【学習会報告】鶴見良行『日本の写真 天皇論/写真論1957-72』 (鶴見良行著作集第一巻『出発』〈みすず書房〉所収)

鶴見良行の、この貴重な「天皇論」の存在を知ったのは、私がかなり若い時であった。しかし、その批判の切り口の鋭さに気づいたのは、かなり後の時間である。レポーターであった私は、松下圭一の高名な「大衆天皇制」(スター天皇制)論より早く、メディア支配が全面化した政治社会の中の象徴天皇制の戦前から連続する家族主義イデオロギーをベースにした独自な政治的枠割に、キチンと批判の光をあてたこの諸論文の今こそ見過ごすべきではないある点にしぼって報告した。

「国民すべてを戦争においこんだひとつひとつの事態が究極的には天皇というたった一語の権威によって正当化されたのであったにかかわらず、天皇は何一つ戦争の責任を負いはしなかったという事実と、戦後の天皇は『人間』として国民多数の親愛の対象となっているという事実のつながりの問題」。このつながってはいけない問題が安易につながってしまったのは何故か?」

鶴見は、こう問いを自ら立てて、それに以下のごとく回答している。

「『人間天皇』という言葉およびその視覚的再現の写真があらわれた一九四六年正月頃」の状況。「人間宣言」とマスコミにネーミングされた「元旦の詔書」と、メディアにあふれかえる天皇家の家族写真。そして憲法の「象徴」規定。このプロセスでつながってはいけない問題がつなげられることが起きた。「……天皇が人間であるためには当然に戦争に対する公人としての償いが要求されるにもかかわらず、天皇の利用者にのみ追及が向けられ、天皇と国民の結びつきの面における国民の実感の変革をわれわれ国民自らが試みようとしなかったために、『天皇は人間である』という事実命題は容易に『人間的な天皇』という価値命題へとすりかえられていったのである」(強調引用者)。

天皇は人間であるという自明の「事実命題」を素晴らしい「人柄」の天皇という「価値命題」へのスリカエ(操作)があったというのだ。考えてみれば、このスリカエ(操作)は戦後マスコミの天皇報道の日常的作業であり、現在の「生前退位」は人間として当然とのキャンペーンは、その集大成ではないか。

次回のテキストは『アマテラスと天皇─政治シンボルの近代史』(千葉慶・吉川弘文館)

(天野恵一)

【今月のAlert】「天皇代替わり」騒動はまっぴらだ! 7.21「なぜ元号はいらないか」集会へ!

連日の猛暑レポートが続いていた六月九日、天皇・皇后は南相馬市で開催された天皇三大行事の一つである全国植樹祭出席のために福島入りした。式典会場は津波被害に遭った沿岸部の海岸防災林整備地。天皇の植樹に意味を持たせるにふさわしい場所ということか。県の実行委公式サイトでは以下のように述べている。「福島県で開催する全国植樹祭は、本県の森林再生の取組の目標とするとともに、国内外からの復興支援への感謝の気持ちを広く発信するシンボル事業とすることを観点に検討し、東日本大震災による津波被災地であり、参加者に地域の復旧の状況を見ていただくことができる場所とした」と。「復興」植樹祭……。住民の、あるいはそこに住めなくなった住民のための行政であれば、やるべきことは他に山積しているはずだ。何のために福島県はこんなことに金やエネルギーを使わなくてはならないのか。そして天皇は例年どおり、植樹祭出席のほか、いくつかの視察や慰問もこなし、当地の人々を忙しく動員させている。

九日にはいわき市で避難生活を続ける被災者と面会し、植樹祭当日の一〇日は会場への移動中、雨の帰還困難区域を車で通り抜け、途中の料金所で、動員されたのであろう地元の人々と懇談したりしている。夜は宿泊先近くの公園で「提灯奉迎」。天皇たちもベランダから提灯を揺らして応えたとか。そして最終日の一一日、相馬市で慰霊碑に献花、水産物の地方卸売市場を訪問などしている。

大地震・津波と原発事故によって被災した人々を、救うことなく黙らせる天皇たちの力を最大限利用する行政と、人の心までも動員するに見える天皇・皇后のこういった行為に対して、うまく的を射た簡潔でインパクトのある批判の言葉をすぐにでも見つけ出したい。ともに考えて欲しい。

天皇の福島訪問と植樹祭については新聞・ネット上でそれなりに報道されていたが、どれも「天皇にとっては最後」「来年は皇太子」等の文言付きだ。「生前退位」とは、こうやって次の天皇制、すなわち天皇制の持続を連想させるものであることに、いまさらながら気づく。

