【学習会報告】 加納実紀代編『女性と天皇制』(思想の科学社、一九七九年)

本書は、一九七七年一月から翌年六月までかけて雑誌『思想の科学』に連載された一八本の論文を、連載の編者でもあった加納実紀代が単行本としてまとめたものだ。もちろん、加納さん論文もある。

各論文には執筆者の生年月日が付されていて、一番の年配者は一九〇七年生まれで、次が一九一一年生まれ。ほか二〇年代八人、三〇年代五人、四〇年代二人、五三年一人。地域、世代、経験と、それぞれに異なる女性たちだ。敗戦を大人になって、あるいはそれに近い年齢で迎えた人が半分を占め、子ども時代の人を含めると大半が戦中を知る世代だ。戦中を「アカ」として過ごした人もいる。彼女たちは七七年当時、年配のお二人を除く全員が、今の私の年齢よりも若い。七七年当時、私は二〇歳で、執筆者たちと同時代を生きていたわけで、なんだか微妙な古さと近さを覚えるのだった。

敗戦から三二年後の天皇制批判は、まだ生々しい戦中の記憶から紡ぎ出されたものが多い。三二年といえば反天連の年齢よりも若く、その生々しさも理解できる。彼女たちが語り批判し否定する天皇制の内実は、家父長制であり、排除の論理であり、無責任とエゴイズムであり、貧困であり、飢えであり、教育による全体主義であり、国家であり、etc.である。そしてそれらは、自らの経験から絞り出すようにして言葉にされたものが大半だ。

学習会で初めて本書を読んだという参加者も数人。私もその一人だ。加納さん編集の本書を読んでいなかったことを少し恥じながらレポートした。その形式は、論者の言葉(文章ではない)を抜粋しながら紹介する形をとった。なぜなら、まとめることは困難であったし、むしろ、ナマの言葉を確認していくことの方が本書を理解しやすいように思えたからでもある。多くの言葉が印象に残る本なのだ。学習会でもそのような感想が多かったように思う。

ではここで問題。

「アーレタッサンカヲ イクセンリ」とは? これがわかれば年齢もバレルよ。

次回は五月二九日。テキストは君塚直隆『立憲君主制の現在─日本人は「象徴天皇」を維持できるか』(新潮選書)。ぜひご参加を!

(大子)

【集会報告】天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4・28─29連続行動

今年も4・28─29連続行動として、天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える連続行動実行委を起ち上げ(もちろん反天連も参加)、4・28集会、4・29デモを無事終了させることができた。この実行委では、三月の天皇の沖縄・与那国訪問を問う集会を開催し、大きな連続行動ともなった。協力・参加されたみなさま、お疲れさまでした!

今年の反天皇制運動の実行委員会は、明治一五〇年キャンペーンに抗していくことを一つの大きな課題として立てている。2・11行動に引きつづき、4・28集会もこの課題視点で準備を進めた。

文京区民センターで行われた講演集会の講師は湖南通さん(日本近代法史)。湖南さんは沖縄・辺野古の座り込み闘争から戻って来られたばかりで、お話はそのホットな報告から始まった。湖南さんを始め多くの座り込む人たちがごぼう抜きにされ、背中は米軍基地のフェンス、目の前に機動隊の壁が立ちはだかる空間に押し込まれ、そこはいかにも象徴的な空間で、米軍と日本警察によって作られた牢獄に入れられたようだったと、語られた。「明治一五〇年」と沖縄の歴史、現在のヤマトと沖縄の関係を象徴するシーンでもある。

講演では、琉球国が天皇制国家に併合されていく過程とその差別的な政策、その目的が沖縄を「国防の人柱」として利用することであったことなど、文献を紹介しながら詳細に語られた。そして、日本の敗戦、天皇メッセージ、沖縄の米軍統治時代、沖縄返還から現在へと続く。現在の沖縄と日本の関係、沖縄の基地問題を理解するために必要な歴史を、ポイントを絞って話していただいたのだと思う。とてもわかりやすく、批判とユーモアに富んだお話だった。
講演後、沖縄・一坪反戦地主会関東ブロック、基地・軍隊はいらない!4・29集会、安倍靖国参拝違憲訴訟、機動隊沖縄派遣住民訴訟、優生保護法の問題、元号いらない署名等、短いが内容の濃いスピーチをもらって終了。集会参加者一〇六名。

