資本主義の「共通価値」として語られていたはずの「公正」や「平等」が、さらに「自由」までもが大幅に毀損されていっている。トランプの「アメリカ第一」は、「自民族優先」さらに世界的な排外主義、他民族排斥やヘイトの潮流として、はっきり時代を画している。こうした状況下で危ぶまれながらも、前回の自民党大勝が多少は是正され、参議院においては改憲与党が2/3を超える構成ではなくなった。しかしもちろんその内実において危
険水域は続いており、あらゆる条文や理由を持ち出して改憲に踏み出そうという政治勢力はあまり減少していない。
むしろ、日本国家や社会システムの全体的な衰退の原因を、極右のいう「特定東アジア」や、国内の「反日勢力」の「存在」に仮構して、権威主義的体制を造り上げようとする動向はいよいよ悪性のものになっている。中国との関係、北朝鮮との関係においては、アメリカへの依存を強いられ、ロシアに対しては「領土交渉」で成果を上げると広言しておきながら、「安倍外交」はほぼその全てを喪失する真逆の「大成果」を上げた。だからこそ、安倍らの日本政府にとっては、韓国への強硬的なふるまいだけが、この愚かな政府への「求心力」を生みだす咒法となっている。
韓国を輸出「優遇」の「ホワイト国」から外すという措置は、日本国内メディアやネット世論を除く世界中の誰の目から見ても、戦時性奴隷とされた「慰安婦」問題や強制による「徴用工」問題についての報復措置である。これはトランプ流の国内経済第一主義ですらなく、「反韓国」世論を煽ることで、排外主義をテコとして国内の諸問題をあるいは打ち消しあるいは歪める政治操作に他ならない。
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八月一日から、愛知県で「あいちトリエンナーレ2019」が開催されている。今回は津田大介を芸術監督として、その選考においても男女平等にするなどの注目される試みがあり、多くの作品を集めている。その中のひとつのプログラムとして、「表現の不自由展・その後」という展示がなされている。(https://censorship.social)
このプログラムは、二〇一五年に練馬で開催され、私たちも協力した「表現の不自由展」の発展形とも言うべきもので、ニコンサロンでの写真展を圧殺された安世鴻さんの写真、富山県立近代美術館で作品や図録を破棄された大浦信行さんの絵画、そしてキム・ソギョン/キム・ウンソンさんによる「平和の少女像」など、一六組の作家による表現が一堂に会している。そして、とりわけ日本の戦争・戦後史を問題とする作品に対し、歴史修正主義者やヘイト活動家、「ネトウヨ」からの激しい攻撃が、たったいまも続いている。なかでも「少女像」に対しては、SNSなどで煽動された破壊の危険も含め、河村市長や菅官房長官など極右の政治家たちによる弾圧が準備され、展示は予断を許さない事態にある。「表現の不自由」とは、日本の戦争責任、歴史問題、天皇制の問題であり、国家や右翼により遂行される脅迫と暴力、まさに国家「テロ」から自由をかちとる闘いの問題なのだ。
(注:八月三日夕刻、「表現の不自由展」の撤退が報道された)。
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これら展示の防衛や対策にあたる現地からの報告をじりじりした思いで聞きながら、私たちは、今年は「おわてんねっと」として、八月一五日の「国家による『慰霊・追悼』反対」行動の準備を進めている。またその直前には「平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動」も行なわれる。昨年の靖国宮司による「天皇批判」に続き、「カネ」や「女性差別」の問題も露呈するなど、靖国神社など宗教右翼の破滅的な内実も明らかとなり、天皇制や天皇主義者たちはますます揺らいでいる。だからこそ右翼たちの攻撃もいや増すと想定されるし、徳仁による「全国戦没者追悼式」での初めての発言には大きな注目が集まっている。それは、秋の即位式や大嘗祭、来年に予定されるオリ・パラなどを通じ、「代替わり」直後の天皇制を支えるための重要なイベントとしての役割を持つ。合言葉は、「天皇に 平和を語る 資格なし」である。多くの人びととともにこの闘いをかちとっていきたい。
(蝙蝠)