【学習会報告】小倉慈司・山口輝臣『天皇と宗教』 (講談社学術文庫・天皇の歴史9、二〇一八年)

 本書は『天皇と宗教』というタイトルが示すように、天皇という存在と宗教の歴史的関係とその展開を概説した本である。近代以前の第一部は重厚な記述によって神祇制度の展開、支配階級における仏教受容、朝廷内の宗教行事の展開などを網羅的に取り上げ、手堅くそれらを整理しながら、随所で興味深い指摘をしてゆく。たとえば宮中祭祀における「神仏隔離」の発想の出発点を、当時の僧侶が「正しい」仏法を広めるために土俗信仰との差異化をはかった結果ではないかとし(もちろん、のちには仏教行事が浸透する)、仏教側に求めている点などは、いわば土俗信仰の外来信仰に対する反撥という自明化された図式への異議申し立てとして読める。ほかにもさまざまな論点をちりばめながら近代以前の天皇と宗教の関係について基礎的な知識をひととおり通覧させてくれるのが第一部である。

 いっぽう、近代以降の第二部は挑戦的な内容である。村上重良の「国家神道」論には言及しないものの、第二部全体がその不在である「国家神道」論への批判的な関係として記述されている、と読むのは思い込みだろうか。わたしの読みが仮に正しいとしたら、こうなるだろうか。祭政一致は近代国民国家日本が形成される端緒において挫折を余儀なくされていたのであり、葬儀の関与の有無で国家にとっての「宗教」を規定することで神道のなかで関与したい者たちは教派神道に分かれさせ、キリスト教や仏教にも利益を与えるような「ある程度の満足」の結果としての神道非宗教論を内包した政教分離、そしてキリスト教国教化でもなく祭政一致でもなく、各方面に一定の譲歩をして「ある程度の満足」与えるための妥協の結果として天皇を国家の(宗教ではなく)道徳的機軸とした「第三の道」。たとえばそのなかで祭政一致を幻視させる「仕掛け」としての「私事」である天皇親祭の存在が神祇官再興運動のようなものを噴出させる。いわばそういった諸要因が重層的にうねる枠組のダイナミズムに戦前の政教関係は規定されていたのであり、「国家神道」なるものは幻だったのだ、というのが、大雑把な著者の主張だろうか。ほかにも多くの論点が盛り込まれており、受け止めなければならない指摘はあった。

 しかし、著者は分析の対象を国家制度、支配層、そして宗教者に限りすぎているのではないだろうか。民衆の存在がまったく閑却されているが、「天皇と宗教」というテーマに民衆は必要ないということだろうか。加えて、著者は天皇祭祀を「私的」なものにするが、それはあまりにも図式的すぎるのではないか。天皇という神道の祭祀を行う君主の存在が国民国家の規範に作用する中心点に存在し、国家の諸制度を通して社会を、そして人民の生活を分節化・編成(=統合)するさいに、はたして天皇の信仰がまったく影響をあたえないのだろうか。たとえば即位の礼・大嘗祭という天皇の信仰儀礼がマス・メディアを通して全社会的に現出する空間は、天皇という存在が生まれながらに国家のなかに組み込まれた身分だからであろう。天皇という存在が生まれながらに制度的かつ社会的に身分が定まっていることを不問に付したまま、われわれとおなじようなかたちで「私的な領域」を有していると錯覚させてしまうイデオロギー作用と国家構造こそ、「公的なもの」と「私的なもの」の区分を融解させてしまうのだ。「天皇と宗教」というテーマ、つまり天皇制国家における政教関係の核心とは、ここにあるはずだ。

 次回は河原宏『日本人の「戦争」』(講談社学術文庫)を読む。

(羽黒仁史)

【集会報告】天皇在位三〇年記念式典反対! 銀座デモ

 二月二四日、アキヒト天皇が即位して三〇年となり、政府主催の「記念式典」が東京・国立劇場で開かれた。

 「終わりにしよう天皇制!『代替わり』反対ネットワーク」は、天皇制の欺瞞に満ちたこの三〇年を絶対に祝わないぞという声を、多くの人々に届けるために、そして何よりも私たちが天皇制に抗うために、式典の開催時間に合わせてデモを行った。

 ニュー新橋ビル地下ホールに集合し、四人の方々のアピールからスタートした。

 式典で「国民代表の辞」に選出された内堀雅雄福島県知事だが、その福島から参加してくれた仲間は、福島の人々が置かれている分断された状況を報告。権威に服従しありがたがる内堀知事に示されるように、政府の失態を覆い隠す役割を果たしているのが天皇制だと批判。

 次に部落解放同盟国立支部の仲間は、「君が代」の強制を例にあげ、差別の元凶である天皇制は本当に終わりにしましょうと力強くアピール。続いて、一坪反戦地主会関東ブロックの仲間は、同日に行われた沖縄県民投票について触れ、そして天皇夫婦の与那国訪問の役割を語った。

