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【集会宣言】天皇に平和を語る資格なし 国家による「慰霊・追悼」反対! 8.15集会宣言

 私たちは、本日、徳仁が天皇として初めて「全国戦没者追悼式典」に出席し、「おことば」を述べる儀式に反対するために集会を行い、式典会場・靖国神社にほど近い九段方面に向けてデモに出発しようとしている。

 5月1日の「即位後朝見の儀」において徳仁は、「ここに、皇位を継承するに当たり、(30年以上の長きにわたり、世界の平和と国民の幸せを願われてきた)上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し……国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望いたします」と述べた。ここで徳仁が明仁から引き継ぐと明言した「平和」とは一体何であるのかが問われなければならない。

 今年の2月24日、明仁は、在位30年記念式典の「おことば」において次のように述べていた。

「平成の30年間、日本は国民の平和を希求する強い意志に支えられ、近現代において初めて戦争を経験せぬ時代を持ちましたが、それはまた、決して平坦な時代ではなく、多くの予想せぬ困難に直面した時代でもありました。……(30年前の)全国各地より寄せられた『私たちも皇室と共に平和な日本をつくっていく』という静かな中にも決意に満ちた言葉を、私どもは今も大切に心にとどめています」。

 しかし、明仁の30年は、自衛隊の海外派兵の30年であり、安保法制等による海外での武力行使を準備する30年にほかならなかった。明らかに天皇制にとっての「平和」とは、まずは国内において戦闘行為がないことだけを意味し、皇室と国民が一体となって享受する「日本」なる共同性における「平和」でしかない。

 しかし私たちは、そのようなものとしての「平和」が、世界中で侵略と軍事恫喝を続けている米国との軍事同盟によって支えられたものであり、構造的に戦争を内包してきた体制の中にいまもあり続け、この社会の内外において、侵略戦争・植民地支配責任を問い続ける少数者や、戦争の被害当事者を抑圧することによって成り立ってきたことを知っている。この間の「最悪」と言われる日韓関係を生み出しているのも、安倍政権による歴史修正主義や、社会的に広がる差別排外主義の風潮によるものであると同時に、植民地支配合法論を前提とし、被害当事者の声(請求権)を認めようとしない、戦後日本の一貫した立場──現在における植民地主義に起因することは明らかである。

 本日の「全国戦没者追悼式」は、戦争の死者を「戦後日本の平和の礎」となった尊い犠牲として「天皇と国民」とによって顕彰する儀式である。それは、加害者である国家の責任を無化し、被害者の死を国のための死として賛美する。しかし、加害者が平和を語り、「慰霊・追悼」する資格などない。なすべきことは、自らの加害責任を認め、内外の被害者への謝罪と補償を行うことでしかありえない。

 国家による「慰霊・追悼」反対! 天皇に平和を語る資格なし! 終わりにしよう天皇制!

 

   2019年8月15日

天皇に平和を語る資格なし 国家による「慰霊・追悼」反対! 8・15集会参加者

【声明】あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」への天皇制弾圧に抗議し、反天皇制の闘いへの参加を訴える

2019年8月1日に開幕したあいちトリエンナーレ2019の企画展「表現の不自由展・その後」は、入場制限が行われるほどの盛況であったにも関わらず、わずか3日の開催をもって中止に追い込まれました。ナルヒト天皇初年に仕掛けられた重大な天皇制弾圧として、この出来事に強く抗議します。
同展の中止を求めた名古屋市長や国会議員をはじめとする政治家、補助金の見直しを示唆した日本政府を絶対に許しません。

また企画展実行委や作家たちへの一切の説明なく中止を決めた、あいちトリエンナーレ実行委員会(会長:大村愛知県知事)の決定に抗議します。最も許せないのは、差別や排外主義にまみれた暴言を吐き、放火や暴力を示唆する脅迫を主催者に対して行った数多くの人々です。これらの人々を怒りをもって糾弾します!最低なやつらだ!

トリエンナーレ実行委の説明によれば、同展の中止を決定づけた電話やメールによる抗議の対象は「慰安婦5割、天皇4割」であったといいます。抗議や脅迫は、「平和の少女像」と「裕仁の肖像」に集中したのです。その背景にはいうまでもなく、みずからの国が行った植民地支配と侵略戦争に対する日本社会の認識と想像力の決定的な欠如があります。そして現在進行形で展開されている、アキヒト退位フィーバーから始まった「代替わり」奉祝の動きがあります。  

「昭和天皇の御真影を焼く映像展示は…事実だとしたらとんでもない」(和田政宗自民党参院議員)などという、大日本帝国丸出しの発言が国会議員からなされ、その発言が広く支持されています。すでに公共空間から排除されていた天皇を扱った作品が、翼賛市民の脅迫によって天皇「代替わり」の年にさらに排除されたのです。この現実から、私たちは出発しなければなりません。

「表現の不自由展」の中止に心を痛めているすべての皆さんに心から訴えます!

〈表現の不自由〉を私たちに強いている天皇制を廃止しよう!
プラカードで、シュプレヒコールや歌で、そのたたずまいで、日本社会の〈表現〉を限界づけている天皇制に反対しよう!

天皇を名指し、プラカードに顔写真を貼り、「戦犯」「差別者」「偽善者」と思い思いに書きつけ、痛みと怒りをもって、天皇制の犯罪を告発しよう!

デモや街頭アピールで、自らが天皇制反対の表現者となろう!

私たちは、天皇制反対の闘いによって「表現の不自由展」の作品群に連帯し、その一刻もはやい再開を求めます。そして、天皇制国家の暴力と支配によって抑圧されてきた無数の生と〈表現〉に連帯します。

2019年8月11日

終わりにしよう天皇制!「代替わり」反対ネットワーク(おわてんねっと)

WEB■http://han.ten-no.net/  MAIL■owaten@han.ten-no.net  twitter■「おわてんねっと」        

【宣言】おわてんねっと「反天WEEK」宣言

2019年4月28日

 終わりにしよう天皇制!代替わり反対ネットワーク(おわてんねっと)は、本日の集会をもって、4月30日・5月1日の明仁天皇退位─徳仁天皇即位に反対し、さまざまな行動を通じて「いまこそ天皇制を終わりにしよう!」と訴える一連の行動(反天WEEK)を開始する。
 昨日練馬で行われた集会をはじめ、この時期、全国各地で天皇「代替わり」に反対するさまざまな行動が取り組まれる。私たちは、多くの仲間と連携し、相互につながりあって、日本列島を覆う新天皇「奉祝」状況に、断固として「否」の意思を、ともに表明していく。 

