【学習会報告】美濃部達吉『憲法講話』(岩波文庫 二〇一八年)

 初版は一九一二(明治四五)年三月一日に発行され、改訂版は一九一八(大正七)年一〇月一日に発行された。それの一九二四(大正一三)年四月一〇日に増刷発行された版が底本。新仮名遣いへの改め、振り仮名送り仮名の補い、漢字表記の平仮名への改めなど、読みやすくするためのあれこれがほどこされている。

 文部省が開催した中等教員夏期講習会(一〇回)の記録であり、「健全なる立憲思想を普及」することをめざし、天皇制官僚たちの通説をつくりだした美濃部の、この時代、おそらく、もっとも広く読まれた彼の著作の一冊である。それがやっとすこぶる読みやすい文庫として、私たちの手にとどいた。

 欧米の立憲主義の精神に、できるだけ引き寄せて解釈するため、国家の内側に君主(天皇)を位置づける憲法体系の構築がなされている。「国家は最高の権力を有する領土国体なり」とし、天皇は統治権の主体でなく「国家の最高機関」であり「権力の最高の源泉」であるとする「天皇機関説」は、実は論理的整合性がない、実にムチャな、アクロバティックな〈解釈改憲〉の体系として成立している事が、よく読める。こうした問題が実は「誰からも委任されたものではない」「国法上当然にも天皇に属する大権」である〈天皇大権〉(「国家の直接機関」)という説明自体が、美濃部のかかげる「公民国家〈立憲制度〉主義」・「民政主義」(参政権)・「法治主義」という憲法原則が、まるで貫徹されていないという事実を自白してしまっている。

 レポーターであった私の第一の関心は、天皇の〈植民地大権〉の位置づけであった。「植民地は本国とは原則としてその行われている法律制度とは異にしている」。植民地は「本国」の法律は適用されない〈天皇大権〉によるストレートな支配地(総督の発する「律令」による支配)。明文規定のない植民地大権を、美濃部も憲法上の権利として平然と論じている。美濃部〈デモクラシー〉の神話を打ち壊す作業の必要をあらためて痛感。

 次回は尾高朝雄の『国民主権と天皇制』(講談社学術文庫)です。ぜひご参加を!  

 
(天野恵一)

【今月のAlert 】天皇戒厳態勢を打ち破ろう! ──10.22デモへ!!

 昨年一二月一二日、靖国神社の「外苑」で「南京大虐殺を忘れるな」と訴える横断幕をかかげ、靖国に「合祀」されているA級戦犯・東条英機の名前を書いた紙を燃やして、日本の侵略戦争・植民地支配責任をなきものとする日本政府・日本社会に抗議した香港の郭紹傑(グオ・シウギ)さんと、彼の行動を取材していた嚴敏華(イン・マンワ)さん。二人は行動開始後すぐに靖国神社の警備員によって警察に引き渡され、「建造物侵入」で起訴された。そして一〇ヶ月近く勾留されたまま裁判を闘っている。検察は八月二八日、郭さんに懲役一年、嚴さんに八ヶ月を求刑し、一〇月一〇日が判決日だ。このニュースがみなさんに届く頃には何らかの結果が出ている。

 二人を支援する会に反天連メンバーも関わってきたが、この思想・政治的表現行為と報道の自由に対する弾圧、アジアの人々からの批判・抗議を許さないという見せしめ弾圧を、はね返すことはできていない。この弾圧事件は、私たちが日常的に取り組んでいる反天皇制や反靖国運動が抱える課題の多くに直結する。私たちの運動に対する右翼と警察による暴力的な妨害や監視、あるいは安倍靖国参拝違憲訴訟や即位・大嘗祭違憲訴訟における安倍政権ベッタリの法廷と、地続きにあるのだ。

 私たちの闘う相手がこの国であり、この国が強要する歴史の捏造とヘイトであり、その根本問題としてある天皇制であること、そしてそこに安息や価値を認めるこの社会そのものであることを、あらためて思い知るのだった。天皇制を敬うことが当たり前の社会(人々)が、天皇制国家の侵略戦争・植民地支配の責任を問うことなど、できるわけもないだろう。徴用工問題、「慰安婦」問題、南京大虐殺問題に対する無責任体制・歴史の作りかえ等々は、戦時下の問題としてあるのではなく、象徴天皇制、戦後社会のつくられ方の間違いがつくり出した問題であり、社会の「無関心」という壁や、このヘイト社会の根本に、天皇制や靖国神社を戦後長らく残してきたことの問題があることを、あらためて訴えていきたい。

 いま、国の行政はヘイト議員に席捲され、司法も議会も息の根が止められている。地方議会も同様でヤバイ状況にあるが市民の反撃も続いている。私たちの運動やことばは、その反撃を試みる人々とつながっていけるものでなくてはならないし、模索しながらもそのようなものとして続けていきたい。