 与那国は台湾にも近く、国境意識が薄くボーダーレス化している地域だった。そこに自衛隊の駐屯地が出来、天皇夫婦が訪問する。空港に降り立った夫婦を、自衛隊が隊列をなして迎える光景は与那国の皇民化政策の一貫だということがはっきり見える場だったと報告した。

 最後に再稼働阻止全国ネットワークの仲間は、乳がんで亡くなってしまった高浜・若狭の詩人の『人柱』という詩を紹介。村八分にあっても、なんとか伝えようとする、声なき人々とともにあきらめることなく、天皇制の欺瞞を伝えていきましょうと結んだ。

 その後駅前広場に移動し、反天〝龍〟の見守るなか「天皇制はいらないよ」と高らかな歌声を響かせ、人々の注目を集めデモに出発。真っ青な空の下、様々なのぼりや横断幕をたなびかせ「天皇の在位を祝わないぞ」と一五〇人のシュプレヒコールを響かせた。

(金色鰐)

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【集会報告】渋谷スクランブルに「東京五輪反対」の文字

 二月二三日、渋谷駅前スクランブルに九〇センチ四方の文字パネルが登場。青信号で一斉に動き出す雑踏のなかに、キレイに一列に並んだ「2020TOKYO/東京五輪反対」の文字。合法を絵に描いたようなおことわリンクのクロッシングパフォーマンスだ。路上や近隣のビルから多くの人が見物していた。夕暮れ時の渋谷の街に反五輪を刻んだ。成功!

(大子)

【集会報告】「アキヒト在位三〇年奉祝」に異議あり!練馬集会

 二月二二日、練馬区勤労福祉会館において、「『アキヒト在位三〇年奉祝』に異議あり!祝うに値するのか『平成』? 過去を検証し、未来を探る討論集会」が開催された。問題提起は、「練馬の会」の池田五律(戦争に協力しない!させない!練馬アクション)、中川信明(練馬教育問題交流会)、松井隆志(武蔵大学)の三名。

 池田は、八〇年代から現在までに至る政治史と社会史を、メルクマールとなる事象を列挙しながらふり返り、「傲慢で経済主義的なナショナリズム」から「不機嫌かつ歴史修正主義的なナショナリズム」、そして「逆切れ」した権威主義の国家が、軍事と治安に傾倒しながら法制を書き換え、官僚による「上からのファシズム」と日本会議など「下からのファシズム」を結合しようとしている問題を指摘した。中川は、明仁による天皇制が「皇室外交+国内行幸」を数多く展開しながら公的行為をなし崩しに拡大してきたという事実を示し、さらに、前回の代替わりで既成事実化した皇室祭祀と「国事行為」の結合が、今回の「代替わり」においてはより強固になっていることを述べた。さらに天皇が「平成は戦争のない時代」として戦争責任の問題を天皇制から切断しようとしていることを批判した。松井は、この三〇年間の社会構成の変化を、人口ピラミッドや共稼ぎ世帯数、非正規雇用や未婚の割合の増加など、いくつかの指標を使いながら説明。最近の「平成史」ブームの前提となる社会と社会意識の変化について分析を加えるとともに、メディアの「国民統合力」が拡散しているにもかかわらず、皇室報道が「天皇制の受容」につなげられるしくみについても述べていった。参加者は三〇人ほどだったが、体験を交えた会場からの質問も多かった。

 「アキヒト退位・ナルヒト即位問題を考える練馬の会」の集会は、今後もほぼ二カ月に一度のサイクルで持続していく予定だ。次回は、「代替わり連休」の劈頭となる四月二七日に、「アキヒト退位・ナルヒト即位!? 今こそ問い直そう!天皇制」と題して、伊藤晃さん(歴史学)をお呼びして、練馬区立厚生文化会館で行う。ぜひともご参加を。

(蝙蝠)

【集会報告】2・11反「紀元節」行動

 天皇「代替わり」の年最初の、反天皇制集会・デモとなった反「紀元節」行動。講師は、昨年一二月に提訴し、二月二五日に第一回口頭弁論を迎えたばかりの即位・大嘗祭違憲訴訟の呼びかけ人でもある菱木政晴さん。会場の在日本韓国YMCAの国際ホールが一杯となる一三〇名の参加者だった。

