啓蟄。寒い冬を土の中で越した虫や蛙や蛇などの生き物が、春になって穴から出てくる様子を表す季語。Alert 21 号の発行日三月六日は二〇一八年のその日にあたるという。
気分は春。命短し恋せよ乙女よろしく恋の季節の真っただ中、秋篠宮家の長女眞子。昨年五月NHKに「婚約内定」がスクープされ、九月に婚約が内定し二人そろって記者会見。三月四日に「納采の儀」で正式婚約し、十一月四日に帝国ホテルで結婚式を挙げる予定だった。ところが、二月六日に宮内庁は異例の結婚延期を発表した。『週刊女性』『週刊文春』『週刊新潮』が続けて結婚相手の母親の金銭トラブルを報じた。新潮にいたっては援助交際などと過激な言葉を使用している。
どの紙面も、蛙や蛇がゲロゲロ、チョロチョロと赤い舌をだしながら這い出してくるような、しかしそこに春の訪れなど微塵も感じさせない、魑魅魍魎が跋扈する気持ちの悪い天皇制の持つ差別的世界が広がっている。資産のない母子家庭。父親が自殺。母親はパート。学資を借金するが返済なし(母親の婚約者が肩代わりしたが、婚約解消後に返済を求む)。貧乏なのにインターナショナルスクールに通わせ上昇志向あり等々、それらは蔑まれる対象として何の疑問もなく記されている。そしてこのような人物は、皇族のましてや未来の天皇の義兄としてふさわしくないという論調だ。品位や品格という言葉が飛び交い、それを体現するものは天皇や皇族、資産家であり、蔑すみの対極として存在する。
女性皇族が結婚のために皇室を離脱する時に、国より「元皇族としての品位を保つため」という名目で一時金が支払われる。
品位や品格とはそもそも何ぞやという声も聞こえてきそうではあるが、貧乏な人間にはそれが無い、つまり下品だということになるのだろうか。一億数千万円の税金が使われる名目の差別性を問題にしなくていいのだろうか。
経済的に苦しい家庭の子どもを支援する公益財団法人の調査結果で、経済的な理由でさまざまな経験を諦め、貧困家庭の七割が塾や習い事を断念しているということが分かった。
改善してほしい支援については「給付型奨学金や授業料免除など教育や進学の負担を減らしてほしい」が約八〇%と最も多かったという。保護者の切実な思いである。卒業しても奨学金を返済するために貧困から抜け出せないという話を身近でも聞く。
問題にすべきはこのような教育の格差を生み出す政治であろう。朝鮮学校の「高校無償化」からの排除もまた、この社会の差別性を浮き彫りにする。
今回の金銭スキャンダルはまさにこうした問題が端を発している。宮内庁は結婚延期は母親の借金スキャンダルではないと否定する。「納采の儀」を直前に控えた、集中砲撃ともいえる凄まじい悪意に満ちた報道である。この結婚を阻止したい勢力の蠢きととらえるのは思いすごしだろうか。
週刊誌報道の信憑性がどれほどのものかさだかではないが、宮内庁関係者のコメントとして掲載されている部分を紹介する。
「婚約内定会見を開くにあたって、陛下から結婚の『裁可』をいただいています。破談となれば陛下の〝意志〞を覆すことになりますから、白紙に戻すというのは現実的には難しい」(『女性セブン』18.2.15 号)
憲法二四条は、「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し〜」と規定している。先ずここで問題にしたいのは、家父長制が廃止されているにも関わらず、天皇の許可が必要であるかのごとく記載されていることである。民法においても、皇室典範においても結婚に天皇の許可が必要などということはどこにも規定されていないのである。そして次に指摘したいのは、「裁可」という言葉使いである。これは明治憲法下で、天皇が議会の議決した法律案・予算案を承認する行為をさす。それが象徴天皇制になった現在においてもなお平然と使用されている。天皇の権威の連続性はスキャンダラスな週刊誌報道においてさえ継続しているのだ。
政府は二月二十日、式典準備委員会の第二回会合を開き、最後の「おことば」を述べる「退位礼正殿の儀」を国事行為として、二〇一九年四月三十日に行うことを決めた。退位と即位に伴う式典の準備は着々と進んでいる。
そのようななか、アキヒト天皇は三月二七日〜二九日にかけて沖縄・与那国を訪問するが、沖縄入りする二七日は、琉球国王に城の明け渡しを求め廃藩置県を布告した日である。
反天連も参加する4・28 −29 連続行動実行委員会は、三月二四日に「天皇の沖縄・与那国訪問を問う」集会を行う。天皇制攻撃の拡大を、反撃の拡大で迎えよう。積極的に参加を!
(鰐沢桃子)