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【学習会報告】学習会報告 原武史『平成の終焉』 (岩波新書、二〇一九年)

この間、メディアに頻繁に登場する原武史の新刊。
 
二〇一六年八月八日のビデオメッセージについて分析を加えた部分では「憲法で禁じられた権力の主体になっていること」「国民」から排除される存在への着目、天皇警備や警備や規制による人権侵害の問題など、私たちがこれまで主張してきた内容と重なる部分も多い(摂政の拒絶に、「大正」を繰り返してはならないという明仁の意志があったなどの主張は、原ならではの視点だが)。続く、「平成流」といわれる明仁・美智子の行動が、「昭和」において胚胎してきたものであったこと、それが美智子の主導で形成されてきたことについて、地方紙の分析などをつうじて詳細になされた部分は、とくに皇太子時代の、地方農村の若者や女性たちとの「懇談会」についてなど、とてもおもしろかった。「昭和」と「平成」における彼らの行為の連続性と変化とが、具体的に整理されていて便利だ、という感想が多かった。
 
最後に「ポスト平成の皇室」がどうなるかが「予想」されている。それが明仁が望んだような「象徴天皇の務め」通りになるかどうか。これは、徳仁天皇制を、われわれがどのようなものとしてとらえ、それとどう対決していくのかということを考える上でも参考になる。
 
一方、象徴天皇制の務めを天皇自身が定義づけたことに疑義を示しつつも、象徴天皇制を「深く考えてこなかった国民」という存在に理由を求め、「猛省する必要」を説くなど、批判的スタンスが一貫していない部分が随所にある。これは、この本のもとになったテキストの成り立ちと関係があるのでは、という推測も。明仁・美智子の「市井の人々との対話」をパトリオティズムに根ざしたナショナリズムとした部分も議論になった。
 
次回は五月二八日(火)、井上寛司『「神道」の虚像と実像』(講談社現代新書)を読む。

(北野誉)

【集会報告】4・27-5・1 おわてんねっと「反天 WEEK」をやりぬいたぞ!

今回の明仁退位=徳仁即位という天皇「奉祝」漬けの日々を、反天皇の日々として打ち返していこうという趣旨で、「終わりにしよう天皇制!「代替わり」反対ネットワーク」(おわてんねっと)は連続行動として「反天WEEK」を呼びかけた。以下、まとめて簡単に報告。

●四月二七日、「アキヒト退位・ナルヒト即位!? 今こそ問い直そう!天皇制」集会
 
正確には、おわてんねっとに賛同している練馬の会の集会だが、反天WEEKの初日として位置づけた。講師は伊藤晃さん。「象徴天皇制の正体」と題して多面的に報告。おわてんねっとからもアピール。参加者一〇〇名。

●四月二八日、「沖縄デー」集会
 
講師は反天連の天野恵一。「沖縄とアキヒト天皇の歴史」を丁寧に分析。一坪反戦地主会関東ブロックの与儀睦美さん、沖縄機動隊派遣住民訴訟の岩川碧さん、香港人靖国抗議見せしめ弾圧を許さない会の和仁廉夫さんからアピール。参加者一二〇名。

●四月二九日、「昭和の日」反対立川デモ
 
立川の緑町公園から昭和記念公園・昭和天皇記念館に向けたデモ。出発前、三多摩地域で活動を持続してきた人たちを中心にアピール。「日の丸・君が代」問題、「慰安婦」問題、ミニコミ活動、立川自衛隊監視テント村など。参加者一五〇名。

●四月三〇日、退位で終わろう天皇制!
新宿大アピール

新宿アルタ前の一等地を占拠し、反天龍の横断幕を広げてアピール。目の前に右翼が陣取り、間に警察が割って入る形となり、残念ながらビラまきはできず。しかし二時間以上にわたって、賑やかに参加者のアピールやおっちんズの歌、シュプレヒコールを続けた。そして五時から始まった明仁天皇退位式がアルタの大画面に映し出されると、式典の間中、抗議のコールをあげ続ける。小雨にもかかわらず、一五〇名が参加して解放的な時間をつくりだした。

