【学習会報告】河原宏『日本人の「戦争」──古典と死生の間に』 (築地書館、一九九五年)

 今回の政治(思想)史研究者・河原宏の『日本人の「戦争」─古典と死生の間に』(一九九五年・築地書館〈二〇一二年に「Ⅳアジアへの共感と連帯」「Ⅴ自壊の系譜─アジア主義の制度化をめぐって」の二つの章は削除され、講談社学術文庫に収められている)は、かなり特異な本であった。

 〈あの戦争を実感として取りあげる、人が生きる上の哀歓は、何時でも何処でも変わらない〉〈人間には、死に直面してかえって生を実感するという逆説がある〉。

 「古典と死生の間」という奇妙なサブタイトルをつけた本書のモチーフは、こんなふうに語られている。それは以下のごとき世代的〈経験〉を根拠にかたちづくられたものだ。

 〈……社会的にものごころついていたほぼ中学三・四年の時には、すでに敵の大軍は本土周辺にせまり、戦争とはまさに祖国防衛戦争にほかならなかった。しかしそれだからこそ、祖国とは何かの問いには、どうしても自分の答えを見つけなければならなかった〉。

 国家・天皇・戦争とは、何なのかという自問を、自分の命をかけ(されられ)た体験を通して、手ばなさなかった著者は、戦死者との対話として、歴史を書き続けてきたわけである。〈死者〉との対話は、戦後身につけた歴史的・社会科学的知見(「抽象」)のみではなく〝情〟(共感・共悲・共苦)の感情をテコにした論理を必然化する。戦争を人々の「心の内側」からも見ようという方法。

 私は築地書館の単行本でレポートしたが、二つの章が欠落している文庫で読んできた参加者には、レポート(説明)がしにくかった。ゆえにこの削除は問題ナシとする作者の意図(文庫版あとがき)は、理解しかねた。

 この方法そのものに拒否感をあらわにする参加者もいたが、私は少し「あやうい」ものを感じないわけではなかったが、わりとストンと胸に落ちる方法であり展開であった。

 次回は四月二三日(火)、原武史の『平成の終焉』(岩波新書)を読む。

(天野恵一)

【集会報告】「即位・大嘗祭」儀礼と政教分離との関係を問い直す

 ピープルズ・プラン研究所の主催で、ふた月に一度のペースで行われている〈「平成」代替わりの政治を問う〉連続講座。第九回をもってとりあえず一区切りをつけ、今後は第二期として、秋にかけて現実に行われていく「代替わり儀式」を射程に入れてテーマ設定をすることになった(らしい)。三月二四日、ピープルズ・プラン研究所会議室で、その一回目、「『即位・大嘗祭』儀礼と政教分離との関係を問い直す:〈天皇教〉と戦後憲法」が行われた。問題提起者は、高橋寿臣(反天連OB)、辻子実(安倍靖国参拝違憲訴訟の会・東京)、反天連の北野誉と天野恵一の四人。

 高橋さんは、反天連の源流のひとつともなった靖国問題研究会の、八〇年代初頭からの活動をふりかえった。七〇年代に天皇制の突出という状況がある中で、天皇のための死者を祀る靖国神社の問題を、あらためて学ぶ必要性を感じ、年に二、三回の靖国天皇制問題集会を開催した。反天連に合流していく中で、八五年の中曽根公式参拝を闘った。天皇の儀式の宗教性が、日本人の曖昧な宗教意識と結びついて、天皇制を容認する「国民意識」を支えていると指摘した。

 辻子さんは、政教分離訴訟の流れと、大嘗祭の儀式内容について、写真などを提示しながら説明。北野は、二〇〇〇年代前半に出てきた「無宗教の国立戦没者追悼施設」をめぐる動きから、非宗教的な装いを持つ「国家宗教」について報告した。天野は、このかん「天皇教」という用語を積極的に使うようになったこと、戦後国家は「非宗教国家」というのが建前であることを、竹内芳郎の議論を紹介しながら展開した。

 すでにふれられているように、高橋さんは、この講座のたった一週間後にあっけなく逝ってしまった。「公的」な場での発言としては、これが最後のものとなったはずだ。講座内容は毎回パンフ化されている。もはや高橋さんに手を入れてもらうことはかなわないが、完成したら、ぜひ多くの方に手にとって読んでほしい。

(北野誉/反天連)

 

【今月のAlert 】「代替わり」本格スタートに対抗する反天WEEKへ──ともに!!

