【学習会報告】佐瀬隆夫『1942 年アメリカの心理戦と象徴天皇制──ラインバーガーとジョゼフ・グルー』(教育評論社・二〇一九年)

 アメリカが大日本帝国との戦争に向けた調査や準備は、きわめて周到なものだったことが、公開文書から明らかになっている。パールハーバーからの開戦に先立つ日中戦争の戦争政策はもちろん、戦時中の兵站や国内状況から、連合国の勝利を見切ったうえでの日本支配や戦後の東アジア政策など、資料を基にした研究が
発表されるたびに目を瞠らされる。

 この本は、五百旗頭真や中村政則、とりわけ加藤哲郎による先行研究をベースに、日米戦がはじまった直後から、P・M・A・ラインバーガーとJ・C・グルーらにより、いかにアメリカにとって少ない損害で、対日戦争勝利と戦後支配を実現していくための構図が描かれたかを明らかにしている。日本人の権威主義的性格を利用し、天皇制帝国を「象徴天皇制」に組み替えることで、アメリカの占領政策〜戦後体制を盤石なものとした。その目的で一九四二年に描かれたのが『日本計画』で、それは絶大な成功をもたらした。紹介された分析の内容は差別的だが、無念にもイタいほど正鵠を射ている。それにしても、現在の政治やメディアを跋扈するウヨたちの「歴史認識」が、八十年以上も前のアメリカの対日分析の掌中を、いまだ一歩も出ない。ましてや大日本帝国を「栄光」という連中に至っては、「象徴天皇」裕仁や吉田茂ら「重臣」など米国のパペットたちすら、肚の中で笑うだろう。

 ラインバーガーは、政治学の研究者から陸軍情報部で軍務につき、後にはSF『人類補完機構シリーズ』(コードウェイナー・スミス名)などの小説家としても知られる博識多才の人物。また、著者の佐瀬は銀行勤務のなかで日本型企業文化への疑問から天皇制を意識し、定年後に研究生活に入ったというたいへんな晩学で、正直なところ脱帽し、何歳になっても努力しなきゃと感じる。本の内容のアウトラインはあるていど知られてもいるので、議論はこの「心理戦争」や、戦後天皇制の構図の巧みさ、分析のバックグラウンドの知識の評価から、やや脱線気味に広がった。

 次回はちょっと毛色を変えて、山本太郎「感染症と文明」(岩波新書)を7月21日に読む。ご参加を。

(蝙蝠)

【集会報告】5・13再稼働工事をやめろ!「原電」要請行動

 新型コロナウイルス・パニックというべき状況下の今でも、政府・電力会社・原子力規制委の一体化した原発再稼働推進政策は着々と実行され続けている。五月一三日、「規制委」は原発の使用済み核燃料からプルトニウムなどを取り出す青森県の日本原燃六ヶ所再処理工場を基準に「適合」の判断を示した。

 この日私たちは、東海第二原発の「安全性向上対策工事」と名付け、県外から一七〇〇人以上の作業員を集めて進めている、再稼働のための工事に抗議。「日本原電」への工事ストップ要請行動を行った。

 玄海原発では、作業員に感染者が出て工事は中止されている。また柏崎原発でも社員の中で感染者の発生が伝えられている。さらに全国的にゼネコンによる工事の中止。こうした状況の中で、工事を中止することすらしない「原電」。

 「今、国をあげて、新型ウイルス感染拡大を食い止めるために学校をはじめ生産現場・オフィス、工事現場まで休業して感染拡大を抑えようとしています。記者は『特措法』の『指定公共機関』とされる『電気又はガスの供給、その他の公益的事業を営む法人』とされますが、法の趣旨からすれば感染拡大防止のために緊急性のない工事を止めることこそ求められていると解するべきと考えています。そして、何よりも地元に寄り添い、東海村をはじめとする茨城県内での感染拡大防止のために、工事を中止して企業としての協力を行うべきではないでしょうか」(「要請文」)。

 この状況で、放射能をまきちらす原発の再稼働のための工事ストップを要求するのは、あたりまえ。再稼働されてしまっている原発も、再稼働をストップすべきである。そもそも原発そのものが「不要」なものなのだから。

(天野/とめよう!東海第二原発首都圏連絡会)

【書評】竹内康人『韓国徴用工裁判とは何か』

 戦後処理、なかでも戦争賠償と戦後補償は、それが長期にわたる植民地支配の後に問題化したときには、困難を極めるのが当然だ。第二次大戦後の日本政府は、奸智を駆使してこれらの義務をディスカウントするとともに、賠償の支払いを経済・技術協定にすりかえ、これの遂行を、逆に国家間の贈賄や日本企業にとってのビジネスに変貌させることで乗り切ろうとした。その過程で、ないこととして扱われたのが、侵略され収奪された側の個々の実態であり、国家の犯罪の認知と謝罪の表明もなされなかった。

