【学習会報告】岩波新書編集部編 『昭和の終焉』(岩波書店、一九九〇年)

ちょうどXデーから一年経って岩波新書編集部が出した岩波新書。八人の論者が書いた論考を集めたもの。井出孫六だけが書き下ろしで他は「世界」や「マスコミ市民」に掲載された論考だ。どれもXデー直後に書かれたものなので、当時の緊張が行間に滲み出ている。

豊下楢彦「『天皇・マッカーサー会見』の検証」は最初朝日新聞に一九八九年二月六・七日に掲載されているが、この時は「天皇とマッカーサー会見」。担当した朝日新聞の記者が天皇のあとに「・(ナカグロ)」をつけると右翼から「不敬」だと非難されることを恐れて「と」となったという。今から見ると笑えるが、当時の空気を象徴している。

最も興味深かったのは、巻頭の奥平康弘の「日本国憲法と『内なる天皇制』」。観念論的な「内なる天皇制論」ではなく憲法論として「内なる天皇制」を展開しているところにその特徴がある。奥平は憲法の天皇制の諸規定こそが「内なる天皇制」にとっての栄養源だとし、これまで憲法学者は民主主義の基準に照らして天皇の地位や役割を最小限度のものにする解釈論を提示するよう努めてきたが、それでは国事行為以外の行為に関して憲法で論じられない限界があると指摘する。「国体」概念も「主権の所在」は変更されたのだから「国体」は崩壊したのだが、文化現象としての天皇崇拝へと「国体」概念のすり替えに成功したと捉える。
さらに憲法制定以前に帝国議会がさっさと旧皇室典範を修正して生存退位への道を開いた上で天皇の退位を決議する方法を取るべきだったという奥平の言う「ありえてよかった」選択は今だからこそ含蓄深い。

次回は一〇月二五日。今回の奥平の議論をさらに深めるために奥平康弘『万世一系の研究』を読む。

(宮崎俊郎)

【集会報告】第4回女天研講座「ジェンダーと天皇制」

九月二一日夜、四回目になった女天研連続講座は、首藤久美子さんが「女性皇族の公務──慰問? 福祉?」というタイトルで、高円宮久子が東京オリンピック招致の際のスピーチをした話からスタートした。

明治時代に入って、「大日本帝国憲法」と同格の「皇室典範(旧)」を整備するのと並行して、西洋をお手本とした近代化のなかで男女の性差をも利用した天皇制が作られた。明治天皇・大正天皇のそれぞれの皇后も養蚕、慈善、戦傷兵士慰問などを行ってきたが、それらは「男性によって象徴される規制の権威や体制への異議申し立てとして女性神格が『逆さまの世界』を作り出す手段として有効だった」とした若桑みどりさんの分析は、今の女性皇族の捉え方、打ち出し方もその延長線上にあるのではないかと首藤さんは語る。

現在の女性皇族のおびただしい数の名誉職を紹介したあと、全国赤十字大会に出席して発言している香淳皇后(良子)の珍しい映像(始めて声を聞いた!)、そして壇上に美智子(名誉総裁)を先頭に女性皇族がぞろぞろと入場してくる姿(かなりきもい)を映したDVDを鑑賞した。「女」としての役割のお手本のようにコメントする人もいる。天皇制そのものが「女性的」なのではないか。また、天皇のさらに上に「国体」をおき、その「国体」に奉仕をする、天皇を頂点にした「国民」のヒエラルキーが存在しているのではないか、と首藤さんは問うた。

今の女性皇族の「公務」としている仕事にフォーカスして考えるというのは、天皇制の現在的問題点を考える意味でもとても重要だ。だいたい名誉総裁ってなに? スポーツ界、医学会、芸術関係の多くの団体が名誉総裁として皇族、特に傍系の女性皇族が多く担っている。それを頼む側の論理はどうなっているのだろう。皇族に頼むと箔が付くのか、それぞれの業界の発展に有利に働くのか。首藤さんの問いかけは容易に結論の出るものではないが、「天皇制とジェンダー」という講座のメインテーマそのものであり、今後も講座の通底するテーマであると思った。

(中村ななこ)

【傍聴報告】靖国参拝違憲訴訟第九回、一〇回口頭弁論

安倍靖国参拝違憲訴訟の第九回、一〇回の口頭弁論が九月五日と一二日に東京地裁103法廷で行われた。

原告でありながら、平日の昼間の傍聴にはなかなか参加出来ずにいたが、今回は裁判も山場で、原告一四人の尋問が行われるということなので、仕事を休んで傍聴した。

弁護団は書面による証拠調べに加え、専門家五人(吉田裕、木戸衛一、張剣波、南相九、青井未帆)の生の声による証人尋問の必須を訴え、証人採用の請求もしていたが、こちらは却下されたということだ。

法廷に入り着席すると、弁護団、裁判官、被告である国、首相、靖国神社の各代理人の各机上には、弁護団が作成した準備書面が、崩れ落ちそうなほど山積みにされていたが、これだけの書類を作成するのは、本当に大変なご苦労だっただろう。

