「共同行動」カテゴリーアーカイブ

【呼びかけ】「新元号制定に反対する署名」集めにご協力ください

2019年5月1日の天皇代替わりにむけて、政府は新しい元号を2018年中に発表するとしています。

一昨年来、首都圏各地でさまざまなかたちで反天皇制の運動に取り組んできた私たちは、この新元号制定に反対する署名活動を皆さんによびかけます!

「昭和」の時代と比べれば、市民生活から元号は急速に姿を消しつつあります。インターネットでも元号不要論・不便論が公然と語られだしてきました。「最も生活に身近な天皇制」であるはずの元号と、民衆意識との乖離は着実に進んでいるのです。この天皇制の大きな弱点である元号制度を突くことを通じて、「終わりにしよう天皇制」の声を、共に、さらに広げていきましょう!

「8・8天皇メッセージ」から始まった「平成」代替わり反対闘争の重要な一環として、この署名運動に取り組んでいただけるようお願いします。目標は5000筆です。たくさんの仲間と共同できることを心待ちにしています。

(2018/2/1)

(1)署名を集めて集約先や取り扱い団体までご送付下さい。

(2)運動の広がりを示すために、ご自身や、団体で取り扱い団体・個人になって、署名集約のハブになってください。

(3)街頭署名取りをぜひ計画してください。一緒にやる仲間が見つからない方は、下記いずれかの連絡先までお気軽にご相談ください。

(4)署名提出行動にご参加下さい。集まり具合や政府側の日程を見て、あらためて日程をお知らせしますので、ご参加ください。

★署名第二次集約は7月31日(火)です。

・ネットでの署名ができます
ここをクリックしてください

・用紙は右サイトでもDL可です

→天皇制はいらない
http://han.ten-no.net/

→ブログ「天皇制いらないデモ実行委OUT!」
http://tennoout.hatenablog.com/

【「元号はいらない署名運動」呼びかけ団体】
■ 反天皇制運動連絡会  千代田区神田淡路町1-21-7-2A 淡路町事務所気付 hanten@ten-no.net
■「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会
横浜市神奈川区鶴屋町2-24-2 かながわ県民センター9FレターケースNO.333
■ 靖国・天皇制問題情報センター 新宿区西早稲田2-3-18-31 キリスト教事業所連帯合同労組気付(署名用紙郵送はこちらまで)
■ 天皇制いらないデモ実行委員会 立川市富士見町2-12-10-504 立川テント村気付 tennoout@gmail.com

【集会報告】天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4・28─29連続行動

今年も4・28─29連続行動として、天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える連続行動実行委を起ち上げ(もちろん反天連も参加)、4・28集会、4・29デモを無事終了させることができた。この実行委では、三月の天皇の沖縄・与那国訪問を問う集会を開催し、大きな連続行動ともなった。協力・参加されたみなさま、お疲れさまでした!

今年の反天皇制運動の実行委員会は、明治一五〇年キャンペーンに抗していくことを一つの大きな課題として立てている。2・11行動に引きつづき、4・28集会もこの課題視点で準備を進めた。

文京区民センターで行われた講演集会の講師は湖南通さん(日本近代法史)。湖南さんは沖縄・辺野古の座り込み闘争から戻って来られたばかりで、お話はそのホットな報告から始まった。湖南さんを始め多くの座り込む人たちがごぼう抜きにされ、背中は米軍基地のフェンス、目の前に機動隊の壁が立ちはだかる空間に押し込まれ、そこはいかにも象徴的な空間で、米軍と日本警察によって作られた牢獄に入れられたようだったと、語られた。「明治一五〇年」と沖縄の歴史、現在のヤマトと沖縄の関係を象徴するシーンでもある。

