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【集会宣言】4.28-29連続行動集会宣言

3月27日から29日にかけて、明仁・美智子は、「最後の」沖縄訪問をおこなった。3日間でのべ約2万人が歓迎のために集まったとされ、那覇の国際通りでは、自衛隊の陸・空特別編成音楽隊を先頭に、「日の丸」と提灯を掲げた奉迎パレードが行われ、4500人が参加した。今回の沖縄訪問は、天皇として6回目、皇太子時代を含めると11回目となり、今回初めて「国境の島」与那国も訪問した。

明仁の沖縄訪問について、各メディアはその「慰霊」「平和」の思いや「癒し」なるものを最大限持ち上げて報じた。〈1975年、皇太子時代に初めて沖縄を訪問したとき、ひめゆりの塔の前で火焔瓶を投げつけられたが、明仁はそれ以後も一貫して沖縄に心を寄せ続け、沖縄訪問のたびに摩文仁の戦没者墓苑で献花し遺族らと向き合い、その感情に寄り添って平和を祈り続けてきた……〉といった物語である。

今回天皇が沖縄訪問をした3月27日は、いわゆる「琉球処分」=処分官・松田道之が、武装した兵士や警官などを従えて首里城に押しかけ、廃藩置県を布達した日であった。そして、1945年に米軍が慶良間諸島に上陸し、沖縄戦が始まったのは、前日の3月26日にあたる。また今年、天皇が沖縄に着いたまさにその日に、陸上自衛隊は全国の5方面隊を一元的に指揮する司令部として、朝霞駐屯地に「陸上総隊」を発足させ、直轄部隊として「離島防衛」の専門部隊としての「水陸機動団」(日本版海兵隊)をおき、与那国に陸上自衛隊沿岸監視部隊が設置されたのも2年前の3月28日なのである。こうした一連の象徴的な日付のなかで、今回の天皇訪沖があったこと。その政治的意味合いを、私たちは批判し抜いていかなければならない。

天皇を迎えた与那国の外間町長は、「私たちは本土とは隔絶された状況にあり、文化の違いもある。そこから生まれる本土との温度差が、両陛下の与那国訪問でほとんど消えうせたように感じる」と述べた。天皇の役割とは、まず第一に、このような日本と沖縄の歴史が生み出し続けている矛盾や「違和」を消去させ、日本の沖縄支配を正当化し、住民を政治的・文化的に「再統合」していく役割である。明仁は、8月には「北海道命名150年」記念式典に参加するために北海道を訪問するが、ここでも北の離島である利尻島を訪れるという。天皇が重視しているとされる「離島の旅」とは、天皇がそこに足跡を印すことによって、この国の「版図」を再確認するためのものだ。

そして天皇の役割の第二は、遺族に「寄り添い」、「慰撫」するとされるふるまいを通して、天皇制国家の戦争・戦後責任を、観念的に清算し消去していく役割を果たすことだ。

そもそも、1945年2月に「敗戦は最早必至」として終戦工作を勧めた首相・近衛の上奏に対し、「国体護持」のために「もう一度、戦果を挙げてからでないと難しい」といって拒否し、その後の沖縄戦を招いたのが、明仁の父である裕仁だった。天皇制は明らかに沖縄戦の責任を負っている。その裕仁を「常に平和を祈っていた」存在として弁護し続けてきたのが明仁である。これらは同時に、「生前退位」を通じて、象徴天皇制の意味を積極的に再確定していくことをもくろむ、明仁の「公的行為」の総仕上げとしての意味も持つ。

そしてなによりも、与那国への陸自配備、宮古島や石垣島、沖縄本島への配備計画など、軍事的な対中国シフトを強化している現政権の志向と、天皇の沖縄訪問とが、今回はとりわけ露骨にリンクしていたと言わなければならない。

「防衛白書」などに盛り込まれた「島嶼防衛」は、離島奪還を前提とするもので、いわゆる「領土・領海」を防衛することが目的であって、そこに暮らす住民の生活や安全などもとより考えられていない。その発想は、沖縄の住民を天皇制国家の延命のための「犠牲」とした沖縄戦とまったく同質のものである。今回与那国では、町内のあちこちに、自衛隊協力会によって、「奉迎」「ご来島ありがとうございます」と書かれた横断幕が掲げられた。また天皇が乗った車は、自衛隊与那国駐屯地の隊員によって、と列で迎えられた。天皇が直接自衛隊員を鼓舞する場面が演出されたわけではないにせよ、それは天皇と軍隊との関係を、疑いなく強化した。

天皇の沖縄訪問の期間には中止されていた辺野古の基地建設工事は再開され、海を埋め立てる護岸工事が始まって1年たったいま、列をなす工事車両を阻止しようと座り込む人びとの闘いが続いている。安保を「国体」とする日本国家によって、沖縄に押しつけられていく米軍・自衛隊基地に反対する沖縄の人びとの闘いに、「本土」の私たちはどのように運動的に応えるべきか。そのことを自ら問い、基地と安保をなくすために可能なさまざまな行動に取り組んでいこう。

私たちは、3月24日に「天皇の沖縄・与那国訪問を問う」集会をもち、本日ここに「明治150年:日本(ヤマト)による沖縄差別を問う」集会をもった。そして明日4月29日には、沖縄戦をもたらし、戦後は「天皇メッセージ」を発して安保体制の成立にむけて沖縄を差し出した裕仁の責任をも問うべく、裕仁とその時代を賛美する「昭和の日」に反対するデモに取り組む。

一連の行動を通して私たちは、現在に続く日本と沖縄の関係を再度とらえ直し、それを含む近代日本150年のありよう、とりわけ、サンフランシスコ条約と日米安保体制によって規定された戦後象徴天皇制国家・日本の「平和と民主主義」の内実を批判しつつ、来年にかけての天皇「代替わり」に反対していく運動を持続していく。

2018年4月28日

天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4.28-29行動

【集会宣言】天皇の沖縄・与那国訪問を許さない!