五日は、関千枝子、池住義憲、森田麻里子、辻子実、一戸彰晃、根津公子、三浦永光、松本佐代子(米田佐代子)各原告の証人尋問が行われた。割り当られた時間は一人三〇分。戦争がもたらす悲劇、踏みにじられる人権、このようなことを二度とおこさせないという気概に満ちたそれぞれの生き様をも感じさせる、権力と対峙する凛とした証言に私の目頭は熱くなった。反天実の8・15のデモに触れ、「靖国」支持者たちの暴力的行為も証言された。戦争に人々を動員させる装置としての「靖国」。「慰霊・顕彰」の施設は戦争国家に欠かせないものであるという靖国の闇が法廷に浮かびあがった。一〇時半から一六時過ぎに及ぶ長時間だったが、その場に立ち会えて本当に良かったと思う。

一二日は、中国、香港、韓国、ドイツと日本人の残りの原告証言(王選、許朗養、星出卓也、山内斉、李熙子、金鎮英)が行われたが、裁判所が手配した通訳は、言葉の壁を思い知らされるお粗末なもので非常に残念であった。当初、七三一部隊の残虐で非人道的な行為を告発してきた中国人の胡鼎陽さんの証人尋問が予定されていたが、ビザを発給しないという国による妨害が行われた。抗議声明が出されているので参照されたし。今後の裁判の流れはAlertでもお知らせするので、注目を!

(桃色鰐)

【集会報告】24条変えさせないキャンペーン キックオフシンポ

秋の国会が始まり、改憲問題は早々に俎上に載せられつつある。この国会を迎え撃つように、九月二日、「24条変えさせないキャンペーン」のキックオフシンポジウムが上智大学で開催された。同実行委員会の主催で、参加者は約一八〇人とのこと。

メインのスピーカーは木村草太(首都大学東京)。しかし彼の話は、このキックオフシンポのためになされたとは言いがたい内容で、憲法24条問題にかかる自民党草案についても「相手にする価値がない」とまで言う始末。24条の意義や成立過程など基本的な話も、後半の発言者の一人で呼びかけ人でもある清末愛砂が、家族主義と新自由主義について語る中で展開したが、そちらに譲った感じであった。メインスピーチの後、対談の相手として登場した北原みのりは、改憲草案24条の問題を改めて訴え、「すでにキックオフされている」と切り返し、会場の空気を盛り返していった。

後半は、能川元一(大学非常勤講師)、清末愛砂(室蘭工業大学)から一〇分ほどの発言。引きつづき赤石千衣子(しんぐるまざあず・ふぉーらむ)、打越さく良(弁護士)、大橋由香子(SOSHIREN女(わたし)のからだから)、戒能民江(お茶の水女子大学名誉教授)、藤田裕喜(レインボー・アクション)と五分間スピーチが続いた。私も女性と天皇制研究会として発言した。天皇の「生前退位」メッセージが出てまもなくのことでもあり、天皇メッセージにある「伝統の継承者」発言をひきつつ、家族国家的な安倍政権の体質と自民党改憲草案24条および前文について問題提起した。五分という短さもあり、珍しく詳細なメモを作って準備したが、それでも、「時間ですよ」の札をみせられる羽目に……。

後半は、それぞれの専門あるいは運動の立場からの問題提起で、短時間の濃密な発言が相次ぎ、興味深く充実した時間だった。また、天皇制の課題が、さまざまな課題とクロスしていることを再認識する機会ともなった。

(大子)

【今月のAlert 】「有識者会議」設置─ 「国民的議論」を超えることばを!

九月二三日、政府は「生前退位」などを論議する「有識者会議」のメンバーを発表した。これまでさまざまに設置されてきた「有識者会議」や「審議会」に名を連ねてきた面々である。一〇月中旬に第一回会合を持ち、早ければ年内にも「提言」という見通しが語られている。

同時に、宮内庁人事も発表された。風岡宮内庁長官が退任し、次長がトップに就いたが、その後任として、内閣危機管理監の西村泰彦が官邸から送り込まれた。西村は、宮内庁側のカウンターパートとして天皇の「公務軽減」について検討してきた内閣官房副長官・杉田和博と同じ警察官僚出身者である。「宮内庁の人事を官邸主導に切り替えた」ことを意味する、と報じられている。
七月一三日のNHKの報道と、明仁自身の八月八日のビデオメッセージによって明らかとなった「生前退位」の意志の表明は、単にそれだけではなくて、象徴天皇制とはどのようなものであるのかを天皇自身が定義し、天皇が行ってきた行為と、それによって生み出されてきた「国民とのつながり」について自賛し、それを天皇のなすべき仕事として、明仁天皇自身の関与のもとに「代替わり」を果たすことを通じて、新たな天皇像を確立していくという宣言だった。それは、天皇自らの意志に基づき周到に準備された。国事行為以外の「公的行為」なる違憲の行為が、天皇の大切な「つとめ」であるということを、これまたマスコミを使った違憲の政治的行為によって果たしたこの目論見は、しかしかなりの部分において成功したといわなければならない。

