【集会基調報告】天皇制はいらない! 「代替わり」を問う 2・11反「紀元節」行動 集会基調

1 天皇「代替わり」過程のなかで

 私たちは、明仁天皇が主導して開始された「代替わり」過程の中で、今年の2・11を迎えた。昨年七月一三日のNHKの報道と、明仁自身の八月八日のビデオメッセージによって始まったそれは、明仁天皇がたんに年老いたので「退位」をしたいと希望したというような話ではない。憲法の条文の上で、天皇は政治的権能をもたないとされている。したがって、天皇が「国民統合」の象徴であるという憲法上の規定は、その是非は別として、現実に存在している「国民統合」の状態(必ずしも「統合」されていないという現実をも含む)を、そのまま「象徴」する存在でしかないという意味に解されなければならない。しかし、天皇によるビデオメッセージの内容は、それとは逆に、天皇は「国民統合」を積極的に作り出すことにおいて象徴となるのだ、という「能動主義的天皇制」の論理を、「国民」に対して宣言するものだった。すなわち、天皇自身が天皇の行為の内容を決め、それに基づいて天皇制の「制度設計」の変更を主導することが、公然と開始されているのである。
 九月二三日には、政府が「生前退位」などを論議する「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」のメンバーを発表し、一〇月一七日には第一回の会合が開かれた。有識者会議は一六人にヒアリングを行い、一月二三日の第九回で「論点整理」を公表。三月中には、最終答申が出る見込みだ。
 一方、報道などでは、二〇一八年ともいわれる明仁の退位と新天皇の即位、二〇一九年元日の「改元」、同年秋の「即位の礼・大嘗祭」実施などといったスケジュールが規定の方針のように出されている。
 安倍政権は、天皇の「生前退位」を根拠づけるものとして、「一代限りの特例法」でしのごうとしている。女性天皇・女系天皇につながりかねない「皇室典範改正」にはきわめて消極的だ。これにたいし野党は、「皇室典範の改正が本筋」などと主張している。だが、「皇室の問題を政争の具にしてはならない」といった論理で、衆参両院の正副議長による異例の会議が開かれ、事前の談合がすすめられている。
 与野党ともに、天皇制の「安定的継承」こそが大前提なのだ。かつて、国会開会式をはじめとする、天皇の「公的行為」の違憲性を問題にし、前の「天皇代替わり」の際には天皇の戦争責任を批判していた共産党は、いまでは国会開会式への出席に踏み切ってしまった。天皇制それ自体を問題にする議会内勢力はもはや不在だ。ここに出現しているのは、まさに「天皇翼賛国会」そのものである。
 一月二六日の衆議院予算委員会において、民進党の細野豪志代表代行の「皇位断絶の危機」の指摘に答えて、安倍首相は、今回の議論とは切り離して、「安定的な皇位継承の維持について引き続き検討していきたい」と述べた。旧皇族の皇籍復帰や旧皇族の男系男子を皇族の養子に受け入れることも含めて、「今後議論してもらえればと考えている」というのだ。
 そして、天皇の退位を可能とする法案が、今国会において連休明けにも提出といわれている。これに対してわれわれの立場は、天皇の退位に反対することでも、皇室典範改正を要求することでもない。そのような選択肢しか与えられない構造こそ、天皇制そのものであることを問題にし、民主主義に天皇制はいらないという声を大きくしていく以外にない。こうして天皇制をめぐる状況が、日々大きく動いている中でのわれわれの本日の行動は、今後数年にわたる「代替わり」過程全体をみすえた反天皇制運動の課題を確認し、その闘争方向を議論していく場として設定されている。