天皇と皇后は、来る3月27日から29日まで、沖縄・与那国島を訪問する。明仁天皇は皇太子時代(5回)も含め今回で11回目、来年4月末で皇位を徳仁へ譲ることになっているので、天皇として最後の沖縄訪問となる。

明仁天皇は、「象徴としての務め」として、「先の大戦」の犠牲者に対する「慰霊」と「追悼」の旅を繰り返し、その都度、「お言葉」を述べてきた。沖縄への度重なる訪問は、唯一の地上戦を経験し、住民の4人に1人が戦死したといわれる沖縄ついてはひときわその思いが強いからである、といわれている。

かつて明仁天皇は、「日本は昭和の初めから昭和20年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした。この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは日本人自身にとって、また日本人が世界の人々と交わっていく上にも極めて大切なことと思います」と述べている(2005年誕生日の記者会見)

「先の大戦」中、天皇は、大日本帝国憲法により「神聖不可侵」とされ、軍隊の最高指揮権(統帥権)を保持していた。「国民」の精神(生き方や死に方)を大きく規定していたのは「教育勅語」であり、軍隊では「軍人勅諭」という「天皇の言葉」であった。そして沖縄が地上戦を戦わざるを得なかったのは、「国体護持」を至上命題とした天皇制国家による「捨て石」とされたからである。

「先の大戦」の犠牲者は、地震や台風といった災害の被災者ではない。まぎれもなく、天皇を頂点に戴く国家の作為による犠牲者である。しかし明仁天皇の慰霊・追悼の旅にかかわる「お言葉」には、もちろん、父・裕仁の、そして自ら継承した天皇(制)の責任には一切ふれられることはない。謝罪の言葉が含まれることもない。「過去の歴史」を「正しく理解しようと努める」という姿勢はそこにはまったくみられない。それどころかそれとは逆に、事実を歪め、天皇(制)の責任を糊塗・隠蔽し、そうすることによって、天皇制による国家・国民(再)統合を意図しているものにすぎない。

さらに、今回の沖縄・与那国への天皇の訪問は、これまでにない特異な様相も備えている。

まず、天皇が沖縄を訪ねる3月27日は、139年前(1879年)に内務官僚・松田道之が、軍隊300名と警官160名余を率いて首里城に入り、琉球国王に城の明け渡しを求め廃藩置県を布告した日である。  明仁は、「私にとっては沖縄の歴史をひも解くということは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした。しかし、それであればこそ沖縄への理解を深め、沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければならないと努めてきたつもりです」(2003年誕生日の記者会見)とのたまっている。そう言いつつ、この日に沖縄を訪問するとは何をかいわんやである。

また、翌28日に明仁は、初めて与那国島を訪問するが、この日は、ちょうど2年前(2016年)に、自衛隊与那国駐屯地が開設され、与那国沿岸監視隊(150名程度)が配備された日にあたる。住民虐殺(強制死)を含む皇軍(日本軍)の振る舞いの記憶が残る沖縄(南西諸島を含む)では、当然ながら自衛隊配備に反対する声が多い。与那国でも意見が分かれ住民投票が行われている。中国脅威論を煽り、南西諸島(宮古島、石垣島、奄美黄島)への自衛隊配備・増強を進める安倍政権にとって、地域住民の「融和」と「辺地」へ配備される自衛官の「慰撫」は必要不可欠となる。そうしたなかでの、今回の天皇の「開庁日」にあたる日の訪問は、表だって自衛隊施設を訪れるということではないにしろ、その意図するところは明白である。

日本国憲法を踏みにじり、自らの意志により、生前退位による皇位継承の路線を引いた明仁が、退位を前にして、後継に期待する新たな「象徴としての務め」がそこに見えてこないだろうか。  天皇(制国家)と沖縄との歴史を顧みれば、今回の訪問はおよそ許されるものではない。

明仁天皇の沖縄・与那国訪問を許してはならない!

2018年3月24日

天皇の沖縄・与那国訪問を問う3・24 集会参加者一同

 

 

【呼びかけ】天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える 4・28─29 連続行動への参加・賛同の呼びかけ

一八七九年三月二七日に、内務官僚・松田道之は、軍隊三〇〇名余、警官一六〇名余を率いて首里城に入り、琉球国王に城の明け渡しを求め廃藩置県を布告した。いわゆる「琉球処分」の最終局面である。

「明治一五〇年」キャンペーンを政府が展開する今年(二〇一八年)、この三月二七日に、天皇明仁は沖縄へ行く。皇太子時代に五回、天皇になってから五回の訪沖をしている明仁にとって一一回目となる。自ら敷いた路線で来年四月末に退位し、息子・徳仁に皇位をゆずる彼の、天皇として最後の沖縄訪問となるであろう。

その翌日の三月二八日には、天皇として初めて国境の島・与那国を訪れる。この日は、二年前(二〇一六年)に、自衛隊与那国駐屯地が開設され、与那国沿岸監視隊(一五〇名程度)が配備された日にあたる。

この三月二七日(琉球処分の日)、二八日(自衛隊開設日)の日程での、天皇の沖縄・与那国訪問は、これまでの天皇による、慰霊や追悼の旅とは違った、別の意味を持つことにだろう。「象徴としてのありかた」を模索してきたという明仁天皇は、自ら「生前退位」の道を開いた。そして次なる天皇の即位を導いた。明仁の最後の沖縄訪問は、徳仁新天皇に課す新たな役割(「象徴的行為」)への布石としての旅かもしれない。

沖縄は、武力によって大日本帝国(天皇制国家)の版図へ強制的に組み込まれ、皇民化政策のもとで植民地的支配を自ら被りながらも、侵略・植民地支配の先兵として動員された。敗戦局面では、本土防衛の捨て石とされ、住民の四人に一人が死を強いられた。そして敗戦後は、間接統治の日本(ヤマト)とは違って、米軍による直接統治下に置かれ、一九五二年にサンフランシスコ講和条約によって「本土」が「主権回復」した後も、裕仁天皇のメッセージによって米軍の占領状態が継続された。同時に結ばれた日米安保条約により、占領(米)軍の日本への駐留が継続されることとなるが、軍政下で銃剣とブルドーザーによる強制的な土地の収用=米軍基地建設が行われた沖縄に、さらに日本からも海兵隊を中心とした米軍基地が移転され、その結果、「国土」の〇・六%を占める土地に七四%の米軍基地が押しつけられることになった。

このように沖縄にとっての「明治一五〇年」とは、大日本帝国による戦争・植民地支配政策(その破綻)と戦後のアメリカ核軍事力に依存した日米安保体制の矛盾が押しつけられてきた一五〇年であるといえる。

軍政下における「島ぐるみ闘争」(一九五六年)から近年の辺野古新基地建設や高江ヘリパッド建設を阻止する運動、オスプレイの配備に反対する運動など、幾たびも沖縄は反基地・反安保の声を上げ続けている。沖縄の声は、しかし、日本(ヤマト)にとって大きくは響いていないようにみなされる。

