【学習会報告】中里成章『パル判事──インド・ナショナリズムと東京裁判』 (岩波新書・二〇一一年)

 日本の右翼は外国のインテリに「大東亜戦争」を肯定させるのが好きらしい。かつてのヘンリー・ストークス、今のケント・ギルバートが好例だ。その先駆けがパル判事であり、田中正明『パール判事の日本無罪論』は一九六三年の出版以来、新版となり現在まで売れ続けている。そんな従来の「日本無罪論」(無論パルが主張したのは被告人個人の無罪であり、日本国家の無罪ではない)を批判したのが中島岳志『パール判事─東京裁判批判と絶対平和主義』(白水社、二〇〇七)と本書だ。

 中里はイギリスの植民地から独立してゆくインドのナショナリズムを分析する。パルも、ヒンドゥー大協会や、チャンドラ・ボースにシンパシーを抱くインドの右翼であり、戦後「逆コース」の日本の右翼に利用された一面が大きい。東京裁判の一一人の判事の中でもパルは思想も経歴も異色であり、「平和に対する罪」の事後法の無効を訴えたのは評価出来ても、主流派判決に従う署名への拒否、被告人席への一礼、公判の四分の一を欠席してホテルの一室で黙々と意見書を執筆する姿は多くの疑念を招いた。そんなパルが一九六六年、戦後三度目の来日を果たし、岸信介と清瀬一郎の申請で昭和天皇から勲章をもらうことにより、天皇を実質的に免責したのは最悪の結末だった。

 東京裁判の根本問題は、日本軍の最高責任者である天皇が訴追されず、証人としてさえ法廷に立たなかった点であり、これでは共同謀議が正しく裁けるはずがない(共同謀議が民間に適用されれば危険だが、戦争防止の観点から対国家には適用されてしかるべきだ)。そこが白日の下にナチスを裁いたニュルンベルク裁判と大きく異なり、GHQの徹底的な情報統制をもたらした。津川雅彦演じる東條英機が、天皇に忠実であったにもかかわらず、裁判では「陛下」に背いて戦争を遂行した「不忠の臣」として身代わりとなる姿は伊藤俊也監督『プライド・運命の瞬間』(東映、一九九八)でも印象的だった。

*次回は一〇月二〇日、福間良明『戦後日本、記憶の力学─「継承という断絶」と無難さの政治学』(作品社)を読む。

(黒薔薇アリザ)

【集会報告】コロナ禍で千人を超える反原発行動実現!東京・大阪

 新型コロナ禍と台風一〇号が直撃という最悪の条件の下、それでも「老朽原発うごかすな!」大集会は、ついに大阪うつぼ公園で実現した。この集会は、「5・17一万人集会」として、着々と参加・賛同人(団体)を拡大し準備されていたが、コロナにより延期されていたものである。組合の「動員」はほとんどなく、基本的に「個人」の意思での参加である。それでも参加者は一六〇〇人(主催者発表)、元気に雨の中をデモ。私たち東京組は、デモと解散地でのカンパ集め。思いのほか多額のカンパが集まったこの日の活動に、ささやかに協力。

 〈集会実行委員会での「お願いだから、大勢で集まることはやめませんか?」という熱心に反原発運動に参加してきた、集団感染ギリギリを病院で体験している医療労働者の声。こうした声(職業人として、ある意味で当然の主張)にも、耳を傾けながらそれでも、感染対策をしながら、再稼働が進んでも抗議の声を発せない世の中にしてはいけないという思いで、なんとか主催者としてはガンバッテきた。〉

 翌日(九月七日)での「再稼働阻止全国ネットワーク」での、この集会を中心で準備してきた参加メンバーの発言が心に残った。

 九月一八日には日比谷野音で「さよなら原発首都圏集会」が、参加者は一人一人体温を計って会場に入る、デモは基本的にサイレント(声を出さず)のスタイルでもたれた。私たちはマイクでアピールが認められた最後のグループで、「東海第二原発、オンボロ老朽原発再稼働反対!」の大声を発し、大阪で借りてきた「老朽原発再稼働反対」の幟旗を押し立てて参加。

 この集会も一三〇〇人結集と発表された。大阪と東京でやっと千人をこえる行動が、感染対策に十分に気を配りながら実現。

(天野恵一)

【今月のAlert 】天皇のことばで動く社会はオカシイ! 「立皇嗣の礼」も「皇位継承」もイラナイ!

 九月一六日、菅内閣が発足した。新首相菅義偉は安倍政権の継承を言葉と組閣で表明し、「国民のために働く内閣」を、という。これで六〇%以上の支持を得るのだから、手強くうんざりする社会であることにまったく変わりはない。ただ、安倍の辞任は体調不良が原因らしいが、その体調不良に追い込んだ国会内外の大きな批判の声があったことも記憶しておいた方が良いと思う。反安倍の声も功を奏していたのだ。そして菅内閣も早々に終わらせたい。

 ここでもう一つ、新内閣成立に伴う問題を記録しておきたい。同一六日、皇居にて天皇が新首相を任命する「親任式」と、新内閣閣僚らの認証式(任命するのは新首相)が行われた。これは憲法第六条「天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する」と第七条五「国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること」という、憲法が定めた天皇の「国事行為」だ。新天皇徳仁の最初の任命・認証式としてメディアは映像付きで報道し、これで新内閣が正式に発足すると述べた。

 反天皇制運動の最大公約数的な論理に、違憲行為を行うべきではないというのがある。とりわけ裁判闘争などでは、違憲であるかどうかで闘うことになる。この難しさを痛感しつつも、憲法を自分たちのまもりの道具として使ってもいる。しかし、私たちの反天皇制の論理はそこにとどまるわけにはいかないことだらけだ。

 なぜ天皇が、この国の行政のトップを任命するのか。なぜ各省庁のトップを認証する必要があるのか。今回の親任式には関係ないが、憲法六条には「天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する」ともある。なぜ、司法のトップを天皇が任命するのだ?

