世間は師走だそうだ。街の飾り付けも、TVの映像も、電車のつり広告も、道を歩く人びとも、そういわれてみれば、みなそのように見える。しかし、いったい師走らしさとはなんだ?
クリスマスと正月に向けた商店街の賑わいか。その賑わいのなかで、ボーナスで少し暖まった懐をちょびっと解放する嬉しい一時か。あるいは大掃除。あるいは短い休暇の嬉しさと悲しさ?
少なくともこの30年間、私には12.23集会と忘年会、大掃除と短い休暇の悲しさだけが師走の記憶かもしれない。その12.23集会も今年が最後となる、ということは、集会後の楽しかった忘年会もなくなるか…。お〜、淋しい。いや、そういうことを言いたかったわけではない。
12.23集会は、この日こそは天皇制の侵略戦争責任を、後からは植民地主義も加わって、天皇制の問題を考えるにふさわしい日であるとして始めた。植民地主義と侵略戦争のさなかに生まれた明仁の誕生日。そして「東京裁判」によって、A級戦犯が処刑された日。天皇制の責任を問うにピッタリの「記念日」であり、ヒロヒトからアキヒトへの代替わりで、天皇制の植民地主義・戦争責任の問題が曖昧化されることを懸念する私たちには、とても空気の入る集会としてあった。
アキヒトからナルヒトへの代替わりで、私たちの懸念はさらに膨らむ。そして「記念日」に反対し、そこから歴史を紐解き、声を上げていく行動の一つが消える。12.23がなくなろうと、天皇制の植民地主義・侵略戦争の歴史は残り、そのことへの無責任体制も続いている。これからの反天皇制運動はなかなかに困難である……。「記念日」闘争が立ちゆかないだけの時間が経っているのだ。天皇「代替わり」を自分たちの時間に変えていく運動の過程で、そういったことも考えねば、だな。
(大子)