天皇代替わりの直前となって、ようやく明仁天皇制の内実を問う議論が、アカデミズムの側からも開始されてきた。これは、裕仁時代の「実録」の研究にも携わった、一橋大学の吉田裕らによる仕事だ。
死ぬまでアジアへの侵略と戦犯の事実とともにあった裕仁とは異なり、明仁は、その「護憲」発言や「平和」発言などにより、メディアなどからもほとんど批判を受けずにきた。しかし、九〇年代以降は、PKO派兵にはじまり、国旗国歌法と日の丸・君が代の強制、歴史修正主義が跋扈して教育基本法の改悪や教育内容の国家主義化がすすみ、震災や原発事故などの大災害がもたらされ、社会は経済的にも破綻して多数の貧困化が進んだ時代だ。こうした中で天皇および天皇制が果たした役割は、多くの方面から見直されるのが当然だ。
この本では、これまでほとんど取り上げられなかった「内奏」や「進講」「行幸啓」の詳細や、天皇外交、宮中祭祀、メディアと天皇制などのテーマが、それぞれに章立てされて語られている。祭祀の問題については憲法論に踏み込まず、メディアについてはかなりおざなりな分析にとどまっているが、前回の代替わり以降は、私たちのような運動の側が持続的に注目し続けた以外はまったく扱われなかった内容が、比較的若い研究者による年表的事実の分析とともに、ようやく語られはじめたことは評価したい。しかし、西村裕一には、公的行為論で「憲法学者にできるのはせいぜいこの程度」という退嬰的な姿勢を批判せざるを得ない。また、各所にみられる明仁・美智子についての「人柄主義」による評価という扱いは、大きな誤りとなることを指摘しておく。
なかで、吉田裕は「おことば」や「慰霊・追悼」について検討を加えつつ、明仁の言動が「歴史と政治に大きく規定されている」と指摘し、「平成流」の賛美に疑問を投げかけている。渡辺治も、明仁の時代にはそれまでの憲法論における「象徴」や「公的行為」に関する議論が投げ捨てられていることと、今回の「退位法」の過程で皇室典範が有する憲法との背反の問題がすべて議論から外されたことを批判している。渡辺の「別稿」に期待する。次回は、ケネス・ルオフ「国民の天皇」を読む。
(蝙蝠)