【今月のAlert 】天皇のことばで動く社会はオカシイ! 「立皇嗣の礼」も「皇位継承」もイラナイ!

 九月一六日、菅内閣が発足した。新首相菅義偉は安倍政権の継承を言葉と組閣で表明し、「国民のために働く内閣」を、という。これで六〇%以上の支持を得るのだから、手強くうんざりする社会であることにまったく変わりはない。ただ、安倍の辞任は体調不良が原因らしいが、その体調不良に追い込んだ国会内外の大きな批判の声があったことも記憶しておいた方が良いと思う。反安倍の声も功を奏していたのだ。そして菅内閣も早々に終わらせたい。

 ここでもう一つ、新内閣成立に伴う問題を記録しておきたい。同一六日、皇居にて天皇が新首相を任命する「親任式」と、新内閣閣僚らの認証式(任命するのは新首相)が行われた。これは憲法第六条「天皇は、国会の指名に基いて、内閣総理大臣を任命する」と第七条五「国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること」という、憲法が定めた天皇の「国事行為」だ。新天皇徳仁の最初の任命・認証式としてメディアは映像付きで報道し、これで新内閣が正式に発足すると述べた。

 反天皇制運動の最大公約数的な論理に、違憲行為を行うべきではないというのがある。とりわけ裁判闘争などでは、違憲であるかどうかで闘うことになる。この難しさを痛感しつつも、憲法を自分たちのまもりの道具として使ってもいる。しかし、私たちの反天皇制の論理はそこにとどまるわけにはいかないことだらけだ。

 なぜ天皇が、この国の行政のトップを任命するのか。なぜ各省庁のトップを認証する必要があるのか。今回の親任式には関係ないが、憲法六条には「天皇は、内閣の指名に基いて、最高裁判所の長たる裁判官を任命する」ともある。なぜ、司法のトップを天皇が任命するのだ?

 私たちの、現在の行政に対する信頼が限りなくゼロに近いものであるにしろ、一応は私たちの代表である。自分は選んではいないが、少なくとも誰かが選出した者たちだ。そうであるにもかかわらず、天皇による任命や認証を介さなければ内閣は正式発足しないという。そのようなものを、民主的なシステムと考えるのか。

 また、この新内閣のボスを選出する臨時国会を召集するのも天皇だ(憲法第七条二「国会を召集すること」)。召集は内閣が決定し、天皇の召集は形ばかりである。とはいえ、天皇の召集詔書がなければ国会は召集できないこととなっている。そして天皇が「国事行為」には含まれない「お言葉」を発するのも恒例だ。徳仁即位後初の国会(二〇一九年八月一日)では「国会が(中略)その使命を十分に果たし、国民の信託に応えることを切に希望します」と述べている。何さまのつもりか(天皇さまか)。その言葉を受け、国会審議が始まるのだ。大丈夫かこの社会は。

 私たちは、これらの問いを手放すわけにはいかないのだ。憲法が定める「国事行為」そのもの、いや一条から八条のすべてが、民主主義どころか憲法の九条以下にもことごとく反していることを、繰り返し訴えていくしかない。

 「代替わり」が実質終了して一年半が経とうとしているが、政府が予定していた一連の「代替わり儀式」は完了していない。今年四月一九日になされるはずだった「立皇嗣の礼」は新型コロナ感染拡大により延期されたままだ。この秋開催を予定していたようだがどうするつもりなのか。四〇〇〇万円もの税金を投入することも決まっているが、このご時世でなくともどうかしている。それでも天皇家にまつわる国事を中止するわけにはいかないというのが、天皇制である。そして、政府の方針どおりであれば「立皇嗣の礼」終了後、「皇位継承問題」「女性・女系天皇」「女性宮家」等々について審議が始まる。この社会にとって非民主的で差別的な問題だらけのシステム、天皇一族にとってすら非人間的といえるシステムを残すための論議が始まるのだ。

 「立皇嗣の礼」が決まれば、反天皇制の実行委では緊急行動を呼びかける予定だ。議論と行動、知恵を出し合っていきたい。情報をお見逃しなく!

(桜井大子)