【集会基調報告】天皇「代替わり」に反対する2・11 反「紀元節」行動 集会基調

1 「紀元節」と右派をめぐる状況

 かつて一九四七年に皇室令全体と同時に皇室祭祀令も廃止されるまで、この二月一一日は「紀元節」として大々的に扱われ国家全体で祀られてきた。しかし、二月一一日が「紀元節」と制定されたのは、記述の解釈すらいまなお確立していない記紀神話を基に、「神武」による「肇国」をあたかも歴史的事実であるかのごとく装い、暦計算を曲解しながらつじつまを合わせたことによる。祝祭日の制定じたいも、その根本は明治政府が諸外国の制度を模倣したことにはじまっており、これに当時の「祭政一致」が組み合わされたものであった。

 敗戦から戦後改革の経過で一度は廃止されながら、しかし一九六六年に、多くの批判があるなか、この日は「国民の祝日に関する法律」に組み入れられ、「建国記念の日」として復活した。とはいえ、同法では「建国をしのび、国を愛する心を養う」と記述されているが、期日は「政令で定める日」として現在も法文から外され特定されていない。昭和天皇の「在位六〇年」を前にした一九八五年に始められた政府の後援による「国民式典」も、二〇〇五年以降は開催されておらず、この日を「奉祝」し、「建国記念の日 奉祝中央式典」というかたちで催しを繰り広げるのは、神社本庁や日本会議など右派団体と、その影響下にある議員をはじめとする政財界の連中に過ぎない。

 このような経過をたどっている「建国記念の日=紀元節」だが、「国民の祝日」のほとんどが皇室祭祀と重ねられて制定されているわけでもあり、一九七九年の「元号法」、一九九九年の「国旗・国歌法」などとともに、天皇主義、国家主義のイデオロギーを強く涵養させるものとなっている。昭和天皇裕仁の誕生日を根拠とする「昭和の日」に加え、もともと明治天皇睦仁の誕生日であった「文化の日」を、露骨に「明治の日」としようとする右派の活動も活発化している。

 現政権の中心にいる安倍晋三は、なんの実績もないまま、たんなる世襲により政治家として登場しながら、右派の宗教勢力と結びつき、臆面もなく極右思想を前面に出すことで存在を示してきた。さらに安倍政権は、長期化することにより右派のみならぬ利益集団を固め、自民党の内外から財界、官僚、メディアに至るまで、「身内」への利益供与を通じて、その影響力を広く行使するに至っている。この政権下で、ポピュリズムの姿をまとって、醜悪な差別排外主義や、虚偽の情報が意図的に流布されてきた。

 しかし、たびたびの改造を重ねつつ第四次内閣となり、多数を占める議会勢力を背景に憲法の改悪をもめざす現政権だが、その支持母体の右派勢力は、イデオロギーや利権の争いから混迷を深めてもいる。日本会議を構成する有力な「新興宗教」のグループは緩やかに衰えつつある。また神社勢力は、神社本庁と有力神社の間でもこれまでに齟齬をきたしているが、神社本庁みずからや、これに属しない靖国神社をはじめ、その組織内部での争いが激化している。そこからは、「現天皇が靖国神社をつぶそうとしている」という、靖国の宮司による興味深い発言までも漏れてくるに至っているのだ。しかし、この事態を甘く考えるべきではないのはもちろんである。

 頽廃を深めるこの日本国家においては、対外的な「危機」を煽りたて、これに応じるための「改憲」をめざすという、あまりにも使い古された手口が、政権を維持しさらに悪質なものとするために、ますます有効な手段となっている。この状況は、「選挙イヤー」でもある今年、私たちを厳しく取り巻いている。天皇の代替わりを直前にしながら、現天皇夫妻への支持の声はいわゆる「リベラル」層をも巻き込みつつ、より声高になっているということも、これに加えねばならない。とはいえ私たちは、こうした事態に対し悲観的になることなく、天皇代替わりに対抗する大衆的な陣形をつくりあげていきたいと考える。

 2 天皇「代替わり」儀式との闘い

 二〇一九年を迎えて、天皇の「代替わり」儀式をどのような形式で行うかということに関する検討が、急ピッチで進んでいる。それは「昭和」から「平成」への一連の儀式を「踏襲する」という基本方針に基づいて、着々と強行されているのだ。