2 2・11 と右派の動向

 本日二月一一日は「建国記念の日」とされている。天皇神話に基づく戦前の「紀元節」は、一九四八年に一度は廃止されながらも、多くの反対を押し切り、一九六六年に「建国記念の日」として復活された。政府による式典は中止されたままだが、日本会議と神社本庁を中心とする右派勢力は、今年もまた各地で式典や行動を繰り広げている。
 「国旗・国歌法」や、教育基本法改悪、教科書改変などで草の根からの「国民運動」を展開してきた日本会議は、神社本庁や民間右翼のみならず、自民党など右派政党の国会・地方議員も多く組織し、政治的影響力を強めている。
 とりわけ安倍政権は、安倍自身を始め閣僚の多くが日本会議国会議員懇談会のメンバーである。日本会議を中心として設立された「美しい日本の憲法をつくる国民の会」は、天皇の元首化、憲法九条改憲、「国家緊急事態」の制定など、自民党改憲草案を丸ごと実現する趣旨で、全国の神社において昨年一月、改憲署名を開始した。
 このような、宗教右翼と結びついた右派の運動は、国家による宗教行為を禁じた、憲法二〇条の政教分離原則をないがしろにする安倍政権の行為を、明確に後押ししている。
 安倍首相は、二〇一三年一二月の靖国神社参拝が、国内外の大きな批判を浴びたことから自らの参拝は見合わせているが、靖国神社の例大祭などへの供え物は欠かさない。こうした状況を受けて、国会議員の靖国神社参拝の人数は激増している。また、昨年五月の伊勢志摩サミットの初日には、サミット公式行事としてG7首脳を伊勢神宮に案内してみせた。とりわけ、安倍内閣の防衛相である稲田朋美が、昨年一二月二九日に靖国神社を参拝したことを見逃すことはできない。かつて稲田は、「靖国神社というのは不戦の誓いをするところではなくて、『祖国に何かあれば後に続きます』と誓うところでないといけないんです」と述べていた人物である。戦争国家体制が着実に構築されている現在、戦争体制を精神的に支える装置として、死者の「慰霊と顕彰」の場が要請されている。靖国神社だけがストレートにそういう場所になりうるかどうかは疑問だが、戦争神社・靖国に現役の防衛大臣が参拝することの政治的意味合いはきわめて大きい。
 その稲田は昨年一一月「明治の日推進協議会」の集会で、「神武天皇の偉業に立ち戻り、日本のよき伝統を守りながら改革を進めるのが明治維新の精神だった」とあいさつした。同団体は、明治天皇の誕生日である一一月三日を、現在の「文化の日」から「明治の日」に変えようというグループである。こうした動きは、二〇一八年に実施が決まっている、政府の「明治維新一五〇年」記念事業とも連動しているだろう。そして、この二〇一八年がまた、「平成最後の年」というキャンペーンと重ねられることは明らかだ。そこではいわば、近代天皇制国家の一五〇年の総体が、まとめて総括されることになるはずだ。そして二〇一九年の「改元」が、新たな天皇の世紀を開くものとして喧伝されることになるだろう。

