【追悼文】 追悼 高橋寿臣さん

今、私の手元に三本の原稿がある。一本は『「天皇代替わり」との闘い昭和Xデーについて』、一本は『かつて十・八羽田闘争があった』、そして『続全共闘白書』へのアンケート回答紙である。いずれも高橋寿臣さんから亡くなる数日前に「プリンタの調子が悪いので刷っておいて」と頼まれたものだ。原稿はすでに掲載予定の雑誌や機関紙に送られてはいたが、周辺にも配りたいとのことで、亡くなったその週にも手渡す予定になっていた。高橋さんの手に渡ることはもうない──原稿を手に私はいまだ呆然としている。
 
私が高橋さんと初めて会ったのは、一九八四年の反天連の立ち上げ時だった。救援運動を担っていたグループ・個人を中心に十数人が高円寺の事務所に集まり、反天皇制の運動をどうつくっていくかを話し合った。そこで、ひときわテンション高く大声で喋り、ガハハと陽気に笑う、それが高橋さんだった。当時、彼は「靖国問題研究会」の一員として参加し、靖国神社問題という視点を反天皇制運動に提示した。靖問研との出会いは反天連にとってとても大きかったと思う。全斗煥来日、中曽根の靖国神社公式参拝……、Xデーに向けて私たちは文字どおり走り続けた。
 
そのなかで高橋さんがしばしば口にした言葉が「課題にこだわる」であった。ヒロヒトXデー後の一九八九年の4・29を闘った後に彼が反天連ニュースに載せた一文がある。それまで共に反天皇制を闘った人々から、もっと幅広い課題での運動を起こしていくべきという声があり、それに対しての文である。

「……私たち〝心の狭い〞反天連は、このような時いつも、戦後大衆運動史の中で度々現れてきた『幅広主義』=運動の質を問わない『多数派形成論』や、それと必然的に結びついている運動のリーダー達の『課題ころがし』のスタイルの繰り返しでは?と、胡散臭さを感じとってしまう。……日本社会の変革の道筋や展望は、政治力学関係への場当り的利用主義では決して生み出されえないと思っているからである」。自身の党派経験への反省も込められていたように思う。
 
その高橋さんが最後までこだわっていたのが沖縄だった。亡くなる数日前、パソコン操作を手伝ってと言われ助っ人に出向いた。冒頭の『続全共闘白書』の回答を作成する作業だった。高橋さんは「つまらん質問するな〜」とブツブツ言いながらも一つ一つ真面目に答えていた(回答は本名での内容公表可としている)。「自主的な活動をしていますか」という問いに「日本国の沖縄への強権支配をやめさせるため、可能な限り動きたい」と回答、「沖縄の辺野古新基地阻止闘争にもっと関わりたいが、体力・金力の衰退が残念」とも書いている。そう答えながらも「もっと辺野古に行きたい」と口惜しそうに語っていた。そして一つの提案を聞いた。それは軟弱地盤が見つかった辺野古には莫大な税金が投入される、税金を使うなという裁判を起こせないかというものだった。〝税〞の観点で裁判を起こすことで辺野古の問題をヤマトの問題・関心事にできないか、阻止できないかという思いだった。
 
私はほぼ第一期で反天連を離れたが、それ以後のほうが高橋さんに多く会うようになったと思う。福島にも行った、辺野古にも行った。もちろん二人だけではない、パートナーの芥川さんや高橋さんの友人たちとの同行である。私は高橋さんの五歳ほど年下だが、高校・大学時代と運動の端っこにいて、対党派闘争も経験したので、高橋さんの全共闘時代の話を興味を持って聞いた。その時代の友人も多く紹介された。「遊び」にもよく誘われた。「野沢温泉に行かないか」「和歌山のクルマ旅に行こう」と言われ、高橋さんと話すのが大好きだった私は声がかかるたびにいそいそと出かけていった。ワイワイ遊ぶのが好きだった高橋さんは友人たちを結びつけるのも得意だった。先日の葬儀で、そうして知り合った一人から「僕たちの〝カナメ〞がなくなってしまったね」とポツリと言われた。そう、私(たち)は要を失ってしまったのだ。
 
最近は自分の闘争の原点と言っていた十・八羽田闘争を考える山﨑博昭プロジェクトにも顔を出していると聞いた。そこでファンだった歌人・道浦母都子に会ったと嬉しそうに話していた。光州事件を描いた映画『タクシー運転手〜』ではいつも腰に下げていたタオルで涙を拭っていた。人一倍涙もろく、闘う人が大好きだった。大の中日ドラゴンズファンでもあった(葬儀のとき棺に中スポを入れた友人もいた)。いろんな高橋さんと会ったなあと思う。
 
高橋さんが亡くなったのは新元号が発表された日だ。昼近くにプールに行きサウナで倒れてということなので果たして新元号を知っていたのか……。発表から続くあのバカ騒ぎをどう思っただろう。
 
亡くなる数日前にも高橋さんと飲んだ。よく飲み、よく食べ、よく喋り、そしてやはりガハハハと甲高く笑った。緩んだ差し歯が飛び出しそうになって慌てて押さえながら、笑い続けていた。
 
高橋さんはもういないのだと繰り返す。でも私はまだその世界に馴染めない。いつもせっかちだった高橋さん、でも、今回ばかりはせっかちすぎやしませんか。

(末田亜子・反天連OB)