【学習会報告】『平成の天皇制とは何か:制度と個人のはざまで』(吉田裕・瀬畑源・河西秀哉編、岩波書店、二〇一七年)

天皇代替わりの直前となって、ようやく明仁天皇制の内実を問う議論が、アカデミズムの側からも開始されてきた。これは、裕仁時代の「実録」の研究にも携わった、一橋大学の吉田裕らによる仕事だ。

死ぬまでアジアへの侵略と戦犯の事実とともにあった裕仁とは異なり、明仁は、その「護憲」発言や「平和」発言などにより、メディアなどからもほとんど批判を受けずにきた。しかし、九〇年代以降は、PKO派兵にはじまり、国旗国歌法と日の丸・君が代の強制、歴史修正主義が跋扈して教育基本法の改悪や教育内容の国家主義化がすすみ、震災や原発事故などの大災害がもたらされ、社会は経済的にも破綻して多数の貧困化が進んだ時代だ。こうした中で天皇および天皇制が果たした役割は、多くの方面から見直されるのが当然だ。

この本では、これまでほとんど取り上げられなかった「内奏」や「進講」「行幸啓」の詳細や、天皇外交、宮中祭祀、メディアと天皇制などのテーマが、それぞれに章立てされて語られている。祭祀の問題については憲法論に踏み込まず、メディアについてはかなりおざなりな分析にとどまっているが、前回の代替わり以降は、私たちのような運動の側が持続的に注目し続けた以外はまったく扱われなかった内容が、比較的若い研究者による年表的事実の分析とともに、ようやく語られはじめたことは評価したい。しかし、西村裕一には、公的行為論で「憲法学者にできるのはせいぜいこの程度」という退嬰的な姿勢を批判せざるを得ない。また、各所にみられる明仁・美智子についての「人柄主義」による評価という扱いは、大きな誤りとなることを指摘しておく。

なかで、吉田裕は「おことば」や「慰霊・追悼」について検討を加えつつ、明仁の言動が「歴史と政治に大きく規定されている」と指摘し、「平成流」の賛美に疑問を投げかけている。渡辺治も、明仁の時代にはそれまでの憲法論における「象徴」や「公的行為」に関する議論が投げ捨てられていることと、今回の「退位法」の過程で皇室典範が有する憲法との背反の問題がすべて議論から外されたことを批判している。渡辺の「別稿」に期待する。次回は、ケネス・ルオフ「国民の天皇」を読む。

(蝙蝠)

【今月のAlert】「天皇代替わり」反対の共同の取組み開始!「終わりにしよう天皇制11 ・26大集会」へ!

この間の話題は、なんといっても国会冒頭解散をはさんでの、希望の党結成から民進党の分裂に至る政局ばなしだっただろう。

それは結果的に良いことだった。改憲と安保法制に反対する旗幟を鮮明にした政治勢力の登場は「安倍か小池か」しか選択肢が示されないかと思われた状況を変えた。枝野も民主党時代に九条改憲案を提示していたかもしれないが、国会前の安保法制反対闘争の高揚を作り出したような人びとの運動が、こういった流動的な状況の規定力になっているのだ--そういった分析に、私もとりたてて異を唱えるつもりはない。けれども民進党の議員の多くが自ら踏み絵を踏んで、もうひとつの改憲政党へとなだれ込んでしまった。希望の党の選挙公約には「憲法九条を含め改正論議を進める。自衛隊の存在を含め時代に合った憲法の在り方を議論する」とあり、小池百合子も記者会見で「憲法の議論から逃げない。むしろ積極的に参加したい」と述べている。日本会議国会議員懇談会の副会長などを務めたこともある経歴からすれば不思議ではないが、関東大震災での朝鮮人虐殺被害者追悼式典への追悼文送付をとりやめた小池は、踏み絵の一つにわざわざ「外国人参政権付与反対」を盛り込んだ。その点では自民党右派と変わらない政治勢力が、もうひとつ大きく登場したとなれば、それはやはり深刻だ。

