【呼びかけ】「代替わり」と近代天皇制150年を問う 2・11反「紀元節」行動への参加・賛同の呼びかけ

二〇一九年四月三〇日明仁「退位」、五月一日徳仁「即位」、同日「改元」という日程が、政令として公布された。政府は、菅官房長官をトップとする準備組織を二〇一八年一月に発足させる。これによって、二〇一六年七月一三日の突然のNHKの報道に始まり、明仁天皇自身のビデオメッセージ、「有識者会議」と「退位特例法」の制定と進んできた「生前退位」の道筋が確定した。

私たちも繰り返し主張してきたように、一連の経過のなかで実現したことは、「天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果す」こと、すなわち、天皇があるべき「国民統合」を積極的に作り出す能動的存在であるという定義を天皇自身が下し、国会が一致してそれを支持し「国民」がそれに「共感」するという、文字通りの天皇翼賛・挙国一致的な事態であった。

マスコミ挙げての天皇賛美や、隠然と、あるいは公然と露出する右翼暴力に支えられて、天皇制に対する疑問を公然と口にすることが憚られる社会状況が作り出されている。

明仁の退位にあたっては、「退位の儀」なるものを「国事行為」として行う方向性が示されている。当然のことだが、近代天皇制の歴史においてそのような儀式がおこなわれたことなどなく、もちろん、憲法上に何の規程もない。また、明仁即位の時と同様、徳仁即位に関する諸儀式が「国事行為」としておこなわれることもすでに前提とされており、「高御座」や装束など、その儀式に使うための経費の一部として、一二月に発表された財務省の予算案には、早々と一六億円が計上されている。「即位の礼」において新天皇が登る「高御座」とは、高天原から地上に下った皇祖神が座ったとされる神座であり、「皇位の象徴」とされているものだ。このような「天皇制神話」に基づく儀式を、政府は国費で執り行おうとしているのである。

われわれは、こうした状況のなかで、2・11反「紀元節」行動の準備を開始している。この「紀元節」こそ、神武天皇の建国神話にもとづく天皇主義の祝日である。そして、今年の秋(一〇月二三日が予想される)には、「明治一五〇年式典」が、政府主催で行なわれようとしている。私たちは、一九六六年に制定された「建国記念の日」=「紀元節」復活が、一九六八年一〇月二三日に行われた「明治百年記念式典」と連動したものであったことを確認しておかなければならない。それは、日本は歴史貫通的に天皇の国であって、近代化もまた再編された天皇制のもとで実現したという歴史観に基づいている。

今回の一五〇年式典にあたって政府は、「明治以降の近代化の歩みを次世代に残す」とし、「明治の精神に学び、日本の強みを再認識し、更なる発展を目指す基礎とする」などと、その「基本的な考え方」を示している。言うまでもなく、「明治一五〇年」とは、そのまま「近代天皇制一五〇年」にほかならない。それは、植民地化と侵略戦争に始まる近代日本の一五〇年を一連の「近代化過程」としてとらえ、「不幸な時代」はありつつも、それを乗り越えて現在の「平和と繁栄」につながっているのだという、歴史の肯定と賛美とならざるをえない。さらに、かつて「昭和の日」を実現させた民間右派勢力は、現在「文化の日」である一一月三日を「明治の日」とする運動を進めている。「紀元節」「昭和の日」「明治一五〇年」と続く一連の「記念日」を通して、今年一年、天皇と天皇制をめぐる向こう側の歴史観の押しつけは、強化されていくだろう。そしてそれが、来年の天皇「代替わり」に向けた前哨戦となることも確実だろう。

われわれは、この間各地でさまざまなかたちで取り組まれている「天皇代替わり」状況にたいする抵抗とつながりあいながら、今年一年の運動を展開していきたいと考えている。2・11反「紀元節」行動への、多くの参加・賛同、協力を訴えたい。

「代替わり」と近代天皇制150年を問う 2・11反「紀元節」行動

【呼びかけ団体】アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」強制に反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