3 新天皇即位・「大嘗祭」に反対しよう

 さしあたり、新たな天皇制がどのようなものとして打ち出されることになるのか、それはきわめて不透明である。美智子に匹敵する存在感のある皇后の不在は、「平成流」の天皇制を続ける上で、有利とは言えない。そうした新天皇の権威づけは、どのようになしうるのか。だが、さしあたり明仁天皇が描いた天皇像を逸脱することはなく、その基本路線を引き継ごうとすることから始められるだろうと想像するだけで十分である。
 この間、明仁の退位と新天皇の即位の日付をめぐって、政府と宮内庁との間に、若干の「応酬」があった。報道によれば政府は、二〇一九年一月一日に皇太子の天皇即位に伴う儀式を行い、同日から新元号とする方向で検討に入った。具体的には、この日に「剣璽等承継の儀」(三種の神器等引き継ぎ)と「即位後朝見の儀」(三権の長らの初拝謁)を宮中で行い、官房長官が速やかに新元号を発表する。そして同年の一一月に大嘗祭がおこなわれ、皇位継承を内外に示す「即位礼正殿の儀」が大嘗祭の前に行われる、とされた。
 ところが、これに対して西村泰彦宮内庁次長が、一月一七日の定例会見で「譲位、即位に関する行事を(元日に)設定するのは実際にはなかなか難しい」との見解を述べたのである。そこには、「元日は早朝から重要な行事が続くので、それらに支障があってはいけない」という天皇サイドの意向が反映されているのではないか、とも報じられている。皇室にとっての「重要な行事」というのは、早朝からおこなわれる「四方拝」などの宮中祭祀や「新年祝賀の儀」などのことである。これをうけて、政府は二〇一八年一二月二三日の退位の検討へと切り替えたといわれている。
 天皇制が国家の制度であれば、それは政府や議会が決定することで、天皇の「私事」にすぎない宮中祭祀などに左右されてよいはずはない、と安倍官邸が言っても不思議ではないが、そのようなことはありえない。自民党の改憲草案においても、天皇の祭祀を「国事行為」に入れるということは主張されていないが、天皇も安倍も完全に一致している天皇の「公的行為」の拡大のなかで、天皇の「祭祀」の「公的性格」を強調し、事実上国家の行為としてそれを拡大していく方向性が強まっている。
 「剣璽等承継の儀」や「大嘗祭」などは、いうまでもなく皇室神道の儀式である。それに対して「公的性格」をみとめて国費を支出することは、政教分離違反である。明仁天皇を、安倍と対立する「護憲・平和主義」者として描き出すことは、いわゆる「リベラル」な立場に立つ人からもしきりになされているが、今回の「生前退位」意向表明、そして、それによって日程に上りつつある「代替わり」儀式において、天皇は明確に違憲の行為を積み重ねていくのだ。そしてそれが、改憲を押し進めようとする日本会議などの右派勢力の「復古主義」と重なりつつ、またそれとは異なる天皇主義の強化をもたらすことになるだろう。

4 反天皇制運動の大衆化を

 このような天皇制の行為は、まさに反憲法的な行為である。私たちは、民主主義・人権・平和主義といった普遍的な価値を中軸的な原理としておいている現憲法が積極的な性格を認めるが、象徴天皇制自体がこれらの原理と矛盾するものとして憲法内に埋め込まれており、そのことがたえず、反憲法的な行為を引き起こしているといわなければらない。
 天皇制はひとつの身分制度であり、差別と人権侵害、自由な表現の抑圧をもたらす存在として現実的に機能している。それが行なっていることは、戦争や原発事故、沖縄の基地問題、社会的格差と不平等など、さまざまに生じている現実的なあつれきを、慰撫し、融和し、「国民」的に統合していくことである。そして最終的に天皇が果たす役割は、現実政治の正当化以外ではありえない。
 今年の「天皇行事」としてはまず天皇・皇后のベトナム訪問が予定されている。「三大天皇行事」については、「68 回全国植樹祭(5/28、富山)」、「72 回国民体育大会(9 /30〜10/10 、愛媛)」「37 回全国豊かな海づくり大会(10/28 ・29 、福岡)」があり、例年の8・15 「全国戦没者追悼式」がある。3・11 の「東日本大震災追悼式」は、五年がすぎたので、天皇出席行事から、秋篠宮出席の行事となった。だがこれは、新天皇の即位後、皇位継承者第一位になる秋篠宮の、実質的な「皇太子化」の先取りというべきものだろう。
 われわれは、こうした天皇制の動きを批判し、闘争課題としつつ、長期的には「即位・大嘗祭」へと向かう天皇「代替わり」攻撃を見すえた闘争を準備していきたい。大量の右翼と警察の暴力に見舞われた、各地で「生前退位」表明以降の天皇制再編に抗するさまざまな反撃がすでに始まっているが、昨年11・20の吉祥寺の反天皇デモは、警察と右翼による激しい規制と暴力に見舞われた。さまざまな暴力や人権侵害、市民社会からのそれも含んだ排除の言論、不当弾圧といった課題は、反天皇制運動の課題でもある。いま、2020東京オリンピック・反テロを口実とした共謀罪の国会審議が進んでいる。東京オリンピックの名誉総裁には新しい天皇が就任し、一連の儀式を終え、新天皇として国際舞台にデビューするイベントの場としても使われる。その意味で、オリンピック警備と天皇警備も連動するだろう。
 これらのさまざな課題を出し合い、これまでの経験なども交流させつつ、本格的な天皇「代替わり」に反対する運動陣形・そのためのことばと表現を展望していこう。

