三月二七日から二九日、天皇は皇后とともに沖縄訪問をした。今回で一一回目、即位して六回目の訪問だ。天皇の強い希望であったというこの退位前の天皇訪沖に関する報道は、一部を除き、一貫して沖縄に思いを寄せる天皇像をつくり出した。「天皇の名のもとで行われた沖縄戦」、沖縄を売り渡した「天皇メッセージ」に触れた記事もあるにはあったが、それも明仁の沖縄に寄せる思いの強さを補強する演出となり果てた。指摘すべきことは多々あるなかで、すでに少なくない人が指摘しているこの訪沖の日付の「意味」について触れておきたい。
三月二七日は、一八七九年のちょうどこの日、いわゆる「琉球処分」と呼ばれる琉球王国が軍隊を引き連れた日本国家に強制的に併合された日である。また、与那国島を訪問した二八日は、与那国への自衛隊配備二周年目にあたる。この自衛隊配備は与那国の人々を分断し、平和裏に生きる人々の権利を奪い取った。これらの日々を選ぶとは、何とも露骨に政治的な話でしかない。瀬畑源は「明仁天皇論」(『平成の天皇制とは何か』岩波書店)で、明仁が皇太子時代から沖縄や北海道を始め被災地や激戦地等への訪問を続けたその行為について、「国民統合の周縁にいる人たちを再統合する役割を担う意志を感じる」と述べている。
そして、「沖縄の人たちを『日本国民』として国家の中に統合する役割を、結果的に果たしてきた」と。
今回の天皇の沖縄訪問で思い出したのはこの瀬畑の指摘であった。八月には北海道の利尻島訪問も検討中であるというが、同様のことがいえる。近代天皇は歴代、さまざまな政治目的で各地を回っているのだ。明仁は「平成天皇」としての最後の務めとして、八月の利尻島を訪問する。その明仁がどのような美辞麗句で形容されようと、そこには君主としての傲慢な役割を果たす天皇像しか見えない。天皇の沖縄訪問については、東京では練馬集会と4・28 -29 実行委の緊急集会が開催された。
そして三月三〇日、政府は式典準備委員会の最終回を開き、皇位継承の儀式に関する方針を発表した。国事行為として、二〇一九年四月三〇日「退位礼正殿の儀」、五月一日「剣璽等継承の儀」、「即位後朝見の儀」、一〇月二二日「即位礼正殿の儀」、「祝賀御列の儀」、一〇月二二日以降「饗宴の儀」、二〇二〇年「立皇嗣の礼」。「大嘗祭」は一一月一四日〜一五日とし、「国事行為としないが公費を支出する」という前回の政府見解を踏襲するとした。
「昭和・平成」の代替わりでは、これら一連の儀式が国民主権や政教分離原則に反するとして各地で訴訟が起こされた。現時点では、マスメディアレベルでもまだこういった記憶を喚起させる記事をつくっている。また、大嘗祭への「公費支出」に対して最高裁が憲法判断を下していないことにも言及し、憲法学者・横田耕一による政教分離違反の指摘も紹介する。憲法との整合性について、いまはまだ言及する余地があり、安倍政権が押し切れない事態、政府内部で憲法との整合性を問題にする声が少なくないということでもある。非公開で「議論しない」ことを前提とする非民主的な準備委員会の問題も大きい。ここは私たちにとっても広く議論を起こしていけるタイミングでもある。
憲法との整合性ということでは、そもそも皇室にまつわる神々を祀り、宮中祭祀を日常的に行う天皇が、一神社の神主ではなく、国家の制度に組みこまれた存在としてあること自体が、政教分離原則から大きく逸脱している。その国家的存在である天皇は、誰に選ばれるでもなく、世襲で代替わりする。それ自体も民主主義、主権在民の原則に反する。それに伴う儀式は宗教的要素にまみれている。だから当然政教分離原則違反。もちろん、特権的な身分にある天皇は平等主義にも反する。国家が関わるなど論外。
とてもわかりやすくて単純な話ではないか。
そして、このような天皇代替わり、天皇制維持の儀式に莫大な税金を投入される。退位・即位・大嘗祭全体にいったいどれだけの費用がかかるのか、計算してみる必要もあろう。そして女人禁制問題……と、考えるべきことは多い。
「代替わり」をともに闘うために集まった首都圏の実行委は、いま「元号いらない運動」を展開している。たくさんの声を集めていきたい。そして今月は、4・28 -29、沖縄デーと反「昭和の日」行動だ。協力・参加を!
(桜井大子)