連絡先●東京都千代田区神田淡路町1─21─7 静和ビル2A 淡路町事務所気付
振替●00110─3─4429[ゴメンだ!共同行動]

【学習会報告】立教女学院短期大学公開講座編『天皇制を考える』(新教出版、一九九〇年)

「昭和天皇Xデー」大騒ぎの状況の中で持たれたキリスト教大学での公開講座の記録である。このテキストは、この読書会の流れでは、平井啓之の『ある戦後』(特に、それに収められた「自己欺瞞の民族」)をふまえて、次へ、ということで選択された。ゆえに、ここに収められていた平井の「近代天皇制と日本人の意識」中心にレポートがなされ、「現人神」という観念(イデオロギー)の持つ日本的特殊性をめぐって討論が展開された。

もっとも問題を統括的に、広く論じているのはトップの島川雅史の「天皇教と象徴天皇制」である。島川の、キリスト教の「一神教」を超えた国家の「現人神」という〈天皇教〉の特別なイデオロギーが多様にうみだしつづけている諸問題の指摘は、整理され便利だという評価から論議はスタートした。

平井と島川の両者が非キリスト者で、森井眞(「精神の自由と天皇制」)と福澤道夫(「天皇制と信仰」)、塚田理(「天皇制とキリスト教)の三人がキリスト教信者としての歴史的体験をふまえた話である。塚田の、戦前、牧師の子どもとして育ち、ひどい差別とイジメの中で生きてきた(戦後の時間も)個人史を軸にした話と、森井の「神権天皇制」として成立した近代天皇制が自己のキリスト教徒として「精神の自由」を、どれだけゆがめてきたかという個人体験をバネにした歴史記述が、私たちに訴えるものがあるという感想が多かった。福澤は、イヌでもブタでも人間でも植物でも神になれるという「汎神論」の水平さに、キリスト教の「唯一人格神」の垂直(タテ支配)の原理を対置し、その上で〈現人神唯一絶対人格神〉の天皇教を論じているので、どういう象徴天皇制批判にいたるのかと期待させたが、まったく批判がつめられず大正デモクラシーの思想家の天皇教との共存する精神が肯定的に紹介されるだけでややガッカリ。

平井は「擬似一神教」という規定から、近代国家支配のための作為の体系的システムとして、教育勅語・軍人勅諭にはじまるもろもろの臣民教育の教材を貫く「万世一系」の国体イデオロギーを具体的に示して、「神でも人間でもどっちもありの」〈自己欺瞞〉の意識(民衆のそれ)をすりこみ続けた国家の作為(= ペテン)を抉り出している。

やはり平井の作業は、「新しい人間宣言」とネーミングされているアキヒト・メッセージのペテン的性格を、キチンとつかまえるためには、絶好の論文と、私には読めた。

次回は来年の一月三〇日、テキストは『紀元二六〇〇年』〈ケネス・ルオフ〉

(天野恵一)

【集会報告】終わりにしよう天皇制 11 ・26 大集会・デモ報告

一一月二六日、「終わりにしよう天皇制11 ・26 大集会・デモ」が行なわれた。

集会は千駄ヶ谷区民会館。まずは憲法学者の横田耕一さんのビデオインタビュー。公務が明仁により拡大されてきた事などに触れ、「おことば」は政治介入であり憲法違反であると指摘。天皇制は全ての差別に繋がるとし、個人の尊重を徹底していく事で天皇制は不可能になるとした。

続いて朝鮮現代史の吉澤文寿さんの講演。征韓論などから始まり、この国のアジアでの自国優位の思い込みに端を発する「朝鮮を属国にしなければならない」という考えはイデオロギーとなり、それを天皇制が補強してきたと指摘。天皇制を背景としたこの国と朝鮮との歴史的関わりを解説した。「戦後」の天皇制のあり方については、植民地責任が曖昧にされてきた事を指摘し、それと共にアメリカの覇権主義を追求する事、朝鮮を忘れない事の重要性を示した。