 二〇一七年二月一一日

【学習会報告】加納実紀代・天野恵一編『平成天皇の基礎知識』(社会評論社、一九九〇年)

裕仁の重病が露呈し、「自粛」強制とともにXデー過程が開始して、天皇制の問題が様々な社会運動の中に共有されていった時期に、運動の立場から準備され、その問題意識を集めていったアンソロジーと資料集である。

明仁が即位の後に「護憲」を語ったことによって、国粋主義と侵略戦争を代表しながら戦後憲法体制において「象徴」の地位にあった昭和天皇裕仁と、「平成」を切断させようとする論が、それまで天皇制などに批判的であった人々からも流布されていった時代だ。ベルリンの壁の崩壊などの世界史的変動の時代状況とも重なって、より積極的な意味づけがされようとしていたのだ。
しかし、「平成」への代替わりは、即位や大嘗祭の経過にも明らかなように、政教分離の原則を掘り崩して、捏造にまみれた天皇制の「伝統」や皇室祭祀が、国家の正史、国家行事として現前化させられるものでもあった。その既成事実化が憲法解釈を変え、メディアを通じた天皇制への翼賛も演出されていった。

裕仁には不可能だった「国際化」が明仁天皇制に要請され、それが実現させられようとすることへの批判が、多くの論者から挙がっており、いずれも現在につながる問題意識を提示している。
中北龍太郎の「『民主主義』を飲み込む『護憲』天皇制」は、日米の支配層によって現行憲法に埋め込まれた「象徴」規定が、主権や民主主義の基幹をどれほど毀損してきたかを指摘する。天皇の存在は、解釈上は直接的な権力実体ではないとされながら、ヒトを「象徴」としたことにより、国事行為はもちろん、私的行為とされた分野を通じても、基本的人権や民主主義を食い破る存在として拡大した。戦後憲法学は、天皇制がそのようなものであることを論理的には理解しながら、天皇の存在や行動を合憲とさせるために、解釈を重ねた。

明仁は、皇太子時代から「象徴的行為」論を強調して天皇の行為を拡大解釈してきた。その集大成が八月八日のビデオメッセージだ。天皇のいう「護憲」が、そのコトバとは異なり、私たちの人権や民主主義に対立するものだということを、あらためて突き出していかねばならない。この本は所収の資料も豊富で現在も「使える」ものとなっている。

次回は二月二八日、横田耕一『憲法と天皇制』(岩波新書)を読む。手に入りやすいので多くの参加を。

(蝙蝠)

【集会案内】オリンピックおことわり! 集会とデモ

一月二二日、「二〇二〇オリンピック災害」おことわり連絡会(東京オリンピックおことわリンク)の結成集会が千駄ヶ谷区民会館で開催された。この「おことわリンク」は、昨年八月の「お・こ・と・わ・り東京オリンピック」集会報告を本欄にも掲載したが、その集会で新たなネットワーク形成を呼びかけ、数ヶ月の準備を経て作られたものだ。

集会は、「二〇二〇年まで頑張るぞ」の気持も込め、少し趣向を凝らした”Read in Speak out”。これは、発言者のみなさまにあらかじめ読み上げる文章を用意していただき、当日はそれを読み上げ(Read in)、それにコメントをつけていただく(Speak out)というもの。一人八分の”Read in Speak out”、発言者一二人、ビデオ参加三人。発言者の数だけオリンピックに対する視点も提示され、とても興味深く、また面白く、次々と違う課題が提示されるにもかかわらず、すんなりと頭に入ってくるリズムの良さがあった。登壇される方の準備はとても面倒なことだったと思うが、とてもいい集会だった。