福島訪問から約二週間後の七月二日、天皇は脳貧血でしばらく安静という記事が流れる。すぐに「症状安定」の報道に変わるが、おそらくしばらくは、「あの年齢と体力でよくやっていらっしゃる」といった同情や「崇敬」の念をないまぜの声がつくられ、一方では、天皇自身がつくり出した、年齢や体調に左右されず、常にりっぱに「公務」を果たす象徴天皇像と、それによって成立した「生前退位」が再度意識される状況がつくられるのだろう。どのような状況でも、いまのところ天皇の思い通りに事態は動き、株は上がるばかりに見える。回り始めると止まらない一つのサイクルが動き出しているかのようだ。

しかし、天皇の不調報道に、ここにきて「生前退位」あいならぬか? と考えたのは私たちばかりではないはずだ。その後の天皇の体調についても、ごく一部の者だけが知りうるだけで、事態はいつも不確定なものとして現象しているのだ。ただ、どうであれ、代替わりまであと長くても一年足らずである。うっとうしい天皇賛美報道とさまざまな服属儀礼のオンパレードが始まることもわかっている。天皇たちの都合でそれに変更があろうとなかろうと、惑わされ振りまわされるのはまったくゴメンである。言うべきこと、やるべきことを、その都度考えていきたい。

私たちはこれまで考え訴えてきた天皇制の問題を、整理し直し、言葉を吟味し、全国の友人たちとともに、少しでも拡がりを持った運動を目指していくしかないのだ。天皇が国家の制度として存在しているかぎり、私たちは天皇制について考えなくてはならない。そして、戦前から戦中、戦後と、天皇を介在させ続けることで、植民地主義、占領政策に基づく侵略戦争の歴史と責任を曖昧にし、現在のこのひどい社会に至っていることへの関心をつくり出したい。

一昨年の天皇の「生前退位」意思表明から、いわば天皇代替わり騒動というものを私たちは経験し始めている。この国が、天皇(制)に対しては誰も、国家権力でさえも、ものが言えない社会であることを、多くの人が見たはずなのだ。しかし、それがいかに非民主的な社会であるのかの実感は共有されていない。課題の大きな一つだ。

本紙でも繰り返し伝えているが、「元号いらない」署名は継続中である。これは一つの切り口でありうるのだ。七月二一日には集会も準備している(チラシ参照)。ぜひ一緒に考えていきたい。

(大子)

【表紙コラム】

「ヨイヤサッ!  ヨイヤサッ!」

春と秋の例大祭の日には、このかけ声が町内に響きわたる。法被姿に粋やいなせなどの形容詞がくっつくが、つい「そうかね〜?」と意地悪な感情が湧く私である。ほんの数年前、路地から突然、法被姿にふんどしから陰毛がはみ出ている数人の男性が表れた時は、心底恐ろしかった。なんで祭りだとこんな猥褻な姿で闊歩することが許されるのか。悲しく腹立たしい思いをしたが、さすがに最近はそれはなくなったようだ。

ところで神輿は、担ぎ手のネットワークがあるらしく、地元住民とは関係ない人々で大いに盛り上がっている。市ヶ谷に近い地区では、自衛隊員が担ぎにくるらしい。気がつくと自衛隊は町内会と仲良し。

まあそんなこんなで祭りは二日間に渡り、一日中路地から路地を練り歩くのだ。通りのあちこちで神輿の担ぎ手をねぎらうビールだの、お酒だのがずらりと並んだテーブルが用意されている。随所で水分(アルコール)補給をし、かけ声とともに高揚していくのだ。

夜の十時頃まで、これでもかと「ヨイヤサッ! ヨイヤサッ!」の大合唱。マンションが立ち並ぶ路地ではかけ声はビルに反響し大音量。声がかき消されないよう指示者はトラメ使用。しつこいけど、時間は夜の十時です。

と前振りが長くなったが、本題は新宿区が「騒音」を理由にデモ出発の公園使用の規制強化をしたことについて怒っている!ということ。

周辺住民からデモ制限の要望書が提出されたという。それを議会にかけることなく関係部署で協議し、部長決裁で使用基準を見直し、使用できる出発公園を四つから一つにしてしまった。区みどり土木部田中孝光部長は「私自身、住んでいる家の近くの公園に警察がしょっちゅう来て、デモがあるのは嫌だ」と答弁。部長、仲間うちのおしゃべりであんたの気持ちを聞いているんじゃないんだよ!

