【今月のAlert 】「慈愛」も「威厳」もいらない! 国家による「慰霊・追悼」を許すな!

 このコロナ禍にあって天皇の「お言葉」はなぜ出ない、といった記事は七月に入ってもボツボツではあるが続いている。その多くは、新天皇に「国民に寄り添っている」証しをビデオメッセージ等で表してほしいと望むものだ。

 メディアは天皇たちが「動けない」「動かない」ことを承知しているからこそ、「お言葉」を待望している。だが、「言葉」だけではなく、言葉通り「寄り添う」パフォーマンスがあってこその「平成流」であったことを、新天皇・皇后はよく知っている。金と「言葉」だけの傲慢とも思える演出は避けたいのではないか。

 一方で「民間人」同様に新型コロナ感染に怯える天皇たちがいる。天皇の肉体を前提とする制度の限界なのだ。また、天皇が動けばたくさんの人間が一緒に動く。東京から出向いた天皇とその一行が訪問先で感染源とならないという確証もない。出歩くわけにはいかないのだ。だから、そうではない形の、「国民に寄り添う」ポーズか、あるいは別の何かを模索しているというのが実態のように思う。いずれにしろそれはこの社会にとって不要、有害のものでしかないのだが。

 では、天皇・皇后の動きがないかといえば、実はそうでもない。たとえば四月以降の天皇・皇后の、専門家や関係者を呼びつけて話を聞く「進講」「接見」が目立って多い。ほとんどが新型コロナ関連だ。「視察」の代わりに専門家の報告と解説を受けているのだ。今年に入り一月から三月までになされた「進講・接見」は二回だが、四月以降めっきり増えて、これまでに計一五回。そのうち、四月一〇日の新型コロナウイルス感染症対策専門家会議副座長・尾身茂の進講の際に天皇が、そして五月二〇日の日本赤十字社社長・大塚義治、同副社長富田博樹の進講の際には、天皇・皇后が「お言葉」らしきものを読み上げ、後日それらは報道された。

 長くなるが、結の部分だけ引用しよう。

 四月一〇日天皇「この度の感染症の拡大は、人類にとって大きな試練であり、我が国でも数多くの命が危険にさらされたり、多くの人々が様々な困難に直面したりしていることを深く案じています。今後、私たち皆がなお一層心を一つにして力を合わせながら、この感染症を抑え込み、現在の難しい状況を乗り越えていくことを心から願っています」

 五月二〇日天皇「これからも、私たち皆が、この感染症の克服に向けて、心を一つにして力を合わせ、困難な状況を乗り越えていくことが大切だと思います。/新型コロナウイルスと闘っている医療従事者の皆さんに、改めて心から感謝の意を表しますとともに、皆さんには、今後ともくれぐれも体に気をつけてお仕事を続けられるよう願っています」

 皇后「これまで医療活動に献身的に力を尽くしてこられている方々、そして、その方々を支えられているご家族や周囲の方々に、陛下とご一緒に心からのお礼の気持ちをお伝えしたいと思います。/これからも、まだ厳しい状況が続くことが案じられます。日本赤十字社の皆さんを始め、医療に従事される皆さん方には、くれぐれもお体を大切にされながら、これからも多くの方の力になり、この大切なお務めを無事に果たしていかれますよう、心から願っております」

 これらの言葉が、目の前にいる個人に向けられたものではないことは明瞭だ。そして「祈る」という自分の行為を伝えるのではなく、「願っています」と不特定多数に向けて行為を促す。また、「国民」を案じ「国民」に代わって感謝や礼を述べる。行動が伴わないこれらのことばは、「寄り添い」「親しさ」よりも「威厳」の方を感じさせる。「威厳」が天皇にとっていいのかどうか、これからも天皇たちの模索は続くだろう。私たちは、その模索の過程も含め批判の論理を明確に出していくしかない。「慈愛」の天皇を演出できない象徴天皇は危機であろう。一方でいま見え隠れしている「威厳」の天皇を社会が認めるとなれば、非民主社会へとさらに踏み込むことになるだろう。

 私たちはいま、国家による「慰霊・追悼」を許すな!8・15 反「靖国」行動の準備を進めている。前段集会として、八月一日には北村小夜さんを迎えて「コロナ危機と天皇制」集会を開催した。準備も参加も、それぞれの条件下でできる人がやる。無理のないところで、ぜひご参加を! 

(大子)