 日本国家は、敗戦後すぐさま侵略支配の事実や資料の隠蔽をはかり、とくに朝鮮に対しては、日本が旧植民地の宗主国であったために賠償請求権を否定し、南北の政治分断や国内政治の独裁体制も利用して「解決」をもくろんだ。一九六五年の日韓基本条約の締結により、この問題は「完全かつ最終的に解決」されたものとみなされた。しかし、軍隊性奴隷制など、条約の締結時に明らかにされていなかった問題の存在と、国家に対する個人賠償、慰謝料請求権についてなど、国際法の認識の枠組みが大きく変わりはじめた。新たな事実の発掘や、被害者個人が声を上げられる環境の拡大とともに、戦争責任や戦後責任、賠償や補償も、大幅に見直されているのが現在の状況である。

 竹内さんは、教職にあったときからずっと、戦時の朝鮮人強制連行と強制労働の歴史について調査研究を続けてきた。その成果は、すでに『戦時朝鮮人強制労働調査資料集1・2』(神戸学生・青年センター出版部)、『調査・朝鮮人強制労働1〜4』(社会評論社)などに、大部の資料としてまとめられている。ここで紹介するブックレットは、現在の日韓関係において、もっともホットで重要な問題としてある、「元徴用工」に対する賠償請求についてである。

 二〇一八年一一月の、韓国大法院における三菱重工に対する判決は、戦時生産のために、名古屋や広島に強制的に動員・連行された人びとに向けられたものである。彼らは逃亡防止のため有刺鉄線で囲まれた粗末な住環境におかれ、長時間労働の給与は「強制貯金」として渡されず、その半額は帰国後の送金すらされなかったという。原爆や地震の被害を受けたり、帰国船とともに没した人びともいた。こうした事実の認定すら、徴用と強制動員、強制労働をさせた企業は隠蔽しとおそうとしていたのだ。この裁判では、名古屋高裁が元勤労挺身隊の女性の請求を退けながらも、三菱重工の不法行為を認め、これが未解決であるとした。これが国際法に反する強制労働であったことと、国家無答責論による免罪を退けるとともに、三菱重工の企業としての継続性を認定した。これにより、原告たちはあらためて韓国で訴訟を提起し、韓国大法院における堂々たる判決をかちとったのだ。

 この裁判の概略は、第四章「韓国徴用工判決の意義」にまとめられている。韓国大法院は、日本の植民地支配が合法であるという認識を否定し、強制動員自体が不法であるということを認定した。さらに、こうした不法行為への個人による損害賠償請求権は消滅しておらず、不法行為に対する損害賠償請求権について韓国の外交保護権も放棄されていないとしたのだ。日本の植民地支配における反人道的不法行為などについては、日韓条約の文書も新たに公開されており、個人の請求権が消滅していないという認識が確立した。これにより、強制動員・強制労働をさせた企業の反人道的不法行為を、被害者個人が直接に問い、尊厳を回復するという道が開かれたのだ。日本政府〜外務省は、李明博や朴槿恵らによる圧力を想定していたのだろうが、それは見事に覆った。

 安倍らの政府と外務官僚、戦前戦後の継続性から個人請求を認定される可能性のある企業、それらの意を汲むメディアや、これに同調する野党も含めて、この問題では反韓国の大合唱をいまも繰り広げている。そればかりか、経済的な「報復」措置を実施し、韓国の右派を対象とする宣伝工作も実施している。しかし、この裁判を通じて鮮明になっている、国家政策の尖兵と化した企業活動の文字通りの犯罪性は、もはや否定できないだろう。

 このブックレットは、問題をわかりやすく整理してくれている。読みながら、「徴用工裁判」を超えて現在の日本政府に寄生する企業活動やその不正を問うための論理を模索したくなってきた。  

 
(蝙蝠)

(岩波ブックレット 二〇二〇年一月 本体620円+税)

【今月のAlert 】この世の苦境に、天皇の「おことば」も 「皇位継承」問題も、およびでない!ノダ

 五月二五日、「緊急事態宣言」は全国解除されたが、東京では増減を繰り返す感染者数や外出自粛要請など相変わらずだし、社会的弱者への打撃はこれからさらに過酷なものとなるだろう。自分たちの損得やメンツしか頭にない者たちによる政治は、人々の生活・生存権をとことん追い詰めつつあるのだ。

 そのような状況にあって、天皇の「お言葉」を待つ言論は少なくない。どれだけの人が本当に待っているかといえば、それどころではないというのが大半のはずだ。しかしメディアは、天皇・皇后がこのコロナ状況下でなんからの動きを見せることを期待し、期待通りでないことに不安や焦りを示し始めている。これらの報道は、天皇一族の言動が苦境下の人々を救い、社会はそれを願っているといった空気を作りだすだろう。