講演では、琉球国が天皇制国家に併合されていく過程とその差別的な政策、その目的が沖縄を「国防の人柱」として利用することであったことなど、文献を紹介しながら詳細に語られた。そして、日本の敗戦、天皇メッセージ、沖縄の米軍統治時代、沖縄返還から現在へと続く。現在の沖縄と日本の関係、沖縄の基地問題を理解するために必要な歴史を、ポイントを絞って話していただいたのだと思う。とてもわかりやすく、批判とユーモアに富んだお話だった。
講演後、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック、基地・軍隊はいらない!4・29集会、安倍靖国参拝違憲訴訟、機動隊沖縄派遣住民訴訟、優生保護法の問題、元号いらない署名等、短いが内容の濃いスピーチをもらって終了。集会参加者一〇六名。

翌日二九日の反「昭和の日」のデモは、一貫して「天皇いらない」を主張するデモとして準備。大きな「天皇はいらない」の横断幕(実際は縦断幕)もつくった。デモ出発前には常磐公園で、実行委から前日の集会の報告を簡単にし、元号いらない署名、辺野古への基地建設を許さない実行委員会から、デモ終了後も、多摩地域メーデー、労働運動活動者評議会、明治公園オリンピック追い出し国賠訴訟からアピールをもらった。

デモ中は、警察が右翼街宣車がデモに接触しないように周辺で止めていたようで、もっぱら歩道で騒ぐ右翼とそれを取り囲む警察があちこちで団子になっていた。右翼の弊害が少ない時は決まって警察の規制のひどさが目立つ。「私たちは軍隊ではない、そのような口調の命令をしないでくれ」と、何度声を荒げたことか。背中を押す、参加者の肩や背中を平気で触って「前へ、前へ!」「詰めて!詰めて!」とくり返す警察に、参加者も腕を振り払ったり、抗議をくり返していた。それでもデモは気持ちがいい。デモ参加者一〇〇名くらい。実行委員会の行動はまだ続く。数は力なり。継続は力なり。これからもご参加お願いします!

(大)

【集会宣言】4.28-29連続行動集会宣言

3月27日から29日にかけて、明仁・美智子は、「最後の」沖縄訪問をおこなった。3日間でのべ約2万人が歓迎のために集まったとされ、那覇の国際通りでは、自衛隊の陸・空特別編成音楽隊を先頭に、「日の丸」と提灯を掲げた奉迎パレードが行われ、4500人が参加した。今回の沖縄訪問は、天皇として6回目、皇太子時代を含めると11回目となり、今回初めて「国境の島」与那国も訪問した。

明仁の沖縄訪問について、各メディアはその「慰霊」「平和」の思いや「癒し」なるものを最大限持ち上げて報じた。〈1975年、皇太子時代に初めて沖縄を訪問したとき、ひめゆりの塔の前で火焔瓶を投げつけられたが、明仁はそれ以後も一貫して沖縄に心を寄せ続け、沖縄訪問のたびに摩文仁の戦没者墓苑で献花し遺族らと向き合い、その感情に寄り添って平和を祈り続けてきた……〉といった物語である。

今回天皇が沖縄訪問をした3月27日は、いわゆる「琉球処分」=処分官・松田道之が、武装した兵士や警官などを従えて首里城に押しかけ、廃藩置県を布達した日であった。そして、1945年に米軍が慶良間諸島に上陸し、沖縄戦が始まったのは、前日の3月26日にあたる。また今年、天皇が沖縄に着いたまさにその日に、陸上自衛隊は全国の5方面隊を一元的に指揮する司令部として、朝霞駐屯地に「陸上総隊」を発足させ、直轄部隊として「離島防衛」の専門部隊としての「水陸機動団」(日本版海兵隊)をおき、与那国に陸上自衛隊沿岸監視部隊が設置されたのも2年前の3月28日なのである。こうした一連の象徴的な日付のなかで、今回の天皇訪沖があったこと。その政治的意味合いを、私たちは批判し抜いていかなければならない。

