一九二五年、治安維持法公布の年に生まれた著者は、教育によって、軍国少女に仕立て上げられていく。生真面目で一生懸命な性格は随所で紹介されるエピソードでうかがえる。
真珠湾攻撃が始まって間もない一九四一年、高等女学校四年生の小夜さんは「鬼畜英米」のポスターの制作を教師より頼まれる。
画用紙の上半分にルーズベルトとチャーチルの笑顔を描き、体を肉挽き器に入れ、ハンドルを回すと血肉がしたたり落ちる画を描いたという。受け取りを拒否した教師に、戦争の非人道性をここまで露わにした生徒の絵を見て己の役割に気づいたのかと著者は書く。ワットマン紙は赤い絵具の吸い取りもよく心地よかった。
まっすぐな少女の感性は、戦意高揚を仕掛けたものたちの思惑どおりにそれを吸い上げていった。
この本は、戦争に芸術が果たした役割を、特に藤田嗣治に焦点をあて検証する。その時代を同時に生き、唆されたものとしての著者の告発がそれを裏付ける資料とともに記され、都合のいい解釈など入る余地を許さない。まさに生き証人とはこのことだろう。
著者は一貫して自分を軍国少女に仕立てていったものたちの正体を知りたいと、戦後の人生をそのことに費やしている。「プロパガンダに取り込まれた恨みを晴らすとともに、戦争推進の役割を果たした私の責任も明らかにする」とこの本の「はじめに」で、十代の読者にむけて語る。
著者は藤田の戦争責任を糾弾しているのではない。己の犯した罪の責任に向き合う姿勢を求めている。
それにしても、実に沢山の美術展に足を運んでいるものだと感心する。戦後アメリカに接収された戦争画を追っかけるように、作品の前に立っている。そして、どのような展示の仕方か展覧会の意図を注意深くチェックする。「戦争画については、軽はずみな汚点のようにみなされるむきがある」とは著者の感想だ。
芸術は人々の感性に訴えかけるものである。そして作品は時代とともにその評価も変わっていく。当時、人々を鼓舞し、戦争に駆り立てた絵が、時を経て、真逆の価値を与えられる。朝日新聞「夕日妄語」加藤周一の「藤田嗣治私見」では戦争画が反戦画にすり替わっていく。
十八歳の著者は「アッツ島玉砕」の前で、「仇をうつ」「撃ちてし止まん」と誓った。年老いた夫婦が手をあわせ、その絵の前には賽銭箱が置かれたという。
藤田の「戦争画制作の要点」には積極的な戦意高揚を示唆する記述がある。
著者はその場にいた当事者である自身の経験と資料を丁寧に提示する。そこに藤田の絵を反戦画と言い繕う隙間はない。
芸術に限らず、その意図や時代背景を考慮しない思考は、真相や真実をゆがめてしまう危険性がある。昨年の「教育勅語に普遍性を持つ部分がある」という文科相のとんでもない発言は記憶に新しいが。
「歴史の文脈で物事が語られなくなったな~」としみじみと知人が嘆く。その、ことの重大さを、思わないではいられない。著者のホームグランドである学校教育における教育勅語や修身教科書の話、子供たちを洗脳し、人々を煽動していった歌に関してもスペースをさいて問題提起がされている。それによって読者はなお一層、戦争画が果たした役割をしることが出来る。
著者は満州で敗戦を迎える。その苦労を語らない。「引揚げは侵略者として赴いたから起こったことであるから、語るなら、さきの侵略の実態をきちんと語ってからでなければならないと思っているからである」。著者の徹底した加害者意識に私は驚愕した。何事にも一生懸命で妥協を許さないのは、少女の頃から一貫している。そのこだわりがなければ、私たちはこの本を手にすることが出来なかったかもと思ったりもする。刊行されてとても嬉しい。
藤田は戦犯画家の批判を受け日本を逃れた。しかし、横山大観は戦後も美術界に君臨した。責任の所在を突き止め、責任をとらせ謝罪させる。すべてそこから始めるしかないと思う。
『画家たちの戦争責任』
北村小夜:著
梨の木舎:刊
定価:1,700 円+税
(鰐沢桃子)