同会の鵜飼哲による主催者あいさつから始まり、発言者は以下、谷口源太郎(スポーツジャーナリスト)、北村小夜(元教員)、山本敦久(成城大学教員)、江沢正雄(オリンピックいらない人たちネットワーク)、友常勉(東京外国語大学教員)、なすび(被ばく労働を考えるネットワーク)、いちむらみさこ(Planetary No Olympics Networks)、井上森(立川自衛隊監視テント村)、池田五律(戦争に協力しない・させない練馬アクション)、根津公子(「日の丸・君が代」被処分元教員)、小川てつオ(反五輪の会)、映像発言として、ピョンチャン冬季五輪に反対する方、脇義重(元いらんばい!福岡オリンピックの会)、金満里(劇団態変)。最後に、「東京オリンピックおことわり宣言」を全体で確認した。

集会前には、おことわリンクにもメンバーが参加している反五輪の会主催のデモが企画され、デモ・集会と連続の行動となった。デモでは不当逮捕という弾圧も。非拘束者は三日で釈放されたものの、オリンピックが単なるスポーツイベントではないことが、逆に見えてくるような状況もつくり出された。詳細は、反五輪の会、おことわリンクの抗議声明を参考にされたし。
おことわリンクのブログには、当日の集会の模様が動画等々ですでにアップされている。集会の詳細もあわせ、ぜひそちらをご覧ください。

http://www.2020okotowa.link/

(大子)

【集会報告】再稼働阻止ネット全国相談会と関電包囲行動

一月二一〜二二日の土・日、「再稼働阻止全国ネットワーク」の全国相談会が大阪で開催された。これは二二日の「高浜原発うごかすな!関電包囲全国集会」とデモ(主催・実行委)にあわせて持たれた行動である。

高浜原発再稼働をめぐる攻防は正念場を迎えようとしている。反原発を闘っている人々をはげました司法の決定(大津地裁の3・4号機仮処分決定の判決)、これの大阪高裁での逆転をねらっている関西電力に対して、大きな抗議の声をぶつけるための集まりだ。

中之島公園での集会(四五〇人参加)の後、すぐに関電ビルに向かってのデモ行進、スタートと同時に雨が降り出したが、グショグショになりながらの力強いデモ行進が繰り広げられた。その後、強風吹きすさぶ中で二時間近いビル前抗議集会。それでも怒りの抗議行動に参加する人は、増大することはあっても減ることはなかった(主催者発表千人参加)。

「全国相談会」は、高浜原発再稼働阻止のための全国的協力体制づくりのための「相談」のみならず、川内・伊方・玄海・泊などの原発立地各地の、力強い戦いの報告が〈交流〉する場となった。首都圏からの参加者は三一名、関西からの参加者は三五名、全国各地の参加者は二四名。

原子力規制委(各地支部)、電力会社(各地支店)への全国同時抗議行動のプラン。全国的に取り組む抗議ハガキ活動など、「相談会」ではおなじみになりつつある行動についての確認と調整がなされた。次回の相談会については、原発ターゲットの集まりではなく、再稼働をめぐる〈3・11〉以後の長い活動の運動的総括を(分科会方式での緻密な討論の場をつくる)。そういう方針が、首都圏側から提起され、東京で四月・五月中にというプランが全体で確認された。

二日後に東京で「再稼働ネット」の事務局会議が持たれたが、大阪行動への参加者の五人が風邪で欠席(ただし闘病中の私は幸運にも風邪をひかずにすんだ)。とにかく、たいへんな闘いであった。

(天野恵一)

【今月のAlert】動き始めた天皇「代替わり」スケジュール 天皇も天皇制もやめろ!

明仁自身が主導して始まった「代替わり」状況のなかで、その天皇の意思をうけて具体的にそれをどのように進めていくか、政府と国会の動きが急である。

明仁の退位と新天皇の即位の日付をめぐっては、それを二〇一九年の元日におこなおうとする政府と、「それは困難」とする宮内庁との間で、若干の「応酬」もあったが、二〇一八年中の退位と新天皇の即位(いわゆる「践祚」)、二〇一九年の「即位の礼・大嘗祭」という方向性が一方的に示された。

「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」は、一六人へのヒアリングを経て、一月二三日に「論点整理」を公表した。三月中には最終答申が出る見込みだという。その結論は、やはり安倍官邸の規定方針と言われる「一代限りの特例法」へと論議を集約するものだった。