天皇を迎えた与那国の外間町長は、「私たちは本土とは隔絶された状況にあり、文化の違いもある。そこから生まれる本土との温度差が、両陛下の与那国訪問でほとんど消えうせたように感じる」と述べた。天皇の役割とは、まず第一に、このような日本と沖縄の歴史が生み出し続けている矛盾や「違和」を消去させ、日本の沖縄支配を正当化し、住民を政治的・文化的に「再統合」していく役割である。明仁は、8月には「北海道命名150年」記念式典に参加するために北海道を訪問するが、ここでも北の離島である利尻島を訪れるという。天皇が重視しているとされる「離島の旅」とは、天皇がそこに足跡を印すことによって、この国の「版図」を再確認するためのものだ。

そして天皇の役割の第二は、遺族に「寄り添い」、「慰撫」するとされるふるまいを通して、天皇制国家の戦争・戦後責任を、観念的に清算し消去していく役割を果たすことだ。

そもそも、1945年2月に「敗戦は最早必至」として終戦工作を勧めた首相・近衛の上奏に対し、「国体護持」のために「もう一度、戦果を挙げてからでないと難しい」といって拒否し、その後の沖縄戦を招いたのが、明仁の父である裕仁だった。天皇制は明らかに沖縄戦の責任を負っている。その裕仁を「常に平和を祈っていた」存在として弁護し続けてきたのが明仁である。これらは同時に、「生前退位」を通じて、象徴天皇制の意味を積極的に再確定していくことをもくろむ、明仁の「公的行為」の総仕上げとしての意味も持つ。

そしてなによりも、与那国への陸自配備、宮古島や石垣島、沖縄本島への配備計画など、軍事的な対中国シフトを強化している現政権の志向と、天皇の沖縄訪問とが、今回はとりわけ露骨にリンクしていたと言わなければならない。

「防衛白書」などに盛り込まれた「島嶼防衛」は、離島奪還を前提とするもので、いわゆる「領土・領海」を防衛することが目的であって、そこに暮らす住民の生活や安全などもとより考えられていない。その発想は、沖縄の住民を天皇制国家の延命のための「犠牲」とした沖縄戦とまったく同質のものである。今回与那国では、町内のあちこちに、自衛隊協力会によって、「奉迎」「ご来島ありがとうございます」と書かれた横断幕が掲げられた。また天皇が乗った車は、自衛隊与那国駐屯地の隊員によって、と列で迎えられた。天皇が直接自衛隊員を鼓舞する場面が演出されたわけではないにせよ、それは天皇と軍隊との関係を、疑いなく強化した。

天皇の沖縄訪問の期間には中止されていた辺野古の基地建設工事は再開され、海を埋め立てる護岸工事が始まって1年たったいま、列をなす工事車両を阻止しようと座り込む人びとの闘いが続いている。安保を「国体」とする日本国家によって、沖縄に押しつけられていく米軍・自衛隊基地に反対する沖縄の人びとの闘いに、「本土」の私たちはどのように運動的に応えるべきか。そのことを自ら問い、基地と安保をなくすために可能なさまざまな行動に取り組んでいこう。

私たちは、3月24日に「天皇の沖縄・与那国訪問を問う」集会をもち、本日ここに「明治150年:日本(ヤマト)による沖縄差別を問う」集会をもった。そして明日4月29日には、沖縄戦をもたらし、戦後は「天皇メッセージ」を発して安保体制の成立にむけて沖縄を差し出した裕仁の責任をも問うべく、裕仁とその時代を賛美する「昭和の日」に反対するデモに取り組む。

一連の行動を通して私たちは、現在に続く日本と沖縄の関係を再度とらえ直し、それを含む近代日本150年のありよう、とりわけ、サンフランシスコ条約と日米安保体制によって規定された戦後象徴天皇制国家・日本の「平和と民主主義」の内実を批判しつつ、来年にかけての天皇「代替わり」に反対していく運動を持続していく。

2018年4月28日

天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4.28-29行動

【集会報告】3・24 天皇の沖縄・与那国訪問を問う反天実行委の集会

三月二七日、アキヒト・ミチコは沖縄・与那国を訪問した。それを前にした二四日、天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4・28–29 連続行動は、駒込地域文化創造館において、「天皇の沖縄・与那国訪問を問う3・24 集会」をもった。