翌日二九日の反「昭和の日」のデモは、一貫して「天皇いらない」を主張するデモとして準備。大きな「天皇はいらない」の横断幕(実際は縦断幕)もつくった。デモ出発前には常磐公園で、実行委から前日の集会の報告を簡単にし、元号いらない署名、辺野古への基地建設を許さない実行委員会から、デモ終了後も、多摩地域メーデー、労働運動活動者評議会、明治公園オリンピック追い出し国賠訴訟からアピールをもらった。

デモ中は、警察が右翼街宣車がデモに接触しないように周辺で止めていたようで、もっぱら歩道で騒ぐ右翼とそれを取り囲む警察があちこちで団子になっていた。右翼の弊害が少ない時は決まって警察の規制のひどさが目立つ。「私たちは軍隊ではない、そのような口調の命令をしないでくれ」と、何度声を荒げたことか。背中を押す、参加者の肩や背中を平気で触って「前へ、前へ!」「詰めて!詰めて!」とくり返す警察に、参加者も腕を振り払ったり、抗議をくり返していた。それでもデモは気持ちがいい。デモ参加者一〇〇名くらい。実行委員会の行動はまだ続く。数は力なり。継続は力なり。これからもご参加お願いします!

(大)

【今月のAlert】Jアラートが停止した今こそ 私たちの主張(アラート)と問題意識を突きだそう!

これまでも意識的に情報を得ようとしていたのだが、四月二七日の南北首脳会談は、しかし閉ざされた列島に住まう者にとっては、やはり驚かされるものだった。メディアに流された映像、その演出の一つひとつの周到さはもちろん、断片的に伝えられてきた事実に、みるみるうちに繋がりを与える構想力は圧倒的なものだった。「板門店宣言」はまだ弱い内容にあるし、両国が戦争状態にあることが利益になる勢力は、内外になお数多く困難は大きい。とはいえ、引き続く米朝首脳会談や、南北米中の交渉による平和協定の枠組みの設定などがあり、そうした要因を織り込みながら今後の日程が組み立てられていることも、期待されうるものを示すと感じる。

「最大限の圧力」「断交」をがなり立て、直前には「新たな核実験の兆候」などとデマを流して否定され、関連諸国間で長足に進捗する外交の状況すらも何一つ把握していないトンマな姿をさらけ出した安倍政権担当者と官僚たち、またバラエティ番組の「有識者」などは、砂の上でひっくり返った虫のように、いまなお手足をバタバタさせ醜態をさらしているのだろう。しかし、私たちはこれを「蚊帳の外」と嘲笑っているわけにはいかない。いまこそ歴史的な責任を明らかにさせて、私たちのなすべきことをしていかなければならないのだ。

私たちはかつて、二〇〇二年一〇月十一日付けで「『日朝会談』以後の状況への『緊急声明』」を発表した(反天皇制運動PUNCH24号)。訪朝した小泉首相に対し、金正日委員長(いずれも当時)が「日本人拉致」の事実を認め、同時に「日朝ピョンヤン宣言」が発表されたときのことである。「日朝ピョンヤン宣言」における、「国交正常化交渉の再開」、「国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないこと」の確認、「北東アジア地域の平和と安定」に向けた協力、等々の積極的な意味を評価しながらも、それが前年の「九・一一」後のブッシュらによる報復戦争状況下において無効化されることを危惧し、「拉致問題」をきっかけにした在日朝鮮・韓国人たちへの脅迫・暴行や差別の拡大を批判する立場を明らかにした。同時に、「ピョンヤン宣言」において日本国家が「過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」ことを前提にするなら、なすべきことは、国家賠償「経済協力」はもとより、被害者のそれぞれに対する謝罪と個人補償であり、それこそが求められていることを主張した。

