【学習会報告】宇田川幸大『考証東京裁判──戦争と戦後を読み解く』 (吉川弘文館・二〇一八年)

 本書の評価は、評者と他の参加者で全く異なるものだった。他の参加者は、東京裁判の過程を丹念に追った興味深い著書であると評価、評者の評価は極端に言えば、事実経過をまとめたレポートだというものであった。

 著者は「あとがき」で「戦争責任問題の追及は、単なる「犯人捜し」ではない(略)人間の心を、暗黙の裡に支配している差別意識や偏見など、暴力や抑圧を支えてしまう危険因子を、戦争犯罪や戦争裁判といった様々な事例から一つ一つ確認してゆく作業、そして、今を生きる私たちが、こうした危険因子をどこまで克服することができているのかを測定する作業。(略)これらが「戦争責任・戦後責任を考える」ということなのだと思う」と記している。他の参加者の高評価はこの方法によっている。

 では、評者の不満はどこにあるか。それは著者が天皇の戦争責任を追及していないからである。もちろん、著者も「問われざる問題群と責任者」という章を置いて、その筆頭に「昭和天皇」をあげている。だが、検察側が被告人たちの「共同謀議」を立証しようとしたことに対して「国務[最高補弼者──内閣総理大臣]と統帥[最高輔翼者──軍令部総長、参謀総長]の分立、そして陸海軍の対立抗争などがあり、「共同謀議」などやりたくてもやれなかった」(一一一ページ)などと記してしまっている。両者の上にいた天皇を被告人から除外しているのであるから当然である。あたかも天皇も首相も平和を望んだのに、軍部(陸軍)が勝手に戦争をしたという城山三郎『落日燃ゆ』史観のような地平に陥っている。被告人への絞首刑執行も一二月二三日とさらりと日付のみ記されている。

 次回は、中里成章『パル判事』(岩波新書)を九月一五日に読む。

(ぐずら)

【集会報告】靖国に抗議した香港人弾圧事件 東京高裁が控訴を棄却

 八月六日、東京高裁第五刑事部(裁判長・藤井敏明)は、二〇一八年一二月一二日、靖国神社の外苑で「南京大虐殺」に抗議した香港人の郭紹傑(グオ・シウギ)さんと、その行動をビデオで記録していた嚴敏華(イン・マンワ)さんに対する不当弾圧事件に対して、「本件各控訴を棄却する」との不当判決を言い渡した。

 昨年一〇月一〇日に言い渡された二人に対する一審判決は、郭さんを懲役八か月に、嚴さんを懲役六か月に処する(未決勾留数中各一五〇日)という不当判決であった。判決後、二人は香港に強制送還されたが、無罪を訴える二人は即日控訴した。

 その控訴審第一回は六月二四日に開かれた(本紙七月号参照)。しかしながら、弁護側で準備した書証・人証は全て不採用となり一発結審、そして八月の判決言い渡しに至ったわけである。

 この日、ただでさえ狭い警備法廷は、いわゆる「物理的距離」を取るためとして傍聴者は一一人しか入れず。そこで裁判所は控訴を棄却し「本件においては、本件抗議活動自体が罪に問われているのではなく、本件抗議活動を行うために本件外苑に立ち入った行為が問題とされている」のだ、という論理で、靖国神社に対する抗議という現実を外形的に無視しつつ、実際には靖国神社に対する抗議という現実を政治的に裁いたのである。最悪の判決と言わざるを得ない。

 この不当判決を受け、二人は最高裁に上告手続きをとった。裁判はまだ終わっていない。引き続き注目を。

(北野誉)

【集会報告】国家による「慰霊・追悼」を許すな 8・15前段集会とデモ

 今年の8・15は、「国家による『慰霊・追悼』を許すな!8・15反『靖国』行動」という名称で取り組まれた。

 八月一日に「コロナ危機と天皇制」と題する集会、八月一五日には例年通りの反「靖国」デモを行うとともに、今年は、「国家による慰霊はなぜ問題か」と題するA4判三つ折りのリーフレットも作成し、国家による慰霊・追悼の問題を広く訴える試みにも取り組んだ。

 八月一日の集会では、北村小夜さんからお話しをうかがった。小夜さんには、戦中の体験を世代を超えて伝えることの難しさについて、藤田嗣治の戦争画を例にして、わかりやすくお話ししていただいた。