●五月一日、新天皇いらない銀座デモ
 
新橋駅前のホールに集合。人がどんどん集まって会場に入りきれず。デモ出発前、女性と天皇制研究会、オリンピック災害おことわリンク・鵜飼哲さん、民族問題研究・太田昌国さん、wam・渡辺美奈さん、「直接行動」の仲間、homeら連、即位大嘗祭違憲訴訟の吉田哲也弁護士のアピール。雨のなか、「終わりにしよう天皇制」の声を銀座に響かせる。この二五年くらいでは、反天皇制運動としては最大結集となる五〇〇名の参加。
 
とにかく、この状況に対して、「終わりにしよう天皇制」をメインスローガンとして一連の行動に取り組み、その全てにおいて私たちの予想を大きく超える結集をかちとれたことは、言うまでもなくこの「代替わり」状況に対して、疑問を感じる人が増えていることの反映だろう。

もちろん、「代替わり」儀式はこの期間だけで終わりではない。秋の「即位礼」「大嘗祭」をゴールとして、天皇・トランプ会談をはじめ、新天皇のお披露目としての各地「巡幸」など、「奉祝」状況は続くのだ。これに対して私たちは行動を続けていく。これからもおわてんねっとへの注目と参加を!

(おわてんねっと/S)

【集会報告】浜松・天皇制を考える集会

四月二〇日、浜松でも天皇制を考える講座が開催された。人権平和・浜松が準備した「代替わり問題浜松講座」だ。私は「ここが問題!天皇代替わり」という課題を与えられ、参加者とディスカッションするという、とても有意義な時間をもらった。
 
私からは、明仁天皇「退位」の経緯と問題を簡単におさらいし、「代替わり」のスタートの時点における天皇の「国政関与」問題、天皇制強化となる「退位特例法」成立等を時系列で簡単に整理し報告した。

次のステージとして「退位・即位・大嘗祭」と続く諸儀式が、政教分離・主権在民・民主主義原則に反することを、いくつかの具体的な例を出して紹介した。こういった、天皇の世代交代による大騒ぎが、天皇制の侵略戦争・植民地主義政策への責任という問題を希薄化していき、天皇の自由度が拡大していくことなども伝えたかった。今回、議論したかったことの一つは、この「代替わり」期間中に行われる天皇制教育の問題であった。「万世一系」思想の普及、天皇とその一族が日本の「伝統・文化」を体現しているという妄想の普及、世襲制や家父長制の天皇一族を持ち上げることによって、世襲制・家父長制に正当性を与えてしまう教育、等々だ。
 
会場からは、実にたくさんの意見がざっくばらんに出された。印象に残っているのは、「恩赦」をめぐる議論だ。この問題は私の頭の片隅に残っている。最後に浜松恒例の、主催者グループの歌。「今回は「君主制からの解放」を歌ってくれた。
 
コミュニティカフェPaoという素敵な会場が、議論を堅苦しいものとさせず、参加者が自由に話しあえる場をつくり出していた。もっとこういった議論の場がたくさんあるといいよね、と本当に思う。

(大子)

【集会報告】人権と報道・連絡会定例学習会

四月一九日、水道橋のスペースたんぽぽで、「人権と報道・連絡会」の定例学習会が開かれた。今回は、文喜相韓国国会議長の「天皇謝罪要求」をテーマとしてもたれ、反天連の北野(私)が報告した。
 
報告内容は、私が本紙三月号「今月のALERT」に書いたような内容をベースにしたもので、国会議長の発言をめぐる、国内政治家を中心とした反応、天皇が実態として「元首」としてふるまい、海外からもそう見られている以上、共産党の志位和夫委員長が言うように「憲法上、天皇は政治的権能を持っていないから、謝罪は不可能」などと超然として済ませることはできないはず、結論としては「明仁は謝罪して退位し、天皇制もやめろ」というしかないだろうということを主張した。
 
