【集会報告】退位・即位問題を考える練馬の会〜『明治一五〇年』近代天皇制国家を問う

「アキヒト退位・ナルヒト即位問題を考える練馬の会」では、結成一周年にあたって「『明治一五〇年』近代天皇制国家を問う」と題して、太田昌国さんによる講演と討論の集会を開催した。

 太田さんは、まず金静美「東アジアにおける王政の廃絶について」をひきながら、二〇世紀初頭に相次いで倒れた中国(清国)・大韓帝国・帝政ロシアという三つの王政と、生き残った日本の天皇制を対比させ、世界史的な観点から天皇制を把握することへの注意を喚起した。引き続き、英国のインドから中国への植民化の進行、メキシコ戦争を経て大西洋から太平洋に至る領土を得た米国、南下を開始していたロシアなど、膨張する帝国主義の時代の中でアジアへの侵略政策を選択し国家形成をしていった、新興帝国主義国家としての大日本帝国の問題について述べられていった。

 「万国公法」を掲げて、半未開、未開国を支配して収奪する欧米「文明国」に倣い、日本は、そのイデオローグであった吉田松陰らの構想をなぞりつつ、欧米との交渉で失ったものを、蝦夷地、琉球を手はじめとする東アジアの植民地化の進行によって奪回するという戦略を取った。この植民地主義の歴史は、厳しく批判し否定しなければならないが、そのためには、侵略されたアイヌら少数民族の歴史をいわゆる「被抑圧史観」で捉えるだけでなく、それぞれの民族が有していた歴史と可能性を、これらの事実のなかで躍動的に認識することが重要だと強調された。

 いま、こうした植民地主義を臆面もなく正当化し、これを批判する立場を「自虐史観」とする勢力が圧倒的になっている。一九四五年の敗戦処理から学ぶべきことは、日米安保条約と天皇制の問題とともに、「戦後の平和主義」がアジアへの植民地支配の結果を総括しておらず、「戦後」のアジアにおける戦争状況をも無視しているということであり、それをこそ考えねばならない。朝鮮半島の問題においても、日本帝国主義の歴史への責任の認識を、いまなお欠いた発言が支配している。それは、左派やリベラルの敗北の結果でもあった。だからこそ今後も、安易な結論を求めず、この現実に主体的に真剣に向き合っていかねばならない、と結ばれた。参加者は三七名。

 「練馬の会」としては、これまで六回の集会・学習集会を行なってきたが、二月からもほぼ二カ月ごとに練馬で集会を重ねていく予定だ。多くの参加を呼びかけたい。    

(蝙蝠)