本号のこの欄で、真っ先に取り上げるべきは、なんといっても一一月三〇日に公表された秋篠宮記者会見報道をめぐる一連の動きだろう。
秋篠宮は、「宗教行事と憲法との関係はどうなのかというときに、やはり内廷会計で行うべきだと思っています」と述べ、大嘗祭が天皇家の私費とされる「内廷費」で賄われるべき、 「大嘗祭自体は絶対にすべきものだ」が、「できる範囲で身の丈に合った儀式で行うのが、本来の姿ではないかなと思います」などと述べた。
すでに報道でも指摘されているように、これが前回の「代替わり」をめぐって各地で巻き起こった政教分離訴訟などでの議論を意識していることは間違いない。発言によって政府が「政教分離論争の再燃を懸念」とも報じられている。
だが、「皇室の行事には私の考えというものがあってもよいのでは」と秋篠宮が前置きして発言していることに注目すべきである。これはつまり、大嘗祭をめぐる政教分離とは何かという議論の枠を、たんに内廷費か公費(宮廷費)かという範囲に限定させる、皇室の側からの枠組み設定としてとらえなければならない。実際、大嘗祭の儀式内容は不問にされたままだ。マスコミの整理も、「国民のために五穀豊穣を祈る儀式」などと説明するだけで、それが新天皇が「天皇霊」を身にまとう「国家神道」的な神格化儀式であることは語られない。大嘗祭という儀式そのものの内容も、きちんと問われなければならないのだ。
皇室の私事とされるいわゆる「宮中祭祀」も問題だが、大嘗祭は、その規模も社会的影響も格段に異なる宗教儀式である。内廷費だから私的な行為であり、政教分離に抵触しないなどということはできない。政教分離原則が規定しているのは、国家の機関が宗教行為をしてはならないということだ(私たちは、天皇制自体がひとつの宗教だとも考えるが)。だいたい、内廷費自体が税金である。仮に莫大な資金のかかる大嘗祭のために内廷費の特別加算がなされればそれでよいのか。
この発言をめぐっては、今号のニュースでほかの筆者も触れているし、来年の一連の「代替わり」儀式に対する差し止め訴訟を呼びかける文章も入っているので、これ以上はふれない。秋篠宮の発言は、いわばこの訴訟に対する「先制攻撃」であるとさえいえよう。政教分離を狭い形式的な論議だけにしてしまってはならない。
さて、反天連では今年も12・23に討論集会をもつ。この日が「天皇誕生日」であるのは今回で最後だ。「平成三〇年」を通して確定されてきた戦後象徴天皇制国家の到達点を確認し、「次」の天皇制の動向についても、ある程度測定しながら来年一年間の闘争方向を議論していく集まりにしたい。
また、すでにお知らせしているように、この間、首都圏においては、各地で反天皇制運動に取り組んできたグループが、反元号署名運動など共同した行動を積み重ねながら、「代替わり」反対の大きなうねりを作り出すべく動いてきた。一一月二五日には、集会二〇〇名、デモ二二〇名の参加で、「終わりにしよう天皇制2018大集会&デモ」と銘打った行動に取り組んだ。そしてこの日をもって私たちは、「終わりにしよう天皇制!『代替わり』反対ネットワーク」(略称・おわてんねっと)を正式に結成し、さまざまな行動に取り組んでいくことにした。賛同団体を募っているので、詳しくは本紙に掲載した呼びかけ文を見ていただきたい。
おわてんねっととしての次の取り組みは、二月二四日に予定されている天皇在位三〇年式典に反対する行動だ(詳細未定)。これは、「天皇陛下御在位三十年を記念し、国民こぞってこれを祝う」行事で、国立劇場でおこなわれる。これが「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会」の決定であるように、天皇「代替わり」儀式の一環としておこなわれるものである。具体的には、「おわてんねっと」で、ブログやTwitterを検索してほしい。
さらに、例年取り組んでいる反天皇制運動の実行委員会の2・11反「紀元節」行動の準備も始まっている。即位・大嘗祭において前面化する、象徴天皇制においても確実に保持されている天皇制の神権主義的な側面が、日本の「文化、伝統、歴史」や天皇の「祈り」なるものを通じた、全体としての象徴天皇制の統合機能の重要な構成要素としてあること。こういった問題をあらためて問うていきたい。近く呼びかけを発することになるので、こちらへの参加賛同もよろしくお願いします。
(北野誉)