そのうえで、戦後象徴天皇制国家の植民地支配責任の問題を「継続する植民地主義」としてとらえる視点から、六五年の日韓条約における日本側の「植民地支配正当論」の問題、八四年の全斗煥以降、歴代の韓国大統領来日のたびに繰り返された天皇の「おことば」の変化を取り上げ、それとそのときどきの政権の外交姿勢との関わりなどについて報告した。最後に、「代替わり」を迎える天皇制のあり方についても提起し、議論した。

人権と報道・連絡会は、民主主義を破壊する政権への批判をなしえないばかりか、それに積極的に加担するマスメディアのありかたを批判的に検証し続けてきたグループであり、天皇報道についても、反天連と共催で集会を持ったりしてきた。これからもいろいろ協力していければと思う。

(北野誉)

【追悼文】 追悼 高橋寿臣さん

今、私の手元に三本の原稿がある。一本は『「天皇代替わり」との闘い昭和Xデーについて』、一本は『かつて十・八羽田闘争があった』、そして『続全共闘白書』へのアンケート回答紙である。いずれも高橋寿臣さんから亡くなる数日前に「プリンタの調子が悪いので刷っておいて」と頼まれたものだ。原稿はすでに掲載予定の雑誌や機関紙に送られてはいたが、周辺にも配りたいとのことで、亡くなったその週にも手渡す予定になっていた。高橋さんの手に渡ることはもうない──原稿を手に私はいまだ呆然としている。
 
私が高橋さんと初めて会ったのは、一九八四年の反天連の立ち上げ時だった。救援運動を担っていたグループ・個人を中心に十数人が高円寺の事務所に集まり、反天皇制の運動をどうつくっていくかを話し合った。そこで、ひときわテンション高く大声で喋り、ガハハと陽気に笑う、それが高橋さんだった。当時、彼は「靖国問題研究会」の一員として参加し、靖国神社問題という視点を反天皇制運動に提示した。靖問研との出会いは反天連にとってとても大きかったと思う。全斗煥来日、中曽根の靖国神社公式参拝……、Xデーに向けて私たちは文字どおり走り続けた。
 
そのなかで高橋さんがしばしば口にした言葉が「課題にこだわる」であった。ヒロヒトXデー後の一九八九年の4・29を闘った後に彼が反天連ニュースに載せた一文がある。それまで共に反天皇制を闘った人々から、もっと幅広い課題での運動を起こしていくべきという声があり、それに対しての文である。

「……私たち〝心の狭い〞反天連は、このような時いつも、戦後大衆運動史の中で度々現れてきた『幅広主義』=運動の質を問わない『多数派形成論』や、それと必然的に結びついている運動のリーダー達の『課題ころがし』のスタイルの繰り返しでは?と、胡散臭さを感じとってしまう。……日本社会の変革の道筋や展望は、政治力学関係への場当り的利用主義では決して生み出されえないと思っているからである」。自身の党派経験への反省も込められていたように思う。
 
その高橋さんが最後までこだわっていたのが沖縄だった。亡くなる数日前、パソコン操作を手伝ってと言われ助っ人に出向いた。冒頭の『続全共闘白書』の回答を作成する作業だった。高橋さんは「つまらん質問するな〜」とブツブツ言いながらも一つ一つ真面目に答えていた(回答は本名での内容公表可としている)。「自主的な活動をしていますか」という問いに「日本国の沖縄への強権支配をやめさせるため、可能な限り動きたい」と回答、「沖縄の辺野古新基地阻止闘争にもっと関わりたいが、体力・金力の衰退が残念」とも書いている。そう答えながらも「もっと辺野古に行きたい」と口惜しそうに語っていた。そして一つの提案を聞いた。それは軟弱地盤が見つかった辺野古には莫大な税金が投入される、税金を使うなという裁判を起こせないかというものだった。〝税〞の観点で裁判を起こすことで辺野古の問題をヤマトの問題・関心事にできないか、阻止できないかという思いだった。
 