政府・安倍政権は、中国脅威論を煽りながら、沖縄の米軍基地強化とともに南西諸島(宮古島、石垣島、奄美大島)への自衛隊配備もすすめている。
私たちはヤマトの人間として、安倍政権の「明治の精神に学び、日本の強みを再認識する」として「明治の精神」を礼賛し、戦争と植民地支配の歴史を糊塗し、さらにその破綻の結果として生まれた平和憲法(憲法九条)をもなきものとする動きを許すことはできない。

沖縄を常に利用(構造的差別)し続けた「一五〇年」の歴史=近代天皇制総体の歴史を批判的に検証する集会(4・28:沖縄デー)と、天皇制の戦争責任・植民地支配責任を問い、歴史の改竄を許さない反「昭和の日」デモ(4・29:裕仁誕生日)の連続行動を、今年も作りだしていきたいと思います。ぜひ多くの方の賛同をお願いします。

天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4・28─29 連続行動実行委員会

【呼びかけ団体】

アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/反/安保実行委員会反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」の強制反対の意思表示の会靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

連絡先●東京都千代田区神田淡路町1─21─7 静和ビル2A 淡路町事務所気付
振替●00110─3─4429[ゴメンだ!共同行動]

【連帯アピール】福岡市民救援会第6回総会へのメッセージ

福岡市民救援会のみなさま

距離的にはやや離れている東京の反天皇制運動連絡会(反天連)から、第6回総会を迎えられた福岡市民救援会のみなさまに、日ごろのご活動に敬意を表し、感謝と連帯のメッセージをお送りします。
物理的な距離はともかく、課題的には、私たち反天皇制を掲げるものにとり、市民救援を担っておられるみなさまの活動は、とても近しい存在であり、なくてはならない運動です。
昨年は、「全国海づくり大会」に反対する行動においても大変お世話になりました。デモ参加は、とりわけ反天皇制のデモでは、ワクワクする一方でそれなりの緊張を強いられ、この間の治安状況を考えると、最悪の事態もありうるということも頭の片隅にはあり続けます。そういった活動において救援会は本当に心強い存在です。昨年、福岡のデモで心おきなく声を上げ、参加者のみなさんと一緒に解放的な気持ちで歩けたことの背景には、救援会の存在は大きかったはずです。デモ出発前に救援会の電話番号を知らされた時、その電話番号を握りしめ、「お守り、お守り」と心に念じました。ありがとうございました。
また福岡市民救援会には、以前に反天連の仲間が治安弾圧の対象となった時、こちらで発した抗議声明等に賛同をいただいたりもしています。あらためてお礼の気持ちをお伝えします。とても心強く本当にありがたかったです。感謝しています。
私たちは、代替わり状況のただ中にある今、右翼も警察も本気で反天皇制運動に対峙してきていることをヒシヒシと感じています。そのようななか、反天連も、反天課題はもとより、さまざまな諸課題を担う友人たちとともに知恵を出し合い、「天皇制いらない」の声を拡げていく運動をつくり出す一翼を担っていきたいと考えています。状況は日々厳しくなるのかも知れませんが、手をつなぐべき人々がたくさんいることを信じ、頑張っていきましょう。これからもよろしくお願いします。
ともに!

2018年2月25日
反天皇制運動連絡会

【集会基調報告】「代替わり」と近代天皇制150年を問う 2・11反「紀元節」行動 集会基調

1 「建国記念の日=紀元節」をめぐる問題

今年もまた、この二月一一日には、神社本庁や日本会議など右派団体の主催による「建国記念の日 奉祝中央式典」と「奉祝パレード」が開催され、また、各地においても式典や集まりが開催されて、政府や自民党をはじめとする政治家たちが参列している。それにもかかわらず、右派が切望する、政府の後援による「国民式典」は、二〇〇五年以降は開催できていない。

発足して間もない「明治」の太政官政府は、「祭政一致」「廃仏毀釈」など神道国教化による政治が破綻するや、諸外国の制度を模倣して大がかりな制度の策定に着手した。一八七二年に太陽暦が導入され、一八七三年には国家の祭日や祝日が布告されて、天皇制にちなんだ「祝祭日」が制定された。二月一一日が「紀元節」と制定されたのは、記述の解釈すら確立していない記紀神話が、「神武」による「肇国」をあたかも歴史的事実であるかのごとく装い、暦計算を曲解しながらつじつまを合わせただけのものに過ぎなかった。

しかし、これによって「神武」にはじまる天皇の「万世一系」の神話が、疑いを入れる余地のない国家的「事実」の地位を占めることになり、同時期に開始された軍制や学制の整備にも重大な影響を与えていくことになったのだ。天皇のための死者を祀る東京招魂社の設置も同時期である。「神武東征」は全き事実として扱われ、さらにその後、「八紘一宇」は大日本帝国の中核的概念とされるに至り、侵略政策を担う思想としてアジア諸国・諸民族にまでも強要された。

「紀元節」は、戦後改革の中で一九四八年に一度は廃され、天皇神話は歴史事実としても否定されてその根拠を喪失していたはずだった。しかし、これが一九六六年に「建国記念の日」として新たに制定されたのちには、これへの批判は徐々に押しつぶされて、その後は一九七九年の「元号法」、一九九九年には「国旗・国歌法」などが次々と制定されてきた。これらの法律は、いずれも制定当初にはこれを強制するものではないとしながら、すぐさま天皇制や国家に対する服属を示す重要な儀礼や制度として、公務員や学校にはじまり、社会の成員全体に向けて強要され続けてきたのである。

こうした経過によって、「建国記念の日=紀元節」は国内外から多数の批判を受け、皇族たちからすらも批判されて宮中祭祀から外されている。これが右派勢力による「民間」式典としてある現状は、むしろその本質を指し示すといってよい。

昨年は、安倍政権の腐敗と身内への利権供与が多くの面で露呈した年でもあったが、その中で、国会決議で明確に否定された教育勅語などに基づいた極右思想が、宗教団体や日本会議などを経由して、右派や保守派全体、そしてさらにインターネットにおける虚構の宣伝や、メディアの屈服と「忖度」によって、幅広い影響力を持っていることが示されている。政府もまたこれを追認するような閣議決定を行なっている。政府が「国際性」を強調するほどに、同時に醜悪な民族差別主義への傾倒も強まっている。

