明仁自身が主導して始まった「代替わり」状況のなかで、その天皇の意思をうけて具体的にそれをどのように進めていくか、政府と国会の動きが急である。
明仁の退位と新天皇の即位の日付をめぐっては、それを二〇一九年の元日におこなおうとする政府と、「それは困難」とする宮内庁との間で、若干の「応酬」もあったが、二〇一八年中の退位と新天皇の即位(いわゆる「践祚」)、二〇一九年の「即位の礼・大嘗祭」という方向性が一方的に示された。
「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」は、一六人へのヒアリングを経て、一月二三日に「論点整理」を公表した。三月中には最終答申が出る見込みだという。その結論は、やはり安倍官邸の規定方針と言われる「一代限りの特例法」へと論議を集約するものだった。
これに先立って国会では、衆参両院の正副議長が「国会内で与野党の幹事長らと会談し、天皇陛下の退位に関する法整備について今後の議論の進め方を協議した。正副議長は、二月中旬以降に各党の意見を個別に聴取し、三月上中旬をめどに意見集約したい方針を伝え、各党は了承した。……政府は春の大型連休前後に退位に関する関連法案の提出を目指しており、国会審議の前にできる限りの合意形成を図りたい考えだ」(毎日新聞、一月二〇日)。
衆院議長の大島理森は、各党にたいして「天皇の地位は国民の総意に基づくもので、その総意を見いだすことが、国民の代表機関の立法府の重大な使命だ」と呼びかけている。「皇室の問題を政争の具にしてはならない」「静かな議論を」という論理による、完全な談合である。
けれども、一月二六日の衆議院予算委員会においては、民進党の細野豪志代表代行が質問時間五〇分の約七割を天皇退位問題に割いた。
細野は「ご譲位に国民の九割が賛成をしているが(有識者会議の)ヒアリング対象者一四人のうち六人が反対意見を述べている。バランスが悪くないか」「天皇陛下を含めた皇室の皆さんの人権をどう考えるのか」と安倍に質問している(産経電子版、一月二六日)。民進党などの野党の主張は、「一代限りの特例法」ではなく、「皇室典範の改正が本筋」というものだ。かつては天皇の「公的行為」の違憲性を問題にしていた共産党も、いまや国会開会式へ出席して天皇に頭を下げており、天皇制に批判的な議会内勢力はもはや不在である。天皇の考えを「しっかり忖度」すべきと細野が言い、それは「玉座を胸壁となすこと(天皇を盾に相手を攻撃すること)につながる」と安倍が答える。安倍の言葉は、尾崎行雄が桂内閣を弾劾したときのもので、一〇〇年以上も前のやりとりが再現したような言論状況に、空恐ろしさを感じるばかりだ。そして、私がこのことを知ったのは「産経抄」というコラムによってであって、しかもそこでは「陛下のご意向を反映させるばかりでは『天皇は国政に関する権能を有しない』と定める憲法と矛盾する。政府が『忖度』で突き進めば、国家権力の恣意的行使を制約する立憲主義にも反することになろう」(産経新聞、一月二八日)などと書かれていることも、使えるものはなんでも使うご都合主義だけが浮かび上がる。
いま現出しているのは、まさに「天皇翼賛国会」そのものである。私たちはもちろん、天皇の退位それじたいに反対しているわけではない。それが、天皇制の安定強化のためになされることに反対なのだ。われわれは「天皇も天皇制もやめろ」とはっきりと言わなければならない。
こうした中でわれわれは、2・11反「紀元節」行動をもって、今年の反天皇制の街頭行動を開始する。そして3・11 の「東日本大震災追悼式」にたいしては、今年も反戦反天皇制労働者ネットワークのよびかけで準備が開始されている行動に合流し、東電前で声をあげていきたいと考えている。この追悼式典だが、震災発生後五年がすぎたので、これまでのような天皇出席行事ではなくなり、今年から秋篠宮が出席することになった。普通なら、天皇行事から皇太子行事への「格下げ」になるところだが、一つ飛ばして秋篠宮となるのは、もつろん新天皇の即位後、秋篠宮が皇位継承者第一位になるからで、実質的な「皇太子化」の先取りというべきものだろう。
そして明仁天皇は 、二月二八日から一週間、ベトナムとタイを訪問する。詳しく展開する余地はないが、これが、昨年のフィリピンに続き、日米安保体制のもとでの対中国戦略と深く関わっていることは疑いないところだろう。そして、またベトナムは、「太平洋戦争」開戦前夜の一九四〇年に日本軍が侵攻し、強制的産米供出政策によって大量の餓死者を出した場所でもある。「生前退位」にもかかわらず、あるいはそれゆえに、天皇(皇族)はきわめて活発に動いている。天皇制反対の行動を、ひとつひとつ持続していこう。
(北野誉)