選挙結果にも左右されるだろうが、九条から始めるかどうかは別にして、改憲の方向はますます加速していくだろう。そのとき、第一章はどうなるのか。おそらく改憲項目としての優先順位は高くないはずだ。もちろん、それが重要でないからではない。他ならぬ天皇の意思に基づく「生前退位」を可能にする特例法が、共産党などの「護憲派」も含めた賛成によって成立してしまうような翼賛国会のもとで、天皇の「公務」の拡大が事実上すでに合意されているからにほかならない。そして天皇「代替わり」の諸儀式は、「国民」にそういう現実への同意を迫るものとなるだろう。

このような状況の中で開始された私たちの「天皇代替わり」反対行動は、明仁天皇制を批判的に総括し、運動化していくために少しでも人に届く言葉と論理とを、どのように編み出していけるのかということにかかっている。天皇制も、天皇制に関する社会的な意識も、三〇年前とは大きく変わってきている。少なくとも大きく変わったというイメージが、「平成流」として広く受け入れられている。

先日ある会議の場で、明仁天皇制批判における「情と理」という話になった。昭和天皇の場合、どうしても戦争のイメージが刻まれていたし、その死が生み出した「自粛」という現実を前に、「理」のみならず「情」の部分においても、一定程度、天皇制に批判的な感覚は社会的に共有されていた。しかし明仁天皇は、もともと天皇制の機能として持っていた民衆の「情」を再組織していくことに意を注ぎ、またそうした演出によって、「国民の天皇」としてのあり方は完成形に近づいた。いまや運動のなかでさえ、明仁天皇の「平和主義」を称揚する声は多い。そうした「情」から距離を置き、あるいは置かれている存在も確実にあるはずだし、こうした「情」を再発見し取り戻す行為は、やはり「理」に支えられるのではないか。運動としてそれを表現し言語化していくことは難しいが、そうしたことも、走りながら考えるしかない。

一一月二六日(日)午後、千駄ヶ谷区民会館においておこなわれる「終わりにしよう天皇制11 ・26 大集会」も、こうした試みのひとつである。この集会は、この間首都圏各地で、さまざまな反天皇制の取組みを重ねてきたグループによる実行委員会の主催だ。二〇一八年「明治一五〇年式典」、天皇「退位」(?)-二〇一九年「改元」、「即位の礼・大嘗祭」と、今後数年は続く総体としての「天皇代替わり」過程に反対していく首都圏レベルの共同した取組みの第一弾として、まずは天皇制に対する私たちのスタンスを公然と宣言するところから始めるべく、こうした集会名称をつけた。
当日は、朝鮮現代史研究者の吉澤文寿さんに、植民地責任をめぐる戦後史と象徴天皇制について講演していただき、憲法学者の横田耕一さんのインタビュー(予定)や天皇弾圧(公安のつきまとい)のビデオ上映、実行委メンバーによるコント(!)各地の報告などを受け、その後原宿から渋谷に向けて夜のデモを行なっていく予定である。ともに論議し、行動していこう!

(北野誉)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 16号(2017年10月 通巻398号)

今月のAlert ◉「天皇代替わり」反対の共同の取組み開始!:「終わりにしよう天皇制11 ・26 大集会」へ!(北野誉)
反天ジャーナル◉たけもりまきFUF、宮下守、映女
状況批評◉複数いる美智子や徳仁、愛子のDNA鑑定を?:右翼を苛立たせる〝不協和音〞?(中嶋啓明)
ネットワーク◉ふるさとに帰るということ(蔵座江美)
書評◉「憲法解釈は朕のものアキヒト」(松井隆志)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈89〉◉「一日だけの主権者」と「日常生活」批判(太田昌国)
マスコミじかけの天皇制〈16〉国政の私物化-安倍・小池・天皇:〈壊憲天皇明仁〉その14(天野恵一)
野次馬日誌
集会の真相◉9・16 朝鮮半島と東アジアの平和を求める9・16 集会/辺野古新基地建設反対!首都圏での闘い/9・22「平成」代替わりの政治を問う・連続講座第1回「ビデオメッセージと「天皇退位等に関する皇室典範特例法」を批判的に解読する
学習会報告◉『平成の天皇制とは何か:制度と個人のはざまで』(吉田裕・瀬畑源・河西秀哉編、岩波書店、二〇一七年)
反天日誌
集会情報

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*2017年10月11日発行/B5判16ページ/一部250円
*模索舎(東京・新宿)でも購入できます。

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