 すでに昨年四月の段階で、政府は、四月三〇日の現天皇の「退位礼正殿の儀」と、五月一日の新天皇の「剣璽等承継の儀」「即位後朝見の儀」、一〇月二二日の「即位礼正殿の儀」と「祝賀御列の儀」、当日以降四日間行われる「饗宴の儀」を「国事行為」として行うことを決定した。また、一一月一四日~一五日の「大嘗祭」に関しては、「趣旨・形式等からして、宗教上の儀式としての性格を有すると見られることは否定することができ」ないということを認めながら、「即位が世襲であることに伴う、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式である皇位の世襲制をとるわが国の憲法の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手立てを講ずることは当然」、「大嘗祭は、公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当であると考える」という、一九八九年一二月二一日の閣議口頭了解を踏襲することを確認した。その結果、一二月二一日に閣議決定された二〇一九年度予算案では、総額で一四四億円の関連予算が盛り込まれることになった。すでに昨年度予算に盛り込まれた費用と、二〇二〇年度に盛り込まれる予定の費用を合わせると、総額で一六六億円となり、前回「代替わり」費用の一二三億円を大きく上回った。

 天皇「代替わり」儀式とは、一年にわたっておこなわれる、四〇ほどの一連の儀式と行事の総体である。その儀式すべてが、税金をつぎ込んでなされるのだ。

 「国事行為」とされた儀式も、けっして「宗教性」とは無縁の儀式ではあり得ない。「剣璽等承継の儀」の「剣璽」とは、いわゆる「三種の神器」の剣と勾玉のことであり、それは「退位礼正殿の儀」「即位礼正殿の儀」においても使用される。

 このことについて、一月一七日に開かれた天皇「代替わり」にともなう「式典委員会」の第三回会合で、山本宮内庁長官が「(退位の儀式が)皇位の継承に伴う重要な儀式であることを踏まえれば、剣璽等を儀式の場に捧持し、奉安することが、皇室の伝統にも沿うものである」と述べ、横畠内閣法制局長官も、前回の「代替わり」において「十分な検討が行われた」、剣璽は「皇室経済法に規定された『皇位とともに伝わるべき由緒あるもの』」であり、「宗教的意義を有する物ではなく、憲法の定める象徴天皇の制度に沿う物であり、また、政教分離の原則に反するものでもない」などと述べている。

 また、「即位礼正殿の儀」において使用するため、昨年五億円もかけて京都御所から運んだ天皇が立つ高御座と、皇后が立つ御帳台自体が、ニニギノミコトの天孫降臨神話に由来する「皇位の霊座」であるといわれる。この点について、一九九〇年に提訴された「即位の礼・大嘗祭違憲訴訟」において、「宗教的な要素を払拭しておらず、大嘗祭と同様の趣旨で政教分離規定に違反するのではないかとの疑いを一概に否定できない」儀式であるという大阪高裁判決も出されているのだ(一九九五年三月九日)。

 しかしわれわれは、こうした内容の儀式であるにも関わらず、それが「国民統合の象徴」である天皇の「伝統儀式」であり、無条件に「問題ない」ものとされてしまう構造自体を、問題としていかなければならない。

 天皇の「代替わり」儀式を通して私たちは、象徴天皇制の下では天皇家の「私事」という名で、日常的にはあまり表に出てこない皇室祭祀が、天皇制を支える大きな柱であるという一方の事実に、あらためて直面させられることになる。いまの天皇が「護憲」「平和」「リベラル」だと肯定的に評価する言説は、「リベラル派」言論人をまきこんで、ますます幅を利かせているが、天皇制が政教分離違反の違憲の諸儀式に支えられてきたものであるという事実は強調されなければならない。それは、被災地慰問などの「国内巡幸」や「皇室外交」、「国民との対話」などを通じて浸透させてきた「俗」なる象徴天皇制と、「日本の文化・伝統」を体現する「聖」なる天皇制が、一体のものとしてあらためて登場する、天皇「代替わり」攻撃にほかならない。

 従って私たちの闘いは、「代替わり」儀式それ自体がはらんでいる「政教分離原則違反」(国家による「天皇教」の押しつけ)を問うことと同時に、一連の「代替わり」儀式の遂行によってつくり出されようとする、「新たな天皇制社会」を問い、天皇制のもとでの再統合を拒否する闘いでなければならない。そのことを、一連の「代替わり」儀式と、それと並行して行われる新天皇としてのさまざまな行為に対する反対の行動を通じて、追及していく。

 3 戦争する国と「平和」天皇

 安倍首相は、戦後レジューム―憲法9条改悪を「悲願」として、中国や朝鮮民主主義人民共和国への排外主義を煽動しながら戦争国家化を進めてきた。昨年末の臨時国会閉幕後の記者会見でも二〇二〇年を新しい憲法施行の年にしたいと言っている。自民党の国会の改憲内容は、憲法9条の「戦争の放棄」、「戦力不保持」を、自衛隊を明記することで無効化するのである。

