と変わるというみごとに象徴的なシーンがある。そして「聖火」は、その数年後にはドイツの侵略を受ける国々を走り抜けてベルリンをめざすのだ。市川崑『東京オリンピック』でも、明らかにこれをリスペクトした聖火リレーが展開されていく。「聖火リレー」自体がベルリン五輪から開始されたのだが、より、オリンピック大会そのものの「原点」が、この映画にあるということを思い知らされる。オリンピックは、ナチスのベルリン大会、そしてこれを作品とした映画『オリンピア』二部作によって、その後のいっさいを決定づけた。

『美の祭典』の有名な冒頭もみごとだ。朝日に包まれた湖、朝露を含む蜘蛛の巣、虫、鳥たちが、朝もやの中をトレーニングする選手に重ねられてゆき、いつしか鍛え抜かれた選手の震える筋肉をありありと見せる体操競技になっていく。『民族の祭典』はメインスタジアムで機嫌よく観戦するヒトラーを数多く写し、ほぼすべて陸上競技でまとめられているが、『美の祭典』ではこれ以外の競技で構成される。その締めくくりには、高飛び込み競技をえんえんと写すのだが、あらゆる角度から空を背景にスローモーション撮影される。宙を舞うさまざまな姿態の裸の肉体が神秘的に演出され、そこに翻る各国旗がオーバーラップされて「聖火」が消えていくとともに、天空から太陽の幾筋もの光が差し込むのだ。なんともはや。ドキュメンタリーというよりも、むしろアニメ的な演出効果である。

『東京オリンピック』は、作為性でこれに及ばないぶん、より「人間ドラマ」を演出しようとしたのだろう。孤独なランナーを追ったり、選手が倒れる姿や足のマメをクローズアップするシーンもある。さまざまな場面で、選手たちの表情をリアルにとらえる技術はさすがと唸らせるものはある。

しかし、映画もスポーツも、すでにこの私たちの暮らす現実の中では「崇高さ」を喪失している。とりわけ現代スポーツは、国家や利権組織・関連企業と結びつくほどにその姿を変えた。「ルール」や選手資格は大規模な大会ごとに変形していく。指導やコーチはハラスメントと同義にまで近づき、いまやスポーツは暴力を緩和する装置ではなく、暴力そのものだ。そのことをあらためて捉え返すためにも、リーフェンシュタールの『意志の勝利』と『オリンピア』二部作、市川崑『東京オリンピック』は、考えさせる素材に満ちているとおもう。

(蝙蝠)

【今月のAlert】「元号」・「代替わり」 準備の本格化 さまざまな抵抗の回路を!

新天皇「即位」まで一年を切り、「代替わり」に向けた準備が着々と進んでいる。五月一七日、「新元号への円滑な移行に向けた関係省庁連絡会議」(議長=古谷一之・内閣官房副長官補)は初会合を開き、各省庁の幹部らに対して「新元号の公表時期を改元の一カ月前と想定し、準備を進める」との政府方針が示された。政府は改元日までに準備を終えるのが基本とするが、元号を用いた行政システムの一部では改修が間に合わない見通しであり、将来の改元も見据え、政府はシステム間のやり取りを西暦で統一するよう、関係省庁に中長期的な改修も指示した、と報道されている。

カレンダー業界などは、去年の六月から、最低一年前に発表してくれないと対応できないからと、早期の新元号発表を求めていたし、IT業界などからも「一か月前の公表は危険」「果たして一か月で間に合うものなのか」などと懸念の声も上がっているという。退位特例法の成立にあたって、「改元に伴って国民生活に支障が生ずることがないように」との、言い訳的な付帯決議がなされていたが、このありさまだ。

あまりに早い新元号の公表は、いまの天皇に「失礼」だとか、「二重権威」が生ずるとか、意味不明の言い草で、当初は今年の夏とも言われていた公表時期をずるずると伸ばし、挙句、元号制度の不便・不合理さを浮き立たせてしまったことは、嗤うべき自滅であったというべきだが、だから元号制度をやめてしまおうという声が、マスメディアの主流に掲げられることはない。元号そのものは自明の前提としながら、その「合理的運用」を提言するだけだ。

「皇位継承儀式」に関しても事情は似ている。四月三日、政府は「剣璽等承継の儀」や「即位の礼正殿の儀」など即位関連の五儀式と、新設される「退位礼正殿の儀」を「国事行為」としておこない、「大嘗祭」については宗教的性格を考慮して「国事行為」とはしないものの、公費(宮廷費)を支出するなどの方針を閣議了解した。儀式に使うためだけの「大嘗宮」の建設など、儀式のためには膨大な費用がかかるための措置だろう。

四月三〇日付東京新聞は社説で、前回の即位・大嘗祭において、政教分離訴訟がおこされたことなどを紹介しながら、「戦前の宗教性は排して」「象徴天皇の代替わりは国民の理解を得つつ、憲法との調和が必要である。政府にはそんな再検討と準備が求められている」と主張している。「代替わり」の「民主化」を求めるものであっても、「代替わり」や天皇制自体に関する批判的な視点はかけらもない。これは、「憲法にもとづく国民主権と政教分離の原則にかなった新しい(「代替わり」儀式の)やり方をつくりだすべき」であると政府・議会に申し入れた日本共産党の姿勢にも示されている、この国における「リベラル」の天皇問題に関する態度の主流をなすものだ。

(ここで注意しておかなければならないと思われるのは、「戦前回帰の宗教ナショナリズムを抱く人たちに、皇室祭祀が利用される恐れがある」という危機意識に立ちつつ、天皇制をめぐっては、「神聖か象徴か」という問いがある、「『慰霊の旅』などを続ける今上天皇のあり方が、神聖国家回帰に対する防波堤の役割を果たしてきた」と評価する島薗進らの議論である(四月一二日東京新聞・ こちら特報部)。これだけならよくある「リベラル」の明仁天皇評価の範囲だが、島薗はさらに一歩進んで、「民主主義の次元には、宗教的な次元が欠かせない」という論理で、明仁天皇制の論理を正当化するのだ。詳述する紙幅はないが、天皇儀礼や「国家神道」、「政教分離」というものを考える上で、きわめて危険な議論であると思う)。

こうした言論状況の中で、私たちに求められているのは、身分差別と人権侵害の象徴であり、人びとの意識を、日常的に国家的共同性へと包摂・統合する国家の装置としてある君主制度=象徴天皇制を拒否するという立場から、状況にどのように介入していく言説を運動的に作り出していくかということであり続けている。

しかしすでに、この間、反天連も呼びかけ団体の一つに加わって展開されている「元号はいらない署名運動」、首都圏や各地で始まっているさまざまな天皇制反対の動きとその連携、また、即位・大嘗祭を違憲訴訟で問うていこうという動き、そしてまだ私たちの知らない具体的な回路はいくつも出てきているはずだ。元号はいらない署名運動では、七月二一日に集会も準備している(一三時一五分開場、文京区民センター)。行動し、つながりあい、議論していこう。

(北野誉)