 四月一日、新「元号」が発表された。新「元号」を掲げる菅官房長官のしたり顔と、その掲げられた「令和」の二文字が、その日の夕刊一面をドアップで占拠した。私が購読する新聞の翌日朝刊は、「教育欄」「生活欄」「文化・文芸欄」と数字が並ぶだけの「金融欄」以外で、「元号」を見ないですむ欄はないという異様さであった。社会全体がこの情報を待っていたし、「新しい時代」を喜んでいると言わんばかりである。少なくともそのように誘導する。しかし、それが空回りであることもメディアはよくわかっているはずだ。

 よく見れば、反対する声も記事になっている。実際、反対する人は少なくない。世論調査でも「元号離れ」は指摘されている。しかし、すべてが決まったあとに、どのように反対の意見を紹介されても遅すぎるのだ。元号反対の署名を始めた時も、国会への抗議行動も、そして署名提出の時も、メディアはまったくもって無視を決め込んでいた。今さらでも何でも、私たちの意見が表に出るのはいいに違いない。だが、影響を及ぼすには時機を逸し過ぎた記事づくりには、ほとほとイヤになるばかりだ。

 世論調査での「元号離れ」はすでに昨年から指摘されていたし、非合理性や「国民生活への影響」も指摘されていた。しかし、やめようという言論づくりは見られない。遅すぎる時期を待たずに、それをやるわけにはいかない。そういう方針に貫かれているのだ。

 「元号」は「中国古典からではなく国書から」という保守派を代表する安倍の意向で、「万葉集」から選ばれた。しかしその翌日には、その歌も中国古典が元になっているという専門家たちの「定説」が暴露されているし、菅による新「元号」発表の直後に行った安倍の記者会見についても、安倍が政治的すぎるといった声がすでに週刊誌等では上がっている。新「元号」の政令への署名が新天皇ではなく、現天皇がなす事への批判等々も。もともと、元号の発表時期をめぐっても、天皇退位・新天皇即位と絡まりつつ、「国民生活への影響」などまったく無視されながら、政府の手前勝手な紆余曲折を経て四月一日に決まったのだった。ケチばかりがついている。

 それでも「元号」をやめようという話にはならない。良い「元号」の発表時期、良い発表の仕方、良い「元号」の選び方や良い手続きに良い運用……。しかし、そんなものはあり得ないのだ。「元号」がダメなのだから。元号は非合理的である。しかし、それ以上に、思想信条の問題であり、歴史認識、基本的人権の問題なのだ。

 新「元号」発表より少し前の三月一二日、天皇は、「退位及びその期日奉告の儀」という天皇退位に関する最初の儀式を行った。天皇が四月三〇日に退位することを、皇居内にある宮中三殿で神々に報告するという儀式だ。その神々とは、アマテラスであり、神武天皇から始まるという歴代天皇の霊であり、その他諸々の神々であるという。私たちは忘れがちであるが、天皇たちは常にこの神々とともにあり、祈りの対象として皇居内に祀っているのだ。同日、伊勢神宮、神武天皇陵、昭和、大正、明治、孝明の各天皇陵に使者を派遣する「勅使発遣(ちょくしはっけん)の儀」も行われている。

 そして三月二六日、関連行事の一つとして、天皇・皇后は「皇室行事」として、神武天皇陵を参拝した。このような退位関連儀式は全部で一一ある。今後、四月一八日に伊勢神宮、同月二三日に昭和天皇陵を参拝し、退位を直接報告するという。四月三〇日の「退位礼正殿の儀」は国事行為として開催し、三権の長、閣僚らも出席する。

 なぜ、退任・就任ではなく退位・即位なのか。「代替わり」がなぜ辞令一枚ですまないのか。これらの一連の儀式が物語るが、宗教的な存在が国家機関となっているからだ。そして、それが一公務員の「身分」ではないという認識があるからだ。そのような制度に縛り付けられているこの国のありようが、社会のセーフティネットよりもこのような制度に多額の税金を使うことを是とするのだ。

 二月二二日、加納実紀代さんが、四月一日、反天連の高橋寿臣さんが亡くなった。お二人からはたくさんのことを学んだ。高橋さんは、この反「代替わり」闘争を私たちと共に走るつもりであったはず。

 4・27から始まる反天WEEK、気持ちは一緒に頑張るぞ。みなさまもぜひご参加を!!

