【集会報告】オリンピック災害おことわリ連絡会・二回の学習会

2020オリンピック災害おことわり連絡会(おことわリンク)は、今年も新年早々の一月五日(土)@文京区シビックセンター、二七日(日)@小石川運動場会議室と、二回の学習会を開催した。

五日は講師の井谷聡子さんの「スポーツとジェンダー・セクシャリティ〜ナショナリズムと植民地主義の視点から」と題する、実に興味深い講演だった。論点は四つ。(1)「女性のオリンピック参加の歴史」、(2)「オリンピックと人種主義、国家主義〜優越人種・民族としての自己の構築」、(3)「オリンピックと植民地主義〜『他者』の構築」、(4)「女子アスリートというアンビバレンス」。このコンテンツだけでも興味をそそられる。

たくさんの興味深い話の中で二点だけ紹介する。一つは「近代オリンピックの父」と言われるクーベルタンが言い放った言葉。女性のオリンピック参加については「非実用的で、面白くもなく、見苦しい上に、はっきり言うと下品である」「女の光栄は、彼女が産んだ子どもの数と質を通して勝ち取られるもので、スポーツについていうなら、女の最大の功績は彼女自身が記録を目指すことではなく、彼女の息子が卓越するように励ますことだ」。どこかの一族の話かと思うよね。そして植民地との関係については「オリンピックは、植民地の人びとに規律を教える壮健な手段」。井谷さんは「当時の一般的な男性による女性観」であるが、オリンピックがそのような女性観で始まっていること、オリンピズムが植民地主義的態度を内包している問題を指摘。支配者・有力者たちの論理はどこの国も似通っている。

二点目は、さまざまな問題を列挙した後の彼女の結論。こういったオリンピックの抑圧システムに対して、連帯して抵抗することなく、スポーツにおける「平等・正義」を求められるのか、というラディカルな問いかけだった。

二七日は谷口源太郎さんによる「誰のためのスポーツなのか〜市民参加への道」講演と映像。世界規模で”Do Sports”(するスポーツ)が、オリンピックなど国際スポーツイベントによって潰されていく問題、その根本にある行政によるスポーツ施策の問題を、一九九二年製作のBBCドキュメンタリーと、一九六〇年代後半に始まった兵庫県・垂水住民による、”Do Sports”のための試みを記録したフィルムを見ながら、谷口さんの解説を聞いた。こちらもとても興味深い内容だった。

「スポーツが政治に飲み込まれた時代の反省」からドイツで起こったゴールデンプラン。「政府は援助はするが支配しない、運営側は特定の政党に与しない」というパートナーシップ原則。しかしそれも整備費用・運営のための維持費の継続が前提である。条件は厳しい。

“Do Sports”からはほど遠い人生を選択したかのように思える私は、”Do Sports”は人権の一つであると言われ、なるほどと頷きつつ、ならばそれは要求せねば、とせこいことを考える……。しかし、「スポーツで連帯、創造、開発、発表等の喜びを得」、「スポーツをすることで豊かな喜びの内実を拡大できる」という話とともに”Do sports”を薦めてくれる谷口さんの話を、どこまで自分の中に取り込めたかは定かではない。ただ、オリンピックの反対側にある価値観であることはよく理解できた。

(スポーツ不得手大子)