 私たちの、現在の行政に対する信頼が限りなくゼロに近いものであるにしろ、一応は私たちの代表である。自分は選んではいないが、少なくとも誰かが選出した者たちだ。そうであるにもかかわらず、天皇による任命や認証を介さなければ内閣は正式発足しないという。そのようなものを、民主的なシステムと考えるのか。

 また、この新内閣のボスを選出する臨時国会を召集するのも天皇だ(憲法第七条二「国会を召集すること」)。召集は内閣が決定し、天皇の召集は形ばかりである。とはいえ、天皇の召集詔書がなければ国会は召集できないこととなっている。そして天皇が「国事行為」には含まれない「お言葉」を発するのも恒例だ。徳仁即位後初の国会(二〇一九年八月一日)では「国会が(中略)その使命を十分に果たし、国民の信託に応えることを切に希望します」と述べている。何さまのつもりか(天皇さまか)。その言葉を受け、国会審議が始まるのだ。大丈夫かこの社会は。

 私たちは、これらの問いを手放すわけにはいかないのだ。憲法が定める「国事行為」そのもの、いや一条から八条のすべてが、民主主義どころか憲法の九条以下にもことごとく反していることを、繰り返し訴えていくしかない。

 「代替わり」が実質終了して一年半が経とうとしているが、政府が予定していた一連の「代替わり儀式」は完了していない。今年四月一九日になされるはずだった「立皇嗣の礼」は新型コロナ感染拡大により延期されたままだ。この秋開催を予定していたようだがどうするつもりなのか。四〇〇〇万円もの税金を投入することも決まっているが、このご時世でなくともどうかしている。それでも天皇家にまつわる国事を中止するわけにはいかないというのが、天皇制である。そして、政府の方針どおりであれば「立皇嗣の礼」終了後、「皇位継承問題」「女性・女系天皇」「女性宮家」等々について審議が始まる。この社会にとって非民主的で差別的な問題だらけのシステム、天皇一族にとってすら非人間的といえるシステムを残すための論議が始まるのだ。

 「立皇嗣の礼」が決まれば、反天皇制の実行委では緊急行動を呼びかける予定だ。議論と行動、知恵を出し合っていきたい。情報をお見逃しなく!

(桜井大子)

【表紙コラム】

 一身上の都合でしばらくお休みしている間に内閣が変わった。安倍亜流内閣といわれ、官房長官時代の、上から目線で冷徹に切って捨てるような態度にも変わりはないようなのに、それが何か手堅く、「安定感」をもたらしているように受けとめられているようだ。人びとはそこまで不安感に押し潰されようとしているのか。

 その新首相が総裁選を前にしきりに述べていたのが、いわゆる「自助・共助・公助」。「まず自分でできることは自分でやる。自分でできなくなったらまずは家族とか地域で支えてもらう。そしてそれでもダメであればそれは必ず国が責任を持って守ってくれる。そうした信頼のある国づくりというものを行なっていきたいと思います」。

 何を言っているんだか。なぜ今さら、自分でできることは自分でやれと説教されなければいけないのか。生きるために必要不可欠なセーフティネットたる公助を切り捨てるために地域や家族の無償労働を当てにしないで、国は出すべきカネを出せ。

 「社会格差の問題については、格差が少ない方が望ましいことですが、自由競争によりある程度の格差が出ることは避けられないとしても、その場合、健康の面などで弱い立場にある人々が取り残されてしまうことなく社会に参加していく環境をつくることが大切です」というお気楽な発言を明仁がおこなったのは10数年前のことだった。徳仁・雅子も7月に野宿労働者など生活困窮者を支援するNPOの理事長を招き、困窮者支援について話を聞いた。彼らの言う「自由競争」や「自助」とも一切無縁である世界にいて、「心を痛めてみせる」だけの行為の、何がそんなにありがたいのか。

(北)

【月刊ニュース】反天皇制運動ALERT 52号(2020年10月 通巻434号)

 

反天ジャーナル ◉ (大橋にゃお子、宗像充、蝙蝠)

状況批評 ◉ 敵基地攻撃力の正体は、敵地先制攻撃力だ!東アジア核・ミサイル軍拡競争を阻止しよう!(池田五律)

紹介 ◉ 大野光明・小杉亮子・松井隆志編『「1968」を編みなおす─社会運動史研究2』(大野光明)

太田昌国のみたび夢は夜ひらく〈124〉◉ 群れ集う群衆と「個」(太田昌国)

マスコミじかけの天皇制〈51〉〈壊憲天皇制・象徴天皇教国家〉批判 その16◉ 「立皇嗣の礼」はいらない!(天野恵一)

野次馬日誌

集会の真相◉関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者へのヘイトを許すな!/コロナ禍で千人を超える反原発行動実現!東京・大阪/「攻撃する自衛隊」への大転換を止めよう!~「敵基地攻撃能力」保有談話に官邸前抗議

学習会報告◉ 中里成章『パル判事──インド・ナショナリズムと東京裁判』(岩波新書・二〇一一年)

反天日誌

集会情報

 

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*2020年10月1日発行/B5判12ページ/一部250円
*模索舎(東京・新宿)でも購入できます。
http://www.mosakusha.com/voice_of_the_staff/