天皇の代替わりが来春に予定されるという状況下にある現在、天皇制の歴史そのものを批判することは、ますます重要な意味を持っている。明治にはじまる「一世一元」の「元号」の改定も、このなかですでに当たり前の事実のように扱われている。天皇の一族を特別な存在として扱う憲法第一章と皇室典範は、男女平等の理念を掘り崩すとともに、「家族=国家」観を天皇制の側から押しつけるものとしてある。こうした世界観、「道徳」認識、歴史認識を強要しようとする右派は、いま、かつて明治天皇にまつわる「明治節」とされた一一月三日を、あらためて「文化の日」から「明治の日」へと復活させようとしている。私たちは、これらを多面的に批判し、戦っていかなければならない。

 

2 「明治一五〇年キャンペーン」に反対しよう

着々と進む「代替わり」儀式の準備と並行して、政府は、「明治一五〇年」の祝賀事業を進めている。

「長州出身」の首相として、安倍晋三は、明治一五〇年記念のイベントを、自ら主導して行いたいと早くから口にしていたという。すでに二〇一六年一〇月には、菅官房長官の指示により、内閣官房に「明治一五〇年」関連施策推進室という専門部局が設置され、翌月には各省庁の連絡調整機関である「明治一五〇年」関連施策各府省庁連絡会議のもとで、さまざまなプロジェクトの検討が始まった。

現時点では、開催も含めて確定してはいないが、メインの儀式として、当然、政府主催の記念式典が想定されているはずである。
一九六八年の「明治一〇〇年」の際には、「明治改元」の日である一〇月二三日に、昭和天皇夫婦や皇族、閣僚・国会議員、各国の外交団、各界代表など一万人を集めて、九段の日本武道館において政府式典が挙行された。首相や天皇の式辞、各界祝辞に続いて「明治一〇〇年」を祝う音楽などが演奏され、最後に、安倍の祖父の弟に当たる佐藤栄作首相の音頭で「日本国万歳」が三唱されている。

今回、計画されている記念事業について見てみると、昨年末現在で、国主催のものが一五二件、地方公共団体レベルのものが二〇〇八件にのぼる。ほとんどが展示会や講演会、アーカイブの構築などで、なかには既存のイベントに「明治一五〇年」の冠をかぶせただけのものも少なくない。記念切手や記念硬貨の発行も計画されているが、比較的大規模なものとして、昨年夏に閣議決定された、大磯にある伊藤博文の旧邸を中心に、近隣の「明治の元勲」の旧別荘を一括整備して「明治記念大磯庭園」とする計画がある。国は同園の年内公開をめざすとしている。

明治一五〇年の施策に関して政府の文書は、「明治の精神に学び、更に飛躍する国へ向けて」と称して、「明治期においては、従前に比べて、出自や身分によらない能力本位の人材登用が行われ、機会の平等が進められた。……『明治150年』を機に、国内外でこれらを改めて認知する機会を設け、明治期に生きた人びとのよりどころとなった精神を捉えることにより、日本の技術や文化といった強みを再認識し、現代に活かすことで、日本の更なる発展を目指す基礎とする」と述べている。

また、二〇一六年におこなわれた「各府省庁連絡会議」のヒアリングには東大名誉教授の山内昌之や帝京大学教授の筒井清忠が招かれ、基本方針についての意見を述べた。山内は、「犠牲者を最小限に」して統一国家、主権独立国家体制が築き上げられたことを評価し、筒井は、「五箇条の御誓文」と、それに続く明治憲法体制・議会政治の「延長線上に」現在の日本の民主政治がある、能力主義による人材登用や、外国文明の「取り入れの達人」である日本人の特性が、伝統との「バランス」のとれた日本の近代化を成し遂げたというのである。

これらの言説は、イノベーションやらクールジャパンなどといった、安倍や財界が求める流行の価値観を日本近代の出発点に投影した、「ニッポンスゴイ」論であるといえる。それは、起点としての明治の始まりを賛美するだけでなく、「一五〇年」を、今に続く一連の発展を遂げた近代化の歴史ととらえ、それをもたらした精神文化の称揚とともに、まるごと賛美・肯定しようとするものだ。だからもちろん、その近代化の内実に目が向けられることはない。「一五〇年」の基調をなしている思想は、「一〇〇年」のときと同じく、近代化(賛美)論である。しかし「明治一〇〇年」のときには、欺瞞的なものにすぎないとはいえ、それでも存在した「物質文明による自然と人間性の荒廃」などの反省的なポーズすら、今回はまったく消えて、「明治の精神」がひたすら賛美されているのだ。

現実の明治=近代日本の一五〇年とは、その前半は、アイヌモシリ・琉球の帝国主義的統合に始まり、上からの資本主義化を急速におしすすめ、農民反乱や自由民権運動などを暴力的に圧殺し、アジア侵略・植民地支配と戦争に彩られたものであった。そしてその後半は、安保体制に基づくアメリカの世界支配戦略に積極的に加担し続け、象徴天皇制のもとで侵略戦争と植民地支配から目を背けてきた。そして、開発優先の経済成長政策の果てに、3・11の原発事故もまた引き起こされたということも、忘れ去ることはできない。「一五〇年」はそのように無条件に賛美されるような歴史では決してないのだ。

私たちは、この「明治一五〇年」が、明仁天皇「代替わり」の前哨戦として行われるイベントであることに注目しなければならない。一九六六年の「建国記念の日」=「紀元節」復活も、「明治一〇〇年記念式典」と連動したものであった。「明治一五〇年」とは、「天皇制国家の一五〇年」にほかならない。どのような立場でこの歴史を検証し、捉えるべきかが問われているのだ。こうした歴史を見すえ、近代天皇制の歴史総体を批判していくという立場から、今年一年間の反天皇制闘争を開始していきたい。

 

3 「天皇退位特例法」と天皇状況

二〇一六年七月一三日、NHKへのリークという形で天皇明仁が「生前退位」の意向を表明し、八月八日には、直接私たちに語りかける映像ビデオが一斉にTV放映された。天皇はそのビデオで、天皇の大切な「務め」として「何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ること」をあげ、「日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なもの」と語った。さらに、「天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろう」とし、摂政の拒否もつけ加えている。そして「象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。/国民の理解を得られることを、切に願っています」と結んだ。

天皇の「祈り」の公然化は憲法二〇条の政教分離原則に抵触する。国内巡行等の「公務」も憲法の天皇規定から外れ、私たちは違憲と考える。それらを天皇は自らの言葉で、天皇の「務め」、象徴的行為として正当化し、憲法に規定されている「摂政」を拒否し、「生前退位」への「国民の理解」を求めたのだ。