質疑の後、休憩を挟み、徳仁へ抗議行動を行なって以来、公安の執拗な嫌がらせを受け続けてきたUさんの動画の上映。
公安は退勤時や外出時に、これ見よがしにUさんを「尾行」する。電車では二〇人ほどの公安が同じ車両に乗ってきた時もあったとか。その後、対抗運動が展開され「尾行」は無くなっている。

動画の後は新元号をネタにしたコントが披露された。かなり好評だったが、笑いを文章で表現するのは不可能なので割愛。終わりに、家父長制・戸籍制に反対する立場、非正規公務員の立場から、そして、島根、兵庫、大阪、静岡からアピールがあった。盛り沢山の集会だったが、まとまっていたのは、反天皇・反差別・反権力が背骨にしっかりとあったからだろう。

デモは原宿から渋谷へ歩く。三日前に右翼にボコボコにされたフロントガラスも復活。六月の吉祥寺デモを生き残った大横断幕は、インスタ映えするのか多くの人がスマホを向けていた。カウンター右翼も居たが、目立った妨害や襲撃も無く、警察の嫌がらせも比較的軽微な印象。 参加は集会一六〇名、デモ一八〇名。

穏便に代替わりを進めたい権力側の意図が良く分かるデモだった。もっと波風立てる様、言葉もアイディアも練らなきゃならない。

(村上らっぱ)

終わりにしよう天皇制11.26集会集会宣言・抗議声明

首都圏の天皇制問題を考えてきたグループ・個人で構成されるこの11.26集会実行委員会には、反天連も全力でコミットしてきた。というわけで、当日の集会宣言と、その3日前の宣伝カーへの右翼テロに対する実行委の抗議声明だ。これからもこの実行委は続く。ご支援を!

 

●集会アピール

天皇教という言葉もある通り、天皇一家の宗教としての振る舞いは、これから予定されている代替わり儀式において、もっとも濃密にあらわれる場面となる。
メディアに映るのは民衆の素朴な信仰を装っているが、天皇教はあまたの宗教と違い当たり前のように公共予算を食いつぶす。法律(憲法)によって存在を許されながら、その法律を無視し、ゆがめ続けることも天皇の十八番である。2016年7月から始まる「生前退位」騒動は、代替わりを円滑に進めようという天皇と支配層の都合ばかりが通りすぎている。特例という名の茶番は、天皇制自体がかかえ持ってきた混乱でしかないことを思い起こすべきだ。

この宗教の原理主義者というべき人たちは長い間、「日の丸・君が代」をはじめとする選別の道具を用いて、異端をあぶりだしては、官民あわせたむき出しの暴力をちらつかせてきた。

一方、今の天皇は原理主義色を薄めることも意図しながら、被災地を含め少数派と思しき人々への「慰問」に精を出し、より幅広い信仰のすそ野を広げようと「仕事」してきている。今回オリンピック開催を前に譲位しようとする天皇の意図も、穏健さの表れとして好意的に解釈されがちだ。しかしその作業は、身分等の差別を含んで広がる格差をあたかも平らに地ならしするように装いながら、その作業をする天皇自身は、格差の頂点あるいは格差の枠外に座り続けるという理不尽をあらわしているのである。

もちろん日本の中だけでない。アメリカからやってきたトランプのような乱暴な人気取り差別主義者でさえ、天皇一家の儀礼的空間をくぐれば、彼の犯罪性を薄めるかのような政治的効果を生み出したりもする。天皇は、かつて自分の親たちが侵略戦争でアジアの地を血で染めたことを原理主義の行き過ぎとしてしか顧みないのだろうか。近い将来、短絡的で好戦的な支配者たちが朝鮮半島で一線をこえることがあれば、天皇たちは静かなお墨付きを与えるのだろうか。