これに先立って国会では、衆参両院の正副議長が「国会内で与野党の幹事長らと会談し、天皇陛下の退位に関する法整備について今後の議論の進め方を協議した。正副議長は、二月中旬以降に各党の意見を個別に聴取し、三月上中旬をめどに意見集約したい方針を伝え、各党は了承した。……政府は春の大型連休前後に退位に関する関連法案の提出を目指しており、国会審議の前にできる限りの合意形成を図りたい考えだ」(毎日新聞、一月二〇日)。

衆院議長の大島理森は、各党にたいして「天皇の地位は国民の総意に基づくもので、その総意を見いだすことが、国民の代表機関の立法府の重大な使命だ」と呼びかけている。「皇室の問題を政争の具にしてはならない」「静かな議論を」という論理による、完全な談合である。

けれども、一月二六日の衆議院予算委員会においては、民進党の細野豪志代表代行が質問時間五〇分の約七割を天皇退位問題に割いた。

細野は「ご譲位に国民の九割が賛成をしているが(有識者会議の)ヒアリング対象者一四人のうち六人が反対意見を述べている。バランスが悪くないか」「天皇陛下を含めた皇室の皆さんの人権をどう考えるのか」と安倍に質問している(産経電子版、一月二六日)。民進党などの野党の主張は、「一代限りの特例法」ではなく、「皇室典範の改正が本筋」というものだ。かつては天皇の「公的行為」の違憲性を問題にしていた共産党も、いまや国会開会式へ出席して天皇に頭を下げており、天皇制に批判的な議会内勢力はもはや不在である。天皇の考えを「しっかり忖度」すべきと細野が言い、それは「玉座を胸壁となすこと(天皇を盾に相手を攻撃すること)につながる」と安倍が答える。安倍の言葉は、尾崎行雄が桂内閣を弾劾したときのもので、一〇〇年以上も前のやりとりが再現したような言論状況に、空恐ろしさを感じるばかりだ。そして、私がこのことを知ったのは「産経抄」というコラムによってであって、しかもそこでは「陛下のご意向を反映させるばかりでは『天皇は国政に関する権能を有しない』と定める憲法と矛盾する。政府が『忖度』で突き進めば、国家権力の恣意的行使を制約する立憲主義にも反することになろう」(産経新聞、一月二八日)などと書かれていることも、使えるものはなんでも使うご都合主義だけが浮かび上がる。

いま現出しているのは、まさに「天皇翼賛国会」そのものである。私たちはもちろん、天皇の退位それじたいに反対しているわけではない。それが、天皇制の安定強化のためになされることに反対なのだ。われわれは「天皇も天皇制もやめろ」とはっきりと言わなければならない。

こうした中でわれわれは、2・11反「紀元節」行動をもって、今年の反天皇制の街頭行動を開始する。そして3・11 の「東日本大震災追悼式」にたいしては、今年も反戦反天皇制労働者ネットワークのよびかけで準備が開始されている行動に合流し、東電前で声をあげていきたいと考えている。この追悼式典だが、震災発生後五年がすぎたので、これまでのような天皇出席行事ではなくなり、今年から秋篠宮が出席することになった。普通なら、天皇行事から皇太子行事への「格下げ」になるところだが、一つ飛ばして秋篠宮となるのは、もつろん新天皇の即位後、秋篠宮が皇位継承者第一位になるからで、実質的な「皇太子化」の先取りというべきものだろう。

そして明仁天皇は 、二月二八日から一週間、ベトナムとタイを訪問する。詳しく展開する余地はないが、これが、昨年のフィリピンに続き、日米安保体制のもとでの対中国戦略と深く関わっていることは疑いないところだろう。そして、またベトナムは、「太平洋戦争」開戦前夜の一九四〇年に日本軍が侵攻し、強制的産米供出政策によって大量の餓死者を出した場所でもある。「生前退位」にもかかわらず、あるいはそれゆえに、天皇(皇族)はきわめて活発に動いている。天皇制反対の行動を、ひとつひとつ持続していこう。