このメッセージから約一〇ヶ月後の二〇一七年六月九日、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」が全会一致で可決し、第一条にはこの天皇の言葉を大きく反映した条文が、しかも敬語で盛り込まれた。「国民」は「公務」に励んできた天皇を「敬愛」し、高齢によりそれが充分に果たせないという天皇の思いを「理解・共感」している。それらを考慮して特例法を制定するというのだ。「国民の総意」は、天皇発議の法制定や、「公務」容認、天皇の拒否権行使など、ことごとく違憲性の高いこの特例法のエクスキューズとして使われたのである。

実際、メディアにあふれる言説では、安倍たち伝統主義右派を除く政治家、学者、ジャーナリスト、護憲派を含む多くの活動家や市民は、一部の例外を除き、天皇の「お気持ち」忖度、天皇の希望に応えるという一方向に向かっていた。天皇はあたかも社会全体を味方につけ、安倍政権と対峙したかのような状況がつくり出されたのである。

一方で、恒久的「生前退位」や「安定的皇位継承としての女性宮家」等々を容認できない安倍首相は、安倍の支持基盤である伝統主義右派への配慮もあいまって、目に見える形の抵抗を試みている。二〇一六年九月二三日に発足した「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」は、「生前退位」ではなく「公務の負担軽減」を目的に動き出したのだ。そこでは、「生前退位」を容認するか、その場合は「特例法」か「恒久法」か等々、「国論」を二分するかのような状況もつくられたが、すぐさま、安倍たちと天皇「忖度」派の妥協のための「調整」の時間へと向かった。翌年二〇一七年からは、天皇課題で反対意見を出させないという全会一致可決を目指し、衆参両院議長・副議長が調整のために奔走した。その翼賛国会の結果が「特例法」である。衆参両院議長・副議長による調整は、「国民」の代表による合意とされ、ここでも「国民の総意」言説がつくられた。

こういった国会内の伝統主義的右派とリベラル天皇主義の妥協は、結果としてより強力な象徴天皇制を作り出した。たとえば、「皇室典範」に「この法律の特例として天皇の退位について定める天皇の退位等に関する皇室典範特例法は、この法律と一体を成すものである」という一文を附則として追加する改正を特例法の附則に入れ、これが「将来の天皇が退位する際の先例」となり得ることを明言した。さらに「公務」前提の法律とした。あるいは法案採決にあたり「政府は女性宮家創設など安定的な皇位継承のための諸課題について、皇族の事情も踏まえて検討を行い、速やかに国会に報告する」とする附帯決議をした。これらの天皇制にとって好都合な結果は、すべて妥協のための「調整」がつくり出したものだ。

二〇一七年一二月一日、皇室会議が開催され、安倍は天皇の「退位」を二〇一九年四月三〇日、「即位・改元」を五月一日と定めた。「即位・大嘗祭」も、二〇一九年秋予定との報道がすでに流れている。式典準備委員会も設置され、事態は着実に進められている。また、二〇一八年度予算には、上皇夫婦、新天皇一家の住居改修や「即位の礼」関連儀式準備、職員増員のための費用として、三五億六〇〇〇万円が計上された。これらはもちろん、庶民のなけなし生活費からはぎ取った税金だ。そしてそこには、いま話題沸騰の秋篠宮眞子結婚への持参金、一億五三〇〇万円も含まれているが、結婚延期となった今、少なくともこの金額は削減されるべきだ。

こういった「代替わり」関連情報は今後も増え続け、それに比例して人々の関心は天皇制へと向かわされていく。そして今後展開されるのはさまざまな「退位・即位」にまつわる儀式であり、報道を通した服属儀礼への強制参加である。

私たちは、「平和」と「慈愛」と「護憲」を建前に「国民」にすり寄ってくる天皇一家の言動が、現政府の思惑や政策を補完する関係でしかあり得ないことを繰り返し訴えたい。そして、天皇が君主然として振るまい始めている天皇状況と、「明治一五〇年」を祝おうという政府の思惑が、この社会をさらに民主主義からも平和からも遠ざけていくということを、多くの人たちと共有し、これから始まる天皇代替わり状況と対峙していきたい。

 

4 「天皇制国家劇場の連続興行」と改憲にNОを!

「明治一五〇年」とは、そのまま神話にもとづく天皇制によって国民が統合された近代天皇制国家の一五〇年である。政府の目論む「明治一五〇年」記念事業は、列強から独立を守り、一等国へと成り上がった「国家建設の成功物語」への郷愁である。

しかしその「物語」は七二年前に国際的にも国内的に膨大な被害もたらしたあげくに完全な破綻へと帰結した(天皇制国家がおかした侵略戦争・植民地支配に対する謝罪と補償はなされていない)。そうした史実を糊塗するとともに、現在の日本国家(あるいはグローバル世界資本主義)が抱える矛盾(財政破綻、格差拡大、原発事故等々)から眼をそらさせことも意図して、「国家建設の成功物語」再現ムード(イメージづくり)が醸成されようとしているのである。

この「明治一五〇年」(二〇一八年)は、新天皇即位・改元(二〇一九年)、新天皇の国際デビューである東京五輪(二〇二〇年)と連続する「天皇制国家劇場の連続興行」の皮切りとなる。
新天皇を軸として上皇を含むあらたな天皇制国家への統合(再統合)に向けたこの一連の「興行」(イメージ操作)は、時には暴力剥き出しの弾圧も繰り出されるであろう。

私たちは、天皇の代替わり過程における国家儀礼・儀式に対する抗議の声をあげるとともに、戦後作り上げられてきた天皇による国家統合のさまざま仕組み(植樹祭、海づくり大会、国民体育大会、慰霊追悼の旅、被災地慰問等々)に対して執拗にNО!の声を上げつづけることが必要である。

植樹祭は今年六月に福島県(二〇一九年は愛知県=新天皇の最初の行事か?)、海づくり大会は今年一〇月に高知県(二〇一九年は秋田県)、国体は今年は九月から一〇月に福井県(二〇一九年は茨城県)で行われる予定である。開催現地の反対の声とも呼応して、天皇行事に対する抗議の声を上げていこう。

また、天皇参加で始められた政府主催の東日本大震災追悼式は、秋篠宮の出席を得て今年も三月一一日に行われる。犠牲者を慰霊・追悼するこのセレモニー(儀礼)は、原発避難民の切り捨て、事故原因の追求を棚上げにした原発再稼働政策が推進されるなかで行われることを忘れてはならない。