今、代替わり儀式のみならず、天皇のあり方を問うこと自体に委縮する状況ではある。
これまで述べてきたような「平和天皇」の姿は、天皇制に異を唱える存在に対する右翼の暴力と、それを黙認する警察によってはじめて成り立っている。
このことを放置し看過すれば、表面的な政治変革さえまっとうされないし、格差の下層におかれた人々が孤立した末に天皇教のようなまがいものにしか希望を見いだせないという悪循環が続くことになってしまう。

天皇代替わり儀式は、そもそも血縁が(男子を通してのみ)長い歴史を経て続くという天皇一家の宣伝の場であり、いつわりの権威づけの核心でもある。その思想のために、どれだけの性差別と、優生思想とが生み出され、どれだけの生身の人間が絶望の淵へと追い込まれたことか。結集された怒りこそが天皇制、天皇制的なものを終焉に追い込み、真に素朴な関係性で人が生きる社会へと展望を開くだろう。

天皇制はいらない! 天皇制を終わりにしよう!

2017年11月26日 集会参加者一同

 

●抗議声明「天皇主義右翼による、立川テント村宣伝カー破壊を許さない。暴力に萎縮せず、反天皇制の声を大きく上げよう!」

11月23日、陸上自衛隊立川駐屯地で行われた「防災航空祭」に抗議していた、地域の反戦・反基地団体「立川自衛隊監視テント村」の宣伝カーが、街宣右翼によって1時間にわたる攻撃を受け、フロントガラスやサイドミラー、ランプなどが破壊されるという事態が起こった。

テント村の宣伝カーは、昨年11月20日の吉祥寺で行われた「天皇制いらないデモ」でも襲撃・破壊されている。今回も襲撃者が「去年今年とよく壊れる車だなあ」「26日はこんなもんじゃねえぞ」と口にしていたことからも明らかなように、右翼の目的は、反基地運動に対する襲撃であると同時に、明日、11月26日に私たちが行なおうとしている「終わりにしよう天皇制 大集会・デモ」への攻撃であったことは明らかだ。同宣伝カーが、この間の反天皇制デモの先導を務めていることを知った(知らされた?)右翼が、この宣伝カーを狙い撃ちにしたのである。今回、とりわけ防災航空祭抗議行動の終了後、撤収中の宣伝カーを街宣車で取り囲んで執拗に襲撃したことは、それがたんに偶発的な事態ではなく、 きわめて計画的な犯行だったことを物語る。
さらに、私服公安警察や立川署警備課の警察官も、目の前で起こっている破壊行為を黙認していた。天皇主義右翼と警察とが馴れ合って、白昼堂々、好き放題の蛮行がなされたという事実を、私たちは決して許さない。

こうした天皇主義者による暴力、それは「平和天皇」「護憲天皇」と賛美され、いわゆる「リベラル」層からも評価の高い明仁天皇制もまた、現実には暴力によって支えられていることを明らかにする。

世襲の君主という特権身分が「日本国および日本国民統合の象徴」として据えられている。この天皇制という差別的な制度の存在自体が、「絶対敬語」や「人格賛美」を通じて、特別な存在に対するタブー意識を日々作り出し、天皇制の前には私たちの人権や権利は制約されてもやむを得ない、とする感性を生み出す。
右翼の暴力は、間違いなくそのような意識の上に乗って存在し続けているのだ。

右翼暴力の目的は運動を萎縮させることにあり、警察もまた右翼暴力を利用して運動に介入しようと絶えず目論んでいる。だからこそ私たちは、いま、敢えて天皇制反対という声を明確に上げていかなければならない。

「終わりにしよう天皇制 大集会・デモ」(11/26 13:00 千駄ヶ谷区民会館)に結集し、各地域・現場で反天皇制の声を上げていこう。

2017年11月25日
終わりにしよう天皇制11・26集会実行委員会

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立川自衛隊監視テント村  立川市富士見町2-12-10-504  tento72@yahoo.co.jp   カンパ振込先⇒郵便振替00190-2-560928 (口座名「立川自衛隊監視テント村」)

