衆院選は自民党が単独で過半数を獲得し、自公で三分の二の議席を維持する圧勝だった。前回と同じく今回も自民党が最終演説を行ったのは秋葉原。多数の「日の丸」の旗に出迎えられ、北朝鮮の脅威をあおる安倍の演説に高揚する人々の姿に心のざらつきを覚えたのは私だけではなかったはずだ。安倍の言う「国難突破解散」は、学校法人「森友」「加計」問題による支持率低下を瞬時のものとしてしまった。「外敵を見出して国難を叫び、他国との緊張関係を高めて自国内で自らの権力強化を狙う指導者は枚挙にいとまがない」と政治学者がコメントしているが、まさにそのような選挙結果であった。戦後二番目の投票率の低さだったというが、年齢が低下するほど安倍の支持率が上がるということに、これまたざわざわと心穏やかではいられない。
今回自民党や希望の党の対抗軸として立憲民主党が躍進した。改憲に「NO」を唱える人々の票もそこに流れたことは間違いないであろう。しかし、枝野が民主党時代九条改憲を提示していたことはやはり記憶しておくべきだろう。九条改憲を巡る政治状況が今迄とは明らかに違う時代に入ったということは認識する必要があると思う。今のところ世論調査では九条に自衛隊を明記することに五二%が反対しているということだが、「安倍政権下では反対」だという声に注視していきたい。
そんな選挙戦の投票日の前々日である一〇月二〇日、朝日新聞は天皇退位の日程を一九年三月末と一面トップで報じた。その翌日には(東京)(毎日)(読売)各新聞もこぞって掲載した。この時点で菅義偉官房長官は選挙前でもあり否定をしたようだが第四次安倍内閣も発足し、すでに皇室会議の日程調整に入っていると思われる。
一一月以降に皇室会議を経て(共同、読売では一二月との報道)、退位と改元の期日が決定され、一八年中に新元号公表。一九年三月三一日に天皇退位、四月一日に皇太子ナルヒトが新天皇に即位し、新元号が施行されるという流れが予想されている。
一時浮上していた一八年の退位は、年末年始の宮中行事が立て込んでいる時期で物理的に難しいとか、アキヒトが一九年一月七日予定の『昭和天皇三十年式年祭』を自身でやることを強く望んでいるので、それまでは天皇でいたいからだとか、漏れ伝わる情報で真意のほどは定かではないが除外されたとみていいだろう。
今号の学習会報告で紹介したケネス・ルオフ著『国民の天皇』は、象徴天皇制が如何にして人々の間に浸透していったかを記するなかで、皇室も「国民」に受け入れられるように努力してきたという(学習会報告参照)。
いわゆるアキヒト「生前退位」メッセージから、その日程が具体化してきた今日に至るまで、こと天皇に関しては完全に翼賛体制化している実態を随所で見せられる私たちであるが、それもアキヒト・ミチコの「平成流象徴天皇制」の「努力」がなし得た成果の一つであることに間違いない。
では一体その「努力」とはどのようなものなのか。ルオフは天皇夫婦の行動目標は、社会の片隅に追いやられた人々を引き出すことと、戦後を終わらせることの二つであるという。実際、被災地巡行を熱心に行い、かつての激戦地を尋ねる旅を続けた。そして、それが象徴の務めであると天皇自ら象徴規定をするほどに使命とし励んできたのだろう。
そのような天皇制を私たちはいらないと否定している。それはなぜなのか!その理由を自由に語らせてほしい。しかしそれを許さないのも天皇制だ。
天皇制はあらゆる側面に渡って修正が施され、近代化されてきたという。時代とともに変化してきた。そして反天皇制の運動も、その変化に対抗しその都度模索し思考してきた。これは否定することが出来ない抵抗運動の歴史だ。積み重ねられてきた議論は決して無駄ではなく、新しい仲間を繋ぐ力であると思っている。現在反天皇制の声をあげるのは少数者となってしまった。けれどもここ数年、新しい参加者が毎回増えていることも事実なのだ。
強制的に植え付けられた価値観を取り払い、私は天皇制から解放されたい。新しい天皇はいらない。終わりにしよう天皇制、仲間とともに!
「終わりにしよう天皇制」11 ・26 集会デモと、恒例の12 ・23 集会に来てね!待ってます!
(鰐沢桃子)