さらに、明仁天皇の三月(二七〜二九日)の沖縄訪問が発表された。国立沖縄戦没者墓苑への献花と共に、与那国島への初訪問も予定されている。沖縄では、辺野古米軍新基地建設阻止行動が二〇年にわたり続けられている。また与那国島は、二〇一六年に島民世論が割れる中で自衛隊(陸自の駐屯地と沿岸警備隊)配備が南西諸島としては初めて強行された(宮古島、石垣島への配備も強行されつつある)。こうした渦中での天皇の訪沖(訪与那国島)に際しては、「明治一五〇年」の当初から今日まで連続する日本(ヤマト)国家による沖縄の植民地(的)支配、構造的差別構造を改めて厳しく問わなければならない。

政策の失敗それがもたらした被害に対する責任をとらない、無責任国家体制を中核で支えるものこそ天皇(皇族)による慰霊・追悼・慰問なのである。

そして最後になるが、安倍首相は、昨年の五月三日(憲法記念日!)に「二〇二〇年新憲法施行」発言を行った。安倍政権による明文改憲が眼前(早ければ年内の改憲発議、二〇一九年の国民投票)に迫っている。安倍の改憲は、侵略戦争・植民地支配を基調とする明治国家(近代天皇制国家)が目指した国づくりの破綻(反省)によって生み出された日本国憲法の平和主義をなきものにしようとする策動にほかならない。断固としてNО!の声を上げなければならない。

「天皇制国家劇場の連続興行」とその渦中での改憲攻撃に対して、NО!の声を!

その最初の一歩として、今日、私たちは「紀元節」反対の声を上げる。皆さんと共に!

二〇一八年二月一一日

【呼びかけ】「代替わり」と近代天皇制150年を問う 2・11反「紀元節」行動への参加・賛同の呼びかけ

二〇一九年四月三〇日明仁「退位」、五月一日徳仁「即位」、同日「改元」という日程が、政令として公布された。政府は、菅官房長官をトップとする準備組織を二〇一八年一月に発足させる。これによって、二〇一六年七月一三日の突然のNHKの報道に始まり、明仁天皇自身のビデオメッセージ、「有識者会議」と「退位特例法」の制定と進んできた「生前退位」の道筋が確定した。

私たちも繰り返し主張してきたように、一連の経過のなかで実現したことは、「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果す」こと、すなわち、天皇があるべき「国民統合」を積極的に作り出す能動的存在であるという定義を天皇自身が下し、国会が一致してそれを支持し「国民」がそれに「共感」するという、文字通りの天皇翼賛・挙国一致的な事態であった。

マスコミ挙げての天皇賛美や、隠然と、あるいは公然と露出する右翼暴力に支えられて、天皇制に対する疑問を公然と口にすることが憚られる社会状況が作り出されている。

明仁の退位にあたっては、「退位の儀」なるものを「国事行為」として行う方向性が示されている。当然のことだが、近代天皇制の歴史においてそのような儀式がおこなわれたことなどなく、もちろん、憲法上に何の規程もない。また、明仁即位の時と同様、徳仁即位に関する諸儀式が「国事行為」としておこなわれることもすでに前提とされており、「高御座」や装束など、その儀式に使うための経費の一部として、一二月に発表された財務省の予算案には、早々と一六億円が計上されている。「即位の礼」において新天皇が登る「高御座」とは、高天原から地上に下った皇祖神が座ったとされる神座であり、「皇位の象徴」とされているものだ。このような「天皇制神話」に基づく儀式を、政府は国費で執り行おうとしているのである。

われわれは、こうした状況のなかで、2・11反「紀元節」行動の準備を開始している。この「紀元節」こそ、神武天皇の建国神話にもとづく天皇主義の祝日である。そして、今年の秋(一〇月二三日が予想される)には、「明治一五〇年式典」が、政府主催で行なわれようとしている。私たちは、一九六六年に制定された「建国記念の日」=「紀元節」復活が、一九六八年一〇月二三日に行われた「明治百年記念式典」と連動したものであったことを確認しておかなければならない。それは、日本は歴史貫通的に天皇の国であって、近代化もまた再編された天皇制のもとで実現したという歴史観に基づいている。

今回の一五〇年式典にあたって政府は、「明治以降の近代化の歩みを次世代に残す」とし、「明治の精神に学び、日本の強みを再認識し、更なる発展を目指す基礎とする」などと、その「基本的な考え方」を示している。言うまでもなく、「明治一五〇年」とは、そのまま「近代天皇制一五〇年」にほかならない。それは、植民地化と侵略戦争に始まる近代日本の一五〇年を一連の「近代化過程」としてとらえ、「不幸な時代」はありつつも、それを乗り越えて現在の「平和と繁栄」につながっているのだという、歴史の肯定と賛美とならざるをえない。さらに、かつて「昭和の日」を実現させた民間右派勢力は、現在「文化の日」である一一月三日を「明治の日」とする運動を進めている。「紀元節」「昭和の日」「明治一五〇年」と続く一連の「記念日」を通して、今年一年、天皇と天皇制をめぐる向こう側の歴史観の押しつけは、強化されていくだろう。そしてそれが、来年の天皇「代替わり」に向けた前哨戦となることも確実だろう。

われわれは、この間各地でさまざまなかたちで取り組まれている「天皇代替わり」状況にたいする抵抗とつながりあいながら、今年一年の運動を展開していきたいと考えている。2・11反「紀元節」行動への、多くの参加・賛同、協力を訴えたい。

「代替わり」と近代天皇制150年を問う 2・11反「紀元節」行動

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制に反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

連絡先●東京都千代田区神田淡路町1─21─7 静和ビル2A 淡路町事務所気付
振替●00110─3─4429[ゴメンだ!共同行動]

終わりにしよう天皇制11.26集会集会宣言・抗議声明

首都圏の天皇制問題を考えてきたグループ・個人で構成されるこの11.26集会実行委員会には、反天連も全力でコミットしてきた。というわけで、当日の集会宣言と、その3日前の宣伝カーへの右翼テロに対する実行委の抗議声明だ。これからもこの実行委は続く。ご支援を!