 4月30日から5月1日にかけて、私たちは、新しい天皇がデビューし、「新元号」のもとで新しい時代が始まるという「奉祝」ムードが、最大限組織されていく状況を迎えることになる。
 30日の「退位礼正殿の儀」は明仁天皇が「三種の神器」と「国璽」「御璽」などを手放す儀式だ。そこで安倍首相が「国民代表の辞」を述べ、天皇の「おことば」が発せられる。1日は、この「神器」などを新天皇が受け継ぐ儀式=「剣璽等承継の儀」と、新天皇が初めて「臣下」に謁見する儀式=「即位後朝見の儀」が行われる。「即位後朝見の儀」では、天皇の「おことば」が先にあり、その後首相による「国民代表の辞」が捧げられる。
 天皇「代替わり」儀式は、この2日間で終わるわけではない。ここから始まるのだ。今後、秋に予定されている「即位の礼・大嘗祭」に至るまで、40ほどの皇室神道の儀式や行事が予定されている。また、新天皇がおこなう儀式は宮中祭祀だけではない。5月25日に国賓として来日する米大統領トランプとの間で、新天皇としての最初の「外交」として会見・宮中晩餐会が行われる。新天皇のお披露目をかねた「地方巡幸」も、6月愛知(植樹祭)、9月秋田(海づくり大会)・茨城(国体)・新潟(国民文化祭)と続く。8月15日には「全国戦没者追悼式」に新天皇として初めて出席して「おことば」を述べることになる。
 このように、新天皇は活発に動き回り、それが同時に新しい天皇の宣伝となる。こうした新天皇の姿を、マスメディアを通じて繰り返し見せることで、私たちに新しい天皇との「再契約」を結ばせようというのだ。
 まさしく、これら天皇制の突出に対して、具体的に反撃していくことが問われている。それ自体特権身分であり、差別の象徴として立っており、絶対敬語でつねに賞賛される天皇。この日本においては、それがつねに仰ぎ見られるべき特別な存在であるということが、繰り返し人びとにすり込まれていく。国会では、新天皇即位への「賀詞」を5月上旬に議決する方向だ。そのうえ、退位した明仁への感謝決議を同時に採択すべきだとの意見も出ている。なんという奴隷根性か。
 2019年は天皇漬けの一年となる。だからこそ私たちは、そのひとつひとつに「天皇制はいらない」という声を対置しよう。新天皇も上皇もいらない! 終わりにしよう天皇制!

終わりにしよう天皇制!代替わり反対ネットワーク

ダウンロードはここから → 「反天WEEK」宣言PDFファイル

【申し入れ】東京都公安委員会に苦情申し立てをしました

*天皇「代替わり」に反対する 2・11反「紀元節」行動は、今年の2月11日に行われたデモに対する警視庁機動隊の不当なデモ規制に抗議して、3月30日付けで、以下の苦情申し立てを行いましたので、ご報告します。

 

苦情申出書

 

2019年3月30日
東京都公安委員会御中

 

 2019年2月11日、千代田区内において開催されたデモ行動に対する、警視庁神田警察署の警備課、警視庁警備部および警視庁公安部による規制に関して、警察法第79条に基づき苦情申出を行う。

申立人:
天皇「代替わり」に反対する 2・11反「紀元節」行動
 
 私たち天皇「代替わり」に反対する 2・11反「紀元節」行動は、千代田区内で集会を持ち、その後16時45分より約40分間にわたり、御茶ノ水・淡路公園を解散地点とするデモに取り組んだ。

 この日は、在特会系と思われるグループが「カウンター」を事前予告し、また「日の丸」などを掲げた街宣右翼が数人、いくつかの交差点などにかたまっていたが、右翼によるデモへの攻撃や妨害は、例年に比べて大きなものとはいえなかった。

 これに比べて、この日の警察・機動隊の不当な規制はひどく、何ら正当な理由も必要性もない規制が、出発前から解散地点まで一貫して加えられた。ひたすらデモを早く進行させ、彼らの言うところの「デモの間延び」をさせないために、デモ参加者の体を押し、圧縮させ、シュプレヒコールをかきけすような大声で「前に詰めろ」と怒鳴り続け、抗議する参加者に暴言を吐いた。私たちのデモが遅れていたわけでもなく、デモの間隔が空いているというが、警察の言うとおりにしていたら、前を歩く人と身体をくっつけなければいけなくなる。なんの理由もない、規制のための規制であったというしかない。

 こうした不当な警備の過程で、JR御茶ノ水駅近辺において、デモ隊の後方を歩いていた足の悪い高齢者が転倒させられた。しかも、それを助け起こそうと近づいた参加者を暴力的に阻止し、「前に進め」と押し続けたのである。しかも、この時警察官は、その高齢者に対して「早く歩け、歩けないなら外に出ろ」という暴言を浴びせていたのだ。デモは私たちの表現であり、誰でも安全に、自分のペースで自由に歩くのが本来の姿だ。警察が自分の価値観で、好きなように規制することが許されるようなものではありえない。こうした発言には怒りを禁じ得ない。

 私たちのデモにおいて、大なり小なり常に加えられるこうした警察の不当な警備に対して、私たちは、そういうことをしないように、デモ申請の際に毎回申し入れをし、公安委員会や所轄警察署に何度も苦情申し立てや抗議をしている。しかし、一向に警察の態度が改まらないのはどういうことか。

 一方、警備に当たる警察の口調や態度は、集会ごとに微妙な違いがあるということもまた事実である。それは私たちに対する口調が「詰めろ」という命令口調であるか、「お詰めください」という「お願いの口調」であるのか、身体を寄せてきたり後ろから直接押したりするか、直接の接触は避けるか、指揮官車の指示の音量や回数などの違いということに過ぎないが、それは、私たちのデモに対しては、今回はここまで規制するということを、あらかじめ意思一致しているのではないかということを疑わせるに足る。同じようなコースの、同じような状況において、機動隊の対応に差があるのは、どう考えても不自然だ。機動隊は、私たちのデモを、さまざまな警備のやり方の実戦訓練の場として利用しているのではないかとしか思えない。

 デモは憲法上最大限保障されるべき表現の自由であって、デモの主体はデモの参加者である。しかるに、警察によるこの対応は、「デモを許可してやっているのは警察だ」「デモは規制されて当然」という根深い発想に囚われているとしか言えない。