(桜井大子)

【表紙コラム】

 「反天連」の結成時点から、女性史の研究者として象徴天皇制を支える民衆意識の鋭い「内在批判」を持続し、私たちの運動の強力な理論的な助っ人であり続けた加納実紀代さんが78歳の生涯を終えられた。私たちと彼女との協力関係は、〈女性天皇制〉の評価をめぐる対立の局面を含めて、今日まで決して崩れることはなかった。2月22日の彼女の死の報告が、私たちに届いた時は、2月24日の「天皇在位30年記念式典」のマスコミ大騒ぎに抗する運動に私たちが忙しく動きまわっている最中であった。遠からぬ死を最後の著作の「あとがき」などで自分で公言していた彼女の死は、「悲しみ」はあっても「驚き」はなかった。

 しかし、4月1日の高橋寿臣のサウナでの突然死の報告は、頭がまっ白になる「驚き」と「嘘だろう」という思いが、今でも続いている。彼は「反天連」結成時から、長く運動を共にし、同世代ということもあって、運動の中でのゴタゴタに対処しなければならない時の私の相談相手として唯一無二の、信頼できる友人であった。その関係は、彼が事務局の日常活動をリタイアしてしまっている今まで、続いてきた(最後に会った3月30日の「天皇『代替わり』直前! いまからでも”NO”と言おう」集会の後も、めんどくさい相談ごとについて助言を久しぶりに聞いたばかりであった)。

 100歳近くまで生きた福富節男さんが、まだ90歳に入ったか入っていない年齢のころ、「この年になると親しかったいろんな友人も父母などの血縁関係者も、みな死んでしまい、ひどく寂しいもんだよ」と語った言葉が、私の耳に残っている。まだ、そんな年齢になっていなかったその時の私は、「そんなもんだろうナー」と思った程度であった。

 高橋は70歳。わたしもすでに71歳である。今、その「寂しいもんだよ」という言葉が本当に強烈に身に染みる。

(天野恵一)

【月刊ニュース】反天皇制運動ALERT 34号(2019年4月 通巻416号)

 

今月のAlert ◉ 「代替わり」本格スタートに対抗する反天WEEKへ──ともに!!(桜井大子)

反天ジャーナル ◉ ─大橋にゃお子、イスラエル嫌い、映女

状況批評 ◉ 宗教としての天皇制を考える(菱木政晴)

ネットワーク ◉ リニア説明会を開け JR東海の録画禁止に抗議(宗像充)

紹介◉ 『運動史とは何か─社会運動史研究1』大野光明・小杉亮子・松井隆志編(小杉亮子)

太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈106〉 ◉ 国史が孕む文化的・歴史的歪みの克服を─改元騒ぎに思う(太田昌国)

マスコミじかけの天皇制〈33〉◉ 〈象徴天皇教〉と元号制─〈壊憲天皇明仁〉その31(天野恵一)

野次馬日誌

集会の真相◉日本の人口の9割が剥く「ナショナリストの牙」とは?/「皇族出席の追悼式典」・一斉黙祷反対!/「即位・大嘗祭」儀礼と政教分離との関係を問い直す/天皇「代替わり」直前! 今からでも〝NO〟と言おう

反天日誌

学習会報告◉河原宏『日本人の「戦争」──古典と死生の間に』(築地書館、一九九五年)

集会情報

→前号の目次はこちら

*2019年4月9日発行/B5判16ページ/一部250円
模索舎(東京・新宿)でも購入できます。
http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/

【申し入れ】東京都公安委員会に苦情申し立てをしました

*天皇「代替わり」に反対する 2・11反「紀元節」行動は、今年の2月11日に行われたデモに対する警視庁機動隊の不当なデモ規制に抗議して、3月30日付けで、以下の苦情申し立てを行いましたので、ご報告します。

 

苦情申出書

 

2019年3月30日
東京都公安委員会御中

 

 2019年2月11日、千代田区内において開催されたデモ行動に対する、警視庁神田警察署の警備課、警視庁警備部および警視庁公安部による規制に関して、警察法第79条に基づき苦情申出を行う。