 

●集会アピール

天皇教という言葉もある通り、天皇一家の宗教としての振る舞いは、これから予定されている代替わり儀式において、もっとも濃密にあらわれる場面となる。
メディアに映るのは民衆の素朴な信仰を装っているが、天皇教はあまたの宗教と違い当たり前のように公共予算を食いつぶす。法律(憲法)によって存在を許されながら、その法律を無視し、ゆがめ続けることも天皇の十八番である。2016年7月から始まる「生前退位」騒動は、代替わりを円滑に進めようという天皇と支配層の都合ばかりが通りすぎている。特例という名の茶番は、天皇制自体がかかえ持ってきた混乱でしかないことを思い起こすべきだ。

この宗教の原理主義者というべき人たちは長い間、「日の丸・君が代」をはじめとする選別の道具を用いて、異端をあぶりだしては、官民あわせたむき出しの暴力をちらつかせてきた。

一方、今の天皇は原理主義色を薄めることも意図しながら、被災地を含め少数派と思しき人々への「慰問」に精を出し、より幅広い信仰のすそ野を広げようと「仕事」してきている。今回オリンピック開催を前に譲位しようとする天皇の意図も、穏健さの表れとして好意的に解釈されがちだ。しかしその作業は、身分等の差別を含んで広がる格差をあたかも平らに地ならしするように装いながら、その作業をする天皇自身は、格差の頂点あるいは格差の枠外に座り続けるという理不尽をあらわしているのである。

もちろん日本の中だけでない。アメリカからやってきたトランプのような乱暴な人気取り差別主義者でさえ、天皇一家の儀礼的空間をくぐれば、彼の犯罪性を薄めるかのような政治的効果を生み出したりもする。天皇は、かつて自分の親たちが侵略戦争でアジアの地を血で染めたことを原理主義の行き過ぎとしてしか顧みないのだろうか。近い将来、短絡的で好戦的な支配者たちが朝鮮半島で一線をこえることがあれば、天皇たちは静かなお墨付きを与えるのだろうか。

今、代替わり儀式のみならず、天皇のあり方を問うこと自体に委縮する状況ではある。
これまで述べてきたような「平和天皇」の姿は、天皇制に異を唱える存在に対する右翼の暴力と、それを黙認する警察によってはじめて成り立っている。
このことを放置し看過すれば、表面的な政治変革さえまっとうされないし、格差の下層におかれた人々が孤立した末に天皇教のようなまがいものにしか希望を見いだせないという悪循環が続くことになってしまう。

天皇代替わり儀式は、そもそも血縁が(男子を通してのみ)長い歴史を経て続くという天皇一家の宣伝の場であり、いつわりの権威づけの核心でもある。その思想のために、どれだけの性差別と、優生思想とが生み出され、どれだけの生身の人間が絶望の淵へと追い込まれたことか。結集された怒りこそが天皇制、天皇制的なものを終焉に追い込み、真に素朴な関係性で人が生きる社会へと展望を開くだろう。

天皇制はいらない! 天皇制を終わりにしよう!

2017年11月26日 集会参加者一同

 

●抗議声明「天皇主義右翼による、立川テント村宣伝カー破壊を許さない。暴力に萎縮せず、反天皇制の声を大きく上げよう!」

11月23日、陸上自衛隊立川駐屯地で行われた「防災航空祭」に抗議していた、地域の反戦・反基地団体「立川自衛隊監視テント村」の宣伝カーが、街宣右翼によって1時間にわたる攻撃を受け、フロントガラスやサイドミラー、ランプなどが破壊されるという事態が起こった。

テント村の宣伝カーは、昨年11月20日の吉祥寺で行われた「天皇制いらないデモ」でも襲撃・破壊されている。今回も襲撃者が「去年今年とよく壊れる車だなあ」「26日はこんなもんじゃねえぞ」と口にしていたことからも明らかなように、右翼の目的は、反基地運動に対する襲撃であると同時に、明日、11月26日に私たちが行なおうとしている「終わりにしよう天皇制 大集会・デモ」への攻撃であったことは明らかだ。同宣伝カーが、この間の反天皇制デモの先導を務めていることを知った(知らされた?)右翼が、この宣伝カーを狙い撃ちにしたのである。今回、とりわけ防災航空祭抗議行動の終了後、撤収中の宣伝カーを街宣車で取り囲んで執拗に襲撃したことは、それがたんに偶発的な事態ではなく、 きわめて計画的な犯行だったことを物語る。
さらに、私服公安警察や立川署警備課の警察官も、目の前で起こっている破壊行為を黙認していた。天皇主義右翼と警察とが馴れ合って、白昼堂々、好き放題の蛮行がなされたという事実を、私たちは決して許さない。

こうした天皇主義者による暴力、それは「平和天皇」「護憲天皇」と賛美され、いわゆる「リベラル」層からも評価の高い明仁天皇制もまた、現実には暴力によって支えられていることを明らかにする。

世襲の君主という特権身分が「日本国および日本国民統合の象徴」として据えられている。この天皇制という差別的な制度の存在自体が、「絶対敬語」や「人格賛美」を通じて、特別な存在に対するタブー意識を日々作り出し、天皇制の前には私たちの人権や権利は制約されてもやむを得ない、とする感性を生み出す。
右翼の暴力は、間違いなくそのような意識の上に乗って存在し続けているのだ。

右翼暴力の目的は運動を萎縮させることにあり、警察もまた右翼暴力を利用して運動に介入しようと絶えず目論んでいる。だからこそ私たちは、いま、敢えて天皇制反対という声を明確に上げていかなければならない。

「終わりにしよう天皇制 大集会・デモ」(11/26 13:00 千駄ヶ谷区民会館)に結集し、各地域・現場で反天皇制の声を上げていこう。

2017年11月25日
終わりにしよう天皇制11・26集会実行委員会

★テント村へカンパを!★

立川自衛隊監視テント村  立川市富士見町2-12-10-504  tento72@yahoo.co.jp   カンパ振込先⇒郵便振替00190-2-560928 (口座名「立川自衛隊監視テント村」)

【声明】立川テント村宣伝カーへの右翼の襲撃を許さない= 抗議声明とカンパのお願い

●右翼による襲撃で破壊されたテント村の宣伝カー

 11月23日、陸上自衛隊立川駐屯地で開催された「防災航空祭」に抗議する例年の情宣活動を行ないました。ここ数年、わたしたちを攻撃するために複数の右翼団体が登場していましたが、今年の攻撃は特別に激しいものでした。何台もの街宣車でテント村の宣伝カーを取り囲んで進路をふさぎ、大音響で「国賊!」と叫び続けて反戦の呼びかけを妨害したり、サイドミラーを割ったりという暴力行為を続けました。

 さらに行動終了後、駐車場へ撤収中の宣伝カーを路上で街宣車が取り囲み、7~8名の右翼が1時間にわたって宣伝カーを叩く、蹴る、ものを使ってガラスを割るなどの乱暴をはたらきました。また車内の運転手に対し、民族差別やセクハラを含む激しい罵声を浴びせ続けました。

 右翼対策員と思われる10名ほどの私服公安警官は暴力行為の当初から周囲にたむろしていましたが、一向に暴力を止めることなく、宣伝カーの破壊を放置しました。途中から到着した10名ほどの立川署警備課の制服警官も、なにやら公安と打合せをしたり、他の車の通行を確保するための交通整理をするばかりで、目の前で繰り広げられる破壊行為に対して手出しをしようとしませんでした。

 暴力行為がはじまって1時間後、ようやく警官が街宣車に移動を促し、宣伝カーは移動することができました。

●「終わりにしよう天皇制11・26大集会」への大結集を!カンパを!