 今回の行為が、われわれの権利としてある表現行為を妨害し、われわれが、われわれのペースとスタイルで街頭の人びとに対して訴えていく権利を侵害したということは確実である。法律を遵守することで違法な権力の発動に歯止めがかけられているはずの警察官の無法行為は許されない。

 もう一点、これも日常的になされていることであるが、指揮官車両や歩道上から、公安警察や「警視庁」という腕章を巻いた警察官によって、デモ参加者の顔などが撮影され続けていたことも許されない。犯罪捜査などの特別な理由もなく、デモ参加者を撮影することは、プライバシーの侵害であるばかりでなく、表現の自由を犯罪とみなし、委縮効果にもつながるものである。これらの行為がまったく必要な状況ではなかったにもかかわらず、参加者からの抗議を無視して撮影が続けられたことに対してもあわせて抗議する。

 繰り返すが、デモは憲法上の権利であり、これに対する規制を、何らの説明もなく一方的に行うことは許されない。この点において、今回のデモ警備は「適正」な警備であったと言えるものでは決してない。以上、苦情を申し立て、適切な調査と改善がなされることを求める。

【集会基調報告】天皇「代替わり」に反対する2・11 反「紀元節」行動 集会基調

1 「紀元節」と右派をめぐる状況

 かつて一九四七年に皇室令全体と同時に皇室祭祀令も廃止されるまで、この二月一一日は「紀元節」として大々的に扱われ国家全体で祀られてきた。しかし、二月一一日が「紀元節」と制定されたのは、記述の解釈すらいまなお確立していない記紀神話を基に、「神武」による「肇国」をあたかも歴史的事実であるかのごとく装い、暦計算を曲解しながらつじつまを合わせたことによる。祝祭日の制定じたいも、その根本は明治政府が諸外国の制度を模倣したことにはじまっており、これに当時の「祭政一致」が組み合わされたものであった。

 敗戦から戦後改革の経過で一度は廃止されながら、しかし一九六六年に、多くの批判があるなか、この日は「国民の祝日に関する法律」に組み入れられ、「建国記念の日」として復活した。とはいえ、同法では「建国をしのび、国を愛する心を養う」と記述されているが、期日は「政令で定める日」として現在も法文から外され特定されていない。昭和天皇の「在位六〇年」を前にした一九八五年に始められた政府の後援による「国民式典」も、二〇〇五年以降は開催されておらず、この日を「奉祝」し、「建国記念の日 奉祝中央式典」というかたちで催しを繰り広げるのは、神社本庁や日本会議など右派団体と、その影響下にある議員をはじめとする政財界の連中に過ぎない。

 このような経過をたどっている「建国記念の日=紀元節」だが、「国民の祝日」のほとんどが皇室祭祀と重ねられて制定されているわけでもあり、一九七九年の「元号法」、一九九九年の「国旗・国歌法」などとともに、天皇主義、国家主義のイデオロギーを強く涵養させるものとなっている。昭和天皇裕仁の誕生日を根拠とする「昭和の日」に加え、もともと明治天皇睦仁の誕生日であった「文化の日」を、露骨に「明治の日」としようとする右派の活動も活発化している。

 現政権の中心にいる安倍晋三は、なんの実績もないまま、たんなる世襲により政治家として登場しながら、右派の宗教勢力と結びつき、臆面もなく極右思想を前面に出すことで存在を示してきた。さらに安倍政権は、長期化することにより右派のみならぬ利益集団を固め、自民党の内外から財界、官僚、メディアに至るまで、「身内」への利益供与を通じて、その影響力を広く行使するに至っている。この政権下で、ポピュリズムの姿をまとって、醜悪な差別排外主義や、虚偽の情報が意図的に流布されてきた。

 しかし、たびたびの改造を重ねつつ第四次内閣となり、多数を占める議会勢力を背景に憲法の改悪をもめざす現政権だが、その支持母体の右派勢力は、イデオロギーや利権の争いから混迷を深めてもいる。日本会議を構成する有力な「新興宗教」のグループは緩やかに衰えつつある。また神社勢力は、神社本庁と有力神社の間でもこれまでに齟齬をきたしているが、神社本庁みずからや、これに属しない靖国神社をはじめ、その組織内部での争いが激化している。そこからは、「現天皇が靖国神社をつぶそうとしている」という、靖国の宮司による興味深い発言までも漏れてくるに至っているのだ。しかし、この事態を甘く考えるべきではないのはもちろんである。

 頽廃を深めるこの日本国家においては、対外的な「危機」を煽りたて、これに応じるための「改憲」をめざすという、あまりにも使い古された手口が、政権を維持しさらに悪質なものとするために、ますます有効な手段となっている。この状況は、「選挙イヤー」でもある今年、私たちを厳しく取り巻いている。天皇の代替わりを直前にしながら、現天皇夫妻への支持の声はいわゆる「リベラル」層をも巻き込みつつ、より声高になっているということも、これに加えねばならない。とはいえ私たちは、こうした事態に対し悲観的になることなく、天皇代替わりに対抗する大衆的な陣形をつくりあげていきたいと考える。

 2 天皇「代替わり」儀式との闘い

 二〇一九年を迎えて、天皇の「代替わり」儀式をどのような形式で行うかということに関する検討が、急ピッチで進んでいる。それは「昭和」から「平成」への一連の儀式を「踏襲する」という基本方針に基づいて、着々と強行されているのだ。

 すでに昨年四月の段階で、政府は、四月三〇日の現天皇の「退位礼正殿の儀」と、五月一日の新天皇の「剣璽等承継の儀」「即位後朝見の儀」、一〇月二二日の「即位礼正殿の儀」と「祝賀御列の儀」、当日以降四日間行われる「饗宴の儀」を「国事行為」として行うことを決定した。また、一一月一四日~一五日の「大嘗祭」に関しては、「趣旨・形式等からして、宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができ」ないということを認めながら、「即位が世襲であることに伴う、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式である皇位の世襲制をとるわが国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手立てを講ずることは当然」、「大嘗祭は、公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当であると考える」という、一九八九年一二月二一日の閣議口頭了解を踏襲することを確認した。その結果、一二月二一日に閣議決定された二〇一九年度予算案では、総額で一四四億円の関連予算が盛り込まれることになった。すでに昨年度予算に盛り込まれた費用と、二〇二〇年度に盛り込まれる予定の費用を合わせると、総額で一六六億円となり、前回「代替わり」費用の一二三億円を大きく上回った。