【追悼文】追悼・上原成信さん

沖縄・一坪反戦地主会・関東ブロック」の代表的存在で運動の〝顔〞といった存在であり続けた上原成信さんが、一九四四年(一月)以来住み続けた「ヤマト」の生活を切りあげ沖縄へ帰ったのは、おそらく二〇一四年のことだったと思う。

成信さん亡くなる、の悲報が届いた時(一〇月二六日、亡くなったのは二五日)、私がすぐ思い出したのは、東中野の沖縄料理店での送別会でのやりとりだった。この時、闘病中でフラフラする足取りで、やっとそこに参加できた私を迎え、成信さんは、本当に嬉しそうに「そんな状態で、良く来てくれた」とひどく率直に喜んでくれたのである。

この時、成信さんは、九〇歳に近づいている自分は、でも沖縄での座り込み行動に参加し続けるという決意表明をして、すこぶる元気だった(事実、帰ってからそのように闘い続けていることは伝えられていた)。「沖縄の反基地行動でまた会いましょう」。この約束は、けっきょく、果たせなかった。沖縄まで行って激しい行動に参加できる状態には、私の病いの体は回復しないままであったからだ。そのことの残念さが、まず胸をついた。

ここで「ひどく率直に」と書いたのには理由がある。私と上原さんとの交流が始まったのは一九八七年に、私と同世代で当時三九歳の知花昌一さんが沖縄読谷村の国体会場(ソフトボール大会)に掲げられた「日の丸」を焼いて抗議した行動への刑事弾圧。この裁判の長い救援活動を通してであった。ヤマトで生活し続けてきたとはいえ、いやそれだからこそなのかもしれないが、成信さんの〈ウチナンチュー・アイデンティティー〉は強烈なものであった。その強烈さがしょうしょう苦手であった私。それが原因であろうと思うが成信さんは、いつも私に、皮肉な言葉を投げ続けてきた。例えば、こんな具合に。

よくあったことだが、私たちの集会でのアピールをお願いすると、彼は「君の頼みは二回に一度はチャンと引き受けないわけにはいかないからな」という言葉が、なんどもかえってきた。実際のところは、お願いさえすればほぼ毎度来てキチンとアッピールしてくれていたにもかかわらずである。他の活動がいそがしすぎて、沖縄現地の裁判所に足をはこぶことの少なかった私に、毎回キチンと傍聴に出かけていた上原さんの方はイライラしていたのかもしれない。だから、「日の丸」裁判の後に私が基地問題をめぐる闘いに合流すべく、自分でも信じられないぐらいの頻度で沖縄にかよい続けた時などは、貧乏人の私の交通費などを心配し、私の古書店に本を大量にカンパとして、プレゼントしてくれた時もあったのだ(そういう、やさしい人でもあった)。

私は「知花裁判」のニュースの発送なども、ともにするために、よくうかがっていた成信さんの中野のマンションの一部屋から本をはこび出し、大きな台車に大量につみあげて、早稲田通りをエッチラオッチラ運んだ時のことをよく憶えている。渡された本の中に『暮らしの手帖』が何年分もキチンと揃っていたこと(それをなんとなく成信さんらしい本だなと思ったこと)も、鮮明に記憶している。

もう一点だけ書いておきたい。私は上原さんに、天皇(制)についてどう思うかと正面から質問したことが一度だけある。成信さんは、「関心持たなかったネー、私たち沖縄の人間にとっては『強制』された嫌なものだったけどネェー」というような答えだった。それは、あなた方ヤマトの人にとっては当然にも重大な問題なんだろうが、ウチナンチューにとっては外から強制された「飾りもの」だよ、という調子で。

この回答にも沖縄人のプライドがにじんでいた。その時は、そのプライドにはねつけられてしまったままだったが、次は、もう少しその心情の内側に入りこんだ討論をと思った。しかし、その機会は永遠に失われてしまった……。

私は闘病を持続し、成信さんの故郷の反基地闘争に合流するための沖縄行きをあきらめまい。今、そう決意する。成信さんは亡くなっても沖縄の地に、まちがいなく生き続けているのだから。

(天野恵一)

【今月のALERT】「退位・即位・改元」がつくり出す天皇フィーバーをはね返そう!