 被害は、フロントガラス、サイドミラー、前後のランプ、フロントグリル、鍵穴・ワイパーの破損など全体に及んでいます。ボディは数十回蹴りつけられて変形し、走ることはできますが内部の損傷なども心配です。車を破壊した右翼はもとより、暴力を放置した警察に対する怒りも禁じえません。

 この攻撃は、立川駐屯地祭への抗議行動を潰すために行われたものであると同時に、直後の11月26日に予定されている「終わりにしよう天皇制 大集会・デモ」への事前攻撃であることは明白です。襲撃にきた右翼からは、「26日はこんなもんじゃねえぞ」とか、「去年今年とよく壊れる車だなあ」などの発言もありました。昨年11月20日に吉祥寺で行われた「天皇制いらないデモ」でもテント村の宣伝カーが襲撃・破壊されましたが、一連の「平成代替わり反対闘争」でこの宣伝カーが果たしている役割を念頭においての襲撃です。

 暴力を使って基地反対や天皇制反対の声を封じ込めようとする右翼団体、襲撃を黙認することで運動つぶしをはかる警察を許すことはできません。「終わりにしよう天皇制 大集会・デモ」への大結集を訴えるとともに、修理費や買い替えも視野にいれたテント村へのカンパをよろしくお願いします!

2017年11月24日

立川自衛隊監視テント村
立川市富士見町2-12-10-504 042-525-9036 tento72@yahoo.co.jp

カンパ振込先⇒郵便振替00190-2-560928(口座名「立川自衛隊監視テント村」) 続きを読む 【声明】立川テント村宣伝カーへの右翼の襲撃を許さない= 抗議声明とカンパのお願い

【集会宣言】8・15 集会宣言

明仁天皇の「生前退位」の意向表明にはじまり、テレビ画面を通じた天皇の「玉音放送」から1年。談合による「翼賛国会」によって天皇の「退位特例法」が成立させられ、来年末の天皇退位・2019年中の「即位礼・大嘗祭」と続く「天皇代替わり」過程が、本格的に開始されている。

「退位特例法」はその条文で天皇明仁の「公務」を初めて明記し、「国民は、……天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感している」と宣言した。これは、天皇と「国民」とは「君民一致」で結びついているということの、公然たる宣言だ。

天皇の憲法違反は許されない。天皇の「公務」自体はいらない。天皇制そのものが廃止されなければならない。こういった声は決して多数派のものではないとはいえ、この1年間にも、各地で、天皇制に反対するさまざまな取組みが重ねられてきた。

安保法案に続き、共謀罪を強行成立させた安倍政権は、その勢いを駆って9条を突破口にした2020年までの改憲に向け、今年中の改憲案提出を明言した。
この間の支持率急落によってそれは一定の見直しを余儀なくされているようだが、来年の「明治150年式典」、天皇「代替わり儀式」、そして東京オリンピックに向かうなかで、「戦後」という時代の「転換」を図ろうとするのは、すでに既定の路線だろう。

中国や朝鮮の脅威を煽り、沖縄を日米の前線基地とし、大量の機動隊を連日投入して暴力的に新基地建設を推し進める政府の姿勢に変化はない。

日米同盟を基軸とした戦争国家の進展において、戦争の死者を国家が「追悼」することで、国のために死ぬことを尊いものとするイデオロギーは、強化されざるを得ない。本日、天皇出席のもと九段で行なわれている「全国戦没者追悼式」は、戦争の死者を戦後日本の「平和と繁栄」のための「尊い犠牲」として称えることで、人びとを死に追いやった日本国家の責任を解除する欺瞞的な儀式だ。
そして靖国神社は、政府機関の援助を戦後も受け続けながら、より露骨にかつての戦争を「聖戦」として賛美し、首相のみならず天皇の参拝によって、「英霊」を顕彰しようとする政治的施設である。

われわれは、本日の行動をステップとして、この秋から来年、再来年と続いていく「天皇の季節」を拒否するための行動を続けていくことを、ここに宣言する。

2018年8月15日

「代替わり」過程で天皇制と戦争を問う 8・15 反「靖国」行動 参加者一同

【連帯アピール】許すな!靖国国営化 8.15東京集会

第44回 許すな!靖国国営化 8.15東京集会に参加された皆さん

今年も、本日午後から、同じ在日本韓国YMCAを出発点として九段へのデモに取り組む、反「靖国」行動実行委員会より、皆さんに対する連帯のアピールを送ります。

私たちは、国会内での談合による「翼賛国会」によって天皇の「退位特例法」が成立し、来年末の天皇退位・2019年中の即位礼・大嘗祭と続く「天皇代替わり」過程の本格的な開始を迎え、「代替わり」過程で天皇制と戦争を問う8・15反「靖国」行動として、すでに8月11日に討論集会をおこない、本日の行動に取り組もうとしています。

「退位特例法」はその条文に天皇明仁の「公務」を初めて明記し、「国民は、……天皇陛下を深く敬愛し、この天皇陛下のお気持ちを理解し、これに共感している」と宣言しています。これは天皇と「国民」とは、憲法上の法的な関係であるよりも前に、「情」において結びついているという、「君民一致」の「国柄」であることを宣言したに等しいものです。

安倍政権による改憲の動きは、この間の支持率急落などに伴い、一定程度の見直しを余儀なくされているようですが、天皇条項については、すでに明仁天皇のリーダーシップによって解釈改憲されています。

すでに各地で、「天皇代替わり」に反対するさまざまな取組みがはじまっています。本日も、各地で集会が行われています。私たちも東京で、皆さんとともに、靖国・天皇制問題を訴えていく声を上げていきます。ともにがんばりましょう。

2017年8月15日

「代替わり」過程で天皇制と戦争を問う8・15反「靖国」行動