ビデオメッセージ放送直後の世論調査では、生前退位を「できるようにしたほうがよい」が八六・六%、その理由として「天皇の意向を尊重すべきだから」を選んだ回答者が六七・五%を占めた(共同通信社)。七月一三日の段階では、「生前退位は摂政冊立によって可能だ」などと論じていた小堀桂一郎や渡部昇一ら右派系の論者も、天皇自身による明確な「摂政否定」と圧倒的な「国民的支持」を前に封殺され、生前退位を可能にする皇室典範改正へと、一挙的に進むかとも思われた。

だが、政府は皇室典範を改正せず、現天皇一代限りの特例法で処理する意向であると報じられ、さらに、三〇日の衆院予算委員会において、横畠祐介・内閣法制局長官は、皇室典範を改正せず、特例法で「生前退位」が可能になるとの政府見解を示した。

この一連の事態に、「生前退位」にはそもそも消極的だった安倍官邸の「巻き返し」を見ることもできよう。右派の「生前退位」反対論が、皇室典範改正となれば、「女性・女系天皇容認論」につながるという危惧によっていることは明らかだ。「安定的な皇位継承」、ひいては天皇制の存続のためには「女性・女系天皇」の実現を辞さないという考えをもつ(と伝えられる)現天皇に対して、安倍を含む右派勢力は、あくまで男系にこだわっていた。なんとか摂政で妥協できないかと、官邸が宮内庁を揺さぶっていたという報道もあった。

確かに、ビデオメッセージで示された「お気持ち」の眼目は、たんに年をとったから引退したいというような話ではなかったはずだ。そこで目論まれていた主体的・積極的な天皇像の確立は、また別の事情によって、いったんブレーキがかけられたのかもしれない(そうした主張のために、「天皇の政治的発言は憲法上許されない」などとしきりに強調する右派がいて、そのご都合主義には呆れるが)。皇室典範改正はリスクが大きいので、やるなら「特例法で」という安倍のオフレコ発言の線で収まりつつあるのかもしれない。

けれども、天皇によって開始され主導された事態が、ここまで進んだということを、われわれとしてはやはり確認しておかなければならない。安倍と思想的に近しい、日本会議国会議員懇談会のメンバーによるアンケート結果(『文藝春秋』一〇月号)にも、多くはないが「生前退位」や「女性宮家」に賛成する回答が見られる。明らかに、いまだ事態は揺れている。

有識者会議などでの議論の中身にも、おそらくはそれらは反映されていくだろう。もちろんこれらのすべてが、天皇制を前提とした議論でしかありえない。だがそこにも、われわれが天皇制を批判していくための具体性が、見出せるはずである。これからの事態に批判的に注目しつつ、そこで登場するさまざまな言説に具体的に介入することが、自覚的に追求されなければならない。

そして何より、この間の事態に関わって、各地で議論の場や街頭行動が持たれ始めている。私たちもそうした場を準備し、またそれらの動きにつながっていくことによって、「有識者」たちが組織する天皇制に関する「国民的な論議」とは別の批判のことばを紡ぎ出していこう。

(北野誉)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 4号(2016年10月 通巻386号)

今月のAlert ◉「有識者会議」設置─ 「国民的議論」を超えることばを!(北野誉)
反天ジャーナル ◉ 映女、宮下守、D子
状況批評 ◉ 憲法学から見た天皇の生前退位問題(岡田健一郎)
書評◉池田浩士文・髙谷光雄絵『戦争に負けないための二〇章』(ほしのめぐみ)
ネットワーク ◉ 映画「チャルカ」に託す想い(島田恵)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈77〉  ◉ 独裁者の「孤独」/「制裁」論議のむなしさ(太田昌国)
マスコミじかけの天皇制〈04〉 ◉ 大日本帝国憲法の「復活」と闘う─「民主天皇」という政治神話:〈壊憲天皇明仁〉その2(天野恵一)
野次馬日誌
集会の真相 ◉ 9・2 二四条かえさせないキャンペーン・キックオフシンポ/9・10-11 天皇出席の山形「海づくり大会」反対!現地闘争/9・12安倍靖国参拝違憲訴訟(東京)第10回口頭弁論9・21女天研連続講座・ジェンダーと天皇制 第4回「女性皇族の公務ー慰問?福祉?」/9・24 北村小夜さんと語り合った「学校と戦争─そこを貫く『道徳』『動員』『優生思想』」
学習会報告 ◉ 岩波新書編集部編『昭和の終焉』(岩波書店、一九九〇年)
反天日誌
集会情報

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*2016年10月4日発行/B5判16ページ/一部250円
*模索舎(東京・新宿)でも購入できます。

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