 藤田の戦争画は、戦争のリアルな様相を描いていることによって、戦争の残酷さを描写していてそこに反戦の意をくみ取ろうという見方が現代では散見されるが、例えば、著名な作品「アッツ島玉砕」は、陸軍の依頼によって、陸軍の意図に添った構図で描かれたもので、それは、国威発揚の目的で宣伝・展覧会公開された。展覧会に集まった人のなかには、その画に賽銭を投げる人もいた。実際に観に行った北村さんはこの絵を見て、米軍に対する復讐心を掻き立てられたという。その時代にあっては、まさしく戦争遂行に国民を動員するための戦争画にほかならなかったのだと。

 集会は、続いて医療労働研究会の片岡真理子さんから、現在進行中の「新型コロナ感染対策」から現代医療現場をどう見るかという報告を受けた。「日本政府は極端に検査を抑制し、医療も『今あるもの』で間に合わせようとしてきた」とし、その理由を「戦前からの人民管理のための行政機関である厚生省・保健所あるいは予防研究所などを駆使して、社会防衛のために感染者を『ウィルスの塊』とみなして人格を否定し、人権と治療を無視して隔離する差別対策をとり続けたからである」と指摘した。集会はコロナ禍での人数制限もあって七五名の参加。

 一五日は、韓国YMCAに集合し、日韓民衆連帯全国ネットワーク、アクティブ・ミュージアム(wam)、即位大嘗祭違憲訴訟、オリンピック災害おことわり連絡会、大軍拡と基地強化にNO!アクション2020の各団体からの連帯アピールを受けて、靖国神社に向けてのデモに出発した。デモは一五〇名の参加を得た。  

(梶野)

【今月のAlert 】権力支配の「空白」を再び憎悪で埋めさせてはならない

 目の前のゴミがなくなっただけで、自分が手を下さないのに、あたかも掃除が終わったような気分になる。ゴミの山に埋もれていると、そんな錯覚に囚われがちだ。安倍が再び政権を投げ出したという報道が流れたとき、じつに清々した思いになって、金輪際みたくなかったその顔が半泣きになっている記者会見のテレビ中継までつきあってしまった。しかし、その内容はというと、もちろん、七年八カ月余りの第二次内閣のみならず、長期にわたる与党のあらゆる政治支配を居直るに過ぎず、報道は、「難病」により「ココロザシなかば」でという美談もどきに仕立て上げられていて、不快感をいやますものだった。

 この政権では、大きな批判を無視して暴力的に突破した「特定秘密保護法」「安全保障関連法」「共謀罪」、またTPPや労働法、カジノなど、多数の法律の国会強行採決のみならず、「集団的自衛権行使」の解釈改憲、「公文書の破棄・隠蔽・改竄」、政権周辺の贈収賄や縁故利害などの腐敗など、あらゆるものをもみ消すための閣議決定の濫発がなされた。さらに、二度にわたる消費増税、官僚人事の私物化、特定企業との癒着やメディア支配、中国・韓国・朝鮮へのヘイトの拡大とアメリカへの拝跪など、この安倍政権下における負の歴史はあまりにも大きい。そして、その構造をそのままに温存し推進させるための次期政権も、本紙の発行のころには、密室での談合から発表へと現実化しているのだろう。安倍政権の下での憲法改悪こそどうやら潰えたものの、議会の構成には何の変化もないわけで、なお危機状況は続いている。

 今年の八月一五日は、先月末からの新型コロナウイルス感染の全国的拡大により、全国戦没者追悼式の開催も、靖国ウヨクの動きも、大きく抑制されたものとなった。そして、こちらは残念なことだが、会場の制約から、私たちの集会や行動も制約されたものとせざるを得なかった。そのような中で、四人もの閣僚により、四年ぶりの靖国参拝がなされた。また、安倍は今年もまた玉串料を「奉納」してみせた。

 このときはまだ今回の安倍による政権投げ出しの二週間前の段階ではあるが、それでも内部では次期をにらんだ動きが胎動していたのかもしれない。思い起こすと、安倍が靖国参拝を行なったのは、「特定秘密保護法」強行採決直後の二〇一三年一二月のことだ。いま、「敵基地攻撃論」の具体化も検討されている。この種の連中が「戦争神社」靖国参拝や、神道などかつての「国体」に依拠するかのごときふるまいに及ぶのは、まさにそういう状況を背景にしているからに他ならないと感じる。その意味で、「安倍以後」の体制をめぐり、今後はさらに極右・国家主義的な事態も、拡大していく可能性が強い。