私はほぼ第一期で反天連を離れたが、それ以後のほうが高橋さんに多く会うようになったと思う。福島にも行った、辺野古にも行った。もちろん二人だけではない、パートナーの芥川さんや高橋さんの友人たちとの同行である。私は高橋さんの五歳ほど年下だが、高校・大学時代と運動の端っこにいて、対党派闘争も経験したので、高橋さんの全共闘時代の話を興味を持って聞いた。その時代の友人も多く紹介された。「遊び」にもよく誘われた。「野沢温泉に行かないか」「和歌山のクルマ旅に行こう」と言われ、高橋さんと話すのが大好きだった私は声がかかるたびにいそいそと出かけていった。ワイワイ遊ぶのが好きだった高橋さんは友人たちを結びつけるのも得意だった。先日の葬儀で、そうして知り合った一人から「僕たちの〝カナメ〞がなくなってしまったね」とポツリと言われた。そう、私(たち)は要を失ってしまったのだ。
 
最近は自分の闘争の原点と言っていた十・八羽田闘争を考える山﨑博昭プロジェクトにも顔を出していると聞いた。そこでファンだった歌人・道浦母都子に会ったと嬉しそうに話していた。光州事件を描いた映画『タクシー運転手〜』ではいつも腰に下げていたタオルで涙を拭っていた。人一倍涙もろく、闘う人が大好きだった。大の中日ドラゴンズファンでもあった(葬儀のとき棺に中スポを入れた友人もいた)。いろんな高橋さんと会ったなあと思う。
 
高橋さんが亡くなったのは新元号が発表された日だ。昼近くにプールに行きサウナで倒れてということなので果たして新元号を知っていたのか……。発表から続くあのバカ騒ぎをどう思っただろう。
 
亡くなる数日前にも高橋さんと飲んだ。よく飲み、よく食べ、よく喋り、そしてやはりガハハハと甲高く笑った。緩んだ差し歯が飛び出しそうになって慌てて押さえながら、笑い続けていた。
 
高橋さんはもういないのだと繰り返す。でも私はまだその世界に馴染めない。いつもせっかちだった高橋さん、でも、今回ばかりはせっかちすぎやしませんか。

(末田亜子・反天連OB)

【今月のAlert 】この連続行動の成果を 天皇トランプ会談にぶつけていこう!

四月三〇日、明仁が「退位」し、五月一日には徳仁が「即位」した。私たちは、四月二七日から「終わりにしよう天皇制!反天WEEK」として、五月一日までの五日間という異例の連続行動を呼びかけた。
 
まず参加者の数を連ねよう。四月二七日に練馬のグループの主催で行われ、私たちにいつも助言してくれている歴史家の伊藤晃さんが話された集会は、一〇〇名の参加者を得た。
かつてサンフランシスコ条約でヤマトが占領下から脱却すると同時に、天皇により米軍基地の島として売り渡された四月二八日の沖縄デー集会は、一二〇名の参加者。恥知らずにも戦争責任を否定し続けた裕仁の誕生日を記念日とする四月二九日には、立川で、昭和記念公園、昭和天皇記念館、さらに自衛隊基地に向けたデモ行動が取り組まれ、一五〇名の参加者。さらに四月三〇日には、明仁退位の一連の儀式が実施される時間に合わせて、新宿東口アルタ前広場で二時間にわたって「退位で終わろう天皇制!新宿大アピール」を展開し、見た目は警察に封じ込められているかのごとき状況ながら、心から自由なアピールを展開、数多くの友人知人たち一五〇名が参加してくれた。
 
そして迎えた五月一日、新橋での集会に参加してくれた人びとの発言はいずれも重く大切なものだったが、さあデモへの出発をというとき、並んでくれた列は驚くほど長く続いて、実数で五〇〇名の参加により銀座を歩くことができた。人の列をふり返ったとき、雨の中ということもあってか最後尾が見えず、心の底から熱いものがこみ上げてくるのをおぼえた。
 
この時期には、全国各地でいくつもの取り組みがなされており、「天皇制批判」を正面から掲げたものでなくても、この「奉祝」状況に対して批判する発言が多く飛び交ったはずだ。私たちはいまなお微力ながら、天皇制を批判する大衆的な運動としての確かな手ごたえを感じることができたと、きっぱりと言い切っておきたい。
 

