【学習会報告】赤澤史朗『戦没者合祀と靖国神社』 (二〇一五年、吉川弘文館)

本書は靖国神社の合祀基準の変遷を豊富な資料でたどったものだが、極めて詳細である反面、分析や論理化が弱いとの感は否めない。

遺族への金銭支給と靖国合祀はゆるやかに連動し、「慰霊・追悼・顕彰」を通じて戦死者再生産装置は機能し続けた。しかしよく見れば、戊辰戦争までは「雑多な軍隊」と言える程に様々な職種・階級・身分が入り混じっているものが、軍人中心となり、警察官や軍役夫、民間人を合祀するか、戦病死や銃後の伝染病感染死などをどう扱うかをめぐって合祀基準は揺れ続ける。本書を通読すると、実は確固とした合祀基準などなく前例は忘れられ毎回場当たり的に事例を検討している実態が明らかになる。戦後は民間人の合祀が拡大し、戦争災害被災者も限度はあるものの合祀されるようになっていく。

著者はそれを望ましい変化ととらえている。著者が望むのは、戦後の価値観に合わせて軍人だけでなく空襲被災者を含む多くの民間人をも「戦没者」として合祀する民主的で平和的な靖国である。国立追悼施設ですらない。もちろん国家による追悼の問題性や天皇制の問題などは視野にない。前著『靖国神社』を読んでもそれに気づかず、靖国解体企画で講演依頼をして断られたことがあったが、今ならそれも理解できる。ああ、僕たちのなんと間抜けなことよ!

僕が一番気になったのは軍役夫たちの存在である。戦争は軍人だけで行うものでないことは、イラク戦争時にもクローズアップされた。軍夫、夫卒、傭人夫、雇員、傭人、馬丁、従卒、工夫等々と様々な呼び方をされた人々は、アンダークラスである僕の隣人、同僚たちだ。徴兵されずとも貧困層は戦争動員からは逃げられず、挙句「手段を選ばず利益を得ようとして参加」と死後も蔑まれる。それは僕たちの未来の姿でもあるのだろう。彼らのことをもっと知りたいのだが、研究書などあるんだろうか? これから調べてみようか。

次回は橋川文三『ナショナリズム』(ちくま学芸文庫)を読む。

(加藤匡通)

【集会報告】終わりにしよう天皇制 2018 大集会&デモ

一一月二五日、千駄ヶ谷区民会館で「終わりにしよう天皇制 2018  11・25大集会&デモ」が開催された。主催は〈終わりにしよう天皇制! 「代替わり」反対ネットワーク〉(おわてんねっと)。首都圏の、それぞれに課題を持ちながらも天皇制の問題を継続的に考えて来たグループが、これから一年、天皇の「代替わり」について議論し、行動をつくり出そうと集まってできた。構成メンバーは昨年以来、緩やかに共闘し続けてきた仲間たちで、反天連も参加している。これはその結成お披露目集会だ。

集会は、第一部、コント「忘れられないあの娘」と、栗原康さん講演。コントは昨年も登場した気鋭の「芸人」。今回は声の新人も。栗原さんの講演「みんな天皇制がきらい」は、「大正時代」の天皇制批判として、金子文子や朴烈、大杉栄、幸徳秋水などの言葉を紹介しながら、当時の天皇制・反天皇制の思想について語られ、象徴天皇制論にいきつく。当時の思想が、現代社会にも通じる部分も少なくなく、この変わらなさは恐い。

二部は「野戦之月」有志の会による芝居で幕開け。野戦之月が屋根・壁・床に囲まれて公演。そこは暗い皇居の「お堀」端か。河童に連れてこられた車いすの男と、そこに現れる怪しき者たちとの会話。会場はすっかりテントと化した。「野戦之月」とはおそらく一〇年ぶりのコラボで、嬉しい。

そして「3分で反対!天皇制」。東京琉球館の島袋マカト陽子さん、反五輪の会のいちむらみさこさん、女たちの戦争と平和資料館から池田弓子さん、即位・大嘗祭違憲訴訟の会から桜井大子が次々に発言。まるで数本のコラムを一気に読まさられた感。それぞれのテーマは切実で、凝縮された時間であった。最後に、おっちんズによる「元号やめよう」と「天皇制はいらないよ」の歌。元気倍増でデモ出発。

朱に金色の龍踊る縦断幕と旗やプラカード。原宿・渋谷の街に「終わりにしよう!天皇制」の声を響かせた。

(大子)

【集会報告】東京育樹祭反対行動

一一月一七・一八日、皇太子出席のもと、東京育樹祭が江東区の海の森公園予定地(一七日)と、調布市の武蔵の森総合スポーツプラザ(一八日)で開催された。 

いわゆる天皇「三大行事」として植樹祭が毎年行われているが、天皇が植樹した地域を皇太子が訪れ、「お手入れ」をする儀式が育樹祭(全国国土緑化機構主催、林野庁後援)。今回のそれは、一九九六年の東京植樹祭に対応するものだ。今回「お手入れ」は海の森でおこなわれたが、五〇〇〇人規模の記念式典は、なぜか植樹祭とは関係のなかった武蔵の森総合スポーツプラザで行われた。