「神輿」も「民主主義が根づかない」のも、日本の伝統ですか?!

(桃色鰐)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 25号(2018年7月 通巻407号)

今月のAlert ◉ 「天皇代替わり」騒動はまっぴらだ! 7・21「なぜ元号はいらないか」集会へ!(桜井大子)
反天ジャーナル ◉ ラディカル・文平、トメ吉、橙
状況批評 ◉ 象徴天皇制こそ倫理的頽廃の根源(彦坂諦)
ネットワーク◉明治公園のオリンピックによる追い出しを許さない!〜国賠訴訟提起〜(首藤久美子)
紹介 ◉ 2020オリンピックに抵抗するためのパンフレット集 (宮田仁)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈98〉 ◉「貧しい」現実を「豊かに」解き放つ想像力(太田昌国)
マスコミじかけの天皇制〈24〉 ◉ 首都圏原発「東海第2」再稼働・オリンピック・「生前退位」─〈壊憲天皇明仁〉その22(天野恵一)
野次馬日誌
集会の真相 ◉ 三〇年前の天皇代替わり時の社会をふりかえる(つくば)/天皇・皇后は、なぜ「人気」があるのか?(練馬)/3・1朝鮮独立運動100周年キャンペーン 日本と朝鮮半島の関係を問い直す/おしつけないで! リバティ・デモ
学習会報告 ◉ 鶴見良行『日本の写真 天皇論/写真論1957-72』(鶴見良行著作集第一巻『出発』〈みすず書房〉所収)
反天日誌
集会情報

→前号の目次はこちら

*2018年7月10日発行/B5判16ページ/一部250円
模索舎(東京・新宿)でも購入できます。
http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

【集会案内】なぜ元号はいらないのか? 7・21集会

日時:7月21日(土)午後1時15分開場/1時半開始
会場:文京区民センター2A(地下鉄「後楽園」駅・「春日」駅、下車すぐ)

講演:坂元ひろ子さん(中国思想史・一橋大名誉教授)
「中国の革命経験から考えるアジアの共和国」

報告:中川信明(靖国・天皇制問題情報センター)
「元号不使用運動の実践と成果」

ほか、自治体議員など予定

主催:元号はいらない署名運動

【呼びかけ団体】 ■反天皇制運動連絡会■「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会■天皇制いらないデモ実行委員会■靖国・天皇制問題情報センター

 

(よびかけ文)

来年5月1日の天皇代替わりとともに、「平成」は終わります。

これに合わせて元号制度を終わりにしようと、全国の仲間の皆さんとともに「新元号制定に反対する署名」を集めてきました。

「不便・不合理な元号」というのはもちろんですが、さらにもう一歩「なぜ元号はいらないのか?」という議論を深めていきたい。そんな思いを込めて、7月21日に集会を開催します。

講演は、中国思想史がご専門の坂元ひろ子さんにお願いしました。元号を生み、そして廃した中国の歴史から考えることは多いと思います。

元号反対運動の歴史的な観点からの報告も予定しています。

ふるってご参加ください♪

【呼びかけ】「明治150年」天皇制と近代植民地主義を考える 8・ 15 反「靖国」行動への参加・賛同の呼びかけ

二〇一九年四月三〇日明仁天皇「退位」・五月一日新天皇「即位」まですでに一年を切った。

四月初め、政府の式典準備委員会は「代替わり」儀式の基本方針を固め、明仁への「代替わり」のそれを今回も踏襲するとした。「即位の大礼」など五つの儀式を「国事行為」とし、「大嘗祭」は「国事行為」とはしないが、その「公的性格」に鑑みて、特別に公費を支出するという。政府や一部マスコミは、それが「政教分離」への配慮などというが、そもそも新天皇の即位儀礼とは、三〇にも及ぶさまざまな儀式の総体であって、その一部だけを切り離すなどということ自体無意味だ。私たちはまず、一連の「代替わり」儀式が、憲法上の「政教分離原則」と「国民主権」の原理を公然と踏みにじる、違憲の行為であるということを指摘しなければならない。そして、一連の天皇「代替わり」儀式は、日本が、天皇という世襲の君主を戴く国家であり、「国民」もまた天皇に象徴されることによって「国民」なのだということを再確認させる、最大の天皇制攻撃にほかならない。