 
新天皇となった徳仁は「即位後朝見の儀」において「常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たす」と述べた。三〇年前の明仁の即位に際しての発言には「日本国及び日本国民統合の象徴としての責務」というものはない。もちろん日本国憲法上には「象徴」という定義こそあれ、このような天皇の「責務」などないわけで、これこそが、明仁がその天皇としての活動を通じて造り上げてきた「象徴としての行為」ということだ。私たちがくりかえし批判し、憲法学者からも指摘されてきたように、「象徴としての責務」「象徴としての行為」は、法に記述もされず定義のための論議も経由せず、憲法の制約から離れて天皇自身によってのみ位置づけられている、いわば天皇の「フリーハンド」となっている領域だ。これは、時代状況、政治や社会状況に応じて、皇室祭祀や「祈り」というパフォーマンスの宗教行為とともに、今後はさらにさまざまな内容をもって繰り出されてくるはずだ。
 
天皇の「代替わり」状況は、これからもまだ続く。この秋には即位礼や大嘗祭を中心としたスケジュールがすでに組まれている。「奉祝」の宣伝が政府やメディアにより広報され、多幸性の空気が支配するそのなかで、安倍政権の国内での独裁強化が、アメリカの政治的軍事的影響へのさらなる拝跪として立ち現れ、同時にアメリカの黙認の下での日本国憲法の改悪までも具体化する可能性が十分に考えられる。
 
安倍は、これに乗じてアメリカのトランプ大統領の訪日を具体化させた。五月二五日から二八日までの「国賓」としての訪日においては、アジアの隣国など他国にさきがけてトランプと徳仁の会談が行なわれる。日本経済への干渉によりさらに産業構造がゆがめられ、もっと悪いことにアメリカの軍事産業への奉仕のために、欠陥機ともいわれるF35やオスプレイなどをはじめとする武器購入が進められるだろう。徳仁とともに、新皇后となった雅子も、元外務官僚としてのキャリアを発揮するかもしれない。安倍のおべっかも大量に流されるだろうし、何一つとして良い方向性が出るとは考えられない。

私たちは五月二六日に新宿においてデモを準備している。日米同盟・安保強化の天皇外交を許すな!行動に多くの人びとの参加を呼びかける。

(蝙蝠)

【月刊ニュース】反天皇制運動ALERT 35号(2019年5月 通巻417号)

 

今月のAlert ◉ この連続行動の成果を天皇トランプ会談にぶつけていこう!(蝙蝠)

反天ジャーナル ◉ ─トメ吉、テレびっ子、橙

状況批評 ◉ 『国体論』ノート(松葉祥一)

追悼文 ◉ 追悼 高橋寿臣さん(末田亜子)

太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈107〉 ◉ 「開明的な現代性」と神話・宗教世界の平和共存(太田昌国)

マスコミじかけの天皇制〈34〉◉ 〈象徴天皇教〉の〈朕朕(オレオレ)詐欺〉に抗して─〈壊憲天皇明仁〉その32(天野恵一)

野次馬日誌

集会の真相◉人権と報道・連絡会定例学習会浜松・天皇制を考える集会4・27-5 ・1おわてんねっと「反天WEEK」をやりぬいたぞ!

反天日誌

学習会報告◉原武史『平成の終焉』(岩波新書、二〇一九年)

集会情報

→前号の目次はこちら

*2019年5月7日発行/B5判12ページ/一部250円
模索舎(東京・新宿)でも購入できます。
http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

【学習会報告】河原宏『日本人の「戦争」──古典と死生の間に』 (築地書館、一九九五年)

 今回の政治(思想)史研究者・河原宏の『日本人の「戦争」─古典と死生の間に』(一九九五年・築地書館〈二〇一二年に「Ⅳアジアへの共感と連帯」「Ⅴ自壊の系譜─アジア主義の制度化をめぐって」の二つの章は削除され、講談社学術文庫に収められている)は、かなり特異な本であった。

