【書評】安倍靖国参拝違憲訴訟の会・東京事務局『安倍靖国参拝違憲訴訟・東京第一審記録集』

この「安倍靖国参拝違憲訴訟」については、すでに昨年一〇月と今年二月には大阪訴訟の一審・二審判決が出され、さらに、今年の四月に東京訴訟においてもひどい一審判決が出されたことは「Alert 」11 号や、その他でも報告されている通りです。

現在、東京訴訟では二審の手続きに入り、大阪訴訟でも最高裁に向けた取り組みが開始されていますが、全体の情勢は「安倍忖度」も深まり、とうてい、希望を抱かせるものではありません。

しかし、こうした現実に対する違憲訴訟を提起することは、ただ法廷での「結果」だけの意味にとどまるものではないことはご存じのとおりです。私たちが取り組んだ、この東京での違憲訴訟においては、海外を含む多数の原告や、法律・歴史学の専門家証人によって、重要な問題提起がなされており、それ自体が意味を持つものだということを、改めて強調したいと考えます。この「一審記録集」は、B5判並製・三一六ページ・四段組みにわたり、二〇一四年から今年までの闘いの記録がまとめられています。

裁判所は、このような多数の原告が立った裁判では、極力、書面提出のみにさせ、要旨の朗読のみを制限された時間内で処理しようとします。しかし、弁護団と事務局は、ぎりぎりまで、できるだけ多数の証言を実現させようと努力を重ねました。専門家証人の吉田裕(歴史学)、青井未帆(憲法学)、木戸衛一(歴史学)、南相九(歴史学)、張剣波(歴史学)の各氏の証言は意見書提出とさせられましたが、この記録集には、この専門家意見書に加え、実現された原告八名の意見陳述、原告二十二名の本人尋問の発言内容が全文掲載されています。

憲法訴訟の記録集、なおかつ大部の資料だということで、原告や法曹関係者以外は手に取りにくいものと思われるでしょう。訴因の法的根拠などを述べる弁護側の書面や、判決文などにおいては、そのことだけを取り上げるならば確かに否定しづらい面はあります。しかし、今回のこの訴訟においては、口頭弁論が重視され、多数の原告が意見書を提出し、法廷において自ら意見陳述に立っていったのでした。

この原告たちの証言は、いずれも、とても熱のこもったものでした。そして、何よりも強調したいのは、これらの証言が、自らの具体的な個人史に裏打ちされたものであり、歴史的な事実を述べるときにも、政治に対する危機意識や憤りを語るときにも、きわめて同時代的に、ひと一人の尊厳を懸けた発言内容であったということです。

大日本帝国による戦争が、侵略と植民地支配によりひとを殺害し、またはその手先とさせられて「戦死」させられたという事実は、靖国により「戦没」者がその名を奪われ「× × 命(ミコト)」と改変されて「祀られ」、観光客に向けて遊就館に「陳列」されているシロモノが示す意味とは、まったく次元を異にするものです。死者が誰であったのか、その死をどのように受け容れさせられようとしたのか、そしてその死者を誰がどのように利用して、虚偽そのものでしかない「歴史」や政策、妄動や暴力の煽動へと変えていったのか、それこそが靖国でありこれを明らかにして否定することこそが、この裁判の意味でもありました。

証言に立った原告たちの多くは高年齢層であり、枯れた柔らかな印象の方たちです。しかし、その胸の裡に持ち続けている悲しみや怒りが証言の言葉として迸るのを、傍聴席で聞いていて、思わず息詰まり涙ぐむことをしばしば抑えられなくなりました。こうした訴訟がなぜ必要なのか、裁判という場をかりて、ひとの歴史をつないでいくことの意味を、深く考えさせられました。

政教分離原則や、信教、思想信条の自由、平和的生存権や人格権など、原告の権利や法益のあらゆる点が、一審判決では無視され足蹴にされましたが、この裁判は、最初に触れたようにまだ継続中です。そして、あらためて強調したいのは、この裁判のみならず、あらゆる方面から、私たち自身の生と歴史の意味をつき出していくことの重要性です。もし憲法訴訟に敷居の高さを感じる方がいるとすれば、それは誤解です。歴史をつなぐこと、憲法を生かすということが、一人の人間においてどのようなことであるか、ほんの一端でも、この記録集の原告証言や弁論からくみとっていってほしいと、心から願います。

二〇一七年八月一五日発行、二〇〇〇円申込先:〒202-0022 東京都西東京市柳沢2-11-13
郵便振替口座:00170-2-291619
http://seikyobunri.ten-no.net
mailto://noyasukuni2013@gmail.com

(のむらともゆき)