【表紙コラム】

10月25日、この4年半反天連メンバーも関わってきた安倍靖国参拝違憲訴訟(東京)控訴審の判決言い渡しがなされた。原告(控訴人)と弁護団の努力で、膨大な書面や意見書が提出され、法廷陳述や本人尋問などが展開されてきた。2017年4月の東京地裁岡崎判決は、安倍晋三が靖国で平和を祈ったと言っているんだから事実はそうなのだ、というまったくもってひどい判決だった。そして今回の東京高裁大段裁判長は、たった2回で審理を打ち切った挙句、岡崎判決をそのままなぞっただけの判決を下した。

裁判所の論理は、明らかに安倍の行為を正当化する政治的意図が先にあって、そこから逆算して理屈をこじつけた作文である。法廷でとばされたヤジに裁判長がマジギレしていたが、実は裁判長もその自覚があって、密かに恥じていたからではないのか。司法修習生時代の裁判長を知るある弁護士は、昔はこんなやつではなかったのに……と慨嘆していたが、まさに権力の味はなんとやら。

 30日には朝鮮高校生「無償化」裁判の高裁判決があった。こちらも大阪高裁に続いて、控訴人敗訴の不当判決。所詮は権力の機関なので、司法に幻想はもっていないつもりだが、それにしても法の法たるゆえんはどこに行ったのかと思わないではいられない。一方、韓国では、同じ30日に、新日鉄住金に対して元徴用工に対して賠償を命じる大法院(最高裁)の判決が出た。冷戦体制の下でつくられた日韓条約・日韓請求権協定の不当な枠組みに風穴をあける判決が確定したわけである。韓国における民衆運動のエネルギーは、確実に政治のありかたを変えている。これに対して日本では、政府のみならず「リベラル」とされるメディアを含めて、日韓関係を危機に陥らせる判決などと批判している。この落差。明治150年の政府式典もあったが、それこそ近代の起点から現在に続く帝国の歴史総体を問わなければならない。(北)