【表紙コラム】

 「裁判所職員の眼差し。裁判所職員の人差し指。クソ天皇裁判長の笑った顔。裁判所の中にいたたくさんの警察。にやけた警察官の顔。すぐそこに見えた皇居。

 たたかうひとびと。たたかうひとびと。たたかうひとびと。たたかうひとびと。たたかうひとびと。たたかうひとびと。たたかうひとびと。」(10月30日、「死」さんのTwitter)

 

 10月30日午後、東京地裁で、22日に行われたおわてんねっとの「即位式反対デモ」で不当逮捕された、AさんとBさんの勾留理由を裁判所に問いただす開示公判が開かれた。

 弁護人の厳しい求釈明にまともに答えず、人を舐め切った顔つきで形式論理的にかわし続ける裁判官の不誠実な態度。傍聴席から鋭い抗議の声が上がり、廷吏が暴力的に襲いかかって退廷者が続出した。肉体として噴出する怒り。そのとき突然、法廷内に大きな旗が翻った。それはとても美しかった。

 このとき間違いなく、権力的に整序された裁判所の空間をこわす、別の世界が立ち現れたのだ。そしてそれは、同じ時間に裁判所前で展開されていた「なかまをかえせ祭り」と呼応して、裁判所を包囲する時間をつくり出していたはずだ。

 全く当然のことだが、被弾圧者は11月1日に全員奪還された。検察が勾留延長を付けられずに不起訴処分で釈放せざるを得なかったのも、この日の裁判所内外の行動、そして警察署や検察庁に抗議の電話をしてくれた多くの未知の人びと、あるいはtwitterを含めて救援会の発信する情報に注目し続けてくれた人びとなど、さまざまな力が結集した結果だ。

 この一連の出来事の中に、私たちは天皇制そのものと、それへの対峙とを見いだすことができる。そこにはお題目ではない「反天皇制」の内実、運動の中で作りだされる可能性と人びとの共同性が生み出されていた。そして私たちはそれが広がっていく確かな手応えを感じた。

 「弾圧は分断されたものをひとつに結集させる」──まったくもってその通り!

(北)