【学習会報告】島薗進『神聖天皇のゆくえ─近代日本社会の基軸』(筑摩書房、二〇一九年)

 島薗は、岩波新書「国家神道と日本人」、春秋社「明治大帝の誕生」と本書を、自身の近代天皇制に関する三部作と位置づける。ほか、片山との対談も含め、いずれも近代天皇制の成立をめぐる通史として読む限りにおいては叙述として共通しており、読みやすい見取り図にはなっている。

 しかし島薗は、国学や「国体論」の中で醸成され「完成」し、かつて支配イデオロギーとして猛威をふるった「神聖天皇」の思想をひも解いてみせるが、それが「象徴天皇」としてなおある現在の問題点については、あまり分析を加えようとしない。一九四五年以降に、戦後改革により国家神道が否定され「現人神」も否定されながら、皇室神道や天皇の祭祀が明には否定されず残存させられたことにより、むしろそれらが天皇制の根幹となったことについても、問題の所在を示しながら論述を避ける。これは、「天皇は権威であって権力ではない」として天皇制の歴史的責任を免罪させる戦後歴史学のドグマが、島薗に貫かれているからだろう。しかし、それこそが政治家や官僚などから不可触の権力を確保しようとする「神聖天皇」の本質ではないのか。

 天皇制が「仁政」と「慈恵」の「福祉国家」の基軸であるかのように天皇や皇族がふるまい、それを受容する社会やメディアの状況など、指摘されておりさらに踏み込まねばならない問題は多い。それにもかかわらず島薗は、天皇や皇族の「公私二元論」の構造に触れず、明仁や秋篠文仁の発言には肯定的だ。議論では、政治史分析の枠組みを欠いていることへの批判が多く出た。
 次回は八月二〇日、伊藤智永『「平成の天皇」論』(講談社新書)を読む。

(蝙蝠)