 〈あの戦争を実感として取りあげる、人が生きる上の哀歓は、何時でも何処でも変わらない〉〈人間には、死に直面してかえって生を実感するという逆説がある〉。

 「古典と死生の間」という奇妙なサブタイトルをつけた本書のモチーフは、こんなふうに語られている。それは以下のごとき世代的〈経験〉を根拠にかたちづくられたものだ。

 〈……社会的にものごころついていたほぼ中学三・四年の時には、すでに敵の大軍は本土周辺にせまり、戦争とはまさに祖国防衛戦争にほかならなかった。しかしそれだからこそ、祖国とは何かの問いには、どうしても自分の答えを見つけなければならなかった〉。

 国家・天皇・戦争とは、何なのかという自問を、自分の命をかけ(されられ)た体験を通して、手ばなさなかった著者は、戦死者との対話として、歴史を書き続けてきたわけである。〈死者〉との対話は、戦後身につけた歴史的・社会科学的知見(「抽象」)のみではなく〝情〟(共感・共悲・共苦)の感情をテコにした論理を必然化する。戦争を人々の「心の内側」からも見ようという方法。

 私は築地書館の単行本でレポートしたが、二つの章が欠落している文庫で読んできた参加者には、レポート(説明)がしにくかった。ゆえにこの削除は問題ナシとする作者の意図(文庫版あとがき)は、理解しかねた。

 この方法そのものに拒否感をあらわにする参加者もいたが、私は少し「あやうい」ものを感じないわけではなかったが、わりとストンと胸に落ちる方法であり展開であった。

 次回は四月二三日(火)、原武史の『平成の終焉』(岩波新書)を読む。

(天野恵一)

【集会報告】「即位・大嘗祭」儀礼と政教分離との関係を問い直す

 ピープルズ・プラン研究所の主催で、ふた月に一度のペースで行われている〈「平成」代替わりの政治を問う〉連続講座。第九回をもってとりあえず一区切りをつけ、今後は第二期として、秋にかけて現実に行われていく「代替わり儀式」を射程に入れてテーマ設定をすることになった(らしい)。三月二四日、ピープルズ・プラン研究所会議室で、その一回目、「『即位・大嘗祭』儀礼と政教分離との関係を問い直す:〈天皇教〉と戦後憲法」が行われた。問題提起者は、高橋寿臣(反天連OB)、辻子実(安倍靖国参拝違憲訴訟の会・東京)、反天連の北野誉と天野恵一の四人。

 高橋さんは、反天連の源流のひとつともなった靖国問題研究会の、八〇年代初頭からの活動をふりかえった。七〇年代に天皇制の突出という状況がある中で、天皇のための死者を祀る靖国神社の問題を、あらためて学ぶ必要性を感じ、年に二、三回の靖国天皇制問題集会を開催した。反天連に合流していく中で、八五年の中曽根公式参拝を闘った。天皇の儀式の宗教性が、日本人の曖昧な宗教意識と結びついて、天皇制を容認する「国民意識」を支えていると指摘した。

 辻子さんは、政教分離訴訟の流れと、大嘗祭の儀式内容について、写真などを提示しながら説明。北野は、二〇〇〇年代前半に出てきた「無宗教の国立戦没者追悼施設」をめぐる動きから、非宗教的な装いを持つ「国家宗教」について報告した。天野は、このかん「天皇教」という用語を積極的に使うようになったこと、戦後国家は「非宗教国家」というのが建前であることを、竹内芳郎の議論を紹介しながら展開した。

 すでにふれられているように、高橋さんは、この講座のたった一週間後にあっけなく逝ってしまった。「公的」な場での発言としては、これが最後のものとなったはずだ。講座内容は毎回パンフ化されている。もはや高橋さんに手を入れてもらうことはかなわないが、完成したら、ぜひ多くの方に手にとって読んでほしい。

(北野誉/反天連)

 

【今月のAlert 】「代替わり」本格スタートに対抗する反天WEEKへ──ともに!!