 同時に安倍政権は、日米安保を基軸にした戦争国家化を果たそうとしている。昨年一二月に、閣議決定された新防衛大綱、中期防衛力整備計画は、中国の台頭を名目に宇宙やサイバー、電磁波を含む平時から有事までを「多次元統合防衛力」として整備、運用することをめざしている。

 トランプ米大統領の対日貿易赤字を理由にした高額兵器押し付けを、言われるままにイージス・アショアやF35B戦闘機購入を決めた結果、中期防五年間の防衛予算は過去最高の二七兆四七〇〇億円となった。護衛艦「いずも」を改修し空母とするなど敵基地攻撃能力に踏み出したのだ。同時に米国の兵器使用は日米軍事一体化を飛躍的にすすめることになる。

 同時に日米の前線基地として奄美諸島を含む琉球弧の軍事基地化が強権的に行われている。政府・防衛省は、沖縄県の「辺野古埋め立て承認取り消し」を無効とし、昨年一二月一四日から辺野古への土砂投入を強行している。さらに、与那国に続き、奄美大島、宮古島、石垣島への自衛隊配備も強行している。

 現在の琉球弧の軍事基地化をもたらしているのはアジア・太平洋戦争で「天皇制護持」のために住民を捲き込んだ凄惨な沖縄戦と戦後も一貫した「天皇制護持」のために沖縄を利用してきたのだ。戦犯天皇ヒロヒトの「天皇メッセージ」によって、沖縄を米国に売り渡し、反共のために「サンフランシスコ講和条約」締結後も米軍駐留―「日米安保体制」を準備したことにある。

 天皇ヒロヒトの戦争終結『聖断神話』、それを引き継いだ天皇アキヒトは、タイ、マレーシア、中国など戦争激戦地への「謝罪なき謝罪」外交を繰り返し、広島、長崎など国内戦争被害地を訪問し、「慰霊」と「追悼」を象徴天皇の公務として続けた。自衛隊(日本軍)の外国派兵にむけた準備となった。戦後初めての公然たる外国派兵部隊、兵士を皇居に招き報告を受け、直接ねぎらいと激励を行っている。アキヒトは最後の昨年天皇誕生日記者会見で、サンフランシスコ講和条約後六五年、「平和と繁栄を築いてきた」「平成が戦争のない時代として終わろうとしている」などと発言し、安倍政権の戦争国家化が「国際平和への貢献」を名目にしているのと同様の歴史認識を示している。

 また、ナルヒト新天皇は即位後、はじめての外国首脳との会談を米大統領トランプと五月にも行うと報道されている。新天皇を国際的に押し出し、日米同盟をうち固め、排外主義を煽動するナルヒト―トランプ会談に反対の声をあげよう。

 天皇制の戦争責任を追及すると共に安倍政権の戦争国家化、改憲と軍事基地強化と闘おう。

 4 「代替わり」諸儀式と天皇行事反対の行動へ!

 今年は「代替わり」諸儀式をはじめ、特別な天皇・皇室行事が続く。例年行われる天皇行事もすでにスケジュールが発表されている。「代替わり」という特別な期間中、それぞれがこの国の一大イベントの一つとして演出されるはずだ。

 今年の特別な天皇行事として、まずは内閣主催で開催される二月二四日の「在位三〇年記念式典」がある。「紀元節」同様、天皇の国であることの自明性を主張し、それを賛美する式典である。それは人びとの関心を引くようなイベントとして準備され、「代替わり」直前にあって、在位三〇年を祝い明仁を惜しみつつ、新天皇を迎えるといった言論状況がつくり出されることは必至だ。この式典に反対の声をあげる行動は、私たちも参加する首都圏枠の実行委によって準備されている。ぜひご参加を。

 続く三月一一日、二〇一二年以降、毎年政府主催で行われてきた「東日本大震災追悼式」も、その開催が一月二二日閣議決定した。これには秋篠夫妻が出席する。こちらも同様に反対行動が準備されている。ぜひご参加を。

 そして、四月三〇日の明仁退位と五月一日の徳仁即位と続く。

 即位した新天皇徳仁の最初の重要な仕事として予定されているのが、トランプ米大統領との会見だ。新天皇の重要な初仕事「皇室外交」は、もちろん明確な憲法違憲行為である。また、最初の会見者が米大統領であることの意味は、沖縄への米軍基地押しつけと安保体制の原型を作った裕仁の後継者として、明仁に続き、徳仁も裕仁のスタンスを継承していくことの宣言と見るべきであろう。