申立人:
天皇「代替わり」に反対する 2・11反「紀元節」行動
 
 私たち天皇「代替わり」に反対する 2・11反「紀元節」行動は、千代田区内で集会を持ち、その後16時45分より約40分間にわたり、御茶ノ水・淡路公園を解散地点とするデモに取り組んだ。

 この日は、在特会系と思われるグループが「カウンター」を事前予告し、また「日の丸」などを掲げた街宣右翼が数人、いくつかの交差点などにかたまっていたが、右翼によるデモへの攻撃や妨害は、例年に比べて大きなものとはいえなかった。

 これに比べて、この日の警察・機動隊の不当な規制はひどく、何ら正当な理由も必要性もない規制が、出発前から解散地点まで一貫して加えられた。ひたすらデモを早く進行させ、彼らの言うところの「デモの間延び」をさせないために、デモ参加者の体を押し、圧縮させ、シュプレヒコールをかきけすような大声で「前に詰めろ」と怒鳴り続け、抗議する参加者に暴言を吐いた。私たちのデモが遅れていたわけでもなく、デモの間隔が空いているというが、警察の言うとおりにしていたら、前を歩く人と身体をくっつけなければいけなくなる。なんの理由もない、規制のための規制であったというしかない。

 こうした不当な警備の過程で、JR御茶ノ水駅近辺において、デモ隊の後方を歩いていた足の悪い高齢者が転倒させられた。しかも、それを助け起こそうと近づいた参加者を暴力的に阻止し、「前に進め」と押し続けたのである。しかも、この時警察官は、その高齢者に対して「早く歩け、歩けないなら外に出ろ」という暴言を浴びせていたのだ。デモは私たちの表現であり、誰でも安全に、自分のペースで自由に歩くのが本来の姿だ。警察が自分の価値観で、好きなように規制することが許されるようなものではありえない。こうした発言には怒りを禁じ得ない。

 私たちのデモにおいて、大なり小なり常に加えられるこうした警察の不当な警備に対して、私たちは、そういうことをしないように、デモ申請の際に毎回申し入れをし、公安委員会や所轄警察署に何度も苦情申し立てや抗議をしている。しかし、一向に警察の態度が改まらないのはどういうことか。

 一方、警備に当たる警察の口調や態度は、集会ごとに微妙な違いがあるということもまた事実である。それは私たちに対する口調が「詰めろ」という命令口調であるか、「お詰めください」という「お願いの口調」であるのか、身体を寄せてきたり後ろから直接押したりするか、直接の接触は避けるか、指揮官車の指示の音量や回数などの違いということに過ぎないが、それは、私たちのデモに対しては、今回はここまで規制するということを、あらかじめ意思一致しているのではないかということを疑わせるに足る。同じようなコースの、同じような状況において、機動隊の対応に差があるのは、どう考えても不自然だ。機動隊は、私たちのデモを、さまざまな警備のやり方の実戦訓練の場として利用しているのではないかとしか思えない。

 デモは憲法上最大限保障されるべき表現の自由であって、デモの主体はデモの参加者である。しかるに、警察によるこの対応は、「デモを許可してやっているのは警察だ」「デモは規制されて当然」という根深い発想に囚われているとしか言えない。

 今回の行為が、われわれの権利としてある表現行為を妨害し、われわれが、われわれのペースとスタイルで街頭の人びとに対して訴えていく権利を侵害したということは確実である。法律を遵守することで違法な権力の発動に歯止めがかけられているはずの警察官の無法行為は許されない。

 もう一点、これも日常的になされていることであるが、指揮官車両や歩道上から、公安警察や「警視庁」という腕章を巻いた警察官によって、デモ参加者の顔などが撮影され続けていたことも許されない。犯罪捜査などの特別な理由もなく、デモ参加者を撮影することは、プライバシーの侵害であるばかりでなく、表現の自由を犯罪とみなし、委縮効果にもつながるものである。これらの行為がまったく必要な状況ではなかったにもかかわらず、参加者からの抗議を無視して撮影が続けられたことに対してもあわせて抗議する。

 繰り返すが、デモは憲法上の権利であり、これに対する規制を、何らの説明もなく一方的に行うことは許されない。この点において、今回のデモ警備は「適正」な警備であったと言えるものでは決してない。以上、苦情を申し立て、適切な調査と改善がなされることを求める。