そもそも、八〇歳を超える高齢となり、「天皇のつとめ」を充分全うすることができなくなったということを理由に、「生前退位」のメッセージを発し、退位特例法なる新たな立法すら実現させていったのが、この間の「天皇退位」の動きであった。にも関わらず天皇は、退位するその日まで、天皇としての「公務」や、皇室祭祀などを精力的に続けていく意思を示している。宮内庁がこの一年の間に、天皇としての「公的な活動」を、皇太子や秋篠宮に引き継ぐことを提案したが、天皇はそれに同意しなかったというのだ。

今年の三月二七日、明仁・美智子は沖縄・与那国を訪問した。この沖縄訪問を、マスメディアは相変わらず「慰霊の旅」などと描き出している。しかし、この地域は、対中国シフトをイメージした軍事的な拠点としてクローズアップされている。すでに二年前の三月二八日に、この与那国に陸上自衛隊沿岸監視部隊が設置され、そして天皇が沖縄に着いたまさにその日に、陸上自衛隊は全国の五方面隊を一元的に指揮する司令部として「陸上総隊」を発足させ、直轄部隊として「離島防衛」の専門部隊としての「水陸機動団」(日本版海兵隊)をおいている。与那国では、町内のあちこちに、自衛隊協力会によって、「奉迎」の横断幕が掲げられ、天皇が乗った車は、自衛隊与那国駐屯地の隊員によって、と列で迎えられた。また那覇の国際通りでも、自衛隊の陸・空特別編成音楽隊を先頭に、「日の丸」と提灯を掲げた四五〇〇人の奉迎パレードが行われている。「平和主義」イメージとは裏腹に、天皇と軍隊との軍隊との結びつきは、より露骨に現れていたのだ。

明仁はまた、六月九日には、全国植樹祭への出席に伴って福島県を訪問し、さらに八月五日には、アイヌモシリが「北海道」と命名されてから一五〇年を記念する式典が行われるのに合わせて札幌を訪問し、その前後に離島・利尻島を訪ねる計画となっている。

明仁は昨年八月のビデオメッセージで、「とりわけ遠隔の地や島々への旅も、天皇の象徴的行為として、大切なもの」と述べていた。天皇としての「最後」の訪問地としてこれらの地域が選ばれていることは象徴的である。沖縄と北海道は、近代天皇制国家の出発にあたって、「日本の版図」に編入された地域であり、その一五〇年間の歴史には、日本帝国による国内植民地支配の経験が刻み込まれている。その地域と住民(先住民)を、あらためて日本の「国土」・「国民」として再統合していく「象徴的」な行為として、天皇の訪問はあるのだ。そして侵略戦争と植民地支配の歴史を後景化させる方向での歴史の「清算」は、日本の近代全体を、文明化と経済発展の軌跡としてひたすら明るく描き出そうとする、政府の「明治一五〇年」賛美の動きと連動するものだ。

さらに、明仁天皇がこだわってきたとされるのが「戦没者慰霊」である。今年の八月一五日の全国戦没者追悼式は、明仁にとっては、天皇として最後の式典出席となる。全国戦没者追悼式は、戦争の死者を、戦後日本の発展をもたらした「尊い犠牲者」と賛美することによって、その死を美化し顕彰する儀式にほかならない。その意味において、軍人・軍属(戦闘協力者)の死者を「英霊」として祀る靖国神社と同質のものだ。

8・15反「靖国」行動は、国家による「慰霊・追悼」を撃ち、天皇制の植民地支配、戦争・戦後責任を批判し抜く行動として取り組まれてきた。日本が、戦争法や治安法を整備し、海外における米軍への協力活動など、実際の軍事行動に踏み込んでいる現在、国家にとって「新たな戦争の死者」をどう位置づけ、利用していくかという課題は、ますます現実的なものとなっている。国家による「慰霊・追悼」それ自体が、戦争準備の一環をなしているのだ。そして「代替わり」に伴って新たに登場する新天皇が、そこでどのような役割を果し、また果すことが期待されているのかを問うていかなければならない。

8・15反「靖国」行動をステップに、「明治一五〇年」から「代替わり」諸儀式に具体的に反対していく運動を強化し、向こう側からの「平成の総括」を批判しぬき、天皇「代替わり」を契機として創り出される天皇制社会の時間と空間に抗していく、私たちの自由を取り戻す闘いを準備しよう。8・15反「靖国」行動実行委員会への多くの参加・賛同、協力を!

「明治150年」天皇制と近代植民地を考える8・15反「靖国」行動

[呼びかけ団体]

アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運動連絡会/「日の丸・君が代」の強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会