首都圏で反天皇制の共同行動をとりくむ「終わりにしよう天皇制!『代替わり』反対ネットワーク」(おわてんねっと)のメンバーは、朝七時に式典会場に続く京王線飛田給駅前に集合し、ビラまき情宣を行なった。

式典開始は一〇時。にもかかわらずこんなに朝が早いのは、一般参加者は厳重なボディチェックを受けるために朝八時に集まることになっているからだ。つまりは、天皇警備のあおりでもある。

一一人が集まり、横断幕を広げてハンドマイクでアピール。最初はほとんど人が通らなかったが、しばらくして明らかに市民の一般参加者がぞろぞろと通っていく。ビラの受け取りは悪くなく、一時間ほどで三〇〇枚近くがはけたが、反対運動の存在を想定していないためか、ビラを見てぎょっとした顔をした人もちらほら。

事前に想定していなかったのは権力の側も同じだったようだ。情宣を始めてしばらくすると、七、八人の私服がわらわらやって来て、写真を撮ったりしていたが、とくに介入はなかった。こいつらは、行動の終了後駅を移動して休憩のために入った店の近くまでついてきて、解散するまで監視していた。

なお、その日の午後、朝のビラまきに参加していたAさんが所用で近所に出ると、たまさか皇太子が通るという。立ち止まって眺めていたところ、二、三〇人の私服に二重三重にとり囲まれて封じ込められてしまった。ちなみに、式典会場から東宮御所に帰るためには遠回りになるコース。どこで寄り道をしてたのか。皇太子の車が通り過ぎてようやくAさんは「解放」された。

天皇・皇族が行くところ、常に人権侵害が繰り広げられるのだ。

(北野誉)

【今月のAlert】天皇「代替わり」─象徴も、神聖も問題にする闘いを!

本号のこの欄で、真っ先に取り上げるべきは、なんといっても一一月三〇日に公表された秋篠宮記者会見報道をめぐる一連の動きだろう。

秋篠宮は、「宗教行事と憲法との関係はどうなのかというときに、やはり内廷会計で行うべきだと思っています」と述べ、大嘗祭が天皇家の私費とされる「内廷費」で賄われるべき、 「大嘗祭自体は絶対にすべきものだ」が、「できる範囲で身の丈に合った儀式で行うのが、本来の姿ではないかなと思います」などと述べた。

すでに報道でも指摘されているように、これが前回の「代替わり」をめぐって各地で巻き起こった政教分離訴訟などでの議論を意識していることは間違いない。発言によって政府が「政教分離論争の再燃を懸念」とも報じられている。

だが、「皇室の行事には私の考えというものがあってもよいのでは」と秋篠宮が前置きして発言していることに注目すべきである。これはつまり、大嘗祭をめぐる政教分離とは何かという議論の枠を、たんに内廷費か公費(宮廷費)かという範囲に限定させる、皇室の側からの枠組み設定としてとらえなければならない。実際、大嘗祭の儀式内容は不問にされたままだ。マスコミの整理も、「国民のために五穀豊穣を祈る儀式」などと説明するだけで、それが新天皇が「天皇霊」を身にまとう「国家神道」的な神格化儀式であることは語られない。大嘗祭という儀式そのものの内容も、きちんと問われなければならないのだ。

皇室の私事とされるいわゆる「宮中祭祀」も問題だが、大嘗祭は、その規模も社会的影響も格段に異なる宗教儀式である。内廷費だから私的な行為であり、政教分離に抵触しないなどということはできない。政教分離原則が規定しているのは、国家の機関が宗教行為をしてはならないということだ(私たちは、天皇制自体がひとつの宗教だとも考えるが)。だいたい、内廷費自体が税金である。仮に莫大な資金のかかる大嘗祭のために内廷費の特別加算がなされればそれでよいのか。

この発言をめぐっては、今号のニュースでほかの筆者も触れているし、来年の一連の「代替わり」儀式に対する差し止め訴訟を呼びかける文章も入っているので、これ以上はふれない。秋篠宮の発言は、いわばこの訴訟に対する「先制攻撃」であるとさえいえよう。政教分離を狭い形式的な論議だけにしてしまってはならない。

さて、反天連では今年も12・23に討論集会をもつ。この日が「天皇誕生日」であるのは今回で最後だ。「平成三〇年」を通して確定されてきた戦後象徴天皇制国家の到達点を確認し、「次」の天皇制の動向についても、ある程度測定しながら来年一年間の闘争方向を議論していく集まりにしたい。

