昨年一二月一二日、靖国神社の「外苑」で「南京大虐殺を忘れるな」と訴える横断幕をかかげ、靖国に「合祀」されているA級戦犯・東条英機の名前を書いた紙を燃やして、日本の侵略戦争・植民地支配責任をなきものとする日本政府・日本社会に抗議した香港の郭紹傑(グオ・シウギ)さんと、彼の行動を取材していた嚴敏華(イン・マンワ)さん。二人は行動開始後すぐに靖国神社の警備員によって警察に引き渡され、「建造物侵入」で起訴された。そして一〇ヶ月近く勾留されたまま裁判を闘っている。検察は八月二八日、郭さんに懲役一年、嚴さんに八ヶ月を求刑し、一〇月一〇日が判決日だ。このニュースがみなさんに届く頃には何らかの結果が出ている。
二人を支援する会に反天連メンバーも関わってきたが、この思想・政治的表現行為と報道の自由に対する弾圧、アジアの人々からの批判・抗議を許さないという見せしめ弾圧を、はね返すことはできていない。この弾圧事件は、私たちが日常的に取り組んでいる反天皇制や反靖国運動が抱える課題の多くに直結する。私たちの運動に対する右翼と警察による暴力的な妨害や監視、あるいは安倍靖国参拝違憲訴訟や即位・大嘗祭違憲訴訟における安倍政権ベッタリの法廷と、地続きにあるのだ。
私たちの闘う相手がこの国であり、この国が強要する歴史の捏造とヘイトであり、その根本問題としてある天皇制であること、そしてそこに安息や価値を認めるこの社会そのものであることを、あらためて思い知るのだった。天皇制を敬うことが当たり前の社会(人々)が、天皇制国家の侵略戦争・植民地支配の責任を問うことなど、できるわけもないだろう。徴用工問題、「慰安婦」問題、南京大虐殺問題に対する無責任体制・歴史の作りかえ等々は、戦時下の問題としてあるのではなく、象徴天皇制、戦後社会のつくられ方の間違いがつくり出した問題であり、社会の「無関心」という壁や、このヘイト社会の根本に、天皇制や靖国神社を戦後長らく残してきたことの問題があることを、あらためて訴えていきたい。
いま、国の行政はヘイト議員に席捲され、司法も議会も息の根が止められている。地方議会も同様でヤバイ状況にあるが市民の反撃も続いている。私たちの運動やことばは、その反撃を試みる人々とつながっていけるものでなくてはならないし、模索しながらもそのようなものとして続けていきたい。
このような、天皇制の歴史がつくり出した極めて具体的な問題が多発する中で、政府は新天皇即位に関する諸儀式の準備を着々と進めている。それらは、大絶賛のなかで新天皇をこの社会が受け入れ、「敬愛と尊敬」を抱かせるための儀式としてある。そして、戦後の大きな間違いの一つである象徴天皇制はさまざまな矛盾をすり抜け、翼賛体制の中で尊敬と敬愛の対象とされている。これこそが矛盾なのだけど、天皇制恐るべし、とあらためて思うのは、やはりこんなに怖ろしくわかりやすい矛盾を見えなくさせるからなのだ。宗教としかいいようがない。
宗教とは認識しないまま、多くの者がその信者となり、かけ声一つで最敬礼の態勢をとったり旗を振ったりする。使い慣れない敬語も天皇報道で学ぶ。そういった人々は対象を恐れているわけではなく、尊敬と敬愛によってそのような振るまいが出てくるように教えられる。それでもそれに不気味さや、あるいは滑稽さ、そして不正義を感じ、声をあげる人たちはまだ少なくない。さまざまに表出してくる矛盾に向きあい、それらと取り組む人たちと繋がりあいながら、できることをやっていくしかない。
「即位・大嘗祭」という「代替わり」儀式大詰めの時期、東京は厳戒態勢下におかれる。まずは一〇月二二日、新天皇が国内外に向けて高みから「即位を宣言」し、「国民の代表」たち、他国の代表たちが、下から新天皇即位を祝うという服属儀礼・「即位礼」の儀式が行われる。反天連も参加するおわてんねっとでは、反対する者たちの存在を示すため、「東京戒厳令を打ち破れ! 10・22天皇即位式反対デモ」をやる。
ともに声をあげよう! 多くの結集を!!
(桜井大子)