講師は沖縄・一坪反戦地主会関東ブロックの大仲尊さんと、反天連の天野恵一。

まず、与那国出身である大仲さんは、島の暮らしや、語り継がれる沖縄戦の記憶から話を始めた。そして、伝えられる与那国での天皇のスケジュールについて検討し、牧場やヨナグニサンという蛾を見るというが、どこかで自衛隊と非公然でも接触する場があるはずだ、と注意を喚起した。そして、与那国の「軍神」大舛松市の顕彰や自衛隊誘致など、国境の島として軍事戦略的な意味を与えられ続けて来たこの地を、天皇の訪問を通じて改めて包摂することが今回の政治目的だと述べた。

天野は、八七年の、天皇の沖縄訪問反対運動を通して、自分たちの反天皇制運動が「沖縄」と直面した経緯をふりかえり、その過程で「ひめゆりの塔」で皇太子アキヒトに火炎瓶を投げつけた知念功と出会ったこと、その訴訟記録を読み直して感じたこと、などについて話した。

アピールとして、基地・軍隊はいらない4・29 集会、一坪反戦地主会関東ブロックから「辺野古ゲート前連続6日間500人集中行動」へのよびかけ、宮古島ピースアクション実行委員会の清水早子さんからのメッセージも代読された。最後に、実行委によって集会宣言が提起され、4・28–29 連続行動への結集が呼びかけられた。

天皇沖縄訪問を報じるメディアのトーンは、「日々沖縄に思いを寄せ続け『戦争の記憶風化』を懸念する両陛下」というものだ。そして、「本土」と沖縄の間の「歴史的なしこり」を、天皇夫婦の活動が癒していったという話だ。今後の行動を通して、その欺瞞性と政治的意味を、はっきりと批判していかなくてはならない。

(北野誉)

【集会案内】天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4.28-29連続行動

4月28日(土)集会◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
明治150年:日本による沖縄差別を問う
——近代天皇制国家形成から日米安保体制のもとで
[お 話]湖南 通 さん(那覇市出身,日本近代法史研究)
[日 時]428日(土)18:00開場/18:15開始
[会 場]文京区民センター・3A(地下鉄春日駅・後楽園駅からすぐ)
[資料代] 500円

4月29日(日・休)デモ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
4・29反「昭和の日」デモ
[日 時]429日(日)14:00集合/15:00デモ出発
[集合場所]常盤公園(中央区日本橋本石町4丁目4−3)
https://park.publicmap.jp/print/11518
*新日本橋駅(JR総武本線・銀座線・半蔵門線)より徒歩4分
*神田駅(JR山手線・銀座線)より徒歩4分
*東京駅より徒歩7分
*三越前駅(半蔵門線)より徒歩7分
★デモの集合場所・集合時間が変更になりました。ご注意下さい!
また、常盤公園は常盤橋公園とは違います。近くですが、お間違えのないように!

■武力によって大日本帝国(天皇制国家)の版図へ強制的に組み込まれ,皇民化政策のもとで植民地的支配を自ら被りながらも,侵略・植民地支配の先兵として動員され,さらに,本土防衛の「捨て石」とされ,住民の4人に1人が戦争で殺された沖縄。
■敗戦後も米国軍政下に置かれ,日本(ヤマト)の「主権回復」後も裕仁天皇のメッセージによって占領状態が継続され,「復帰」後にも米軍基地(日米安保体制)の過重な負担を押しつけ続けられている沖縄。
■日本国家は,「明治」から「昭和」にかけての戦争・植民地支配政策の推進とその破綻(敗戦)の負担も,戦後の平和憲法のもとで併存したアメリカ核軍事力に依存した日米安保体制の負担も,沖縄に押しつけ続けてきた。
■今年政府は,「明治の精神に学び,日本の強みを再認識する」という「明治150年」キャンペーンを展開している。「明治150年」とは近代天皇制の150年である。日本(ヤマト)によって沖縄との間に作り出されてきた関係は,政府の賛美とは逆に,その醜悪な構造を露わにする。この沖縄と日本(ヤマト)の関係をみすえる集会を持ちます(4月28日:沖縄デー)。また,天皇制の戦争責任・植民地支配責任を問い,歴史の改竄を許さない,反「昭和の日」デモも行います(29日:裕仁の誕生日)。ぜひ多くの方のご参加を!

