字幕翻訳家である戸田奈津子さんが、50周年のインタビューで、「“安堵”と訳したら、若い観客には難しいから“安心”に変えて欲しいと配給会社から言われた」と述べ、言葉が軽んじられる風潮に懸念を示していた。
8月1日の集会で、講師の北村小夜さんが、自著の本の制作過程で編集者との間で交わされた、若い世代に伝えるための注釈についてのやり取りを紹介。編集者が絶対必要と主張したのが、「撃ちてし止まん」だった。あの時代を生きた者たちにとって、その言葉は巷に溢れ呪文のように渦巻き、人々を戦争という狂気へと駆り立てた。敗戦から75年。その言葉は今や注釈を必要とする。
私はこの夏、この「撃ちてし止まん」という言葉が、戦争の記憶として刻まれた美術作品に出会った。
東京都現代美術館で9月27日まで開催されている「いまーかつて 複数のパースペクティブ」展の岡本信治郎による「ころがるさくら・東京大空襲」である。1933年生まれ、70代で取り組んだパノラマ。リズムが聞こえてきそうなポップな作品。おどろおどろしさは微塵もない。けれどもそこには、天皇、詔勅、南京大虐殺、アウシュビッツなどの文字がびっしりと並ぶ。羅列された文字はアジア太平洋戦争の記憶を呼びさます。若い人たちの姿が多い。彼らはこの作品をどのように受け止めているのだろう。
浜田知明、鈴木賢二。敗戦直後から十年間上野の地下道に眠る人々をデッサンした佐藤照雄の「地下道の眠り」らは私を引きつける。藤田嗣治の「千人針」も展示。
会場は1階、2階にまたがる。お時間あればおすすめです。
(鰐沢桃子)