【表紙コラム】

 一身上の都合でしばらくお休みしている間に内閣が変わった。安倍亜流内閣といわれ、官房長官時代の、上から目線で冷徹に切って捨てるような態度にも変わりはないようなのに、それが何か手堅く、「安定感」をもたらしているように受けとめられているようだ。人びとはそこまで不安感に押し潰されようとしているのか。

 その新首相が総裁選を前にしきりに述べていたのが、いわゆる「自助・共助・公助」。「まず自分でできることは自分でやる。自分でできなくなったらまずは家族とか地域で支えてもらう。そしてそれでもダメであればそれは必ず国が責任を持って守ってくれる。そうした信頼のある国づくりというものを行なっていきたいと思います」。

 何を言っているんだか。なぜ今さら、自分でできることは自分でやれと説教されなければいけないのか。生きるために必要不可欠なセーフティネットたる公助を切り捨てるために地域や家族の無償労働を当てにしないで、国は出すべきカネを出せ。

 「社会格差の問題については、格差が少ない方が望ましいことですが、自由競争によりある程度の格差が出ることは避けられないとしても、その場合、健康の面などで弱い立場にある人々が取り残されてしまうことなく社会に参加していく環境をつくることが大切です」というお気楽な発言を明仁がおこなったのは10数年前のことだった。徳仁・雅子も7月に野宿労働者など生活困窮者を支援するNPOの理事長を招き、困窮者支援について話を聞いた。彼らの言う「自由競争」や「自助」とも一切無縁である世界にいて、「心を痛めてみせる」だけの行為の、何がそんなにありがたいのか。

(北)