私たちは、日本国家と天皇制の植民地責任・戦争責任が、歴史的になし崩しにされて明らかにされず果されていないということを、反天皇制運動の活動の中で、一貫して主張してきた。その立場から、「ピョンヤン宣言」前々年になされた日本軍性奴隷制についての「女性国際戦犯法廷」への協力を行ない、右翼暴力団による妨害にも力及ばずながら身を張って抗してきた。こうした活動を、この東アジアの歴史の大きな転換点でも、微力ではあるが断固として追求していきたい。金正恩とトランプによる米朝首脳会談の後に「日朝首脳会談」が実施されるとするならば、そこでは、「日朝ピョンヤン宣言」の内容が俎上にのぼり、日本の戦争責任があらためて問題とされる。実績の貧しい政治家は、それを蔽うためにより派手かつ愚かなふるまいをしがちだ。当選時の公約どころか政権内もガタガタのまま中間選挙が近づき、ロシアンゲートに苦しむトランプや、核開発とミサイルの軍事に極端に傾斜した国家経済の安定と浮揚をめざす金正恩、相次ぐスキャンダルと腐敗にまみれながら、最悪の差別排外主義と歴史修正主義にその勢力を託している安倍らが、どのような動きをするかは予断を許さないものがある。

私たちは今年の四月にも、二八・二九日と連続で「明治一五〇年 日本(ヤマト)による沖縄差別を問う」連続行動を行なった。さきに触れたような現在の国際政治の展開の中では、場合によっては、在韓米軍、さらには在日米軍や自衛隊などの位置づけも大きく変わりうる可能性も、まったくありえないわけではない。だからこそ、私たちは、天皇代替わり過程の中で、こうした問題意識をつねに研ぎ澄ましながら、自分たちと世界との関わりを問い直していかなければならないと考えている。

(蝙蝠)

【表紙コラム】

5月3日、原宿で行われた「明治公園オリンピック追い出しを許さない 明治公園国賠まるわかり集会」に参加した。主催は、同国賠訴訟原告団。2020東京オリンピックのメインスタジアムとされる新国立競技場の建て替えに伴って、都立明治公園が廃止され、そこに長く暮らしてきた野宿者が、2年前の4月に強制執行がかけられて追い出された。これに対して、当事者である元住人や支援団体が原告となって、JSC(日本スポーツ振興センター)、東京都、国を相手どってこの3月に提訴。いわば、その訴訟団のキックオフ集会である。

JSCが明治公園の住人を「債務者」として、「占有地からの退去」を求めた仮処分を裁判所に申請し、いつ強制執行が行われるかわからないという時期に、そのJSCの門前で(!)住人と支援者がおこなった記者会見について、私も本欄に書いたことがある。ひどいことばかりだ。これまでの当事者との話し合いを一方的に破棄し、さまざまな脱法行為やでっち上げ逮捕までして、住人の生存権を踏みにじった行政とJSC、そして都民の公共の財産である都立公園を、オリンピックを奇貨として、大手ゼネコンや政財界の利権のために売り飛ばす東京都や国(詳しくは『反天皇制運動カーニバル』36号の渥美昌純論文など)、そして、そうした問題を隠蔽し、「異論」を封じ込めるナショナル・イベントとしてのオリンピック。こういったことをあらためて今回の集会で聞き、当事者の発言や強制排除の映像を見聞きしながら、頭の中ではずっと「野蛮な資本主義」という言葉が響いていた。

集会で最も印象的だったのは、映像で写しだされた、かつての明治公園の、今は失われてしまった緑豊かな「四季の庭」の姿を見て、そこに暮らしていた元住人が「なつかしい」とつぶやいたこと。奪われた風景、奪われた暮らし。資本のための「開発」が、人にとってかけがえのないものを壊していく。その、国と資本があげる勝利の凱歌こそがオリンピックなのだと。

(北)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 23号(2018年5月 通巻405号)

今月のAlert ◉ Jアラートが停止した今こそ、私たちの主張と問題意識を突きだそう!(蝙蝠)
反天ジャーナル ◉ 大橋にゃおこ、映女、狸の皮
状況批評 ◉ 朝鮮学校差別から見える植民地主義(佐野通夫)
ネットワーク ◉ 「天皇代替わりに異議あり! 関西連絡会」を発足 (寺田道男)/ ◉ 風通しの良い社会の対極にあるのが天皇制(稲葉みどり)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈96〉 ◉板門店宣言を読み、改めて思うこと(太田昌国)
マスコミじかけの天皇制〈22〉◉ 〈天皇(制)は「構造的沖縄差別」の象徴である:〈壊憲天皇明仁〉その20(天野恵一)
野次馬日誌
集会の真相◉ 天皇「代替わり」と安保・沖縄を考える4・28-29連続行動
学習会報告◉ 加納実紀代編『女性と天皇制』(思想の科学社、一九七九年)
反天日誌
集会情報

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*2018年5月8日発行/B5判16ページ/一部250円
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