 天皇「代替わり」儀式とは、一年にわたっておこなわれる、四〇ほどの一連の儀式と行事の総体である。その儀式すべてが、税金をつぎ込んでなされるのだ。

 「国事行為」とされた儀式も、けっして「宗教性」とは無縁の儀式ではあり得ない。「剣璽等承継の儀」の「剣璽」とは、いわゆる「三種の神器」の剣と勾玉のことであり、それは「退位礼正殿の儀」「即位礼正殿の儀」においても使用される。

 このことについて、一月一七日に開かれた天皇「代替わり」にともなう「式典委員会」の第三回会合で、山本宮内庁長官が「(退位の儀式が)皇位の継承に伴う重要な儀式であることを踏まえれば、剣璽等を儀式の場に捧持し、奉安することが、皇室の伝統にも沿うものである」と述べ、横畠内閣法制局長官も、前回の「代替わり」において「十分な検討が行われた」、剣璽は「皇室経済法に規定された『皇位とともに伝わるべき由緒あるもの』」であり、「宗教的意義を有する物ではなく、憲法の定める象徴天皇の制度に沿う物であり、また、政教分離の原則に反するものでもない」などと述べている。

 また、「即位礼正殿の儀」において使用するため、昨年五億円もかけて京都御所から運んだ天皇が立つ高御座と、皇后が立つ御帳台自体が、ニニギノミコトの天孫降臨神話に由来する「皇位の霊座」であるといわれる。この点について、一九九〇年に提訴された「即位の礼・大嘗祭違憲訴訟」において、「宗教的な要素を払拭しておらず、大嘗祭と同様の趣旨で政教分離規定に違反するのではないかとの疑いを一概に否定できない」儀式であるという大阪高裁判決も出されているのだ(一九九五年三月九日)。

 しかしわれわれは、こうした内容の儀式であるにも関わらず、それが「国民統合の象徴」である天皇の「伝統儀式」であり、無条件に「問題ない」ものとされてしまう構造自体を、問題としていかなければならない。

 天皇の「代替わり」儀式を通して私たちは、象徴天皇制の下では天皇家の「私事」という名で、日常的にはあまり表に出てこない皇室祭祀が、天皇制を支える大きな柱であるという一方の事実に、あらためて直面させられることになる。いまの天皇が「護憲」「平和」「リベラル」だと肯定的に評価する言説は、「リベラル派」言論人をまきこんで、ますます幅を利かせているが、天皇制が政教分離違反の違憲の諸儀式に支えられてきたものであるという事実は強調されなければならない。それは、被災地慰問などの「国内巡幸」や「皇室外交」、「国民との対話」などを通じて浸透させてきた「俗」なる象徴天皇制と、「日本の文化・伝統」を体現する「聖」なる天皇制が、一体のものとしてあらためて登場する、天皇「代替わり」攻撃にほかならない。

 従って私たちの闘いは、「代替わり」儀式それ自体がはらんでいる「政教分離原則違反」(国家による「天皇教」の押しつけ)を問うことと同時に、一連の「代替わり」儀式の遂行によってつくり出されようとする、「新たな天皇制社会」を問い、天皇制のもとでの再統合を拒否する闘いでなければならない。そのことを、一連の「代替わり」儀式と、それと並行して行われる新天皇としてのさまざまな行為に対する反対の行動を通じて、追及していく。

 3 戦争する国と「平和」天皇

 安倍首相は、戦後レジューム―憲法9条改悪を「悲願」として、中国や朝鮮民主主義人民共和国への排外主義を煽動しながら戦争国家化を進めてきた。昨年末の臨時国会閉幕後の記者会見でも二〇二〇年を新しい憲法施行の年にしたいと言っている。自民党の国会の改憲内容は、憲法9条の「戦争の放棄」、「戦力不保持」を、自衛隊を明記することで無効化するのである。

 同時に安倍政権は、日米安保を基軸にした戦争国家化を果たそうとしている。昨年一二月に、閣議決定された新防衛大綱、中期防衛力整備計画は、中国の台頭を名目に宇宙やサイバー、電磁波を含む平時から有事までを「多次元統合防衛力」として整備、運用することをめざしている。

 トランプ米大統領の対日貿易赤字を理由にした高額兵器押し付けを、言われるままにイージス・アショアやF35B戦闘機購入を決めた結果、中期防五年間の防衛予算は過去最高の二七兆四七〇〇億円となった。護衛艦「いずも」を改修し空母とするなど敵基地攻撃能力に踏み出したのだ。同時に米国の兵器使用は日米軍事一体化を飛躍的にすすめることになる。

 同時に日米の前線基地として奄美諸島を含む琉球弧の軍事基地化が強権的に行われている。政府・防衛省は、沖縄県の「辺野古埋め立て承認取り消し」を無効とし、昨年一二月一四日から辺野古への土砂投入を強行している。さらに、与那国に続き、奄美大島、宮古島、石垣島への自衛隊配備も強行している。

 現在の琉球弧の軍事基地化をもたらしているのはアジア・太平洋戦争で「天皇制護持」のために住民を捲き込んだ凄惨な沖縄戦と戦後も一貫した「天皇制護持」のために沖縄を利用してきたのだ。戦犯天皇ヒロヒトの「天皇メッセージ」によって、沖縄を米国に売り渡し、反共のために「サンフランシスコ講和条約」締結後も米軍駐留―「日米安保体制」を準備したことにある。

 天皇ヒロヒトの戦争終結『聖断神話』、それを引き継いだ天皇アキヒトは、タイ、マレーシア、中国など戦争激戦地への「謝罪なき謝罪」外交を繰り返し、広島、長崎など国内戦争被害地を訪問し、「慰霊」と「追悼」を象徴天皇の公務として続けた。自衛隊(日本軍)の外国派兵にむけた準備となった。戦後初めての公然たる外国派兵部隊、兵士を皇居に招き報告を受け、直接ねぎらいと激励を行っている。アキヒトは最後の昨年天皇誕生日記者会見で、サンフランシスコ講和条約後六五年、「平和と繁栄を築いてきた」「平成が戦争のない時代として終わろうとしている」などと発言し、安倍政権の戦争国家化が「国際平和への貢献」を名目にしているのと同様の歴史認識を示している。

 また、ナルヒト新天皇は即位後、はじめての外国首脳との会談を米大統領トランプと五月にも行うと報道されている。新天皇を国際的に押し出し、日米同盟をうち固め、排外主義を煽動するナルヒト―トランプ会談に反対の声をあげよう。

 天皇制の戦争責任を追及すると共に安倍政権の戦争国家化、改憲と軍事基地強化と闘おう。

 4 「代替わり」諸儀式と天皇行事反対の行動へ!