 もちろん私たちも、天皇たちがどう動くのかについて無関心ではない。人の不幸の上で生き生きと活動するのが天皇たちであり、そこに存在価値を見出す社会であれば、今はその「慈愛」の天皇を売り出す「絶好のチャンス」だ。それをありがたがる人ばかりではないが、それができていないことへの不安と心配をメディアは作り出している。実際、天皇たちは大きく動くことはできずにいる。そのことについてはすでに本紙でも言及されている。だからここでは、メディアがその事態を懸念してみせていることの問題を指摘するにとどめる。

 「お言葉は、メッセージは、文書は、なぜ出ないのか」と、一大事のごとく問い、その事情を忖度しては読者に伝える。また、コロナ状況下で天皇たちのイベントも「自粛」となり、露出度が激減していることを心配する。それがどうした、どうでもいいではないか、とは決して思わせてはならないのだ。倒産、閉店、解雇、食費・光熱費・家賃が払えない、といった声があふれる中で、天皇の一言を待つ……。そのこと自体、ただただこの国の政治の貧困を示しているだけである。そして天皇(制)とはその貧困な政治の一部であり、その時々の政権に、現在であれば安倍政権に付随し、政策を別の次元で補佐するだけの権威的存在でしかない。その天皇の不作為をエクスキューズをするメディアは、天皇制を領導し、作りだす側に立っているのだ。メディアが作りだす言論に要注意だ。

 メディアは、もう一つの天皇に関する「心配事」、「皇位継承問題」でも少々盛り上がりを見せている。政府は「立皇嗣の礼」以降に検討を始めると語っていたが、その「立皇嗣の礼」を延期し、相変わらず「男系男子」を原則とするという。これらについて、週刊誌も新聞もそれぞれの立場で取り上げている。たとえば『東京新聞』は五月一七日から七回にわたり「代替わり考 皇位の安定継承」という連載を組み、「男系男子」派、「長子主義」派、「女性・女系」容認派等々の論者にそれぞれ語らせた。

 目新しいものがあるわけではないが、「リベラル」で一定の評価を得ている『東京新聞』紙上で、「男系男子主義」の旧宮家の復帰やその子孫との養子縁組やらが堂々主張されては気分も暗くなる。さらに気持ちを暗くするのは、記事の全てに共通している「皇室の存亡がかかっている」といった、天皇制存続絶対の意識だ。また、この連載のどこで女性論者がでてくるのだろう、いつ「皇室内の男女平等と、それに伴う社会的な影響への期待」といった論が登場するだろうと、これまた暗い気持ちで読んでいた。しかし最後まで登場しなかった。それを代弁するかのような「長子主義」論を、最後の回で君塚直隆が展開しているだけだ。

 『東京新聞』が端から女性論者を除外するとは考えられない。では、女性たちはなぜ登場しなかったのだろうか。とても興味深い現象だ。依頼された女性たちには「女性・女系天皇」容認で変わるだろうこの社会への展望が見出せなかったということか。あるいは書かれた原稿がボツにされたか……。これからその理由が見えてくるのだろうか。このひどい状況下にあって、小さな楽しみが出来たのかもしれない。

 私たちはいま8・15に向かって準備に入った。どのような苦境下でも社会は動く。私たちもめげずにいこう。     

(桜井大子)

【月刊ニュース】反天皇制運動ALERT 48号(2020年6月 通巻430号)

 

反天ジャーナル ◉ (井上森 立川テント村、捨てられし猫、映女)

状況批評 ◉ コロナ19が照らす日本(佐野通夫)

書評 ◉ 竹内康人著『韓国徴用工裁判とは何か』(蝙蝠)

太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈120〉◉ コロナの時代に知る「マヤ文明最古の建築跡発見」(太田昌国)

マスコミじかけの天皇制〈47〉〈壊憲天皇制・象徴天皇教国家〉批判 その12◉  新天皇(夫妻)の「コロナ見舞い・医療関係者感謝」メッセージはなぜなかったのか(天野恵一)

野次馬日誌

集会の真相◉コロナを改憲の口実にするな!5・3改憲反対デモ/5・4茨城反貧困メーデー/5・13再稼働工事をやめろ!「原電」要請行動

学習会報告◉ 佐瀬隆夫『1942 年アメリカの心理戦と象徴天皇制──ラインバーガーとジョゼフ・グルー』

反天日誌

集会情報

 

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*2020年6月9日発行/B5判12ページ/一部250円
*模索舎(東京・新宿)でも購入できます。
http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/