一二月一日、天皇「退位」、新天皇「即位」、「改元」のそれぞれの日程が明らかになった。同日開催された「皇室会議」で、出席者の意見をもとに議長の安倍が二〇一九年四月三〇日「退位」、同年五月一日「即位・改元」案を示し、決定した。報道どおりであれば同月八日閣議決定する。

皇室会議出席者は「皇室典範」で定められた、首相、衆参両正副議長、最高裁判所長官および裁判官一人、宮内庁長官、皇族二名の一〇名と、菅官房長官。皇室典範規定からはずれる官房長官の出席は、「退位を実現する特例法の担当閣僚」としてという理由づけがなされていたが、この規定外行為はあきらかに官邸側の圧力を見える形にしたものであり、政府・宮内庁間の確執の一つの表れだと見た方がいいだろう。

日程については、「国民の便宜優先」の政府案(年末・年始)と「天皇の私的行事優先」の宮内庁案(年度末・年度初め)が拮抗する様相にあったが、結果は思いもよらない、体制的な「区切り」さえも感じさせない第三の案となった。この日が選ばれた理由を、「国民」がこぞって天皇の退位と新天皇の即位をことほぐにふさわしい日とするためと説明している。

「国民の便宜」などという体のいいことを言っていたが、ここにきて、天皇の代替わりを「国民」こぞってことほぐ日にするというのだ。「改元」を何かの区切りとすること自体を拒否し、「元号」そのものに反対する私たちの立場からすれば、どのような理由でもいらないとだけ言えばよいところだろうが、この公式の理由は大いに問題としていきたい。
天皇制に対する多様で自由な意見を寄せつけないこのような政府の説明こそが、思想・心情の自由や表現の自由を社会的に縛っていくものであることを強調しておきたい。こういった社会風潮、根強いタブー意識に支えられて右翼の暴力と警察の弾圧が介在することも。

そして、マスメディアの天皇報道についてはこれまでも繰り返し問題としてきたが、この「代替わり」を巡っても、天皇を心配し、あるいは退位を惜しみ、新天皇即位に新しい時代を喜ぶと言った声ばかりを拾い集めては、大量に流し始めている。そのメディアに誘導される形で人々は皇居へ向かったり、マイクを向けられると同様の言葉を口にする。それは反復し再生産され、人々を天皇フィーバーに煽り続けている。

こういった状況下で、そうではない感じ方・考え方があり、それもありなのだということ。しかしそれが「ありではない」社会となっていること。そしてそれがいかに歪で不自由で不平等、かつ危険な社会であるのかを伝えていくこと。反天皇制運動はこの地点から一歩も前進していない。でも、諦めているわけではないし、諦めるわけにもいかないのだ。

実際、昨年の天皇の「意向表明」以来、首都圏だけでもこの課題でたくさんの集会やデモが持たれているし、全国的にも私たちが知る限り関心は拡がり、集会なども開催されている。だが、反天皇制を掲げるだけで右翼が動き、警察が大量動員されるという事態は変わらない。

昨年一一月二〇日の吉祥寺デモの惨状はすでに本紙でも伝えた。一年後の一一月二三日、反天連も実行委として参加している「終わりにしよう天皇制11 ・26 大集会とデモ」で使う予定の宣伝カーが、このデモで使用することを理由に再度の襲撃にあった。フロントガラスやサイドミラーが割られ、車は満身創痍状態となった。この日、陸上自衛隊立川駐屯地で行われた「防災航空祭」に対し、立川の仲間が抗議行動を行ったが、その終了後、車の移動中を襲うという卑劣なやり方と度を超した暴力を警察は黙殺した(抗議声明参照)。しかし車は復活し、三日後の集会・デモでは大活躍した。すごい!(拍手) この集会は、首都圏で天皇制問題を考えてきたグループ・個人が集まってできた実行委主催で、久しぶりの大きな枠の実行委である。

