歴史とはこれから起こる未知の世界ではなく、すでに過ぎ去った過去の人物であり、人間のいとなみであり、人間がつくりだした事件であり、そういった人間を育てあるいは疎外した都市や農村・漁村であり、そこを支えた産業や経済であり、それを支えた文化や教育であり、それらが依拠する宗教や政治体制であり、それを支えあるいは反抗した人間のいとなみであり、そういった人間の交流や争いであり、その大小すべてが影響しあったり淘汰されたりと、とめどなく果てしない……。
自分の知りうるエリアでさえ、その歴史の全体像はわからない。歴史も未知の世界に等しい。だけど私たちはその歴史の延長に生きているし、影響し合ったどちらかにいて、複雑に絡み合っているどころか、交流したり争ったどちらかにいて、支えたり反抗した者たちのどちらかの延長にいる。それともそのような発想全体が間違っているのかもしれない。だから人は記録を残し、未知の歴史に少しでも触れ得たと思った者は、それを人に伝えようとする。私たちには未知の歴史に近づく手がかりがたくさん残されている。
子どもの頃読んだ他愛のない本たちさえも、おそらくはその類に含まれる。私的あるいは政治的な下心に満ちた歴史も、それに反発する歴史も綴られる。すべての記録が意味を持ち始め、例外と思える義務教育の教科書すら、考える素材となり得る。
だから人は読み、人の話に耳を傾けるのだろう。唯一の未知の過去に近づく手立てとして。支配し支配された、殺し殺された、疎外し疎外されたそれぞれの歴史の上にいる人間たちの、対等な交流を求める者として。でも一番大事なことは、目の前にいる人物を、歴史を作る一人の人間として認識し尊重することなのだけどね。
(橙)