 菱木さんは、真宗大谷派の僧侶という立場から、天皇制・靖国の問題について、たくさんの例を引きながら語ってくれた。曰く。天皇が神であるとは誰も信じていないが、天皇の神性についてはどうであろうか、と。本当に超越的な存在である必要はなく、そのようなふりをすることが大事。多くの人はそれを漠然と信じ、そこに統合機能と補償機能が働くと。また、彼がずっと関わってきた靖国違憲訴訟や即大違憲訴訟は、政教分離原則を反戦の思想として闘ってきたこと、それは国家神道との闘いでもあったこと。そして一二〇七年、親鸞たちが、格差を正当化する神祇と国王を拒否したことで受けた弾圧(死刑と流刑)と、その後も続く同様の思想弾圧を、天皇制国家、国家神道の現在につながる問題として語った。多岐にわたる話題と笑いのなかで、得るものは多かった。

 その後、終わりにしよう天皇制!「代替わり」反対ネットワーク、3・1朝鮮独立運動100周年キャンペーン、3・11行動、辺野古への基地建設を許さない実行委員会、「日の丸・君が代」の法制化と強制に反対する神奈川の会、「オリンピック災害」おことわり連絡会、即位・大嘗祭違憲訴訟の会からそれぞれアピールをもらい、同日時に同じ韓国YMCAの別会場で集会を開催していた第53回なくせ!建国記念の日・許すな!靖国国営化 2・11東京集会実行委員会からのアピールを読み上げた。最後はおっちんズの「天皇制はいらないよ」の歌でバシッと締めくくってもらい、元気にデモ出発。右翼は少なくてよかったが、警察は常に参加者の背に手をかけ、後ろから押し続け、参加者を転倒させるまでのひどい規制だった。実行委は警察への抗議を準備中。

(大子)

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【今月のALERT】明仁は謝罪して天皇も皇族も辞めろ!

 三月一日は、「三・一独立運動」から一〇〇年目の記念日だった。ソウルの政府式典で文在寅大統領は、「歴史を鑑として韓国と日本が固く手を握る時、平和の時代がわれわれに近付くでしょう。力を合わせて被害者の苦痛を実質的に癒やす時、韓国と日本は心が通じ合う真の友人になるでしょう」と述べた。まずは、歴史和解を前提として「未来志向」を呼びかけるものであっただろう。

 だが、日本側の反応はどうか。外務省は、韓国滞在日本人や渡航予定者に対し、当日は「慎重に行動し、無用のトラブルに巻き込まれることのないよう」注意喚起する海外安全情報を流した。二月二七日の自民党外交部会で、ある出席議員が「文在寅大統領が……三一運動に向けて国民を煽るようなことをしている。三月一日に日本人がデモに巻き込まれて傷つけられるようなことになれば、日韓関係は破滅的な状況になる」と発言した結果だ。演説で文在寅が挙げた、三一運動の死者七五〇〇人という数字についても、外務省は「見解が一致していない事を公の場で発言するのは不適切だ」と抗議している。

 こうした日本政府の敵対的な対応が、「日韓合意」「慰安婦問題」や徴用工問題などをはじめとする歴史認識にあることは明白だ。日本政府にとって植民地支配の過去清算は「すでに決着済み」であって、事あるごとにこれを蒸し返す文政権には、毅然とした態度で臨まなければいけないというのだ。

 メディアの反応も、文在寅は自己の政治基盤を「反日」でまとめようとしているだけ、歴史を知らない異常な国家であるという、ほとんどヘイトスピーチに近い論調で埋め尽くされている。「親日残滓の清算」というのは、韓国社会における脱植民地主義の課題としての主張である。それを「反日」としか理解しない。「帝国残滓」(いや、残滓とは言えないが)を本当に清算しなければならないのは、この日本社会の方である。

 実際、とりわけ韓国・朝鮮に対するこの国の宗主国意識は根強い。それが露骨にあらわれたのが、文喜相(ムン・ヒサン)韓国国会議長の、天皇による「謝罪」を求めた発言に対する反応だろう。

 二月八日に配信された米通信社のインタビューで、文議長は「その方(天皇)は戦争犯罪に関わった主犯の息子ではないか。(元「慰安婦」の)おばあさんの手を握り、申し訳なかったと一言言えば、問題は解消されるだろう」と語ったという。これに対して安倍首相は、「甚だしく不適切な内容を含むものであり、極めて遺憾」と述べた。さらに河野外相は、一三日の衆院予算委員会で、中山泰秀自民党議員の「発言が日本人の心も魂も傷つけていることに対してどう考えるか」との質問に対して、「文議長の発言は甚だしく無礼だ。その後も同じ趣旨の発言を繰り返し、極めて遺憾だ」と繰り返している。

 「無礼」という言い振りに耳を疑う。もちろんそれは、天皇に謝罪させようという発想が無礼だと言いたいのだ。
 私たちはもちろん、「天皇の謝罪」自体が欺瞞だし、天皇の政治的行為は端的に違憲だと考えるから、天皇に謝罪を求める立場は共有できない。けれども、天皇制国家による被害を受けた側が、こうした主張を行うことは理解すべきだ。太平洋戦争犠牲者遺族会の集会でも、同様の要求が出されている。天皇は実質上「国家を代表する」元首的な役割を、外交場面で果たし続けている。そうしたことを許している側の人間が、憲法の条文などを持ち出して、天皇は政治関与を禁じられています、などと言ってすむ話ではないだろう。