 五月以降の、天皇出席を前提とする例年開催されるいわゆる天皇行事や全国戦没者追悼式等は、当然ながら新天皇徳仁出席のもとで開催され、それらは新しい天皇の時代の始まりを賛美する舞台として演出される。また、これまで皇太子行事としてあった、「文化の国体」とも呼ばれている「国民文化祭」は、即位後も引きつづき徳仁の出席が決まり、天皇「三大行事」は「四大行事」となった。お決まりの天皇の地方訪問がまた一つ増える。明仁即位の時は、明仁皇太子時代の出席行事「海づくり大会」を天皇行事にした。代替わりによって天皇の「公務」をなし崩し的に認めさせていくやり方が踏襲されたのだ。

 八月一五日ももちろん、例年どおり政府主催の「全国戦没者追悼式」が開催され、新天皇が追悼のことばを述べるであろう。そして、少なくとも即位・大嘗祭終了後の年末までは、天皇賛美報道がこの社会を席捲することになろう。

 天皇を政治・経済的に利用する支配層。そのことを通して自らの権威を増幅させ、人びとから「敬愛・理解・共感」をかすめ取る天皇・皇族。そして天皇・皇族の「励まし」や「慰め」によって、どのような悲惨な境遇をも受け入れさせられていく「国民」。この関係構造は維持強化され、支配層にとって都合よく機能する循環は強化されるばかりだ。それは、新自由主義社会の底で分断され苦しむ人びとを統合していく新たな力として機能していくことをも目論むものだろう。

 こういった天皇状況に抗議の声をあげ、各地の「天皇いらない」の声と繋がり、大きな反天皇制のうねりをつくりだしていきたい。ともに頑張ろう。

*新たに一つ増えた、今年の天皇「四大行事」は以下のとおり。現地における反対運動への協力・連帯を!
・六月二日、「第70回全国植樹祭あいち2019」
・九月七日(土)・八日(日)、「第39回豊かな海づくり大会あきた大会」
・九月一五日(日)~一一月三〇日(土)「第34回国民文化祭・にいがた2019」「第19回全国障害者芸術・文化祭にいがた大会」
・九月二八日(土)~一〇月八日(火)「第74回国民体育大会 いきいき茨城ゆめ国体2019」、一〇月一二日(土)~一四日(月)「第19回全国障害者スポーツ大会 いきいき茨城ゆめ大会2019」

【呼びかけ】2月24日の政府主催在位30年式典に反対しよう

 政府は、天皇明仁の退位を前に、これを記念する行事を催そうとしています。しかし、明仁が天皇の地位にあったこの30年は、明仁を祝い記念するに値するものでしょうか?

 明仁が天皇になった1989年は、ベルリンの壁が崩壊した年でも知られていますが、バブル景気が絶頂のときでもありました。これがその後どうなったかは、誰もが知るところでしょう。そして、明仁の大嘗祭は、湾岸危機のまっただなかで催されました。

 明仁は、即位したときに何と言ったかを思い起こしましょう。彼は「皆さんとともに日本国憲法を守り,これに従って責務を果たすことを誓い……」と述べましたが、その直前には昭和天皇裕仁が「ひたすら世界の平和と国民の幸福を祈念され,激動の時代にあって,常に国民とともに幾多の苦難を乗り越え……」と述べています。裕仁が、政治的、宗教的、軍事的なあらゆる権力を有していたときに何が起きたかについて、明仁は十二分に知り、それにもかかわらずこうした発言をしたわけです。さらに裕仁は、戦後になってもその権威権力を行使し続け、沖縄を米軍基地へと売り渡しています。もちろんこのことも明仁は知っているのです。
 明仁天皇は平和主義者であると、世上に流布されています。しかし、こうして裕仁から引き継がれた天皇という地位において、彼が果たしたことは何だったのか。日本国家は「湾岸戦争」ののち、海外派兵を実質的に開始しました。そして、その後、天皇が自衛隊や米軍などを賞し栄典を与えることが、現在もなお続いています。「平和を祈る」天皇として彼の行為は語られていますが、それは、本質とは大きくかけ離れたものです。

 「平成」と呼ばれる明仁の在位期間に何があったのか、さまざまな方向から思い出してみませんか? そして、その中で、天皇や天皇制が果たした役割を、一つひとつ、ちゃんと見直してみませんか?

天皇の在位30年を祝う? いや、私たちは祝わない!
反対の声を上げ、行動していこう!

