新型コロナウイルス感染症の世界的な蔓延は、それまでにも耐えきれないような腐敗状況にあった政治体制に、思いがけない方向、しかもさまざまな方向や視点からスポットライトを浴びせて、これによる社会の変化を誰の目にも明らかにさせつつある。
まだ記憶に新しい原発事故のときにも問われた、科学や技術、技術者と、経済・社会政策の問題は、疫学や医療と医療関係者との関係の中で、さらに身近なものとして浮かび上がっている。生活者のそれぞれが、強い不安と怒りを内面化させつつ「日常」に閉じ込められている。その一方で、日銀の株や国債オペに典型的なように経済はギャンブルや投機的な性格をより強め、それを補うかのごとく、「新自由主義」が「確かな」縁故や利権に基づいた「縁故資本主義」として隠微に広がっていることも、露わになってきた。自民公明と維新による議会「政治」は、官僚と特定企業グループとの結託や、権力を掌握した「政治家」によるさまざまなレベルでの買収工作と深く結びついていることが、あまりにも数多くてあげつらうことも疲れてためらうほどにはっきり示されてきている。
国家や社会の大きな変動のうねりをこのかん感じさせる事態として、五月二五日、アフリカ系アメリカ人のG・フロイドがアメリカのミネアポリスで警察官に首を抑えつけ締められて殺されたことに端を発した、全米から欧州など世界にも波及している抗議行動の広がりがある。
アメリカで繰り返されてきた構造的な人種差別に基づく暴力は、とりわけ「白人」警察官による問答無用の拘束・逮捕や暴行としてこれまでにもきわめて頻繁に繰り返されてきた。公民権運動の指導者や活動家に対するテロは、公民権が一九六四年に成立したのちも、なお警察官による不当な検問や暴力として常態化しているという。「カラード」の居住区が歴然としたかたちで続き、貧困と犯罪が社会的なスティグマとして住人たちに刻みつけられてきた。「微罪」でも逮捕され、司法の場すらないまま簡単に有罪となって刑務所での服役を強いられ、危険な「前科者」「犯罪者」その「予備群」として社会的に裁断され続ける存在とされた。アメリカでは、最近の統計でもアフリカ系アメリカ人の刑務所への収監は「白人」の五倍以上で、長期刑の受刑者を対象とする矯正施設は八〇年代から州によっては民営化されて巨大な利益を生むビジネスとなっている。今回の抗議行動においてクローズアップされた「#BlackLivesMatter」、BLM運動は二〇一三年〜一四年に起きた警察官による「黒人」の射殺からはじまったが、そのことは、これらの事態がオバマ政権下でも緩和されず、トランプ政権下で拡大したということを明らかにしている。
BLM運動は、いま、アメリカの奴隷制の歴史や、さらに、ヨーロッパによるアフリカの収奪と植民地化に対する厳しい再審を求める声や行動としても高まっている。大日本帝国の成立史は、こうした欧米の植民地政策史に同時代的に連なっており、日本のアジアにおける侵略と植民地化、戦争の歴史は、いまも謝罪されず償われることのないままにある。その過程において、天皇制、天皇や皇族そしてその権力を行使してきた者たちが果たした役割は、あらゆる機会をとらえて厳しく批判されなければならない。侵略者や植民者、奴隷制を代表する連中の「銅像」が引きずり倒される光景を、このかん何度も報道で目にしたが、私たちの側からも、その歴史的意義を見つめなおそう。東アジアの独裁国家体制に日本が果たした役割は重大だし、彼我の現在の姿はますます相似しているのだから。
いま私たちは、毎年の八月一五日の反靖国行動に向けた準備に取り組みを開始している。今回は、前段集会として、こうした政治状況と正面から向き合いつつ「コロナ危機と天皇制」と題した集会をもち、北村小夜さんに「慈愛・慈恵」と天皇制について語っていただく。この問題では医療現場からも重要な問題が指摘されており、そこからの報告も予定している。川崎市ではヘイトに対する罰則付きの条例が有効となったばかりだが、いま、東京では、悪質な歴史偽造を重ね、朝鮮人虐殺の事実を否定する連中に宣伝の場を提供してきた小池百合子を含め、極右のヘイト活動家らが都知事選挙の場で差別発言を繰り返している。これに靖国派の極右団体を加えた連中の攻撃のなか、八月一五日にはまた集会とデモを展開する予定だ。しかし、糺されなければならないのは歪みきった靖国・天皇主義者たちの認識であり、暴力そのものの政治体制である。私たちは退かない。
(蝙蝠)