(北野誉)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 8号(2017年2月 通巻390号)

今月のAlert ◉ 動き始めた天皇「代替わり」スケジュール 天皇も天皇制もやめろ!(北野誉)
反天ジャーナル ◉ ─岡田健一郎、虚偽・ヘイトは「意見」ではない、映女
状況批評 ◉ こんなものを放置しておくとロクなことにならない(加藤克子)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈81〉 ◉ トランプ政権下の米国の「階級闘争」の行方(太田昌国)
マスコミじかけの天皇制〈08〉◉ 民主主義に皇室制度はいらない!:〈壊憲天皇明仁〉その6(天野恵一)
書評 ◉ 「日本陸軍のアジア空襲―爆撃・毒ガス・ペスト」(梶川凉子)
ネットワーク ◉ 警視庁機動隊の沖縄への派遣を問う─住民監査請求から訴訟へ (岩川 藍)
野次馬日誌
集会の真相 ◉ 1・21日-22日再稼働阻止全国ネットワーク全国相談会1・22五輪ファーストおことわり!オリンピックやめろ!デモ/1・22オリンピック災害おことわり! Read in Speak Out1・22高浜原発うごかすな!関電包囲全国集会/1・24辺野古新基地建設工事再開を許すな!大成建設抗議行動/1・29安倍政権は辺野古新基地建設を断念しろ!新宿デモ
学習会報告 ◉ 加納実紀代・天野恵一編『平成天皇の基礎知識』(社会評論社、一九九〇年)
反天日誌
集会情報

→前号の目次はこちら

*2017年2月7日発行/B5判16ページ/一部250円
*模索舎(東京・新宿)でも購入できます。

http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

【集会案内】天皇制はいらない! 「代替わり」を問う 2.11反「紀元節」行動に参加を!

▼日時 2017年2月11日(土)
デモ:13時集合(13時30分出発)
討論集会:15時
*今回は、デモのあとに集会です

▼場所はいずれも
日本キリスト教会館4F
地下鉄早稲田駅

〔問題提起〕
井上森●立川自衛隊監視テント村
京極紀子●「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会
酒田芳人●安倍靖国参拝違憲訴訟弁護団
桜井大子●女性と天皇制研究会
藤岡正雄●はんてんの会・兵庫(兵庫反天皇制連続講座)

2016年夏の、明仁天皇の「生前退位」意向表明と「ビデオメッセージ」によって、天皇主導の「天皇代替わり」が始まった。政府が設置した「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」の第6回会合は、天皇の「公的行為」について、その時々の天皇が「自らの考えで程度、内容などを決めていけばよい。天皇、時代によって異なるべきだ」との認識でおおむね一致したと報じられている。「国事行為」以外の「公的行為」という天皇の違憲の行為を追認しただけでなく、その「公的行為」の内容さえも、天皇が決めてよいという見解を示したのだ。「公務」の拡大を通じた天皇の行為の拡大や、政教分離違反の皇室祭祀の政治的前面化は、安倍政権の下ですすめられようとしている改憲プランとも一致している。
すでに、2019年中の「即位・大嘗祭」が日程に上り始めている。私たちは、神武天皇の建国神話にもとづく天皇主義の祝日(「紀元節」)である2.11反「紀元節」行動を、「代替わり」状況のなかで、天皇制がどのような方向に再編成されようとしていくのか、そして、それと現実的に闘っていくために何が課題かということを、各地で闘いを開始している人びとと意見をかわしながら、「代替わり」過程総体と対決していく行動を共同で作り出していくための場にしていきたい。多くの皆さんの参加を訴える。

天皇制はいらない! 「代替わり」を問う2・11反「紀元節」行動
連絡先●東京都千代田区神田淡路町1-21-7-2A 淡路町事務所気付
振替●00110-3-4429[ゴメンだ ! 共同行動]

【呼びかけ団体】
アジア連帯講座/キリスト教事業所連帯合同労働組合/研究所テオリア/市民の意見30の会・東京
スペース21/立川自衛隊監視テント村/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会
ピープルズ・プラン研究所/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会