この緩やかで力強い実行委や例年の反天皇制実行委、そして全国の天皇制に異議申し立てする人々とともに、「退位・即位・改元」「即位礼・大嘗祭」と続く、天皇代替わりが造り出す天皇賛美状況、天皇の更なるタブー化、まつろわぬ者たちへの暴力と弾圧、差別・排外的言動に抗していきたい。

最後に、恒例の反天連主催12 ・23 集会への参加を呼びかけたい(チラシ・インフォ参照)。ぜひお集まりください!

(桜井大子)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 18号(2017年12月 通巻400号)

今月のAlert ◉「退位・即位・改元」がつくり出す天皇フィーバーをはね返そう!(桜井大子)
反天ジャーナル◉なかもりけいこ、捨てられし猫、桃色鰐
状況批評◉改元は、元号をやめるいい機会(チャンス)だ!(中川信明)
追悼・上原成信さん(天野恵一)
ネットワーク◉アキヒト退位・ナルヒト即位問題を考える練馬の会準備会(池田五律)
書評◉『誰が〈表現の自由〉を殺すのか〜ニコンサロン「慰安婦」写真展中止事件裁判の記録』(永田浩三)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈91〉◉代議制に絶望しておろおろ歩き……(太田昌国)
マスコミじかけの天皇制〈18〉◉天皇一族の存在とマスコミ賛美報道と右翼の暴力との関係:〈壊憲天皇明仁〉その16(天野恵一)
終わりにしよう天皇制11 ・26 集会◉集会宣言・抗議声明
野次馬日誌
集会の真相◉11・16 生前退位、何が問題か「バンザイ訴訟に学ぶ」/11・18 「平成」代替わりの政治を問う・連続講座第2回「生前退位」報道を総括する/11・23 「原発マネー」で現地は本当に潤っているのか!? /11・26 終わりにしよう天皇制集会/11 ・29 天皇代替わりに異議あり!終わりにしよう天皇制(大阪)
学習会報告◉立教女学院短期大学公開講座編『天皇制を考える』(新教出版、一九九〇年)
反天日誌
集会情報

→前号の目次はこちら

*2017年12月5日発行/B5判20ページ/一部250円
*模索舎(東京・新宿)でも購入できます。

http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

【集会案内】12.23に天皇制の戦争・戦後責任を考える討論集会 「生前退位」!? なにやっテンノー!!??

12.23に天皇制の戦争・戦後責任を考える討論集会
「生前退位」!? なにやっテンノー!!??

▼日時
2017年12月23日(土・休) 午後13時30分開場
千駄ヶ谷区民会館2F
JR原宿駅/地下鉄北参道駅下車

▼問題提起
平井玄・天野恵一・桜井大子・北野誉

◆12月23日がなぜ「国民の祝日」なのだ?
──天皇の誕生日だから……。
天皇制の問題を考える際の基本的な問いでもある。私たちはこの日こそは、天皇の戦争・戦後責任、そ して現在的な問題について議論すべきと考え、討論集会を持ちつづけてきた。 今年はやはり、天皇が言い出しっぺでことが進められたこの「生前退位」と「天皇代替わり」状況を巡っ て、みなさんと議論したい。
◆なぜ私たちは天皇制に反対するのか、なぜ多くの人々は天皇制を受け入れるのか、私たちが考える 天皇制の問題はどのようにすれば伝えられるのか、この「天皇代替わり」の騒ぎの中で議論する意味は 大きい。反天皇制運動を作り出すための基礎的な筋トレです! 多くのご参加をお待ちしています!!!!

反天皇制運動連絡会