主催 ●天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4.28-29 連続行動実行委員会
【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/ピープルズプラン研究所/「日の丸・君が代」の強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

【集会宣言】天皇の沖縄・与那国訪問を許さない!

天皇と皇后は、来る3月27日から29日まで、沖縄・与那国島を訪問する。明仁天皇は皇太子時代(5回)も含め今回で11回目、来年4月末で皇位を徳仁へ譲ることになっているので、天皇として最後の沖縄訪問となる。

明仁天皇は、「象徴としての務め」として、「先の大戦」の犠牲者に対する「慰霊」と「追悼」の旅を繰り返し、その都度、「お言葉」を述べてきた。沖縄への度重なる訪問は、唯一の地上戦を経験し、住民の4人に1人が戦死したといわれる沖縄ついてはひときわその思いが強いからである、といわれている。

かつて明仁天皇は、「日本は昭和の初めから昭和20年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした。この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは日本人自身にとって、また日本人が世界の人々と交わっていく上にも極めて大切なことと思います」と述べている(2005年誕生日の記者会見)

「先の大戦」中、天皇は、大日本帝国憲法により「神聖不可侵」とされ、軍隊の最高指揮権(統帥権)を保持していた。「国民」の精神(生き方や死に方)を大きく規定していたのは「教育勅語」であり、軍隊では「軍人勅諭」という「天皇の言葉」であった。そして沖縄が地上戦を戦わざるを得なかったのは、「国体護持」を至上命題とした天皇制国家による「捨て石」とされたからである。

「先の大戦」の犠牲者は、地震や台風といった災害の被災者ではない。まぎれもなく、天皇を頂点に戴く国家の作為による犠牲者である。しかし明仁天皇の慰霊・追悼の旅にかかわる「お言葉」には、もちろん、父・裕仁の、そして自ら継承した天皇(制)の責任には一切ふれられることはない。謝罪の言葉が含まれることもない。「過去の歴史」を「正しく理解しようと努める」という姿勢はそこにはまったくみられない。それどころかそれとは逆に、事実を歪め、天皇(制)の責任を糊塗・隠蔽し、そうすることによって、天皇制による国家・国民(再)統合を意図しているものにすぎない。

さらに、今回の沖縄・与那国への天皇の訪問は、これまでにない特異な様相も備えている。

まず、天皇が沖縄を訪ねる3月27日は、139年前(1879年)に内務官僚・松田道之が、軍隊300名と警官160名余を率いて首里城に入り、琉球国王に城の明け渡しを求め廃藩置県を布告した日である。  明仁は、「私にとっては沖縄の歴史をひも解くということは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした。しかし、それであればこそ沖縄への理解を深め、沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければならないと努めてきたつもりです」(2003年誕生日の記者会見)とのたまっている。そう言いつつ、この日に沖縄を訪問するとは何をかいわんやである。

また、翌28日に明仁は、初めて与那国島を訪問するが、この日は、ちょうど2年前(2016年)に、自衛隊与那国駐屯地が開設され、与那国沿岸監視隊(150名程度)が配備された日にあたる。住民虐殺(強制死)を含む皇軍(日本軍)の振る舞いの記憶が残る沖縄(南西諸島を含む)では、当然ながら自衛隊配備に反対する声が多い。与那国でも意見が分かれ住民投票が行われている。中国脅威論を煽り、南西諸島(宮古島、石垣島、奄美黄島)への自衛隊配備・増強を進める安倍政権にとって、地域住民の「融和」と「辺地」へ配備される自衛官の「慰撫」は必要不可欠となる。そうしたなかでの、今回の天皇の「開庁日」にあたる日の訪問は、表だって自衛隊施設を訪れるということではないにしろ、その意図するところは明白である。