 

天皇在位30年記念式典に反対しよう

 

*この行動は終了しました。

→報告写真はこちら。

→こちらにも写真があります。

【呼びかけ】天皇「代替わり」に反対する 2.11反「紀元節」行動へ

今年、1年をかけて行われる天皇「代替わり」儀式。それは、象徴天皇制の下で、隠されてい る皇室祭祀が、天皇制を支えるもう一つの柱にほかならないという事実をさらけだす。それらは 紛れもなく国家神道の儀式であることを無視してはならない。 私たちは、この「代替わり」総体との対決という課題を掲げた、今年の反天皇制運動を、天皇 制国家の起源として虚構された「紀元節」に反対する行動から開始する。 今年は、さまざまな天皇儀式が繰り出され、天皇制が神聖かつ大切なものであるという意識が、 人びとの日常意識にすり込まれる。それは、天皇の神聖性を通して日本国家の神聖性を自明のも のとする、国家主義の攻撃でもある。こうした攻撃にひとつひとつ反撃し、さまざまな視点から 天皇制を問い続けていこう。まずは、2.11 反「紀元節」行動へぜひご参加下さい。

講 師:菱木政晴 さん(靖国合祀イヤですアジアネットワーク、即位・大嘗祭訴訟呼びかけ人)

[日時]2月11日(月・休)13:15 開場(13:30 開始)集会後デモ

[会場]在日本韓国 YMCA 9F 国際ホール(JR・地下鉄水道橋駅)

[資料代]500 円

主催 ●天皇「代替わり」に反対する 2.11 反「紀元節」行動

【呼びかけ団体】 アジア連帯講座/研究所テオリア/戦時下の現在を考える講座/立川自衛隊監視テント村/反安保実行委員会/反天皇制運 動連絡会/「日の丸・君が代」強制反対の意思表示の会/靖国・天皇制問題情報センター/連帯社/労働運動活動者評議会

2/11行動へ集まろう

*この行動は終了しました。

→こちらに写真があります。

【学習会報告】橋川文三『ナショナリズム─その神話と論理』(二〇一五年、ちくま学芸文庫)

かつて急速な資本化国際化が進行していく状況の中で、「世界」が多くのひとの思考に像を結び始め、そのなかで「国家」意識、「国民」意識として、ナショナリズムは形成されていった。近現代においては、神の国ではなく人間社会の中で、その秩序と認識を「一般意志」にするべく、古くからの郷土感情や部族意識、さらにパトリオティズムなどとともに、さまざまな役割を与えられ担ってきた。

橋川は「戦中世代」であり、超国家主義や国粋主義が暴力と結びつく時代の中で精神形成を行なってきた経歴を持つ。だから、橋川の関心は、ナショナリズムの一般的な形態を見出すことよりも、幕藩体制から明治国家形成という日本近代国家の歴史を見据えるなかで、形成された日本のナショナリズムがどのような結末に至るかを、精神的・内的な経緯をふまえながら後づけていくことに向かう。

その分析を経たのち、橋川は、日本近代の天皇制のなかでは「天皇の意志以外に『一般意志』というものは成立しない」。「もししいて天皇制のもとで国民の一般意志を追求しようとするならば、それはたとえば北一輝の場合のように、天皇を国民の意志の傀儡とする道しかなかった」。それは不可能であることが立証され、「日本人の『一般意志』は、それ以来いまだ宙に浮いたまま」とするのである。

これらの論述は語り口もふくめて説得的だ。しかし橋川は、この書物では歴史の分析について「自由民権」期にとどめ、その後も、日本のナショナリズムと天皇制について論じるときには、具体的な分析より時代の「精神」を論じることに向かった。橋川の手法に倣ったままでは、掴みだされたはずの天皇制もナショナリズムも、「宙に浮いた」姿で君臨させられそうだ。橋川は対象に深く寄り添う。しかし、現在の社会のなかで「一国主義」に煽りたてられる「ナショナリズム」の問題は、この方法になじみにくいように感じる。

次回は二月二六日、『天皇と宗教』(講談社学術文庫・天皇の歴史9)を読む。

(蝙蝠)

【集会報告】オリンピック災害おことわリ連絡会・二回の学習会

2020オリンピック災害おことわり連絡会(おことわリンク)は、今年も新年早々の一月五日(土)@文京区シビックセンター、二七日(日)@小石川運動場会議室と、二回の学習会を開催した。

五日は講師の井谷聡子さんの「スポーツとジェンダー・セクシャリティ〜ナショナリズムと植民地主義の視点から」と題する、実に興味深い講演だった。論点は四つ。(1)「女性のオリンピック参加の歴史」、(2)「オリンピックと人種主義、国家主義〜優越人種・民族としての自己の構築」、(3)「オリンピックと植民地主義〜『他者』の構築」、(4)「女子アスリートというアンビバレンス」。このコンテンツだけでも興味をそそられる。