 今年は「代替わり」諸儀式をはじめ、特別な天皇・皇室行事が続く。例年行われる天皇行事もすでにスケジュールが発表されている。「代替わり」という特別な期間中、それぞれがこの国の一大イベントの一つとして演出されるはずだ。

 今年の特別な天皇行事として、まずは内閣主催で開催される二月二四日の「在位三〇年記念式典」がある。「紀元節」同様、天皇の国であることの自明性を主張し、それを賛美する式典である。それは人びとの関心を引くようなイベントとして準備され、「代替わり」直前にあって、在位三〇年を祝い明仁を惜しみつつ、新天皇を迎えるといった言論状況がつくり出されることは必至だ。この式典に反対の声をあげる行動は、私たちも参加する首都圏枠の実行委によって準備されている。ぜひご参加を。

 続く三月一一日、二〇一二年以降、毎年政府主催で行われてきた「東日本大震災追悼式」も、その開催が一月二二日閣議決定した。これには秋篠夫妻が出席する。こちらも同様に反対行動が準備されている。ぜひご参加を。

 そして、四月三〇日の明仁退位と五月一日の徳仁即位と続く。

 即位した新天皇徳仁の最初の重要な仕事として予定されているのが、トランプ米大統領との会見だ。新天皇の重要な初仕事「皇室外交」は、もちろん明確な憲法違憲行為である。また、最初の会見者が米大統領であることの意味は、沖縄への米軍基地押しつけと安保体制の原型を作った裕仁の後継者として、明仁に続き、徳仁も裕仁のスタンスを継承していくことの宣言と見るべきであろう。

 五月以降の、天皇出席を前提とする例年開催されるいわゆる天皇行事や全国戦没者追悼式等は、当然ながら新天皇徳仁出席のもとで開催され、それらは新しい天皇の時代の始まりを賛美する舞台として演出される。また、これまで皇太子行事としてあった、「文化の国体」とも呼ばれている「国民文化祭」は、即位後も引きつづき徳仁の出席が決まり、天皇「三大行事」は「四大行事」となった。お決まりの天皇の地方訪問がまた一つ増える。明仁即位の時は、明仁皇太子時代の出席行事「海づくり大会」を天皇行事にした。代替わりによって天皇の「公務」をなし崩し的に認めさせていくやり方が踏襲されたのだ。

 八月一五日ももちろん、例年どおり政府主催の「全国戦没者追悼式」が開催され、新天皇が追悼のことばを述べるであろう。そして、少なくとも即位・大嘗祭終了後の年末までは、天皇賛美報道がこの社会を席捲することになろう。

 天皇を政治・経済的に利用する支配層。そのことを通して自らの権威を増幅させ、人びとから「敬愛・理解・共感」をかすめ取る天皇・皇族。そして天皇・皇族の「励まし」や「慰め」によって、どのような悲惨な境遇をも受け入れさせられていく「国民」。この関係構造は維持強化され、支配層にとって都合よく機能する循環は強化されるばかりだ。それは、新自由主義社会の底で分断され苦しむ人びとを統合していく新たな力として機能していくことをも目論むものだろう。

 こういった天皇状況に抗議の声をあげ、各地の「天皇いらない」の声と繋がり、大きな反天皇制のうねりをつくりだしていきたい。ともに頑張ろう。

*新たに一つ増えた、今年の天皇「四大行事」は以下のとおり。現地における反対運動への協力・連帯を!
・六月二日、「第70回全国植樹祭あいち2019」
・九月七日(土)・八日(日)、「第39回豊かな海づくり大会あきた大会」
・九月一五日(日)~一一月三〇日(土)「第34回国民文化祭・にいがた2019」「第19回全国障害者芸術・文化祭にいがた大会」
・九月二八日(土)~一〇月八日(火)「第74回国民体育大会 いきいき茨城ゆめ国体2019」、一〇月一二日(土)~一四日(月)「第19回全国障害者スポーツ大会 いきいき茨城ゆめ大会2019」

【声明】靖国神社での抗議行動は正当だ! 東京地裁は直ちに2名の勾留を解け! 公判闘争を支援しよう!

2018年12月12日、靖国神社外苑で、2人の香港人の男女が「建造物侵入」の容疑で逮捕された。

男性は、「南京大虐殺を忘れるな 日本の虐殺の責任を追及する」と書かれた横断幕を広げ、日本軍国主義、南京大虐殺、靖国神社A級戦犯合祀に対する批判のアピールを行った。女性は、男性の抗議行動をビデオで撮影していた。抗議を開始してまもなく、靖国神社の神門付近にいた守衛がやめるように言ってきたので、男性が立ち去ろうとしたところ、複数の守衛が2人を取り押さえ、警視庁に引き渡した。

2人はそのまま逮捕・勾留され、さらには12月26日に起訴されてしまった。その身柄は今なお警察署の「代用監獄」に留め置かれている。1月15日の弁護団による保釈申請に対しても裁判所はこれを却下。2人はすでに1ヶ月以上も勾留され続けているのだ【注】。

「人質司法」といわれる日本の刑事司法のありかたは、内外から多くの批判を浴びている。今回2人は、「正当な理由なく靖国神社の敷地内に侵入した」建造物侵入という罪状で起訴された。だが、外苑は誰でも自由に出入りできる場所だ。仮に有罪となったとしても微罪であるのに、今回2人に対して加えられている逮捕、起訴、長期勾留という事態は、まさにアジアの人びとが、靖国神社において公然と抗議行動をおこなったことに対する「見せしめ弾圧」であったと言わざるを得ない。この強硬な姿勢が、安倍政権においてより顕著になっている歴史修正主義、国家主義の強権的姿勢と無関係であるはずがない。

抗議のアピールが行われた12月12日という日付は、1937年12月13日の日本軍による「南京陥落」の前日である。この日を前後しておこった、日本軍による膨大な中国市民の虐殺=「南京大虐殺」の歴史的事実を、日本の右派および右翼政治家は一貫して矮小化し、実質的に否定しようとしてきた。また香港は、アジア・太平洋戦争のさなか、3年8ヶ月にわたって、日本の軍政下に置かれた地である。日本政府は、戦後一貫して侵略戦争被害者への謝罪も補償もしないばかりか、歴史的事実を転倒させ、東アジアの平和を求める動きに逆行し続けてきた。このような日本政府のあり方を、中国やアジアの民衆が強く糾弾するのはまったく当然のことである。男性は、歴史問題に関する自らの意思の表現として、この象徴的な場所で抗議行動を行ったのだ。それが靖国神社に立ち入った「正当な理由」でなくて何であろうか。