日本国憲法を踏みにじり、自らの意志により、生前退位による皇位継承の路線を引いた明仁が、退位を前にして、後継に期待する新たな「象徴としての務め」がそこに見えてこないだろうか。  天皇(制国家)と沖縄との歴史を顧みれば、今回の訪問はおよそ許されるものではない。

明仁天皇の沖縄・与那国訪問を許してはならない!

2018年3月24日

天皇の沖縄・与那国訪問を問う3・24 集会参加者一同

 

 

【集会案内】天皇の沖縄・与那国訪問を問う3.24集会

天皇の沖縄・与那国訪問を問う3.24集会

報告「自衛隊配備と天皇の与那国訪問」
大仲 尊 さん(沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック)
報告 「アキヒト天皇と沖縄」
天野恵一さん(反天皇制運動連絡会)

[日 時] 3月24日(土)18:00 開始
[会 場] 駒込地域文化創造館 (JR&地下鉄南北線・駒込駅からすぐ)
[資料代]500円

■来る3月27日から29日にかけて、アキヒト天皇が沖縄・与那国を訪問する。
■アキヒトが沖縄入りする3月27日は、139年前(1879年)に内務官僚・松田道之が、軍隊300名と警官160名余を率いて首里城に入り、琉球国王に城の明け渡しを求め廃藩置県を布告した日である。
■また翌28 日にアキヒトは、初めて与那国島を訪問するが、この日は、ちょうど2年前(2016年)に、自衛隊与那国駐屯地が開設され、与那国沿岸監視隊(150名程度)が配備された日にあたる。
■与那国だけでなく、宮古島、石垣島、奄美大島にも自衛隊配備が強行されつつある中での、自衛隊開設記念日の天皇の訪問は何を意図するものなのか。
■「象徴としてのありかた」を模索してきたというアキヒト天皇の今回の沖縄・与那国訪問の意味を問う。

主催 ●天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4.28-29 連続行動実行委員会
【呼びかけ団体】(2018年3月6日現在)
アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」の強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/労働運動活動者評議会

【呼びかけ】天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える 4・28─29 連続行動への参加・賛同の呼びかけ

一八七九年三月二七日に、内務官僚・松田道之は、軍隊三〇〇名余、警官一六〇名余を率いて首里城に入り、琉球国王に城の明け渡しを求め廃藩置県を布告した。いわゆる「琉球処分」の最終局面である。

「明治一五〇年」キャンペーンを政府が展開する今年(二〇一八年)、この三月二七日に、天皇明仁は沖縄へ行く。皇太子時代に五回、天皇になってから五回の訪沖をしている明仁にとって一一回目となる。自ら敷いた路線で来年四月末に退位し、息子・徳仁に皇位をゆずる彼の、天皇として最後の沖縄訪問となるであろう。

その翌日の三月二八日には、天皇として初めて国境の島・与那国を訪れる。この日は、二年前(二〇一六年)に、自衛隊与那国駐屯地が開設され、与那国沿岸監視隊(一五〇名程度)が配備された日にあたる。

この三月二七日(琉球処分の日)、二八日(自衛隊開設日)の日程での、天皇の沖縄・与那国訪問は、これまでの天皇による、慰霊や追悼の旅とは違った、別の意味を持つことにだろう。「象徴としてのありかた」を模索してきたという明仁天皇は、自ら「生前退位」の道を開いた。そして次なる天皇の即位を導いた。明仁の最後の沖縄訪問は、徳仁新天皇に課す新たな役割(「象徴的行為」)への布石としての旅かもしれない。