 四月一日、新「元号」が発表された。新「元号」を掲げる菅官房長官のしたり顔と、その掲げられた「令和」の二文字が、その日の夕刊一面をドアップで占拠した。私が購読する新聞の翌日朝刊は、「教育欄」「生活欄」「文化・文芸欄」と数字が並ぶだけの「金融欄」以外で、「元号」を見ないですむ欄はないという異様さであった。社会全体がこの情報を待っていたし、「新しい時代」を喜んでいると言わんばかりである。少なくともそのように誘導する。しかし、それが空回りであることもメディアはよくわかっているはずだ。

 よく見れば、反対する声も記事になっている。実際、反対する人は少なくない。世論調査でも「元号離れ」は指摘されている。しかし、すべてが決まったあとに、どのように反対の意見を紹介されても遅すぎるのだ。元号反対の署名を始めた時も、国会への抗議行動も、そして署名提出の時も、メディアはまったくもって無視を決め込んでいた。今さらでも何でも、私たちの意見が表に出るのはいいに違いない。だが、影響を及ぼすには時機を逸し過ぎた記事づくりには、ほとほとイヤになるばかりだ。

 世論調査での「元号離れ」はすでに昨年から指摘されていたし、非合理性や「国民生活への影響」も指摘されていた。しかし、やめようという言論づくりは見られない。遅すぎる時期を待たずに、それをやるわけにはいかない。そういう方針に貫かれているのだ。

 「元号」は「中国古典からではなく国書から」という保守派を代表する安倍の意向で、「万葉集」から選ばれた。しかしその翌日には、その歌も中国古典が元になっているという専門家たちの「定説」が暴露されているし、菅による新「元号」発表の直後に行った安倍の記者会見についても、安倍が政治的すぎるといった声がすでに週刊誌等では上がっている。新「元号」の政令への署名が新天皇ではなく、現天皇がなす事への批判等々も。もともと、元号の発表時期をめぐっても、天皇退位・新天皇即位と絡まりつつ、「国民生活への影響」などまったく無視されながら、政府の手前勝手な紆余曲折を経て四月一日に決まったのだった。ケチばかりがついている。

 それでも「元号」をやめようという話にはならない。良い「元号」の発表時期、良い発表の仕方、良い「元号」の選び方や良い手続きに良い運用……。しかし、そんなものはあり得ないのだ。「元号」がダメなのだから。元号は非合理的である。しかし、それ以上に、思想信条の問題であり、歴史認識、基本的人権の問題なのだ。

 新「元号」発表より少し前の三月一二日、天皇は、「退位及びその期日奉告の儀」という天皇退位に関する最初の儀式を行った。天皇が四月三〇日に退位することを、皇居内にある宮中三殿で神々に報告するという儀式だ。その神々とは、アマテラスであり、神武天皇から始まるという歴代天皇の霊であり、その他諸々の神々であるという。私たちは忘れがちであるが、天皇たちは常にこの神々とともにあり、祈りの対象として皇居内に祀っているのだ。同日、伊勢神宮、神武天皇陵、昭和、大正、明治、孝明の各天皇陵に使者を派遣する「勅使発遣(ちょくしはっけん)の儀」も行われている。

 そして三月二六日、関連行事の一つとして、天皇・皇后は「皇室行事」として、神武天皇陵を参拝した。このような退位関連儀式は全部で一一ある。今後、四月一八日に伊勢神宮、同月二三日に昭和天皇陵を参拝し、退位を直接報告するという。四月三〇日の「退位礼正殿の儀」は国事行為として開催し、三権の長、閣僚らも出席する。

 なぜ、退任・就任ではなく退位・即位なのか。「代替わり」がなぜ辞令一枚ですまないのか。これらの一連の儀式が物語るが、宗教的な存在が国家機関となっているからだ。そして、それが一公務員の「身分」ではないという認識があるからだ。そのような制度に縛り付けられているこの国のありようが、社会のセーフティネットよりもこのような制度に多額の税金を使うことを是とするのだ。

 二月二二日、加納実紀代さんが、四月一日、反天連の高橋寿臣さんが亡くなった。お二人からはたくさんのことを学んだ。高橋さんは、この反「代替わり」闘争を私たちと共に走るつもりであったはず。

 4・27から始まる反天WEEK、気持ちは一緒に頑張るぞ。みなさまもぜひご参加を!!

(桜井大子)