また、逮捕された女性は、市民記者として、男性の抗議行動を記録していた。それが、男性と共謀の上「侵入」したとして罪に問われたのである。これは明らかに、報道の自由に対する不当な介入でもあると言わなければならない。

私たちは、この日本社会に暮らすものとして、彼らの行為が提起したことの意味を受け止めながら、剥奪され続けている2人の人権を回復し、彼らを被告人として3月から開始される裁判闘争を、香港の友人たちとともに支えていきたいと考える。

本事件に関する注目と司法権力への監視を。3月公判への傍聴支援を。そして2人の裁判闘争を支えていくためのあらゆる支援とカンパを訴えます。

(2019年1月21日)

【注】2月3日現在、1人は東京拘置所に移監されており、もう1人も近く東拘に移監の見込み。保釈請求却下に対する準抗告も1月30日に却下されている。

12.12靖国抗議見せしめ弾圧を許さない会

〒105-0004 東京都港区新橋2-8-16
       石田ビル5階 救援連絡センター気付
mail: miseshime@protonmail.com
振替口座:現在口座開設準備中
*暫定措置として、「12・12靖国抗議弾圧救援」と指定のうえ、救援連絡センターに送金してくださって大丈夫です。
郵便振替 00100-3-105440 救援連絡センター
★ 法廷期日:3月7日(木)10:00〜
       3月19日(火)10:00〜
 ともに、東京地裁429号法廷

 

【集会宣言】8.15反「靖国」行動集会宣言

8月15日、今年も天皇・皇后が出席して行われる政府主催の「全国戦没者追悼式」が開催され、天皇は例年どおり言葉を述べた。国会議員など公人による靖国神社参拝もほぼ例年どおり行われた。これら式典と靖国参拝は、植民地主義・占領政策に基づく過去の侵略戦争への、無反省と無責任をごまかし続けるものでしかない。これらが今年も行われることに抗議の声を上げるため、私たちは今日の8.15反「靖国」行動に集まった。

天皇明仁の、天皇として最後となる今年の8.15は、祈る「平和」天皇として明仁がなしてきた「慰霊・追悼」の集大成として位置づけられる。そしてそれは、天皇制国家が起こした戦争の、その責任追及の声を黙らせてきた象徴天皇制の大きな節目としてもある。

天皇のために戦争で死んだ、あるいは「戦闘協力者」とされた「日本人」への補償および顕彰に比し、そうでない国内外の戦争被害者へは無補償といった無責任な日本政府の差別政策に、多くの「日本人」は口をつぐみ、国際的な責任に向きあうことを避け続けてきた。この明仁天皇最後の8.15式典も例外なく、そういった恥ずべき責任隠蔽の歴史をさらに固定化しようという意図に貫かれている。

政府は今年を「明治150年」として、近代150年をまるごと肯定的に評価するキャンペーンを張っているが、それは私たちにすれば植民地支配・侵略戦争の歴史150年を意味する。靖国神社はその象徴的存在であるが、単なる歴史的シンボルとしてではなく、侵略戦争の歴史を肯定し続ける現役の戦争神社として機能し続けている。その靖国神社に公人が参拝することで示されるこの国の歴史観は、過去150年の植民地主義の歴史を肯定するもの以外にない。そして、「全国戦没者追悼式」と、そこで天皇がのべる言葉は、そういった支配層の歴史観を強固なものとするためだけにある。

安倍政権は戦争のための法整備と「国民」づくりを着実に押し進めてきた。2013年には、安倍首相が靖国を参拝し、現在、それに対する抗議の声は司法によって握りつぶされる寸前だ。過去の戦争政策への肯定・礼賛は、それが現在の戦争準備政策に利するためにこそなされる。そういった課題関係を前提に、私たちはこれからも、現在進められている戦争準備政策への抗議とともに、過去の植民地政策・侵略戦争に対する責任追及を粘りづよく続けていきたい。

そして、そういった現実を不可視な状況に追いこむ装置としてあり続ける天皇制を、これ以上続けさせるわけにはいかない。象徴天皇制のもとでも、天皇は君主的な役割を果たし、神々の一族として明確な宗教儀式をさまざまに続けている。また、政府の政策を円滑に進めるために機能し、世襲制で特権的な地位につく差別的な存在である。そのような天皇制は、「代替わり」で延命させるのではなく、なくしていく方向を模索すべきであり、私たちは、このことを諦めず何度でもくり返し訴えていきたい。

天皇の「代替わり」を許さず、天皇制いらないの声を上げ、安倍政権の、現在の改憲・戦争政策に抗議するとともに過去の戦争責任の追及を忘れない行動を、ともに作り上げていこう!

2018年8月15日
8.15反「靖国」行動参加者一同

 

*当日のデモの様子はこちら

http://www.mkimpo.com/diary/2018/yasukunix2018.html

【集会宣言】4.28-29連続行動集会宣言

3月27日から29日にかけて、明仁・美智子は、「最後の」沖縄訪問をおこなった。3日間でのべ約2万人が歓迎のために集まったとされ、那覇の国際通りでは、自衛隊の陸・空特別編成音楽隊を先頭に、「日の丸」と提灯を掲げた奉迎パレードが行われ、4500人が参加した。今回の沖縄訪問は、天皇として6回目、皇太子時代を含めると11回目となり、今回初めて「国境の島」与那国も訪問した。

明仁の沖縄訪問について、各メディアはその「慰霊」「平和」の思いや「癒し」なるものを最大限持ち上げて報じた。〈1975年、皇太子時代に初めて沖縄を訪問したとき、ひめゆりの塔の前で火焔瓶を投げつけられたが、明仁はそれ以後も一貫して沖縄に心を寄せ続け、沖縄訪問のたびに摩文仁の戦没者墓苑で献花し遺族らと向き合い、その感情に寄り添って平和を祈り続けてきた……〉といった物語である。

