【今月のAlert】歴史認識をめぐる社会のゆらぎの中で いまこそ「終わりにしよう!天皇制」

一〇月二三日、「明治一五〇年」の政府式典が、なんともひっそりと終了した。そのころ明仁美智子は、高松宮の名を冠する賞のレセプションで、カトリーヌ・ドヌーブらと歓談して政府式典には出席せず、宮内庁は「政府から声がけがなかった」とした。昨年の早い段階から、政府や自治体レベルでは「明治一五〇年」を冠し顕彰する催しがいくつも準備されていたが、いずれも広く展開できず立ち枯れている。もはやただ忘れ去られていくだろうが、これはこの種の国家的イベントの展開として興味深い。ほぼ確実なのは、皇室〜宮内庁周辺が安倍らによる天皇利用を忌避したと思われることだ。明仁は、昭和天皇裕仁など天皇制の戦争責任に対して「敏感」に反応しながら、天皇制を中心とする歴史修正主義を推し進めてきた。その政治思想が安倍ら政権担当者たちのそれとかけ離れたものではないことは明らかだが、今回の対応は、天皇らの一種の「危機管理」ということでもあるだろう。安倍政府周辺の利権と横暴、瀆職にまみれた姿への批判が、昨年来、さまざまに噴出していることも理由として想定できる。

このかん、話題になったことのひとつに、靖国神社の宮司による「皇室批判」が露呈したことが挙げられよう。週刊誌へのリークにより、天皇・皇族による「靖国神社参拝」が裕仁の時代の末期から途絶えたことが、靖国派にとって深刻なダメージを与えており、これが恨みに近いものとまで立ち至っていることが明らかとなった。もはや明仁の靖国参拝はなく、次世代の徳仁と雅子においても「今の皇太子さんが新帝に就かれて参拝されるか? 新しく皇后になる彼女は神社神道大嫌いだよ。来るか?」とまでぶちまけた小堀邦夫宮司は、余儀なく辞任した。8・15や、つい先だっての「明治一五〇年」などにも私たちにつきまとった極右の暴力的なヘイターたちの、ネットやメディア上での無様な姿も目につく。これもまた、天皇代替わり状況の重要なポイントである。

しかしこれらは、天皇制や日本国家の歴史修正主義が崩壊しているということとは全く異なったことである。一〇月二五日、安倍による靖国公式参拝を弾劾して取り組まれている私たち原告団による訴訟の控訴審は、あっけなく控訴棄却された。三選して傲慢さを強める安倍への批判も、靖国神社の愚かな実態も、これには何一つ影響を与えなかった。そしてまた、一〇月三〇日の韓国におけるいわゆる「徴用工裁判」で、韓国大審院により個人請求権と賠償金支払いが認められた歴史的な判決に対する、日本国内の政府やメディアなどによる「反韓国」主張の膨大な垂れ流しは、日本国家や社会が、「好景気」という虚言の陰でどれほど社会不安と排外主義を膨らませているかを明らかにした。それはまた、中国への侵略の歴史的事実への具体的な対応はもちろん、いまだ国交すらない「北朝鮮」国家や、そこに暮らす人びととの今後の関係性をも照らしだし、私たちの今後を変えなければならないという重要かつ最大の課題を示すものともなる。

天皇制の姿は帝国憲法の「神聖・不可侵」な「統治権の総攬者」から、日本国憲法の「象徴」へと変わりながらも、その植民地主義や戦争責任はいずれも問わずに済まされようとしてきた。国家の責任を「国民」個々人に擦りつけることによって、国家や天皇、為政者や軍への憤りを鬱々と内向させてきた現実が、植民地とされた地域の人びとからの告発により、直面させられると同時に、その犯罪と歴史修正主義が根本から問われるに至ったのだ。「明治一五〇年」の内実は、やはりあらためて認識しなおされるべきであり、その先にこそ、私たちは向かわなければならない。
政府は、即位関連の日程やこれに向けた体制を策定した。天皇の代替わりをめぐる私たちの行動は、より具体的なものへと進めなければならない。私たちは、「終わりにしよう!天皇制」を合言葉に、代替わりに反対する運動のネットワークをいま立ち上げようとしている。一一月二五日には、集会を準備している。ぜひともこのネットワークへの参加を呼びかけたい。

(蝙蝠)