たくさんの興味深い話の中で二点だけ紹介する。一つは「近代オリンピックの父」と言われるクーベルタンが言い放った言葉。女性のオリンピック参加については「非実用的で、面白くもなく、見苦しい上に、はっきり言うと下品である」「女の光栄は、彼女が産んだ子どもの数と質を通して勝ち取られるもので、スポーツについていうなら、女の最大の功績は彼女自身が記録を目指すことではなく、彼女の息子が卓越するように励ますことだ」。どこかの一族の話かと思うよね。そして植民地との関係については「オリンピックは、植民地の人びとに規律を教える壮健な手段」。井谷さんは「当時の一般的な男性による女性観」であるが、オリンピックがそのような女性観で始まっていること、オリンピズムが植民地主義的態度を内包している問題を指摘。支配者・有力者たちの論理はどこの国も似通っている。

二点目は、さまざまな問題を列挙した後の彼女の結論。こういったオリンピックの抑圧システムに対して、連帯して抵抗することなく、スポーツにおける「平等・正義」を求められるのか、というラディカルな問いかけだった。

二七日は谷口源太郎さんによる「誰のためのスポーツなのか〜市民参加への道」講演と映像。世界規模で”Do Sports”(するスポーツ)が、オリンピックなど国際スポーツイベントによって潰されていく問題、その根本にある行政によるスポーツ施策の問題を、一九九二年製作のBBCドキュメンタリーと、一九六〇年代後半に始まった兵庫県・垂水住民による、”Do Sports”のための試みを記録したフィルムを見ながら、谷口さんの解説を聞いた。こちらもとても興味深い内容だった。

「スポーツが政治に飲み込まれた時代の反省」からドイツで起こったゴールデンプラン。「政府は援助はするが支配しない、運営側は特定の政党に与しない」というパートナーシップ原則。しかしそれも整備費用・運営のための維持費の継続が前提である。条件は厳しい。

“Do Sports”からはほど遠い人生を選択したかのように思える私は、”Do Sports”は人権の一つであると言われ、なるほどと頷きつつ、ならばそれは要求せねば、とせこいことを考える……。しかし、「スポーツで連帯、創造、開発、発表等の喜びを得」、「スポーツをすることで豊かな喜びの内実を拡大できる」という話とともに”Do sports”を薦めてくれる谷口さんの話を、どこまで自分の中に取り込めたかは定かではない。ただ、オリンピックの反対側にある価値観であることはよく理解できた。

(スポーツ不得手大子)

【声明】靖国神社での抗議行動は正当だ! 東京地裁は直ちに2名の勾留を解け! 公判闘争を支援しよう!

2018年12月12日、靖国神社外苑で、2人の香港人の男女が「建造物侵入」の容疑で逮捕された。

男性は、「南京大虐殺を忘れるな 日本の虐殺の責任を追及する」と書かれた横断幕を広げ、日本軍国主義、南京大虐殺、靖国神社A級戦犯合祀に対する批判のアピールを行った。女性は、男性の抗議行動をビデオで撮影していた。抗議を開始してまもなく、靖国神社の神門付近にいた守衛がやめるように言ってきたので、男性が立ち去ろうとしたところ、複数の守衛が2人を取り押さえ、警視庁に引き渡した。

2人はそのまま逮捕・勾留され、さらには12月26日に起訴されてしまった。その身柄は今なお警察署の「代用監獄」に留め置かれている。1月15日の弁護団による保釈申請に対しても裁判所はこれを却下。2人はすでに1ヶ月以上も勾留され続けているのだ【注】。

「人質司法」といわれる日本の刑事司法のありかたは、内外から多くの批判を浴びている。今回2人は、「正当な理由なく靖国神社の敷地内に侵入した」建造物侵入という罪状で起訴された。だが、外苑は誰でも自由に出入りできる場所だ。仮に有罪となったとしても微罪であるのに、今回2人に対して加えられている逮捕、起訴、長期勾留という事態は、まさにアジアの人びとが、靖国神社において公然と抗議行動をおこなったことに対する「見せしめ弾圧」であったと言わざるを得ない。この強硬な姿勢が、安倍政権においてより顕著になっている歴史修正主義、国家主義の強権的姿勢と無関係であるはずがない。

抗議のアピールが行われた12月12日という日付は、1937年12月13日の日本軍による「南京陥落」の前日である。この日を前後しておこった、日本軍による膨大な中国市民の虐殺=「南京大虐殺」の歴史的事実を、日本の右派および右翼政治家は一貫して矮小化し、実質的に否定しようとしてきた。また香港は、アジア・太平洋戦争のさなか、3年8ヶ月にわたって、日本の軍政下に置かれた地である。日本政府は、戦後一貫して侵略戦争被害者への謝罪も補償もしないばかりか、歴史的事実を転倒させ、東アジアの平和を求める動きに逆行し続けてきた。このような日本政府のあり方を、中国やアジアの民衆が強く糾弾するのはまったく当然のことである。男性は、歴史問題に関する自らの意思の表現として、この象徴的な場所で抗議行動を行ったのだ。それが靖国神社に立ち入った「正当な理由」でなくて何であろうか。