また、すでにお知らせしているように、この間、首都圏においては、各地で反天皇制運動に取り組んできたグループが、反元号署名運動など共同した行動を積み重ねながら、「代替わり」反対の大きなうねりを作り出すべく動いてきた。一一月二五日には、集会二〇〇名、デモ二二〇名の参加で、「終わりにしよう天皇制2018大集会&デモ」と銘打った行動に取り組んだ。そしてこの日をもって私たちは、「終わりにしよう天皇制!『代替わり』反対ネットワーク」(略称・おわてんねっと)を正式に結成し、さまざまな行動に取り組んでいくことにした。賛同団体を募っているので、詳しくは本紙に掲載した呼びかけ文を見ていただきたい。

おわてんねっととしての次の取り組みは、二月二四日に予定されている天皇在位三〇年式典に反対する行動だ(詳細未定)。これは、「天皇陛下御在位三十年を記念し、国民こぞってこれを祝う」行事で、国立劇場でおこなわれる。これが「天皇陛下の御退位及び皇太子殿下の御即位に伴う式典準備委員会」の決定であるように、天皇「代替わり」儀式の一環としておこなわれるものである。具体的には、「おわてんねっと」で、ブログやTwitterを検索してほしい。

さらに、例年取り組んでいる反天皇制運動の実行委員会の2・11反「紀元節」行動の準備も始まっている。即位・大嘗祭において前面化する、象徴天皇制においても確実に保持されている天皇制の神権主義的な側面が、日本の「文化、伝統、歴史」や天皇の「祈り」なるものを通じた、全体としての象徴天皇制の統合機能の重要な構成要素としてあること。こういった問題をあらためて問うていきたい。近く呼びかけを発することになるので、こちらへの参加賛同もよろしくお願いします。

(北野誉)

【表紙コラム】

世間は師走だそうだ。街の飾り付けも、TVの映像も、電車のつり広告も、道を歩く人びとも、そういわれてみれば、みなそのように見える。しかし、いったい師走らしさとはなんだ?

クリスマスと正月に向けた商店街の賑わいか。その賑わいのなかで、ボーナスで少し暖まった懐をちょびっと解放する嬉しい一時か。あるいは大掃除。あるいは短い休暇の嬉しさと悲しさ?

少なくともこの30年間、私には12.23集会と忘年会、大掃除と短い休暇の悲しさだけが師走の記憶かもしれない。その12.23集会も今年が最後となる、ということは、集会後の楽しかった忘年会もなくなるか…。お〜、淋しい。いや、そういうことを言いたかったわけではない。

12.23集会は、この日こそは天皇制の侵略戦争責任を、後からは植民地主義も加わって、天皇制の問題を考えるにふさわしい日であるとして始めた。植民地主義と侵略戦争のさなかに生まれた明仁の誕生日。そして「東京裁判」によって、A級戦犯が処刑された日。天皇制の責任を問うにピッタリの「記念日」であり、ヒロヒトからアキヒトへの代替わりで、天皇制の植民地主義・戦争責任の問題が曖昧化されることを懸念する私たちには、とても空気の入る集会としてあった。

アキヒトからナルヒトへの代替わりで、私たちの懸念はさらに膨らむ。そして「記念日」に反対し、そこから歴史を紐解き、声を上げていく行動の一つが消える。12.23がなくなろうと、天皇制の植民地主義・侵略戦争の歴史は残り、そのことへの無責任体制も続いている。これからの反天皇制運動はなかなかに困難である……。「記念日」闘争が立ちゆかないだけの時間が経っているのだ。天皇「代替わり」を自分たちの時間に変えていく運動の過程で、そういったことも考えねば、だな。

(大子)

【月刊ニュース】反天皇制運動Alert 30号(2018年12月 通巻412号)

今月のAlert ◉ 天皇「代替わり」─象徴も、神聖も問題にする闘いを!(北野誉)
反天ジャーナル ◉ ─たけもりまき、きょうごくのりこ、遺産放棄娘
状況批評 ◉ 米国へ向かう移民の群に何を見るべきか─日本への警告(太田昌国)
ネットワーク ◉ 即位・大嘗祭違憲訴訟が始まります(佐野通夫)
終わりにしよう天皇制!「代替わり」反対ネットワーク 賛同の呼びかけ
マスコミじかけの天皇制〈29〉◉ 「秋篠宮」発言をめぐる〈天皇(家)政治〉と〈安倍政治〉─〈壊憲天皇明仁〉その27(天野恵一)
野次馬日誌
集会の真相◉ 練馬の会学習会「派兵時代の天皇制」/象徴『天皇陛下』万歳《反安倍(リベラル)》でいいのか?/東京育樹祭反対行動終わりにしよう天皇制 2018 大集会&デモ
学習会報告◉ 赤澤史朗『戦没者合祀と靖国神社』(二〇一五年、吉川弘文館)
反天日誌
集会情報

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*2018年12月4日発行/B5判16ページ/一部250円
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http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/