沖縄は、武力によって大日本帝国(天皇制国家)の版図へ強制的に組み込まれ、皇民化政策のもとで植民地的支配を自ら被りながらも、侵略・植民地支配の先兵として動員された。敗戦局面では、本土防衛の捨て石とされ、住民の四人に一人が死を強いられた。そして敗戦後は、間接統治の日本(ヤマト)とは違って、米軍による直接統治下に置かれ、一九五二年にサンフランシスコ講和条約によって「本土」が「主権回復」した後も、裕仁天皇のメッセージによって米軍の占領状態が継続された。同時に結ばれた日米安保条約により、占領(米)軍の日本への駐留が継続されることとなるが、軍政下で銃剣とブルドーザーによる強制的な土地の収用=米軍基地建設が行われた沖縄に、さらに日本からも海兵隊を中心とした米軍基地が移転され、その結果、「国土」の〇・六%を占める土地に七四%の米軍基地が押しつけられることになった。

このように沖縄にとっての「明治一五〇年」とは、大日本帝国による戦争・植民地支配政策(その破綻)と戦後のアメリカ核軍事力に依存した日米安保体制の矛盾が押しつけられてきた一五〇年であるといえる。

軍政下における「島ぐるみ闘争」(一九五六年)から近年の辺野古新基地建設や高江ヘリパッド建設を阻止する運動、オスプレイの配備に反対する運動など、幾たびも沖縄は反基地・反安保の声を上げ続けている。沖縄の声は、しかし、日本(ヤマト)にとって大きくは響いていないようにみなされる。

政府・安倍政権は、中国脅威論を煽りながら、沖縄の米軍基地強化とともに南西諸島(宮古島、石垣島、奄美大島)への自衛隊配備もすすめている。
私たちはヤマトの人間として、安倍政権の「明治の精神に学び、日本の強みを再認識する」として「明治の精神」を礼賛し、戦争と植民地支配の歴史を糊塗し、さらにその破綻の結果として生まれた平和憲法(憲法九条)をもなきものとする動きを許すことはできない。

沖縄を常に利用(構造的差別)し続けた「一五〇年」の歴史=近代天皇制総体の歴史を批判的に検証する集会(4・28:沖縄デー)と、天皇制の戦争責任・植民地支配責任を問い、歴史の改竄を許さない反「昭和の日」デモ(4・29:裕仁誕生日)の連続行動を、今年も作りだしていきたいと思います。ぜひ多くの方の賛同をお願いします。

天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4・28─29 連続行動実行委員会

【呼びかけ団体】

アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/反/安保実行委員会反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」の強制反対の意思表示の会靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

連絡先●東京都千代田区神田淡路町1─21─7 静和ビル2A 淡路町事務所気付
振替●00110─3─4429[ゴメンだ!共同行動]

【集会報告】「代替わり」と近代天皇制150年を問う反「紀元節」2 .11 行動報告

今年の二月一一日の反「紀元節」行動は、「明治150年= 近代天皇制を問う」と題して取り組まれた。

集会会場は水道橋の全水道会館大会議室。集会は、実行委員会に参加している立川自衛隊監視テント村からの緊急アピールから始まった。この日のデモの宣伝カーを出す予定であった立川自衛隊監視テント村であったが、早朝から駐車場を右翼の街宣車が囲み、それを取り巻く公安警察も眺めるだけのなかで、宣伝カーの移動をあきらめた旨が報告された。テント村の宣伝カーは、一昨年の一一月の吉祥寺デモの際と昨年一一月の「終わりにしよう天皇制」デモの直前の二度にわたり、右翼によって(いずれも警察の眼前で)フロントガラス等が破壊されている。アピールでは、右翼とその行為を容認する警察による表現の自由・デモの自由に対する攻撃に対して抗議するとともに、多様な協力関係を築き上げながら断固として行動を継続していくことが強調された(テント村の事務所にも右翼団体が押しかけたという)。

実行委のメンバーからの基調報告に続き、太田昌国さんの講演が行われた。 太田さんは、一五〇年前(さらに数十年遡る時代の中)には、その後に日本国家(天皇制国家)が実際に進んだ侵略・植民地支配への道ではない方向へと進む契機や可能性が多様に存在していたことを改めて認識しなければならないと強調された。