また、逮捕された女性は、市民記者として、男性の抗議行動を記録していた。それが、男性と共謀の上「侵入」したとして罪に問われたのである。これは明らかに、報道の自由に対する不当な介入でもあると言わなければならない。

私たちは、この日本社会に暮らすものとして、彼らの行為が提起したことの意味を受け止めながら、剥奪され続けている2人の人権を回復し、彼らを被告人として3月から開始される裁判闘争を、香港の友人たちとともに支えていきたいと考える。

本事件に関する注目と司法権力への監視を。3月公判への傍聴支援を。そして2人の裁判闘争を支えていくためのあらゆる支援とカンパを訴えます。

(2019年1月21日)

【注】2月3日現在、1人は東京拘置所に移監されており、もう1人も近く東拘に移監の見込み。保釈請求却下に対する準抗告も1月30日に却下されている。

12.12靖国抗議見せしめ弾圧を許さない会

〒105-0004 東京都港区新橋2-8-16
       石田ビル5階 救援連絡センター気付
mail: miseshime@protonmail.com
振替口座:現在口座開設準備中
*暫定措置として、「12・12靖国抗議弾圧救援」と指定のうえ、救援連絡センターに送金してくださって大丈夫です。
郵便振替 00100-3-105440 救援連絡センター
★ 法廷期日:3月7日(木)10:00〜
       3月19日(火)10:00〜
 ともに、東京地裁429号法廷

 

【今月のALERT】腐敗した国家を隠す天皇「代替わり」のイベント ひとつひとつに異議の声を叩きつけよう

昨年末から開催されている明仁の退位と徳仁の即位等に関する「式典委員会」が、「退位礼正殿の儀」「剣璽等承継の儀」「即位後朝見の儀」のほか、二月二四日に実施される「天皇在位三十年式典」などについて概要を決定したという。それによると、二月二四日と五月一日には各省庁に「国旗」を掲揚させ、地方公共団体のほか、学校、企業、その他一般に対しても同様に掲揚するよう「協力方を要望」するとしている。もちろんこれは「奉祝」という装いをした強要であり、天皇および天皇制国家に服従し「まつろう」かどうかを、団体や個人にまでつきつけるものとしてある。明仁の即位において実質的に復活した「登極令」は、今回の退位〜即位の経過で、あらためて天皇制の「伝統」の地位とともに、記述されない法的な地位をも確立しようとしているわけだ。

さらに、「在位三十年慶祝行事」なるものが、各省庁や関連する法人にまたがって、すでに数多く開催されまた予定もされている。もちろん、即位関連としては、この秋には「即位礼正殿の儀」にはじまる「国事行為」の儀式・式典が予定されており、詳しく伝えられていないが、主基田と悠紀田をめぐる亀卜など「大嘗祭」に向けた数々の皇室神道における宗教儀礼の準備も開始されているはずだ。

このように、いよいよ天皇制をめぐり、私たちにとっての正念場となる状況を迎えつつある。二月には、いつも私たちは反「紀元節」の「実行委員会」として闘いを提起することから、その一年の流れを組み立ててきた。今年もまた二月一一日には「天皇『代替わり』に反対する 2・11反『紀元節』行動」の集会とデモが呼びかけられている。これへの参加から、この「天皇代替わり」という事態に対抗する大衆的な運動を提起していこうとしている。

しかし、今年は例年とは違って、この実行委による闘いにとどまらない。はじめに触れたように、二月二四日には政府主催による「天皇在位三十年式典」が国立劇場で開催されることになっており、全国の天皇制に反対する人々が連なる「終わりにしよう天皇制!『代替り』に反対するネットワーク」(おわてんねっと)により、「在位三〇年記念式典」に反対する銀座デモが提起されている。

また、植樹祭・海づくり大会・国民体育大会という、いわゆる天皇による「三大行事」に「国民文化祭」が加えられ、新天皇となる予定の徳仁(夫妻)による全国への巡行がはじまり、茨城国体への闘いにも参加の呼びかけが届いている。さらに、「即位・大嘗祭違憲訴訟」も二月二五日から口頭弁論を開始する。これらのいずれもきわめて重要な意味を持つものばかりだ。これらの闘いに向け、心から参加と支援をお願いしたい。

