天皇皇后は、二月二八日からベトナムとタイを訪問し、連日その様子が伝えられている(3/4現在)。
ベトナム残留元日本兵家族やベトナム戦争でアメリカ軍によって散布された枯れ葉剤による被害者と面会し、お決まりの「慈愛に満ちた天皇夫婦」が演出されている。東京新聞の『両陛下埋もれた歴史めぐる旅』」(2/27 )の記事は、「ベトナムは太平洋戦争を語る上で欠かせない土地だ」と戦争との結びつきを示唆しながら、日本軍(皇軍)が、フランスの植民地にされたベトナムの解放のために、ベトミンと共に独立戦争を闘った解放者、というイメージ操作で歴史の歪曲といえるような紹介の仕方をしている。
東南アジア侵攻の足場として、日本軍が侵略し、住民からの食料や労働力の強制的な供出によって、一〇〇万人〜二〇〇万人ともいわれる餓死者を出した歴史的な事実には一言も触れていない。この面会が、戦争とベトナム近現代史の一面を照らすと記事は結ぶ。
天皇の「慰撫」の演出によってむりやり照らし出されたものの陰で、どれほど多くの真実が覆い隠されてきたことか。
天皇の慰撫など何の慰めにもならない。
国家に見捨てられてた人々の声を消してはならない。
一月に安倍首相がベトナムなどを訪れ、中国の南シナ海問題について連携する確認をしているなかでの訪問だということも付け加えておく。
今回、高齢である天皇の負担軽減のために、政府専用機のような大型機の乗り入れができなかった空港を整備したという。
このきわだった特権を持つ天皇に、「高齢で激務をこなしておかわいそう」などという庶民感情をつくり出しているのは、やはりマスコミの力だろう。ここで、リベラルと位置づけられている言論人の対談を紹介したい。
東京新聞(3/3)に掲載された、半藤一利と保阪正康の対談「『トランプの世界』歴史から学ぶものは」だ。保阪はトランプの就任は米国型デモクラシーだけが民主主義と思ってきた日本人が、頭を入れ替える好機だといい、ジャパニーズデモクラシーとは何かと問う。そして「五箇条の御誓文」「私擬憲法」(ミチコの五日市憲法草案への言及はすかさず)を挙げ、私たちの国には健全な民権制度が育つ素地があるという。半藤が、満州事変までの間に軍部が新聞社の幹部を呼んで、片っ端から酒を飲ませて親密な関係をつくり、見事に籠絡されてしまったと語る。続いて保阪は、戦後、権力批判が新聞の役割だと意気込んだが、近年ジャーナリズムが国家の宣伝要員になりつつあると答える。そして最後に、国家の宣伝要員になったメディアに接する時は、私たちが知恵を持たなきゃいけない。鵜呑みにすると、国家にうまく利用されてしまうだけだが--で終わる。
ブラックジョークのような対談である。
半藤も保阪も象徴天皇主義者である。この対談のジャーナリズム批判は明らかに、安倍政権と現在のジャーナリズムを念頭に置いている。保阪や半藤は、天皇と国家をどう整理しているのだろうか。
天皇こそが「国家の無責任」を誤魔化すものとして機能しているのではないか? 自分たちは国家に取り込まれていないという意識なのだろう。けれども、今のリベラルといわれる言論人、学者の多くがそうなのである。天皇制に批判的な言論が非常に少なくなっているということをこの間実感せざるをえない。
反天連は「リベラル天皇vs 極右安倍政権」という捉え方に批判の声を挙げてきた。安倍の改憲案の天皇条項は、憲法上制限規定のある行為を明文化することであり、アキヒトと安倍の政治方針上の対立など無い。この間世間を賑わしている「森友学園」の籠池理事長は安倍首相の天皇を元首とする日本国家を目指す思想に共鳴している。アキヒトの「生前退位」メッセージは、天皇制の強化を願うものであった。
「神聖にして侵すべからず」の精神は脈々と息づき、民主主義と天皇制は決して両立しないということを確認したい。
今月で福島原発事故から六年が経つ。政府は避難指示を解除し帰還政策を強行に進める。「自主避難者」の住宅支援も今月で打ち切られる。切り捨ての政策を進めながら、今年も3・11 の「東日本大震災追悼式」は行われるが、私たちは反対の声を上げる運動に合流する。
天皇制はいらないという声がどんなに小さなものであるとしても、決して消させはしない。ともに、頑張りましょう!
(鰐沢桃子)