【学習会報告】井上寛司『「神道」の虚像と実像』 (講談社現代新書、二〇一一年)

 「神道」には二系統あると著者は言う。すなわち、近代には「国家神道」へと結実してゆくことになる民衆統治のための政治支配思想としての「神道」と、アニミズムが根柢にあるカミ祭りの体系という「融通無碍な多神教」を構成する有機的な一部としての「神道(ないしは神祇道)」である。著者の狙いは「神道」の歴史を通覧することで「国家神道」に至る「神道」の系統を剔抉し、同時に民衆が営んできた信仰の一部としての「神道」は救い出すというものであろう。そして、その二重構造から解放された現在の「神道」が進むべき道は、「融通無碍な多神教を構成するその有機的な一部としてのありかたに徹する」ことであるというのが、著者の主張だ。かかる前提の上に、その二系統が織りなす歴史を動態的に描きながら、柳田國男のように神道を「日本固有の宗教」として超歴史的に捉えることを批判してゆくのが、この本である。

 学習会では「神道」を二系統に分けるというその明快さに対して、各時代の支配階級による作為の体系としての「神道」については歴史的な視点を持っているものの、民衆の信仰は常に「融通無碍な多神教」であった、という著者の整理は超歴史的ではないのか、とか、民衆の信仰は近代には天皇崇拝へと回収されていったのであって「国家神道」下にただ抑圧されていただけではない、とか、著者の「神道」には天皇祭祀=皇室神道という要素が閑却されているがゆえに、戦後の問題点を捉えきれていない、といったことなどが議論された。

 次回は六月二五日に大塚英志『感情天皇論』を読む。  

(羽黒仁史)