質疑応答を挟んで、様々な課題で活動に取り組むグループからの連帯のアピールが行われた。日韓民衆連帯全国ネットワークの渡辺さんからは「3・1朝鮮独立運動99 周年止めよう!安倍政権が煽る米朝戦争の危機2・24 集会」について、一坪反戦地主会・関東ブロックの青木初子さんからは、名護市長選挙の背景にも触れながら「辺野古新基地建設NO!2・25 首都圏行動」のアピール、「オリンピック災害」おことわり連絡会の仲間からは、「オリンピック・パラリンピック教育」の撤回を求める都知事と東京都教育長宛の署名への協力が呼びかけられた。天皇の代替わり過程を首都圏で闘う仲間からは、「新元号制定に反対する署名」への協力の呼びかけ、「安倍靖国参拝違憲訴訟」を担う浅野史生弁護士(デモの監視弁護もしていただいた)から、四月二七日から始まる高裁での闘いに向けてのアピール、「大軍拡と基地強化にNO!アクション2017」の仲間からは、「大軍拡と基地強化にNO!2・24 防衛省デモ&集会」のアピール、そして政府主催の3・11 東日本大震災追悼式に対する抗議行動についてのアピールがなされた。

集会後は、宣伝カーなしにもめげずに、神保町から御茶ノ水へとデモ行進を行って、「民主主義に天皇制はいらない」「神話に基づく記念日はいらない」の声を響かせた。

定員一六〇名ほどの集会会場に入れない人も相当数出る一九〇名が参加した。

(梶野宏)

*共同行動報告集(2018年3月9日発行)より

 

【集会報告】「代替わり」と近代天皇制一五〇年を問う! 反「紀元節」2・11 行動

二月一一日、今年も反「紀元節」の行動として、「代替わり」と近代天皇制一五〇年を問う!反「紀元節」2・11 行動を無事終えることができた。例年どおり反天連も実行委に参加した。集会は太田昌国さんを講師に全水道会館で開催。参加者は一九〇人を越え、会場からあふれた人は廊下に座るという状態で、大盛会となった。

太田さんからは冒頭、歴史のとらえ方について言及され、歴史がつくられる過程においてはつねに対抗関係があったこと、その対抗関係の結果が現在に繋がるものとしてあるが、その過程を包括的に読んでいくことの大事さを語られた。そして、「明治一五〇年」を安倍たちが持ち上げることの問題もそういった観点から話を進められた。

印象に残るのは、「明治維新」におけるイデオローグ的英雄・吉田松陰が遺した、『幽囚録』(一八五四)の紹介から始まる話だ。この時点で松陰は、「カムチャツカ、オホーツク、琉球、朝鮮、満州、台湾、ルソン諸島」を「収め、進取の勢を漸示すべし」と説き、長くない近代化の歴史の過程でその説に沿った形で侵略・占領・植民地化を進めてきた日本の近代史= 明治一五〇年= 近代天皇制について語られたことだ。その延長にある「明治一五〇年」キャンペーン批判として、多くの人たちと一緒に学んでいきたい視点であった。後日発行予定の報告集に講演要旨を掲載予定。ご参照ください。

デモは2・11 当日、宣伝カーが右翼の妨害で出せない状況となり、実行委は対策に奔走。デモ終了まではいろいろと緊張させられたが、右翼との衝突もなんとかひどい状況とはならず、無事成功裡に終わった。デモ参加者も一九〇名ほど。人の力は大きいのだ。

デモでは、「天皇神話に基づく建国記念の日反対」「明治は帝国主義の始まりだ」「植民地主義の歴史を賛美するな」「新しい天皇はいらない」「元号反対」「天皇は沖縄・与那国に行くな」「天皇制国家の沖縄切り捨て、基地押しつけを忘れるな」等々、大きく声を上げて歩いた。いい集会とデモでした。また一緒に歩こう!

(大子)