【今月のAlert 】「代替わり」本格スタートに対抗する反天WEEKへ──ともに!!

 四月一日、新「元号」が発表された。新「元号」を掲げる菅官房長官のしたり顔と、その掲げられた「令和」の二文字が、その日の夕刊一面をドアップで占拠した。私が購読する新聞の翌日朝刊は、「教育欄」「生活欄」「文化・文芸欄」と数字が並ぶだけの「金融欄」以外で、「元号」を見ないですむ欄はないという異様さであった。社会全体がこの情報を待っていたし、「新しい時代」を喜んでいると言わんばかりである。少なくともそのように誘導する。しかし、それが空回りであることもメディアはよくわかっているはずだ。

 よく見れば、反対する声も記事になっている。実際、反対する人は少なくない。世論調査でも「元号離れ」は指摘されている。しかし、すべてが決まったあとに、どのように反対の意見を紹介されても遅すぎるのだ。元号反対の署名を始めた時も、国会への抗議行動も、そして署名提出の時も、メディアはまったくもって無視を決め込んでいた。今さらでも何でも、私たちの意見が表に出るのはいいに違いない。だが、影響を及ぼすには時機を逸し過ぎた記事づくりには、ほとほとイヤになるばかりだ。

 世論調査での「元号離れ」はすでに昨年から指摘されていたし、非合理性や「国民生活への影響」も指摘されていた。しかし、やめようという言論づくりは見られない。遅すぎる時期を待たずに、それをやるわけにはいかない。そういう方針に貫かれているのだ。

 「元号」は「中国古典からではなく国書から」という保守派を代表する安倍の意向で、「万葉集」から選ばれた。しかしその翌日には、その歌も中国古典が元になっているという専門家たちの「定説」が暴露されているし、菅による新「元号」発表の直後に行った安倍の記者会見についても、安倍が政治的すぎるといった声がすでに週刊誌等では上がっている。新「元号」の政令への署名が新天皇ではなく、現天皇がなす事への批判等々も。もともと、元号の発表時期をめぐっても、天皇退位・新天皇即位と絡まりつつ、「国民生活への影響」などまったく無視されながら、政府の手前勝手な紆余曲折を経て四月一日に決まったのだった。ケチばかりがついている。

 それでも「元号」をやめようという話にはならない。良い「元号」の発表時期、良い発表の仕方、良い「元号」の選び方や良い手続きに良い運用……。しかし、そんなものはあり得ないのだ。「元号」がダメなのだから。元号は非合理的である。しかし、それ以上に、思想信条の問題であり、歴史認識、基本的人権の問題なのだ。

 新「元号」発表より少し前の三月一二日、天皇は、「退位及びその期日奉告の儀」という天皇退位に関する最初の儀式を行った。天皇が四月三〇日に退位することを、皇居内にある宮中三殿で神々に報告するという儀式だ。その神々とは、アマテラスであり、神武天皇から始まるという歴代天皇の霊であり、その他諸々の神々であるという。私たちは忘れがちであるが、天皇たちは常にこの神々とともにあり、祈りの対象として皇居内に祀っているのだ。同日、伊勢神宮、神武天皇陵、昭和、大正、明治、孝明の各天皇陵に使者を派遣する「勅使発遣(ちょくしはっけん)の儀」も行われている。

 そして三月二六日、関連行事の一つとして、天皇・皇后は「皇室行事」として、神武天皇陵を参拝した。このような退位関連儀式は全部で一一ある。今後、四月一八日に伊勢神宮、同月二三日に昭和天皇陵を参拝し、退位を直接報告するという。四月三〇日の「退位礼正殿の儀」は国事行為として開催し、三権の長、閣僚らも出席する。

 なぜ、退任・就任ではなく退位・即位なのか。「代替わり」がなぜ辞令一枚ですまないのか。これらの一連の儀式が物語るが、宗教的な存在が国家機関となっているからだ。そして、それが一公務員の「身分」ではないという認識があるからだ。そのような制度に縛り付けられているこの国のありようが、社会のセーフティネットよりもこのような制度に多額の税金を使うことを是とするのだ。

 二月二二日、加納実紀代さんが、四月一日、反天連の高橋寿臣さんが亡くなった。お二人からはたくさんのことを学んだ。高橋さんは、この反「代替わり」闘争を私たちと共に走るつもりであったはず。

 4・27から始まる反天WEEK、気持ちは一緒に頑張るぞ。みなさまもぜひご参加を!!

(桜井大子)