今回天皇が沖縄訪問をした3月27日は、いわゆる「琉球処分」=処分官・松田道之が、武装した兵士や警官などを従えて首里城に押しかけ、廃藩置県を布達した日であった。そして、1945年に米軍が慶良間諸島に上陸し、沖縄戦が始まったのは、前日の3月26日にあたる。また今年、天皇が沖縄に着いたまさにその日に、陸上自衛隊は全国の5方面隊を一元的に指揮する司令部として、朝霞駐屯地に「陸上総隊」を発足させ、直轄部隊として「離島防衛」の専門部隊としての「水陸機動団」(日本版海兵隊)をおき、与那国に陸上自衛隊沿岸監視部隊が設置されたのも2年前の3月28日なのである。こうした一連の象徴的な日付のなかで、今回の天皇訪沖があったこと。その政治的意味合いを、私たちは批判し抜いていかなければならない。

天皇を迎えた与那国の外間町長は、「私たちは本土とは隔絶された状況にあり、文化の違いもある。そこから生まれる本土との温度差が、両陛下の与那国訪問でほとんど消えうせたように感じる」と述べた。天皇の役割とは、まず第一に、このような日本と沖縄の歴史が生み出し続けている矛盾や「違和」を消去させ、日本の沖縄支配を正当化し、住民を政治的・文化的に「再統合」していく役割である。明仁は、8月には「北海道命名150年」記念式典に参加するために北海道を訪問するが、ここでも北の離島である利尻島を訪れるという。天皇が重視しているとされる「離島の旅」とは、天皇がそこに足跡を印すことによって、この国の「版図」を再確認するためのものだ。

そして天皇の役割の第二は、遺族に「寄り添い」、「慰撫」するとされるふるまいを通して、天皇制国家の戦争・戦後責任を、観念的に清算し消去していく役割を果たすことだ。

そもそも、1945年2月に「敗戦は最早必至」として終戦工作を勧めた首相・近衛の上奏に対し、「国体護持」のために「もう一度、戦果を挙げてからでないと難しい」といって拒否し、その後の沖縄戦を招いたのが、明仁の父である裕仁だった。天皇制は明らかに沖縄戦の責任を負っている。その裕仁を「常に平和を祈っていた」存在として弁護し続けてきたのが明仁である。これらは同時に、「生前退位」を通じて、象徴天皇制の意味を積極的に再確定していくことをもくろむ、明仁の「公的行為」の総仕上げとしての意味も持つ。

そしてなによりも、与那国への陸自配備、宮古島や石垣島、沖縄本島への配備計画など、軍事的な対中国シフトを強化している現政権の志向と、天皇の沖縄訪問とが、今回はとりわけ露骨にリンクしていたと言わなければならない。

「防衛白書」などに盛り込まれた「島嶼防衛」は、離島奪還を前提とするもので、いわゆる「領土・領海」を防衛することが目的であって、そこに暮らす住民の生活や安全などもとより考えられていない。その発想は、沖縄の住民を天皇制国家の延命のための「犠牲」とした沖縄戦とまったく同質のものである。今回与那国では、町内のあちこちに、自衛隊協力会によって、「奉迎」「ご来島ありがとうございます」と書かれた横断幕が掲げられた。また天皇が乗った車は、自衛隊与那国駐屯地の隊員によって、と列で迎えられた。天皇が直接自衛隊員を鼓舞する場面が演出されたわけではないにせよ、それは天皇と軍隊との関係を、疑いなく強化した。

天皇の沖縄訪問の期間には中止されていた辺野古の基地建設工事は再開され、海を埋め立てる護岸工事が始まって1年たったいま、列をなす工事車両を阻止しようと座り込む人びとの闘いが続いている。安保を「国体」とする日本国家によって、沖縄に押しつけられていく米軍・自衛隊基地に反対する沖縄の人びとの闘いに、「本土」の私たちはどのように運動的に応えるべきか。そのことを自ら問い、基地と安保をなくすために可能なさまざまな行動に取り組んでいこう。

私たちは、3月24日に「天皇の沖縄・与那国訪問を問う」集会をもち、本日ここに「明治150年:日本(ヤマト)による沖縄差別を問う」集会をもった。そして明日4月29日には、沖縄戦をもたらし、戦後は「天皇メッセージ」を発して安保体制の成立にむけて沖縄を差し出した裕仁の責任をも問うべく、裕仁とその時代を賛美する「昭和の日」に反対するデモに取り組む。

一連の行動を通して私たちは、現在に続く日本と沖縄の関係を再度とらえ直し、それを含む近代日本150年のありよう、とりわけ、サンフランシスコ条約と日米安保体制によって規定された戦後象徴天皇制国家・日本の「平和と民主主義」の内実を批判しつつ、来年にかけての天皇「代替わり」に反対していく運動を持続していく。

2018年4月28日

天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4.28-29行動

【集会宣言】天皇の沖縄・与那国訪問を許さない!

天皇と皇后は、来る3月27日から29日まで、沖縄・与那国島を訪問する。明仁天皇は皇太子時代(5回)も含め今回で11回目、来年4月末で皇位を徳仁へ譲ることになっているので、天皇として最後の沖縄訪問となる。

明仁天皇は、「象徴としての務め」として、「先の大戦」の犠牲者に対する「慰霊」と「追悼」の旅を繰り返し、その都度、「お言葉」を述べてきた。沖縄への度重なる訪問は、唯一の地上戦を経験し、住民の4人に1人が戦死したといわれる沖縄ついてはひときわその思いが強いからである、といわれている。

かつて明仁天皇は、「日本は昭和の初めから昭和20年の終戦までほとんど平和な時がありませんでした。この過去の歴史をその後の時代とともに正しく理解しようと努めることは日本人自身にとって、また日本人が世界の人々と交わっていく上にも極めて大切なことと思います」と述べている(2005年誕生日の記者会見)

「先の大戦」中、天皇は、大日本帝国憲法により「神聖不可侵」とされ、軍隊の最高指揮権(統帥権)を保持していた。「国民」の精神(生き方や死に方)を大きく規定していたのは「教育勅語」であり、軍隊では「軍人勅諭」という「天皇の言葉」であった。そして沖縄が地上戦を戦わざるを得なかったのは、「国体護持」を至上命題とした天皇制国家による「捨て石」とされたからである。

「先の大戦」の犠牲者は、地震や台風といった災害の被災者ではない。まぎれもなく、天皇を頂点に戴く国家の作為による犠牲者である。しかし明仁天皇の慰霊・追悼の旅にかかわる「お言葉」には、もちろん、父・裕仁の、そして自ら継承した天皇(制)の責任には一切ふれられることはない。謝罪の言葉が含まれることもない。「過去の歴史」を「正しく理解しようと努める」という姿勢はそこにはまったくみられない。それどころかそれとは逆に、事実を歪め、天皇(制)の責任を糊塗・隠蔽し、そうすることによって、天皇制による国家・国民(再)統合を意図しているものにすぎない。