 天皇や皇室らは、この「コロナ状況」で各種の式典など天皇・皇族行事が減って、発言機会をなくすとともに、その存在感も昨年と比べると大幅にうすれたものとなっている。そのことは、皇室メディアやその周辺からも指摘されているが、もちろんそのままに止まるものではなく、前号でもふれたように、むしろ「ご進講」は活発化しているともいわれている。式典などの公的な場を持つことができないまま、そのような「ご進講」での発言がメディアには流されてきたが、今回の「全国戦没者追悼式」では、徳仁は初めて「新型コロナウイルス感染症の感染拡大により新たな苦難に直面」「私たち皆が手を共に携えてこの困難な状況を乗り越え」「人々の幸せと平和を希求し続けていくこと」を願うという「おことば」を述べた。こうした発言もまた、コロナ状況をきっかけに露呈している貧困化の拡大や、それに伴う国内政治の流動化、対外的には民族差別・対立の先鋭化などの状況をふまえた、天皇制の側からの危機意識のあらわれと見える。しかしそれは排他主義を強める方向に向かうしかない。

 トランプ不利の前評判も少しずつ沈静化して、アメリカ大統領選挙のゆくえはまだ読めないが、中国や朝鮮による「危機」を煽りたて、軍拡と国家への求心力を策する政治手法は、共和・民主のいずれが政権をとっても、今後も続くだろう。あたりまえの思想や論理ではありえないような憎悪は、コロナ状況など不安や恐怖の下で手に負えないほど大きくなっていく。ネットなどでは、天皇や皇室のみならず安倍ごとき政治家への批判にも「不敬」とする攻撃が横行している。あらためて、私たちをとりまく酷い事態を認識しなおし、必要な作業に取り組まなければなるまい。

(蝙蝠)

【表紙コラム】

 字幕翻訳家である戸田奈津子さんが、50周年のインタビューで、「“安堵”と訳したら、若い観客には難しいから“安心”に変えて欲しいと配給会社から言われた」と述べ、言葉が軽んじられる風潮に懸念を示していた。

 8月1日の集会で、講師の北村小夜さんが、自著の本の制作過程で編集者との間で交わされた、若い世代に伝えるための注釈についてのやり取りを紹介。編集者が絶対必要と主張したのが、「撃ちてし止まん」だった。あの時代を生きた者たちにとって、その言葉は巷に溢れ呪文のように渦巻き、人々を戦争という狂気へと駆り立てた。敗戦から75年。その言葉は今や注釈を必要とする。

 私はこの夏、この「撃ちてし止まん」という言葉が、戦争の記憶として刻まれた美術作品に出会った。

 東京都現代美術館で9月27日まで開催されている「いまーかつて 複数のパースペクティブ」展の岡本信治郎による「ころがるさくら・東京大空襲」である。1933年生まれ、70代で取り組んだパノラマ。リズムが聞こえてきそうなポップな作品。おどろおどろしさは微塵もない。けれどもそこには、天皇、詔勅、南京大虐殺、アウシュビッツなどの文字がびっしりと並ぶ。羅列された文字はアジア太平洋戦争の記憶を呼びさます。若い人たちの姿が多い。彼らはこの作品をどのように受け止めているのだろう。

 浜田知明、鈴木賢二。敗戦直後から十年間上野の地下道に眠る人々をデッサンした佐藤照雄の「地下道の眠り」らは私を引きつける。藤田嗣治の「千人針」も展示。

 会場は1階、2階にまたがる。お時間あればおすすめです。

(鰐沢桃子)

【月刊ニュース】反天皇制運動ALERT 51号(2020年9月 通巻433号)

 

反天ジャーナル ◉ (宮下守、映女、たけもり)

状況批評 ◉ 東京五輪中止からオリンピックそのものの廃止を目指して(宮崎俊郎)

書評 ◉ 平井一臣著『べ平連とその時代 身ぶりとしての政治』(有馬保彦)

太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈123〉◉ 「八月のジャーナリズム」から遠く離れて(太田昌国)

マスコミじかけの天皇制〈50〉〈壊憲天皇制・象徴天皇教国家〉批判 その15◉ 〈祭祀大権〉と「戦没者追悼式典」(天野恵一)

野次馬日誌

集会の真相◉国家による「慰霊・追悼」を許すな 8・15前段集会とデモ靖国に抗議した香港人弾圧事件 東京高裁が控訴を棄却/2020ヤスクニキャンドル行動報告

学習会報告◉ 宇田川幸大『考証東京裁判──戦争と戦後を読み解く』(吉川弘文館・二〇一八年)

反天日誌

集会情報

 

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*2020年9月1日発行/B5判12ページ/一部250円
*模索舎(東京・新宿)でも購入できます。
http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/