戦後処理、なかでも戦争賠償と戦後補償は、それが長期にわたる植民地支配の後に問題化したときには、困難を極めるのが当然だ。第二次大戦後の日本政府は、奸智を駆使してこれらの義務をディスカウントするとともに、賠償の支払いを経済・技術協定にすりかえ、これの遂行を、逆に国家間の贈賄や日本企業にとってのビジネスに変貌させることで乗り切ろうとした。その過程で、ないこととして扱われたのが、侵略され収奪された側の個々の実態であり、国家の犯罪の認知と謝罪の表明もなされなかった。
日本国家は、敗戦後すぐさま侵略支配の事実や資料の隠蔽をはかり、とくに朝鮮に対しては、日本が旧植民地の宗主国であったために賠償請求権を否定し、南北の政治分断や国内政治の独裁体制も利用して「解決」をもくろんだ。一九六五年の日韓基本条約の締結により、この問題は「完全かつ最終的に解決」されたものとみなされた。しかし、軍隊性奴隷制など、条約の締結時に明らかにされていなかった問題の存在と、国家に対する個人賠償、慰謝料請求権についてなど、国際法の認識の枠組みが大きく変わりはじめた。新たな事実の発掘や、被害者個人が声を上げられる環境の拡大とともに、戦争責任や戦後責任、賠償や補償も、大幅に見直されているのが現在の状況である。
竹内さんは、教職にあったときからずっと、戦時の朝鮮人強制連行と強制労働の歴史について調査研究を続けてきた。その成果は、すでに『戦時朝鮮人強制労働調査資料集1・2』(神戸学生・青年センター出版部)、『調査・朝鮮人強制労働1〜4』(社会評論社)などに、大部の資料としてまとめられている。ここで紹介するブックレットは、現在の日韓関係において、もっともホットで重要な問題としてある、「元徴用工」に対する賠償請求についてである。
二〇一八年一一月の、韓国大法院における三菱重工に対する判決は、戦時生産のために、名古屋や広島に強制的に動員・連行された人びとに向けられたものである。彼らは逃亡防止のため有刺鉄線で囲まれた粗末な住環境におかれ、長時間労働の給与は「強制貯金」として渡されず、その半額は帰国後の送金すらされなかったという。原爆や地震の被害を受けたり、帰国船とともに没した人びともいた。こうした事実の認定すら、徴用と強制動員、強制労働をさせた企業は隠蔽しとおそうとしていたのだ。この裁判では、名古屋高裁が元勤労挺身隊の女性の請求を退けながらも、三菱重工の不法行為を認め、これが未解決であるとした。これが国際法に反する強制労働であったことと、国家無答責論による免罪を退けるとともに、三菱重工の企業としての継続性を認定した。これにより、原告たちはあらためて韓国で訴訟を提起し、韓国大法院における堂々たる判決をかちとったのだ。
この裁判の概略は、第四章「韓国徴用工判決の意義」にまとめられている。韓国大法院は、日本の植民地支配が合法であるという認識を否定し、強制動員自体が不法であるということを認定した。さらに、こうした不法行為への個人による損害賠償請求権は消滅しておらず、不法行為に対する損害賠償請求権について韓国の外交保護権も放棄されていないとしたのだ。日本の植民地支配における反人道的不法行為などについては、日韓条約の文書も新たに公開されており、個人の請求権が消滅していないという認識が確立した。これにより、強制動員・強制労働をさせた企業の反人道的不法行為を、被害者個人が直接に問い、尊厳を回復するという道が開かれたのだ。日本政府〜外務省は、李明博や朴槿恵らによる圧力を想定していたのだろうが、それは見事に覆った。
安倍らの政府と外務官僚、戦前戦後の継続性から個人請求を認定される可能性のある企業、それらの意を汲むメディアや、これに同調する野党も含めて、この問題では反韓国の大合唱をいまも繰り広げている。そればかりか、経済的な「報復」措置を実施し、韓国の右派を対象とする宣伝工作も実施している。しかし、この裁判を通じて鮮明になっている、国家政策の尖兵と化した企業活動の文字通りの犯罪性は、もはや否定できないだろう。
このブックレットは、問題をわかりやすく整理してくれている。読みながら、「徴用工裁判」を超えて現在の日本政府に寄生する企業活動やその不正を問うための論理を模索したくなってきた。
(蝙蝠)
(岩波ブックレット 二〇二〇年一月 本体620円+税)