【今月のALERT】明仁は謝罪して天皇も皇族も辞めろ!

 三月一日は、「三・一独立運動」から一〇〇年目の記念日だった。ソウルの政府式典で文在寅大統領は、「歴史を鑑として韓国と日本が固く手を握る時、平和の時代がわれわれに近付くでしょう。力を合わせて被害者の苦痛を実質的に癒やす時、韓国と日本は心が通じ合う真の友人になるでしょう」と述べた。まずは、歴史和解を前提として「未来志向」を呼びかけるものであっただろう。

 だが、日本側の反応はどうか。外務省は、韓国滞在日本人や渡航予定者に対し、当日は「慎重に行動し、無用のトラブルに巻き込まれることのないよう」注意喚起する海外安全情報を流した。二月二七日の自民党外交部会で、ある出席議員が「文在寅大統領が……三一運動に向けて国民を煽るようなことをしている。三月一日に日本人がデモに巻き込まれて傷つけられるようなことになれば、日韓関係は破滅的な状況になる」と発言した結果だ。演説で文在寅が挙げた、三一運動の死者七五〇〇人という数字についても、外務省は「見解が一致していない事を公の場で発言するのは不適切だ」と抗議している。

 こうした日本政府の敵対的な対応が、「日韓合意」「慰安婦問題」や徴用工問題などをはじめとする歴史認識にあることは明白だ。日本政府にとって植民地支配の過去清算は「すでに決着済み」であって、事あるごとにこれを蒸し返す文政権には、毅然とした態度で臨まなければいけないというのだ。

 メディアの反応も、文在寅は自己の政治基盤を「反日」でまとめようとしているだけ、歴史を知らない異常な国家であるという、ほとんどヘイトスピーチに近い論調で埋め尽くされている。「親日残滓の清算」というのは、韓国社会における脱植民地主義の課題としての主張である。それを「反日」としか理解しない。「帝国残滓」(いや、残滓とは言えないが)を本当に清算しなければならないのは、この日本社会の方である。

 実際、とりわけ韓国・朝鮮に対するこの国の宗主国意識は根強い。それが露骨にあらわれたのが、文喜相(ムン・ヒサン)韓国国会議長の、天皇による「謝罪」を求めた発言に対する反応だろう。

 二月八日に配信された米通信社のインタビューで、文議長は「その方(天皇)は戦争犯罪に関わった主犯の息子ではないか。(元「慰安婦」の)おばあさんの手を握り、申し訳なかったと一言言えば、問題は解消されるだろう」と語ったという。これに対して安倍首相は、「甚だしく不適切な内容を含むものであり、極めて遺憾」と述べた。さらに河野外相は、一三日の衆院予算委員会で、中山泰秀自民党議員の「発言が日本人の心も魂も傷つけていることに対してどう考えるか」との質問に対して、「文議長の発言は甚だしく無礼だ。その後も同じ趣旨の発言を繰り返し、極めて遺憾だ」と繰り返している。

 「無礼」という言い振りに耳を疑う。もちろんそれは、天皇に謝罪させようという発想が無礼だと言いたいのだ。
 私たちはもちろん、「天皇の謝罪」自体が欺瞞だし、天皇の政治的行為は端的に違憲だと考えるから、天皇に謝罪を求める立場は共有できない。けれども、天皇制国家による被害を受けた側が、こうした主張を行うことは理解すべきだ。太平洋戦争犠牲者遺族会の集会でも、同様の要求が出されている。天皇は実質上「国家を代表する」元首的な役割を、外交場面で果たし続けている。そうしたことを許している側の人間が、憲法の条文などを持ち出して、天皇は政治関与を禁じられています、などと言ってすむ話ではないだろう。

 私たちは、九〇年代、「天皇に謝罪してほしい」という元「慰安婦」の人たちの声を前にして、これに対してどう考えるべきかを内部で討論した。結論は、こうした要求に対しては「明仁は天皇を辞めて謝罪せよ」、あるいは「謝罪することは天皇を辞めることだ」という主張で呼応するしかないということだった。

 あと二か月たらずで明仁は天皇を辞める。謝罪はなく、辞めても上皇になる。だからいま「謝罪して天皇も皇族も辞めろ」というしかない。

 明仁は一九九〇年五月、盧泰愚大統領を招いた宮中晩餐会で、「痛惜の念」を口にした。しかしそれは「昭和天皇が『今世紀の一時期において、両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならない』と述べられたことを思い起こします」という言葉に続くものであった。このことにも明仁の「謝罪」が欺瞞でしかありえないことはすでに明らかである。

(北野誉)