【今月のAlert 】コロナ禍状況のなかで反天皇制の活動を確保しつづけよう

 昨年の徳仁即位からまる一年、昨秋の即位礼・大嘗祭からも半年が経過した。予定されていた即位関連の儀式からすると、四月一九日の立皇嗣の礼と饗宴、皇祖とされる神社への秋篠による「奉告」などを経て、一連のスケジュールは終えていたはずだ。しかし、新型肺炎を典型的症状とするウイルスCovid-19のパンデミックにより、立皇嗣の礼はついに時期を明記しないままの延期となり、当分は宙吊りとなっている。

 昨年、元号の制定のおりに、日本文学研究者の品田悦一氏が、この「令和」は、万葉集で大伴旅人が王羲之の「蘭亭集序」を参照して撰んだ「梅花歌」からとったとされているが、これに隠された大伴旅人の意図は、じつは、皇位継承と光明立后にまつわる争乱であり「冤罪」とされている「長屋王の変」を想起させるためのものだと読み解いてみせ、古典理解の奥深さを知らされたものだ。偶然とはいえ、今後は男系女系はじめさまざまな展開が想定される天皇制の、ひとつの要となるはずの秋篠の立皇嗣礼が難航していることを思うと、微笑を催さずにいられない。

 さて、全国植樹祭は来年に延期、春の園遊会は中止となった。皇族の出席予定の行事はいずれも中止や延期、年内に予定されていた外国訪問についても困難な状況だ。五月二日現在で、日本からの渡航者や日本人に対して入国制限措置を取っている国や地域は一八四か国・地域で、さらに入国後に行動制限措置がなされるのは、そのうち六四か国・地域である。政府や外交などの関係者に特例がありえないわけではないだろうが、その地位に「神聖性」があろうとなかろうと、いまさら「神の子」というわけにもいかない天皇や皇族たちとて、これは否定できまい。五月一日には新規の「天皇メッセージ」があるかもしれないとの観測もなされていたが、これも発することはできなかった。

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 現在進行形の感染性疫病の動静は、なおきわめて深刻だ。それにもかかわらず、病原体が蔓延している事実は明らかなのに、「専門家」からのメッセージは意図的だとしか思えないほどに不明瞭で、統計数値の発表も、感染状況、発病の状況、地域などいくつもの要素がいまだに截然としていない。本来はこれらに基づいているはずの公衆衛生にかかわる機関からの「対策」は、医療現場をバックアップするための制度的経済的保障を提示するものではなく、むしろ、現場の主体性を縛り、情報の操作と恣意的な統制を強く疑わせるものとなっている。これに加え、政治状況がさらに混乱をきたしているため解決のめどは立たず、「瀬戸際」や「重要な時期」と冠づけられた二週間と同様に、「緊急事態」の一か月もまた、今後、どれほど延長されるかが全く不明だ。

 さらに、事態に乗じて政治家や極右活動家がヘイトをふりまき、不安を駆り立て、「自粛警察」と揶揄されるほどの「相互監視」と「相互摘発」状況をつくりだしている。社会的インフラを支えるエッセンシャルワークに対して、口先だけで経済的支援などの実質のない「感謝」発言が飛び交うその片方で、病菌の蔓延と職業差別や民族差別、性的差別が結び付けられている。

 私たちは、こうした状況に、今後もはっきりとNO!の声をあげていかなければならないと考えている。感染症が社会や個人にもたらす断絶の重さと、これの防止の重要さを前提としながら、そのためには、基本的人権こそが重要な観点であり判断基準であることを、あくまでも強調しなければならないと考えている。

 そうした活動に対しても、「不要不急な活動ではないか」という声がありえないわけではないことは、もちろん意識させられている。しかし、感染したひとが、感染したことをもって、事後的に、あたかも政府に従わないならずものである、あったかのごとき、社会的裁断を下される社会では、「病」は隠蔽されざるを得ない。だからこそ「三密」ならぬ権力の密議や密約をも問題とし、惨禍や簒奪を阻止しなければならないのだ。

 私たちの周囲では、会議や集会の方法を含めて、明らかにこれまでと違う活動形態を目指す模索も開始されている。こうした方向をエンパワーする試みに、反天皇制運動の側からも加わっていきたいと思う。

(蝙蝠)