【追悼】高橋武智さん

 高橋武智さんが、六月二二日に八五歳で永眠された。この悲しい報告は、彼の後見人の弁護士事務所の事務員である、スタート時点からの「反天連」メンバーだった知人という、意外な人物が連絡してくれた。

 亡くなられた老人ホーム「ひまわり市が尾」には、私は、結局一度も訪ねることができなかった。すぐ想起したのは「平井啓之さんの思い出――『わだつみ会』の活動を通して」のタイトルのインタビューを私は武智さんと渡辺総子さんの二人を相手に「反天連」の機関誌『象徴天皇制研究』〈第3号〉でしている件である。一九九四年八月一六日の日付のあるものだ。すぐ読みなおしてみた。一世代(一〇年以上)以上年上の彼と私の交流は、三〇年以上前、昭和天皇Xデーのドラマチックな政治過程が始まる直前から始まったのだと思う。武智さん(いつも僕らはこう呼んでいた)はその頃常に「わだつみ会」の武智さんだった。

 当時のその会の長老平井啓之さんとの交流も、彼が媒介役を買って出てくれることも少なくなかった。そういう関係を前提にしてのインタビューである。そこでも彼は、死につつある戦中の学徒世代の戦争体験を、自分たち「中間世代」を媒介に、私たち「全共闘」世代やそれ以降のより若い世代にどう「継承」できるのかに、こだわって発言している。

 その後の「市民の意見30の会」の編集スタッフとしての私と彼の協力関係は何十年ごしで長い。隔月ニュースの会議と発送作業だから、長い間、月一回はほぼ確実に顔を合わせていたことになる。もっと、あれこれ話し協力してもらう場所をつくっておくべきだったナーと、いま、思う。あのころ、平井さんをはさんで、身近に感じていた「わだつみ会」は、やはり私にはズーッと遠い団体であった(今度の「代替わり」プロセスでは、機関誌に一本原稿を書かせていただいたが、これも武智さんが繋いだのだと思う)。

 反省は、いつも、取り返せない、決定的に遅れた時間にやってくる。さようなら武智さん。         

(天野恵一)

 

*反天皇制運動アラート50号 表紙コラム