さらに、今回の沖縄・与那国への天皇の訪問は、これまでにない特異な様相も備えている。

まず、天皇が沖縄を訪ねる3月27日は、139年前(1879年)に内務官僚・松田道之が、軍隊300名と警官160名余を率いて首里城に入り、琉球国王に城の明け渡しを求め廃藩置県を布告した日である。  明仁は、「私にとっては沖縄の歴史をひも解くということは島津氏の血を受けている者として心の痛むことでした。しかし、それであればこそ沖縄への理解を深め、沖縄の人々の気持ちが理解できるようにならなければならないと努めてきたつもりです」(2003年誕生日の記者会見)とのたまっている。そう言いつつ、この日に沖縄を訪問するとは何をかいわんやである。

また、翌28日に明仁は、初めて与那国島を訪問するが、この日は、ちょうど2年前(2016年)に、自衛隊与那国駐屯地が開設され、与那国沿岸監視隊(150名程度)が配備された日にあたる。住民虐殺(強制死)を含む皇軍(日本軍)の振る舞いの記憶が残る沖縄(南西諸島を含む)では、当然ながら自衛隊配備に反対する声が多い。与那国でも意見が分かれ住民投票が行われている。中国脅威論を煽り、南西諸島(宮古島、石垣島、奄美黄島)への自衛隊配備・増強を進める安倍政権にとって、地域住民の「融和」と「辺地」へ配備される自衛官の「慰撫」は必要不可欠となる。そうしたなかでの、今回の天皇の「開庁日」にあたる日の訪問は、表だって自衛隊施設を訪れるということではないにしろ、その意図するところは明白である。

日本国憲法を踏みにじり、自らの意志により、生前退位による皇位継承の路線を引いた明仁が、退位を前にして、後継に期待する新たな「象徴としての務め」がそこに見えてこないだろうか。  天皇(制国家)と沖縄との歴史を顧みれば、今回の訪問はおよそ許されるものではない。

明仁天皇の沖縄・与那国訪問を許してはならない!

2018年3月24日

天皇の沖縄・与那国訪問を問う3・24 集会参加者一同

 

 

【呼びかけ】天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える 4・28─29 連続行動への参加・賛同の呼びかけ

一八七九年三月二七日に、内務官僚・松田道之は、軍隊三〇〇名余、警官一六〇名余を率いて首里城に入り、琉球国王に城の明け渡しを求め廃藩置県を布告した。いわゆる「琉球処分」の最終局面である。

「明治一五〇年」キャンペーンを政府が展開する今年(二〇一八年)、この三月二七日に、天皇明仁は沖縄へ行く。皇太子時代に五回、天皇になってから五回の訪沖をしている明仁にとって一一回目となる。自ら敷いた路線で来年四月末に退位し、息子・徳仁に皇位をゆずる彼の、天皇として最後の沖縄訪問となるであろう。

その翌日の三月二八日には、天皇として初めて国境の島・与那国を訪れる。この日は、二年前(二〇一六年)に、自衛隊与那国駐屯地が開設され、与那国沿岸監視隊(一五〇名程度)が配備された日にあたる。

この三月二七日(琉球処分の日)、二八日(自衛隊開設日)の日程での、天皇の沖縄・与那国訪問は、これまでの天皇による、慰霊や追悼の旅とは違った、別の意味を持つことにだろう。「象徴としてのありかた」を模索してきたという明仁天皇は、自ら「生前退位」の道を開いた。そして次なる天皇の即位を導いた。明仁の最後の沖縄訪問は、徳仁新天皇に課す新たな役割(「象徴的行為」)への布石としての旅かもしれない。

沖縄は、武力によって大日本帝国(天皇制国家)の版図へ強制的に組み込まれ、皇民化政策のもとで植民地的支配を自ら被りながらも、侵略・植民地支配の先兵として動員された。敗戦局面では、本土防衛の捨て石とされ、住民の四人に一人が死を強いられた。そして敗戦後は、間接統治の日本(ヤマト)とは違って、米軍による直接統治下に置かれ、一九五二年にサンフランシスコ講和条約によって「本土」が「主権回復」した後も、裕仁天皇のメッセージによって米軍の占領状態が継続された。同時に結ばれた日米安保条約により、占領(米)軍の日本への駐留が継続されることとなるが、軍政下で銃剣とブルドーザーによる強制的な土地の収用=米軍基地建設が行われた沖縄に、さらに日本からも海兵隊を中心とした米軍基地が移転され、その結果、「国土」の〇・六%を占める土地に七四%の米軍基地が押しつけられることになった。

このように沖縄にとっての「明治一五〇年」とは、大日本帝国による戦争・植民地支配政策(その破綻)と戦後のアメリカ核軍事力に依存した日米安保体制の矛盾が押しつけられてきた一五〇年であるといえる。

軍政下における「島ぐるみ闘争」(一九五六年)から近年の辺野古新基地建設や高江ヘリパッド建設を阻止する運動、オスプレイの配備に反対する運動など、幾たびも沖縄は反基地・反安保の声を上げ続けている。沖縄の声は、しかし、日本(ヤマト)にとって大きくは響いていないようにみなされる。

政府・安倍政権は、中国脅威論を煽りながら、沖縄の米軍基地強化とともに南西諸島(宮古島、石垣島、奄美大島)への自衛隊配備もすすめている。
私たちはヤマトの人間として、安倍政権の「明治の精神に学び、日本の強みを再認識する」として「明治の精神」を礼賛し、戦争と植民地支配の歴史を糊塗し、さらにその破綻の結果として生まれた平和憲法(憲法九条)をもなきものとする動きを許すことはできない。

沖縄を常に利用(構造的差別)し続けた「一五〇年」の歴史=近代天皇制総体の歴史を批判的に検証する集会(4・28:沖縄デー)と、天皇制の戦争責任・植民地支配責任を問い、歴史の改竄を許さない反「昭和の日」デモ(4・29:裕仁誕生日)の連続行動を、今年も作りだしていきたいと思います。ぜひ多くの方の賛同をお願いします。

天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4・28─29 連続行動実行委員会

【呼びかけ団体】

アジア連帯講座/研究所テオリア/立川自衛隊監視テント村/反/安保実行委員会反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」の強制反対の意思表示の会靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

連絡先●東京都千代田区神田淡路町1─21─7 静和ビル2A 淡路町事務所気付
振替●00110─3─4429[ゴメンだ!共同行動]