 私たちは、九〇年代、「天皇に謝罪してほしい」という元「慰安婦」の人たちの声を前にして、これに対してどう考えるべきかを内部で討論した。結論は、こうした要求に対しては「明仁は天皇を辞めて謝罪せよ」、あるいは「謝罪することは天皇を辞めることだ」という主張で呼応するしかないということだった。

 あと二か月たらずで明仁は天皇を辞める。謝罪はなく、辞めても上皇になる。だからいま「謝罪して天皇も皇族も辞めろ」というしかない。

 明仁は一九九〇年五月、盧泰愚大統領を招いた宮中晩餐会で、「痛惜の念」を口にした。しかしそれは「昭和天皇が『今世紀の一時期において、両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならない』と述べられたことを思い起こします」という言葉に続くものであった。このことにも明仁の「謝罪」が欺瞞でしかありえないことはすでに明らかである。

(北野誉)

【表紙コラム】

 だいたいいつ誰がこんなふうにやるって決めたンだか知らないけど、学芸会みたいな感じだったね。それが天皇在位30年記念式典という、政府主催のもので、どっかの宗教団体の会(っていうのどういうものか知らないけどさ)とたぶん変わらない。税金使ってやってるんだよ。ひどくね?

 そしてその返礼として行われた天皇夫妻主催の宮中茶会なるものが、3回にもわたって行われた。なんと2100人もの人が招待された。いったい誰が招待客を選んだんだ? でも実際に行った人は1190人とあるから(産経web版)、1000人の人は招待されても行かなかったのか?

 1回目は三権の長や国会議員、2回目は地方自治体の長や各界代表者。スポーツ選手や芸能人が報道されてたから、そんなのばっかりかと思うけど、かなり広い範囲の人がこのときに行ってるのね。「救う会」の会長とかペリリュー島から生還した元日本兵とか、整形外科医のセンセとか。3回目は外交使節団。ほとんど報道されてなかったが、女性皇族はみんな着物姿だったらしいよ。うひぃ。

 天皇の返礼ということなのに、また安倍が祝の言葉を言ったりしてヘン。お茶会なのにシャンパン?  1回30分くらいしか皇族はその場にいないのね。挨拶乾杯があって正味20分ぐらいしかない。それじゃ500人の人と話せるわけもなく、うしろの方は皇族がチラっと見えるのを肴にお酒飲んでるのが関の山。立ってるだけの園遊会よりいいのか? ボンボニエールのお土産つきだし。しつこいが税金だぜ……。

 ところで、やっぱり雅子はいなかったね、3回とも。いよいよ皇后になれば、適当にサボりながらやれるね。皇后は強いよ。なんでもできそう。眞子と一緒に働き方改革でもやってみれば?

(中村ななこ)

【月刊ニュース】反天皇制運動ALERT 33号(2019年3月 通巻415号)

今月のAlert ◉ 明仁は謝罪して天皇も皇族も辞めろ!(北野誉)
反天ジャーナル ◉ ─よこやまみちふみ、なかもりけいこ、捨てられし猫
状況批評 ◉ 「雲上人」をいかにしたら地上に引き降ろせるか─「象徴権威」打破に必要な天皇の「人間化」(田中利幸)
ネットワーク ◉ イスラエルによる暴虐に抗し、パレスチナ人が新しい政治空間を創出するために連帯の強化へ「BDS japan」が発足(杉原浩司)
ネットワーク ◉ 「不良」のレッテルを貼った人を不妊化してきた優生保護法(大橋由香子)
太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈105〉 ◉ 反グローバリズムとベネズエラの現在の事態(太田昌国)
マスコミじかけの天皇制〈32〉◉ 「象徴=人間」天皇制の中に生きている〈天皇教〉とタブー─〈壊憲天皇明仁〉その31(天野恵一)
野次馬日誌
集会の真相◉ 国体なんかいらない 天皇代替わりと国民体育大会を問う/2・11反「紀元節」行動/即位・大嘗祭違憲訴訟始まる/「アキヒト在位三〇年奉祝」に異議あり!練馬集会渋谷スクランブルに「東京五輪反対」の文字天皇在位三〇年記念式典反対!銀座デモ
反天日誌
学習会報告◉ 小倉慈司・山口輝臣『天皇と宗教』(講談社学術文庫・天皇の歴史9、二〇一八年)
集会情報

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*2019年3月5日発行/B5判16ページ/一部250円
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