 このような、天皇制の歴史がつくり出した極めて具体的な問題が多発する中で、政府は新天皇即位に関する諸儀式の準備を着々と進めている。それらは、大絶賛のなかで新天皇をこの社会が受け入れ、「敬愛と尊敬」を抱かせるための儀式としてある。そして、戦後の大きな間違いの一つである象徴天皇制はさまざまな矛盾をすり抜け、翼賛体制の中で尊敬と敬愛の対象とされている。これこそが矛盾なのだけど、天皇制恐るべし、とあらためて思うのは、やはりこんなに怖ろしくわかりやすい矛盾を見えなくさせるからなのだ。宗教としかいいようがない。

 宗教とは認識しないまま、多くの者がその信者となり、かけ声一つで最敬礼の態勢をとったり旗を振ったりする。使い慣れない敬語も天皇報道で学ぶ。そういった人々は対象を恐れているわけではなく、尊敬と敬愛によってそのような振るまいが出てくるように教えられる。それでもそれに不気味さや、あるいは滑稽さ、そして不正義を感じ、声をあげる人たちはまだ少なくない。さまざまに表出してくる矛盾に向きあい、それらと取り組む人たちと繋がりあいながら、できることをやっていくしかない。

 「即位・大嘗祭」という「代替わり」儀式大詰めの時期、東京は厳戒態勢下におかれる。まずは一〇月二二日、新天皇が国内外に向けて高みから「即位を宣言」し、「国民の代表」たち、他国の代表たちが、下から新天皇即位を祝うという服属儀礼・「即位礼」の儀式が行われる。反天連も参加するおわてんねっとでは、反対する者たちの存在を示すため、「東京戒厳令を打ち破れ! 10・22天皇即位式反対デモ」をやる。

 ともに声をあげよう! 多くの結集を!!

(桜井大子)

【表紙コラム】

 某鉄道会社のCMじゃないけれど、「そうだ、京都行こう!」という衝動が定期的に訪れる。

 京都に行くと、必ず立ち寄るお気に入りの場所の一つに、韓国式の喫茶店がある。そこにあるチラシは私の興味をひくものが多くて、いつも行き当たりばったりの旅を充実させてくれる。かなり以前に訪れた時にとてもステキなデザインのチラシが目にとまった。長い間、我が家の台所の壁を飾ってくれて生活にすっかり溶け込んでいたけれど、油でべとべとになってしまい、残念ながらリノベを機に処分した。それは高麗美術館のチラシで、ずっと訪れたいと思いつつ、今回、「石の文化と朝鮮民画」展で初めてお邪魔することができた。

 静かな住宅街に韓国式の土塀があらわれ、大きな二体の石人が出迎えてくれる。もうこの時点で幸せな気分でなんともわくわく。進んで美術館庭園のいっぱいの石人さんの魅力にウフフ。玄関を入ると、正面に白磁壷が目に入る。この美術館の創設者である鄭詔文さんが「今日」の始まりと紹介される壷だ。二階部分に資料や映像を観るコーナーが用意されている。

 『思想の科学』に「日本の中の朝鮮文化」を連載した金達寿や、「こんな戦争は間違っている。天皇陛下のためになんか、死にたくない」とはっきり否定した婚約者に「わたしやったら、喜んで死ぬわ」と言って、日の丸の小旗を持っておくりだした自分を「加害の女」と問いつづけた岡部伊都子は、創設に関わった主要メンバーである。

 鄭さんのご両親は西陣織の職人だったそうだ。私は恥ずかしいことに、たくさんの在日朝鮮人の方々が西陣織の産業を支えてこられたことを今回初めて知った。

 「朝鮮・韓国の風土に育った『美』は今もなおこの日本で、言語・思想・主義を超えて、語りかけております。どうぞ、心静かにその声をお聴きください」と鄭さんの想い。皆さんもぜひお出かけください。

(鰐沢桃子)

【月刊ニュース】反天皇制運動ALERT 40号(2019年10月 通巻422号)

 

反天ジャーナル ◉ ──ドルジ・シンノスケ、大橋にゃお子、つるたまさひで

状況批評 ◉ 即位の礼・大嘗祭は、新たなる戦争・戦死者を生み出す国家形成イベント(辻子実)

太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈112〉 ◉ 厚顔無恥なる者が跋扈する「現在」の原体験(太田昌国)

マスコミじかけの天皇制〈39〉◉ 「代替わり」状況下の「東電旧経営陣無罪判決」─〈壊憲天皇制・象徴天皇教国家〉批判(5)(天野恵一)

野次馬日誌

集会の真相◉皇室におけるジェンダー/天皇制に終止符を! 8・31集会@横浜・紅葉坂教会/「ここが問題!即位礼・大嘗祭」浜松講座/天皇は茨城に来るな! 天皇制は今すぐ廃止しろ!

反天日誌

学習会報告◉美濃部達吉『憲法講話』(岩波文庫、二〇一八年)

集会情報

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*2019年10月8日発行/B5判12ページ/一部250円
模索舎(東京・新宿)でも購入できます。
http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/