【表紙コラム】

 「反天連」の結成時点から、女性史の研究者として象徴天皇制を支える民衆意識の鋭い「内在批判」を持続し、私たちの運動の強力な理論的な助っ人であり続けた加納実紀代さんが78歳の生涯を終えられた。私たちと彼女との協力関係は、〈女性天皇制〉の評価をめぐる対立の局面を含めて、今日まで決して崩れることはなかった。2月22日の彼女の死の報告が、私たちに届いた時は、2月24日の「天皇在位30年記念式典」のマスコミ大騒ぎに抗する運動に私たちが忙しく動きまわっている最中であった。遠からぬ死を最後の著作の「あとがき」などで自分で公言していた彼女の死は、「悲しみ」はあっても「驚き」はなかった。

 しかし、4月1日の高橋寿臣のサウナでの突然死の報告は、頭がまっ白になる「驚き」と「嘘だろう」という思いが、今でも続いている。彼は「反天連」結成時から、長く運動を共にし、同世代ということもあって、運動の中でのゴタゴタに対処しなければならない時の私の相談相手として唯一無二の、信頼できる友人であった。その関係は、彼が事務局の日常活動をリタイアしてしまっている今まで、続いてきた(最後に会った3月30日の「天皇『代替わり』直前! いまからでも”NO”と言おう」集会の後も、めんどくさい相談ごとについて助言を久しぶりに聞いたばかりであった)。

 100歳近くまで生きた福富節男さんが、まだ90歳に入ったか入っていない年齢のころ、「この年になると親しかったいろんな友人も父母などの血縁関係者も、みな死んでしまい、ひどく寂しいもんだよ」と語った言葉が、私の耳に残っている。まだ、そんな年齢になっていなかったその時の私は、「そんなもんだろうナー」と思った程度であった。

 高橋は70歳。わたしもすでに71歳である。今、その「寂しいもんだよ」という言葉が本当に強烈に身に染みる。

(天野恵一)