この社会を覆う韓国に対する排外主義煽動が止まらない。河野外相は八月二七日の定例記者会見で、「もし韓国が歴史を書き換えようとするならば、それは実現できないことを韓国側は理解すべきだ」と述べた。
いったい誰が歴史の事実を書き換えてきたのか。奴隷的かつ不正な強制動員労働の被害事実を否定し、歴史修正主義をふりまいて植民地支配の現実や被害当事者の声を封じ込め、かたくなな態度を崩さず、「歴史を書き換え」て挑発的に相手に対し続けてきたのは日本のほうではないか。日本と朝鮮半島との関係を語る上では、まずもって日本が不法な植民地化をおこなったという歴史的事実から出発しなければならない。しかし日本は、韓国併合は「有効に結ばれた」とする「植民地支配合法論」の立場を取り続ける。河野は以前にも駐日韓国大使を呼びつけ、大使の発言をさえぎって「極めて無礼だ」と語気強く述べた。宗主国意識まるだしの「無礼」な態度といわなければならない。
翌二八日の毎日新聞には「反天連の住所」をめぐる記事が掲載された。見出しは「杉田議員『独善』に波紋 反天皇制団体の住所誤ツイート 『犯罪助長』識者は批判」。おわてんねっとも共催団体の一つになって行われる横浜の集会の講師が「女たちの戦争と平和資料館」(WAM)の館長であり、WAMの隣のビルに反天連の本部がある、住所は同じ○○○○であると、自民党の杉田水脈衆院議員がツイッターに投稿した件である。
この記事はネットで先行配信されていたものだが、「反天連の本部」がWAMの隣にあるなどというのが事実に反することは、本紙の読者には明らかだろう。事実誤認の指摘に留まらず、住所を晒す行為が権力者による「抗議活動への扇動」となる可能性を指摘する点では、筋の通った記事だった。
このツイッターの内容は、反天連それ自体というよりも、明らかに反天連を含む「反日グループの拠点」である当該住所にあるWAMをターゲットとし、それへの何らかのリアクションを期待する「犬笛」であったことは明白だろう。議員落選中の杉田は、元在特会副会長の山本優美子が代表を務める「なでしこアクション」などと連携してジュネーブの国連人権委員会女性差別撤廃委員会のセッション前ワーキングミーティングで「従軍慰安婦はなかった」というスピーチを行ったり、また変装してWAMに潜入したレポートを産経新聞に寄せたりしている。維新から自民に鞍替えして再び国会議員となったあとも、国会の場でWAMの名を挙げつつ、「過去と未来の日本国と日本国民の名誉と人権が貶められていることを憂い、阻止を試みることは、当然の責務」などと述べている。件のツイッターもまだ削除されていない。さらに対談本で少女像の「爆破」さえ口にし、WAMの入り口にある姜徳景さんの「責任者を処罰せよ」という絵画を槍玉にあげる。まさに、あいちトリエンナーレの「表現の不自由展・その後」を開催中止に追い込んだ政治的暴力とまったく同型である。
こうした一連の事態は、日本における「継続する植民地主義」の根強さとその再生産を意味しているが、それを担保し続けるものこそ一五〇年にわたる近代天皇制の継続であると言わなければならない。この間メディアを騒がせた田島道治の「拝謁記」は、日本の「独立回復を祝う」式典における「おことば」に、戦争の「反省」という文言を盛り込もうと強く願い続けたヒロヒトという話ばかりがクローズアップされるが、反共の立場から安保強化・再軍備の方向を支持し、改憲を口にするヒロヒトの姿もまたそこには登場している。反共・天皇制護持の立場から米軍の駐留、日米安保体制の構築に向けてヒロヒトが積極的に動き続けた事実は以前から明らかになっていたことだが、そのようなかたちで戦後日本および象徴天皇制は出発したのだ。一九六五年の「日韓条約体制」もまた、このような「戦後」の産物である。韓国の被害当事者による謝罪と補償の要求は、まさにこうした構造に対する抗議でもあった。韓国社会の民主化を進めてきた民衆の力が、河野とはまったく違った意味で「歴史を書き換え」てきたのだ。だが現在の日本の態度は、近代以降の侵略と植民地支配の歴史を、それとして美化し肯定するだけでなく、現在まで引き継がれているその構造を今後も維持し続けるということの強い宣言でもある。反天皇制運動の課題とは、そういう歴史性との対決でもあることを、強く意識しないではいられない。
(北野誉)