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さて、今年はまた、四月に統一地方選挙が、七月に任期満了となる参議院の選挙も予定されており、その結果は、憲法改悪へとまっすぐにつながるものとしてある。この状況での天皇の代替わりは、まさにそれこそが天皇制の役割でもあるのだが、「ハレ」の意識の奉祝ムードを、政府やその意に忖度を重ねるメディアがかき立てることにより、極右の安倍自公政権をアシストするものとなる可能性が高い。

昨年末からの日韓「レーダー照射」騒ぎは、情報操作を経て、日韓の戦争・戦後責任をめぐる問題を問う声をかき消し、メディアと世論は排外主義に満ちた色へと変わった。街宣右翼のメシの種ともなってきた「北方領土」も、安倍や河野ら政府自身の手により消え失せつつある。かの利権まみれの恥知らずたちが喧伝してきた「アベノミクス」だが、官庁による文書や分析の根拠となる統計が捏造されたものだったことが、厚労省など官僚たちから露呈しているにもかかわらず、その責任も、直接に損失を被った人々への保障もまったく不明で、むしろ隠蔽されつつある。さらに竹田JOC会長らによる東京五輪招致にまつわる贈賄など、数えきれないほどの日本国家の腐敗状況までも、天皇制のイベントはもみ消す力を発揮しそうだ。

しかし、それでもなお、いや、だからこそ私たちは強く異議の声を上げ続けていく。ともに進もう。

(蝙蝠)

【表紙コラム】

歴史とはこれから起こる未知の世界ではなく、すでに過ぎ去った過去の人物であり、人間のいとなみであり、人間がつくりだした事件であり、そういった人間を育てあるいは疎外した都市や農村・漁村であり、そこを支えた産業や経済であり、それを支えた文化や教育であり、それらが依拠する宗教や政治体制であり、それを支えあるいは反抗した人間のいとなみであり、そういった人間の交流や争いであり、その大小すべてが影響しあったり淘汰されたりと、とめどなく果てしない……。

自分の知りうるエリアでさえ、その歴史の全体像はわからない。歴史も未知の世界に等しい。だけど私たちはその歴史の延長に生きているし、影響し合ったどちらかにいて、複雑に絡み合っているどころか、交流したり争ったどちらかにいて、支えたり反抗した者たちのどちらかの延長にいる。それともそのような発想全体が間違っているのかもしれない。だから人は記録を残し、未知の歴史に少しでも触れ得たと思った者は、それを人に伝えようとする。私たちには未知の歴史に近づく手がかりがたくさん残されている。

子どもの頃読んだ他愛のない本たちさえも、おそらくはその類に含まれる。私的あるいは政治的な下心に満ちた歴史も、それに反発する歴史も綴られる。すべての記録が意味を持ち始め、例外と思える義務教育の教科書すら、考える素材となり得る。

だから人は読み、人の話に耳を傾けるのだろう。唯一の未知の過去に近づく手立てとして。支配し支配された、殺し殺された、疎外し疎外されたそれぞれの歴史の上にいる人間たちの、対等な交流を求める者として。でも一番大事なことは、目の前にいる人物を、歴史を作る一人の人間として認識し尊重することなのだけどね。

(橙)

【月刊ニュース】反天皇制運動ALERT 32号(2019年2月 通巻414号)

今月のAlert    天腐敗した国家を隠す天皇「代替わり」のイベント ひとつひとつに異議の声を叩きつけよう(蝙蝠)

反天ジャーナル ◉ ─はじき豆、宗像充、桃色鰐

状況批評 世界地図の縮尺を変えつつ「代替わり」を考える(田浪亜央江)

ネットワーク なぜ祝賀なのか? 天皇代替わりを問う九州山口連絡会(倉掛直樹)

声明 靖国神社での抗議行動は正当だ! 東京地裁は直ちに2名の勾留を解け! 公判闘争を支援しよう!(12・12靖国抗議見せしめ弾圧を許さない会)

太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈104〉歌会始と天皇が詠む歌(太田昌国)

マスコミじかけの天皇制〈31〉〈天皇教〉と「紀元節」(建国記念の日)─〈壊憲天皇明仁〉その29(天野恵一)

野次馬日誌

集会の真相 ◉ オリンピック災害おことわリ連絡会・二回の学習会/象徴天皇制の戦争責任・戦後責任

学習会報告 ◉ 橋川文三『ナショナリズム─その神話と論理』(二〇一五年、ちくま学芸文庫)

反天日誌

集会情報

 

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*2019年2月5日発行/B5判16ページ/一部250円
模索舎(東京・新宿)でも購入できます。
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